
写真は数少ない手持ちの帯留め…。
結婚式出席を控えた知人が「礼装って帯留めしないよね」と言いました。
こりゃ難しい…留袖はつけない…は今でも基本的にそうだと思っていますが、
ほかの礼装は、するともしないとも「しちゃいけない」ともいえません。
私も最近まで、礼装には基本的につけないのが普通…と思っていました。
「タブー」というよりも、つける必要がない…です。
最近は「礼装」の種類にもよったり、また「入・卒の着物」と同じで、
「地域」とか、参列者の「タイプ」にもよったりますし…。
「留袖には帯留めはしない」とか「お茶席、披露宴の着物には使わない」とか、
はっきりそう書いてある本もあったり、呉服屋さんのサイトなどでもあったりします。
結論から言いますと、今はこれがほんとに「ケース・バイ・ケース」に、なってきています。
私の母などは「礼装に帯留め」などはハナっから頭にない年代です。
なにしろ「礼装は白の丸ぐけ」の時代ですから、たとえそれが組みひもに変わったとしても、
元々「必要ないもの」という捉え方です。
更には「帯留めというのはおしゃれ着で使うもの」という概念ですね。
頂き物の「しろの丸ぐけ」です。これに帯留めは…ムリ。

ちなみに、舞妓さんは太さのある、りっぱな組みひもの帯締めに、
必ず帯留めをしています。(ぽっちり」と呼ばれてます)、
特殊なもので、手のひらにドーンと乗る大きさです。一般には使えません。
「ぽっちり」ってことはないだろうと思う大きさです。舞妓さんはそれが礼装。
帯留めのお話をするには、帯のお話しからになります。
まず、着物全体の歴史から見て、帯幅が広くなったのは、江戸の元禄ごろだといわれています。
この前の「裳袴」のところでもお話ししましたが、女性も対丈の着物を着ているころは、
帯も細かったわけで、関が原の戦いころはまだこれです。
家康が江戸幕府を開いてから、大政奉還まで、約270年ですが、
「元禄」って何かと耳にする元号ですね。これは五代将軍綱吉の途中からで、
家康からだと約80年目くらいで、実は元禄は15年間しかありません。
この間に赤穂浪士が討ち入りました「時は元禄14年…」ですね。
着物の歴史では「この時代に髪を結うようになった」とか「このころに帯を後ろで結ぶようになった」とか、
一言でいってしまいますが、今の流行のように、一晩で全国的に知られる…なんてことはないわけで、
最初は混在して、やがてみんながそうなって…と、何年もかかって緩やかにかわっていったわけです。
元禄時代は、戦国の世が終わって80年くらいの時期、その間に平和を享受し、
芸術や文化などに熱を入れられるようになり、それが爛熟したとのがこの時期といわれてます。
そのころ芝居もさかんになり「役者」がスーパースターになり、そして彼らの着るもの使う色、
新しい帯結びなどが、盛んに真似されたわけです。それもあって、短かった帯が長くなったといわれています。
そこからいろいろな結び方が考え出されたわけですね。
江戸時代の帯結びは元禄以降、年代や職業、身分立場などによって、さまざま考えだされましたから、
いまのように普段締めるのはお太鼓…なんていうのよりはるかに多かったわけです。
それのほとんどが帯締めを使わない結び方です。
以前「本来の角だし」と「江戸庶民のひっかけ」の結び方をアップしましたが、
そのほかにも立て結びとか一つ結びなどが、浮世絵なんかにはよく出てきます。
この結び方ですと、帯留めを使う、つまりは「帯締めを使う」締め方ではありません。
つまり「帯締めを使わないから、帯留めも使わない」わけです。
こんな感じの結び方、柔らかい帯で、ほんとにぎゅっぎゅっと結んでる感じですね。

では「帯留め」は全くなかったかというとこれがそうでもない…。
1800年ころには、使われているそうです。つまり江戸ももう後期ですね。
このころになりますと、帯の緩みや崩れを防ぐためにもいい…と、
帯の締め方にかかわらず、金具を帯前に飾ると見せて、バンドをする…あらら。
やはり「花街」の女性が始めたそうです。ですから今とはちょっと形もちがったりするわけです。
そのころすでに「細工物」といわれる装飾品、例えば刀の飾り、根付や煙草入れなどの金具など、
細かい細工物は、いいものがたくさんできていました。
その腕前で、帯留め具もできたんですね。そのまま幕末に突入し、やがて廃刀令がでて、
それまで刀の飾り金具などを作っていた腕を生かして帯留めを作ったり、
下げ緒や武具などの紐類をつくっていたものが帯締めや羽織紐に活路を見出したわけです。
浮世絵などを見ますと「帯締め帯留め」をしている図柄なども残っていますが、
今のような使い方ではなく、本来帯締めのいらない締め方でも、
わさわざ帯締め(というより、帯留めを飾るためのひも)を締めたりしています。
