ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

あっさり訪問着

2011-03-08 23:15:40 | 着物・古布

 

以前にもアップしたかと思うのですが…そのうちの一枚です。絵羽仕立てなので着せ掛けてみました。

横に着物入れの桐の箱のデカイのが写りこんでてすみません。

 

地色は渋いし、柄はあっさりめ、裾模様だけでほかに柄はありませんから、

あまりかしこまらない訪問着です。

柄の部分はこんな感じ。柄を染めた上全体に、紗綾型の金彩がかぶっているので、

光ながらも柄がやわらかくなっています。

 

     

 

訪問着というと、もちろん礼装に入りますし、今は訪問着といえば留袖、色留のツギの結婚式用…

みたいに思われて、豪華絢爛なものが多くなっています。

たしかに上の訪問着ではあっさりメで、これで結婚式に出たらちょっと寂しい感じかもしれません。

でも、元々訪問着は、その名のとおり、どこかへのご訪問…でいいので、実は幅の広いものです。

 

以前にも書いておりますが、繰り返して…。

訪問着は明治維新後に生まれたいわば「歴史の新しい」分類の着物、です。

維新後、女性の立場が少しずつ向上し、それまで政治関係にはまったく締め出されていた女性も、

西洋にならって、たとえば晩餐会などで、夫と並んで参加するとか、そういった状態になってきました。

家の奥にいて当たり前だった良家の奥方様やお姫様がたが、外出したり、集まったり…。

そういう中で、留袖や色留ほど堅苦しくなく、かといって総柄の着物ほど砕けすぎないものがほしい…と、

そんなところから生まれたのが「訪問着」でした。売り出されたときは「散歩着」「訪問服」…。

つまりちょっとしたおでかけや、よそ様へのこ゜訪問に、オシャレで堅苦しくなく、かといって失礼でない…。

だから、ものすごく豪華なものもあれば、ちょっと銀座へ…といったあっさり系まで、

いろいろなタイプのものが考え出されたわけです。

 

元々、身分制度や貧富の差が大きかった江戸時代は、今の小紋にしろ留袖や振袖などの着物にしろ、

それを着られるのは一部の富裕層でした。そのころの着物は「絵羽付け」か「総柄」、

総柄というのは今の小紋にあたるものです。つまり柄に上下がないことと、全体に柄がはいるもの、の総称。

ただ当時の総柄というのは、いまよりずっと華やかで大柄…昭和初期あたりまで、それはまだまだ残っていました。

こんな感じ。

 

 糸巻き柄です。

              

 

花尽くし

             

 

こちらは大きな紙風船

 

                  

 

こんな着物、今は若いヒトでも着ていません。

元々江戸時代から大正あたりまで、年齢による違いというのは極端でした。

たとえば江戸時代は早いと16才くらいから、遅くも19、つまり20歳前に結婚するのが普通。

30ではもう年増といわれました。

そして、結婚を境に、娘でなくなることは「老け始め」のような感覚で、

「若妻」であっても「もう所帯を持った」ということで、手柄(てがら…髪に飾る絞りの飾り布)の色も、

赤いものから水色や薄紫などに変わりましたし、髪型もかわり、眉を落とし、鉄漿(おはぐろ)をつける…。

つまり、結婚という節目から一気にジミになる…そのあたりの境目が、今よりずっとハッキリしていたわけです。

そのため、娘のころは短い期間、愛らしく華やかに、色柄も赤く袖も長く…と、なったのでしょうね。

大正時代は「大正ロマン」と呼ばれますが、絹物も自由に着る風潮も当たり前となり、ジミだった明治をすぎて、

木綿や麻ではなかなか着られなかった花柄など華やかな色柄を、庶民も楽しむようになったわけです。

 

訪問着は、当初は富裕層の婦女子の着物でしたが、暮らしがよくなっていくと同時に、

庶民も「よそいき」として身に着けるようになったのですね。

それぞれの「階級」や立場、状況で、ジミなものハデなもの、落ち着いたもの、遊び心のあるもの、

モダンなもの、古典的なもの…と、自由な色柄で楽しめたのが「訪問着」だったのですね。

 

訪問着なんて用ないわ…と思うのですが、ちょっと高級な総柄の着物のかわり…くらいのキモチで、

楽しむのも、訪問着の使い方だと、私は思っています。

 

さて、この訪問着ですが、蛍光灯の下で見た限りでは、色あせやダメージはないように見えます。

お安く販売予定ですが、もう少しきちんと検品しませんとね。無責任なことはできませんから。

 

雪はさすがに「春の淡雪」…一時はこんなに積もったら…と思ったのですが、あめでさっさと解けて流れました。

車のかげや、石垣の下などに、わずかに残っていましたが、それも今日一日で消えたようです。

それにしても寒い冬、春の訪れまではまだ油断できませんね。

 

 


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6 コメント

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あっさり系 (momomilk)
2011-03-09 06:41:36
私の着物は、若い頃から地味であっさり感が有りましたが、歳を重ねるたびに好みがあっさりに
片寄って~(。-_-。) 今では柔らか物も、硬物も無地か柄もほんの少しが定番です。
母親も着物好きで、地味好き(^ ^) なので私は大半母の着物を洗い張りして、暇な時チクチク自分サイズに縫い直して着てるので、
お金使わないで感謝してます(^з^)-☆ 次は娘に!これが着物の良いとこなんですよね~何代も着てもらえる、
お婆ちゃまのなんか平気で着てます、すごくECOだと思いませんか(笑)。
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Unknown (陽花)
2011-03-09 07:39:36
昔の様に16歳から20歳ぐらいで
結婚すると、娘として家にいる間は
総柄のこんなにも華やかな着物を
着せたいと思う親心わかりますね。

あっさり訪問着、上品ですね。
返信する
可愛い! (momomilk)
2011-03-09 08:22:49
アンティークな着物ってほんと可愛いですね(^ ^) 若い人に着てもらいたいなー、
ナマ足も若さの象徴ですが、隠した可愛さも取り入れて欲しいです(^。^)
どんな服より、きものはとにかく目立ちますから(#^.^#)
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Unknown (とんぼ)
2011-03-09 20:20:00
momomilk様

私も母からの着物が多いのですが、
去年他界しましたので、いよいよ全部きます。
置くとこないから箪笥で置いといてと、
父にはいってありますが、これでもう
一生分ある…といいつつ、ほしくなるのが着物ですね。

私は単までしか縫えないので、そういう点は
ほんとに不経済です。
昔はみんな自分でやったものなのに。
上手に着て伝える…なくなりつつある文化です。

返信する
Unknown (とんぼ)
2011-03-09 20:26:07
陽花様

今の時代でも、親は女の子はかわいらしくと
やってますよね。
ウチは男の子ですから、赤もピンクもフリフリレースもなし。
夫と息子のせんたくもののジミなこと…。

この訪問着、私でも着られる色ですね。
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Unknown (とんぼ)
2011-03-09 20:27:55
momomilk様

アンティークも時代による変化があって、
なかなかたのしいものですね。
最近若い方も着物をお召しになるかたが
少しずつでも増えているようで、うれしいことですね。
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