ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

着物の今までとこれから・・

2006-09-17 20:38:09 | 着物・古布

まずは写真の説明です。見たとおりの「留袖」、現代物です。
とんぼのところには「新モノ」もございまして・・・。
こちらは「遠山」の中が「宝尽し」というおめでたい柄・・なんですが、
実はこれ、もう留袖としては使えません。理由は・・・見えますかしら・・。
これははさみが入っています、切れちゃってるんですね。





残念ながら縫込みの中に収めて隠せない場所のキズなので、
留袖としては使えません。でもほかはなんともないんです。
もったいないので作り帯でも考えてみようかと・・。

こちらはもう一枚、これは無傷です。
実物はもう少し金銀が光って、キレイです。
柄はハデ目ですが、色目としては全体に少しジミな印象です。





すでに仕立てあがっているんです。たぶん・・ですが「注文流れ」、
比翼仕立てです。





紋入り、「違いみょうが」ですね。
石持ちではないので、けっこういいものだと思います。
こちらはいずれ販売予定、サイズさえ合えばおかいどくっ!





さて、本日のお話・・ちょっと長くなると思いますので今日は「その1」かな?

たとえば着物のルールとしていろいろ言われていることがあります。
「留袖」に締める帯は・・帯揚げ帯締めは・・。
今、着付け教室に通っておられる方が習うのは、たぶん
「留袖には金糸銀糸の入った帯(この際吉祥紋様ドータラと言うのは省略)、
帯揚げは白地または白地に金銀の刺繍・染め、帯締めは金銀の入った白・・・」
とまぁこんなところでしょうか。ついでにバッグや草履は「佐賀錦」・・かな?
確かに正しいのです、現代においては・・。

では、洋装ではどうでしょうか。洋装で結婚式に出る場合は?
私、盛装についていうなら洋装の方がよっぽど面倒な決まり事が多いと思います。
披露宴も昼と夜では着るものが違う、アクセ系や服の素材系も、昼間は光物ダメ、
夜は光ってなきゃダメ、正装の場合は肌露出、準礼装なら肌はあまり出さない、
真珠のネックレスもできればゴージャスなもの、普通の一連は避けた方が無難・・
私、結婚式には考えなくていいので着物です。
実は、私が10代の頃はカラーフォーマルなんて一般的ではありませんでした。
お葬式でも結婚式でも、洋装はみんなブラックフォーマルが多かったのです。
変わるのはイヤリングやネックレスなどのアクセ系や持ち物履き物の素材、
結婚式のときは、更に華やかなコサージュをつけるなど・・・。
今、結婚式に一連の真珠のネックレスが「?」なのは、
お葬式を連想させるからです。
今でもブラックフォーマルは、お葬式用限定ではありません。
カラーフォーマルが主流になった今では、いくら華やかなアクセをつけても
「お葬式」のイメージが強くなってしまったので、着なくなってしまったのです。
一時期、留袖の左肩辺りにも柄を入れる・・なんていうことが
言われた時代がありました。理由は・・披露宴でテーブルにつくと、
留袖は裾模様が見えなくなって、みんな喪服のように真っ黒になってしまうから。

そもそも、今のように留袖が「既婚者の盛装」として認知されたのは
江戸後期頃なのですが、当時はお引きずりが当たり前、
そして「座敷」が当たり前、だから裾模様も右前左前、対称に入っていました。
つまり、お引きずりの着物は家の中を歩いたり座ったりするとき、
着物の裾が左右に分かれて両方見えます。片方だけが柄入りではおかしいから、
左右対称に入れたのです。これは「お引きずり」が当然だった時代は
ずっと続きました。その後「おはしょり」を先にしてから着る、
つまり「ひきずらなくなった」ために、座るときも別に前は広がらない、
だから上前だけに柄があればいいことになって、今の形になったのです。
更に進んで「披露宴」が自宅ではなく会場で、ほとんど「イス」形式になったら
上半身だけテーブルの上で「まっくろけ」になってしまったわけです。
それで、すわったとき柄が見えるように、左肩辺りに柄を・・
という話がでたのですね。若奥様向けのものはみたことがありますが・・。