つまり、別口につけるアクセサリー感覚ですね。帯締めというより「専用ひもに通して飾る」という感覚です。
また更に時代が下っての上流社会はといいますと、明治以降は外国とのお付き合いが深まり、
女性もパーティーやレセプションなど、表に出てくることもだんだん増えてきました。
その際、外国女性の「宝石」によるアクセサリーに見合うものが着物にはない…
だからといってネックレス、イヤリングなどは習慣がないし、着物に合わない…ということで、
宝石の使える部分として、帯留めが注目され、ここに宝石を使うようになったわけです。
つまり上流、一般、いずれにしても、帯締め・帯留め、とセットで使われるようになった歴史は、浅いのですね。
帯の形や結び方も変わり、江戸時代のように、自分の年齢や好みで、
あれこれ結び方をかえることは減っていきましたから、
これは逆に「結びによる形以外のチャーム・ポイント」が重要になったということで、
帯締めと帯留めが、大切な小道具になっていたのだと思います。
さて、まぁまたしても前説が長くなりましたのは「ボクの悪いクセ(杉下右京の口調で)」。
カンジンのお話しは次回に持ち越し…ということで、思わせぶりに終わりますーお許しください。
結婚式出席を控えた知人が「礼装って帯留めしないよね」と言いました。
こりゃ難しい…留袖はつけない…は今でも基本的にそうだと思っていますが、
ほかの礼装は、するともしないとも「しちゃいけない」ともいえません。
私も最近まで、礼装には基本的につけないのが普通…と思っていました。
「タブー」というよりも、つける必要がない…です。
最近は「礼装」の種類にもよったり、また「入・卒の着物」と同じで、
「地域」とか、参列者の「タイプ」にもよったりますし…。
「留袖には帯留めはしない」とか「お茶席、披露宴の着物には使わない」とか、
はっきりそう書いてある本もあったり、呉服屋さんのサイトなどでもあったりします。
結論から言いますと、今はこれがほんとに「ケース・バイ・ケース」に、なってきています。
私の母などは「礼装に帯留め」などはハナっから頭にない年代です。
なにしろ「礼装は白の丸ぐけ」の時代ですから、たとえそれが組みひもに変わったとしても、
元々「必要ないもの」という捉え方です。
更には「帯留めというのはおしゃれ着で使うもの」という概念ですね。
頂き物の「しろの丸ぐけ」です。これに帯留めは…ムリ。

ちなみに、舞妓さんは太さのある、りっぱな組みひもの帯締めに、
必ず帯留めをしています。(ぽっちり」と呼ばれてます)、
特殊なもので、手のひらにドーンと乗る大きさです。一般には使えません。
「ぽっちり」ってことはないだろうと思う大きさです。舞妓さんはそれが礼装。
帯留めのお話をするには、帯のお話しからになります。
まず、着物全体の歴史から見て、帯幅が広くなったのは、江戸の元禄ごろだといわれています。
この前の「裳袴」のところでもお話ししましたが、女性も対丈の着物を着ているころは、
帯も細かったわけで、関が原の戦いころはまだこれです。
家康が江戸幕府を開いてから、大政奉還まで、約270年ですが、
「元禄」って何かと耳にする元号ですね。これは五代将軍綱吉の途中からで、
家康からだと約80年目くらいで、実は元禄は15年間しかありません。
この間に赤穂浪士が討ち入りました「時は元禄14年…」ですね。
着物の歴史では「この時代に髪を結うようになった」とか「このころに帯を後ろで結ぶようになった」とか、
一言でいってしまいますが、今の流行のように、一晩で全国的に知られる…なんてことはないわけで、
最初は混在して、やがてみんながそうなって…と、何年もかかって緩やかにかわっていったわけです。
元禄時代は、戦国の世が終わって80年くらいの時期、その間に平和を享受し、
芸術や文化などに熱を入れられるようになり、それが爛熟したとのがこの時期といわれてます。
そのころ芝居もさかんになり「役者」がスーパースターになり、そして彼らの着るもの使う色、
新しい帯結びなどが、盛んに真似されたわけです。それもあって、短かった帯が長くなったといわれています。
そこからいろいろな結び方が考え出されたわけですね。
江戸時代の帯結びは元禄以降、年代や職業、身分立場などによって、さまざま考えだされましたから、
いまのように普段締めるのはお太鼓…なんていうのよりはるかに多かったわけです。
それのほとんどが帯締めを使わない結び方です。
以前「本来の角だし」と「江戸庶民のひっかけ」の結び方をアップしましたが、
そのほかにも立て結びとか一つ結びなどが、浮世絵なんかにはよく出てきます。
この結び方ですと、帯留めを使う、つまりは「帯締めを使う」締め方ではありません。
つまり「帯締めを使わないから、帯留めも使わない」わけです。
こんな感じの結び方、柔らかい帯で、ほんとにぎゅっぎゅっと結んでる感じですね。

では「帯留め」は全くなかったかというとこれがそうでもない…。
1800年ころには、使われているそうです。つまり江戸ももう後期ですね。
このころになりますと、帯の緩みや崩れを防ぐためにもいい…と、
帯の締め方にかかわらず、金具を帯前に飾ると見せて、バンドをする…あらら。
やはり「花街」の女性が始めたそうです。ですから今とはちょっと形もちがったりするわけです。
そのころすでに「細工物」といわれる装飾品、例えば刀の飾り、根付や煙草入れなどの金具など、
細かい細工物は、いいものがたくさんできていました。
その腕前で、帯留め具もできたんですね。そのまま幕末に突入し、やがて廃刀令がでて、
それまで刀の飾り金具などを作っていた腕を生かして帯留めを作ったり、
下げ緒や武具などの紐類をつくっていたものが帯締めや羽織紐に活路を見出したわけです。
浮世絵などを見ますと「帯締め帯留め」をしている図柄なども残っていますが、
今のような使い方ではなく、本来帯締めのいらない締め方でも、
わさわざ帯締め(というより、帯留めを飾るためのひも)を締めたりしています。
つまり、別口につけるアクセサリー感覚ですね。帯締めというより「専用ひもに通して飾る」という感覚です。
また更に時代が下っての上流社会はといいますと、明治以降は外国とのお付き合いが深まり、
女性もパーティーやレセプションなど、表に出てくることもだんだん増えてきました。
その際、外国女性の「宝石」によるアクセサリーに見合うものが着物にはない…
だからといってネックレス、イヤリングなどは習慣がないし、着物に合わない…ということで、
宝石の使える部分として、帯留めが注目され、ここに宝石を使うようになったわけです。
つまり上流、一般、いずれにしても、帯締め・帯留め、とセットで使われるようになった歴史は、浅いのですね。
帯の形や結び方も変わり、江戸時代のように、自分の年齢や好みで、
あれこれ結び方をかえることは減っていきましたから、
これは逆に「結びによる形以外のチャーム・ポイント」が重要になったということで、
帯締めと帯留めが、大切な小道具になっていたのだと思います。
さて、まぁまたしても前説が長くなりましたのは「ボクの悪いクセ(杉下右京の口調で)」。
カンジンのお話しは次回に持ち越し…ということで、思わせぶりに終わりますーお許しください。
蜘蛛の巣の帯締めは私も持っています。
こんな素敵なのじゃなくて、安物なんですが、意外に可愛らしいんですよね^^
ぽっちり並に大きな帯留も持っていて、まあ値段も(元々の品としても)礼装には使わないだろうなーというシロモノです。
ふと思いだしましたが、亀は見つかりましたか笑
色留袖には帯留めは使わず、正装の訪問着や
振り袖での披露宴には帯留め使用も可と
書いてあります。
むか~し、お茶席に帯留めはダメだと聞き
ました。高価なお茶碗やお棗を拝見する時
キズを付けてはいけないからだったか・・・
蜘蛛の巣の帯留め素敵ですね。
いいなぁと思いながら、私は帯留めは使い
こなせません。
帯結びがいろいろで出来たときは、
すでに帯は幅広です。
クモの巣の柄は、客商売のかたの羽裏や
襦袢にも使われます。
つまり「お客をからめとる」ことが
できるように…ですね。
転じてクモの巣柄は「福を集める」意味が
あるんですよ。
「亀飾り」どうやら「もう使わないもの」として
納戸に押し込めた箱の中のようなのです。
あれを出すには「年末大掃除」…です。
ごめんなさい!
出てきたらブログに書きますから、
お知らせください。お送りします。
私の本もばらばらなんです。
「つけない」だけで終わってるのもありますし…。
こういうことって難しいですね。
お茶席は、おっしゃるとおりお道具に気をつかうことと、
もうひとつは、お道具類が美しいのでその美しさを楽しむべき、
なんですって。なるほどねぇです。
私も元々、あまり使わないほうです。
使いこなせないというのが「実情」で、
なんかうまくあわせられないんですよ。
それでも見るとほしいなぁってのがあったりします。
上手に帯留めを楽しみたいと、欲だしてます。
とんぼさんの動画だと割と簡単に結べている印象を持ちますが、きっと結構大変なんでしょうね^^;
明治時代とか、華族の奥様なんかは日に何度もお召し替えがあって、自分では帯は結ばなかったとか。
亀は急いでいないので、見つかったらオークションにでも出品していただければと思っていました。
楽しみは先の方が、、、と言いますから。
とんぼさんもお忙しいので、ほんとに何年先でもいいんです。
ブログはずっと続けて欲しいですけど笑
帯が柔らかければ、それほど難しくはありませんよ。
私の場合は体が固くなって手が後ろに回りづらいってのが
難しい原因になってますが…
おーーい亀やぁい…。
出てきたら必ずお知らせしますから。