話しを少し前に戻します。
留袖用の帯締めですが、白が基本で金や銀の入ったもの・・と言うのが
たぶん今の主流だと思いますが、ほんの少し前までは「白の丸ぐけ」でした。
手元に昭和52年度初版の「帯結び」の本がありますが、留袖の帯締めについて
「正式には綸子や羽二重の白丸ぐけだが、金銀入りの組紐でもよい」とあります。
つまり今主流の組紐は、わずか30年前は「それでもよい」立場だったのです。
喪服は「黒の丸ぐけ」、これは今でも使います。
その喪服も、明治の終わりまでは通常「白」でした。

さて、何がいいたいかと申しますと・・・決まり事は変わるということです。
当然といえば当然のことなのですね。暮らし方、考え方、社会情勢、
全てのことが絡みあって、そのとき支持されるものが「決まり事」になってゆく、
古いものが廃れたり、新しいものが生まれたり、新旧のものが融合しあったり。
それは当然のことなのですが、日本の「着物」においては、
大きな問題として、一時期、それまでずっと当たり前のように親から子へと
伝承されてきたことが途切れてしまった・・ということがあります。
先日の「紬の訪問着」のところでも書きましたし、私はことあるごとに、
これを言ったり書いたりしているのですが・・・。
たとえ着ることは途切れてしまっても、着る着ない・縫う縫わないに関係なく、
せめて知識だけでも伝わればよかったのですが、それが叶いませんでした。
そうなると、今着物を着たい、これから着ようという人は、
着付け教室で習いにいくことになり、「そこから」始まる知識になります。
着付け教室で初心者に教えていることは、着付けの基本ではありますが、
それだけが正しいというものではありません。
その教室、流派によって、いろいろ細かいところで微妙に違ったりします。
実はどれが正しいということではなくて、着物の着方なんて
極端にいえば「ちゃんと着られりゃなんでもいい」のです。
着付け教室へ行かなくても、着られる人に教わったらそれで着られます。
昔は着付け教室なんてなかったんです。みんな親が教えたんですから、
その家流の着方だったのです。
教室と言う以上、いろいろ制約も営業目標もあるでしょうけれど、
着物は元々こういうものなのよ、こうじゃなくてもいい場合もあるのよ、
着物って自由なのよ・・と教えて欲しいのですが・・。

私が子供の頃、まだ近所には一年中着物・・という人が何人もいました。
ほとんどがお年寄りでしたが、右隣のおばあちゃんは新潟の人で、
いつも秋口になると綿入れの袖なし半てんを着ていましたし、
毎日「唐桟」風の長い前垂れをしていました。
左隣のおばちゃんは、寒い時期には着物で、よく「水屋着」と呼ばれる、
引っ張りの長くしたものを着ていました。
少し先の町内の「ナガサキさんちのおばあちゃん」と呼ばれていた人は、
薄くなった白髪をきゅんと小さなお団子にして、まいど真っ白な割烹着、
そして襟には一年中「てぬぐい」がかかっていました。
小さいときから見たり聞いたりしていたこと、と言うのは、
「勉強した」のではなく「経験」として記憶の中に積み重ねられます。
母が、寒くなってくるとすべりのよいキュプラの裾よけの下に、
ネルの裾よけをかさねて縫いつけていました。
「何してんの」と聞くと「こうすると中は暖こうて、外はすべりがええねんで」、
そんなふうに、自分は着たり縫ったりしなくても、いろいろなことを覚えます。
そういう状況に育ったものですから、私はいつごろから自分で着物を着ていたのか
実はハッキリ覚えていません。たぶん15歳くらいだったと思いますが、
それからも着るときに母が「こないしてみ、ズレへんで」とか、
いろいろと実践で教えてくれました。
そういう暮らしが着物と私の距離を遠くはなれさせることがなかったのです。
私は本当に幸運だったのだと思っています。

今、着付けを習い、着物が暮らしの中によりそってきたみなさんには、
着物と縁のない世界にいた頃の間に、私のようには積み重ねられなかったことを
これから覚えていただきたいと思うのです。
そのためには「着物」は生きて育っていくものなのだ、ということと、
もうひとつは、かつて着物が暮らしの中に当たり前にあったころから、
今の洋服と同じで、礼を尽くすところはきちんと尽くす、
自由に楽しむところは大いに楽しむものであった、ということを
考えていただきたいと思うのです。
なんかえらそうなことを言ってますが、要するに
着物が今の形をしているのも、今の決まり事も、今の着方も、
ある日突然ポコッと出てきたりきまったりしたのではなく、
ここへくるまでに、ずーーっと培われてきたものがあるということ、
それを踏まえての「変化」を受け入れたり、また作っていったり、
そういう関わり方をしていっていただきたいと思うのです。

長くなってしまいました。
このことについては、少し続けて書こうと思います。
明日はもう少し具体的に・・何を・・・考えなくちゃ!!










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5 コメント

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Unknown (陽花)
2006-09-17 21:45:22
私達の時代は親に習ったり見よう見真似で

着物を着ていたのですが、今の若い人達は

親自身が着物の着方を知らないので、着物を

着ようと思えば着付けてもらうか着付け教室に

行かなければ着られないていう方が多いですね。

それだけ回りで着物を着る人が少なくなったんだと

思います。教室でも今の時代に乗り遅れてはと

なんでもありのことを言う先生もおられますよ。
返信する
関西のとある県で。。。 (zizi)
2006-09-18 10:08:54
お葬式の列だったと思いますが、墓地の辺りを旗もって白装束の方々が歩いていらしたようなのを見かけたことがあります。



韓国ドラマ「クッキ」でも 菓子屋のオジサンが亡くなったとき、クッキは白装束でしたね。・゜・(ノД`)・゜・。



最近は 結婚式と縁遠くなりましたが、あの下着のようなヒラヒラワンピースに 裸足ミュールにショールという格好、どうにかならんでしょうか。
返信する
Unknown (とんぼ)
2006-09-19 22:22:31
陽花様

ほんとに今のお若いかたはお気の毒・・です。

がんばらなくちゃ・・です。

わさわさとやりすぎて、大事なことが

おきざりにされることがこわいですね。



zizi様

白から黒に変わったのは、明治天皇のお葬式、

がきっかけといわれていますが、

ヨゴレを考えると黒の方が便利??



結婚式などでの「生アシ、ミュール」は、

完全なエチケット違反なんですけれど、

気がつかないのか、教える人がいないのか・・。

知らないうちに恥かいてるんですけどねぇ。

「ファッションだから」で許されないこともある、

と知るのが、大人だとおもうんですけれど・・。



返信する
知恵袋から。 (天鼓)
2013-02-20 14:58:44
知恵袋で丸ぐけの帯締めについて質問をしましたら、こちらを紹介されました。
白で、白と金で鳳凰の刺繍のあるものなんですが、花嫁さん用かなあ、留袖で使ってもいいかなあ、と思ったのですが。
お値段もかわいいので、眺めるものとして買ってもいいかなとは思うのですが、買ったらやはり使いたい。

丸ぐけの白の帯締め、姑が私の弟の結婚式に出てくれたときに締めていました。
今でも使っていいんだなあと思って、丸ぐけが好きなもので刺繍のものが使えないなら真っ白のを実用向けに買おうか、とも考えています。
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Unknown (とんぼ)
2013-02-20 20:36:01
天鼓様

いろいろ変わってきている時代ですし、
なんともいえませんが、留袖にはただの白…が、
決まりと言えば決まりなんですよね。
組紐ではけつこうハデなので、留袖の丸ぐけに、
刺繍があってもいいじゃないか…なんて、
私はおもうんですけどねぇ。
花嫁さんの丸ぐけは少し太めでハデだと思いますし。
私も丸ぐけ、すきなので、自分で作ろうと思いつつ、
いまだに…です。ヒトには作り方教えてるのにねぇ…。
ちょっとジミめのつむぎのハギレとか、逆に着物ではきられない、
ハデめのちりめんとか…。あの柔らかい雰囲気は独特ですね。
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