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ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

ゆかたと単のお話し

2009-07-25 19:16:40 | とんぼ手帖
さぁ気を取り直して…本来の「とんぼの薄ーいうんちく話」…と思ったら、
先日この記事を書き始めまして、まだ推敲もしないまま、
途中で下書きにいれたつもりが、アップされちゃってました…。
そのとき40名くらいの方が、中途半端記事をご覧になったようです。
ほんとにすみませんでした。練り直しての記事です。

あっ写真は、本日先生に撮っていただきました。
朝顔に、今日の調子をきいてるとこです。


皆様のいろんなご意見を聞いていると、自分の柔軟性の不足も、知識不足も、
ついでに言葉の不足もいろいろ感じます。
できるだけわかりやすく、もう一度私の知っていること、自身の考えや気持ちも
整理しながらまとめてみようと思います。
テーマは「浴衣と単木綿着物はどう違うのか」…なんですが、
これをお話しするには、あちこち話が飛びますので、
まずは「木綿」ってことから入ります。

* 本日「木綿」のお話し…

木綿が日本で栽培されるようになったのは、室町時代くらいといわれています。
今、河内木綿とか三河木綿と呼ばれるものがあります。
帯芯なんかは「三河木綿」が有名ですね。
この「三河」には、確か700年代後半だったと思いますが、
難破船から漂着したインド人(といわれています)が、種をもたらした、
といわれているのですが、このときのものは日本の気候風土に合わなかったようで、
広まったり定着したりはしませんでした。
ただ、木綿栽培の技術そのものは伝承されていたようで、
その後別種の種が入り、それで栽培が始まったころには、
三河は木綿の一大産地として、名をはせることになりました。

木綿は、元々が貴重品扱いで、身分の高い人たちのものでしたが、
戦国時代、木綿の需要が高まりました。
一説には「木綿の栽培を広く奨励したのは織田信長」と言われています。
つまり、そのあたりから「戦の方法」も変わってきたからです。
信長は「鉄砲」を大量に使いました。当時の銃保有率は日本が一位といわれています。
火縄銃の火縄には木綿が多く使われました。
兵なども、単に身内だけでなく雇い入れたりもしましたから
旗指物(はたさしもの)やら、お仕着せやら…あれこれ木綿の布が必要だったわけです。
そんなことから「軍需産業」として木綿の栽培が盛んになり、
やがて戦国の世が終わると、戦中に培われた流通ルートを使って、
今度は一般人のために、木綿が作られるようになったわけです。
かなりはしょりましたが、木綿はそんなわけで日本での歴史はまだ500年程度、
麻や絹と比べて新参者なわけです。

さて、この木綿を着物にしてきたわけですが、ここでまた「お上」ってのが
やたらと奢侈禁止令を出しましたし、素材だけでなく、身分によって
「上着はこういう形、下はこれをはく」など実に細かい…
かぶるものの素材まで制限つきです。今じゃ考えられませんね。
庶民の使う繊維、という意味では、日本という国はずーっと「麻とそれ以外の繊維」
この場合のそれ以外というのは、それこそ繊維がとれるものはなんでも…です。
それで暮らしてきたわけで、木綿はある種ぜいたく品だったんですね。
庶民が普通に木綿を着るようになったのは江戸時代も中半から後半といわれていますが、
さてこれも、です。身分制度も貧富の差も激しかった当時は、
庶民は木綿を着た、といってもやたらと新品を買うようなことはできません。
庶民はもっぱら「古着」を利用しました。
ほとんどの一般庶民は、新しい反物を買うなどというのは、
嫁入りだとかなんだとか、一生に何度もなかったわけです。
着物が究極のリサイクルといわれるのは、そういう大切なものだからこそ、
ハギレになるまで大事に繰り回したからですね。
このころの日常着の木綿は、ほとんどが先染めのものであったと思われます。
無地、縞や格子などが主流、あとは絣、ですね。
ただ、そういう状態だからこそ、染料はいろんなものが使われて、
結構色鮮やかなものもあったようです。
そしてこのころは、普段着でもよそ行きでもみんなが木綿を着ていたわけです。
当然、木綿の着物を夏は単、冬は綿を入れて袷にして着たわけですね。

やがて明治維新がおき、交易が盛んになりました。
輸出入で経済が発展し、また技術や機械、新しいものが次々と入ってきて、
少しずつ豊かになり、また「禁止令」がとかれましたので、
庶民でもがんばって働けば、自分で絹を買って着ることができるようになりました。
これが明治・大正・昭和…と、どんどん進んでいったわけです。
暮らしがよくなれば、いいものを着るのが常、絹物が主流となり、
木綿は「普段着」になりました。
あっ「普段着」って言い方は曖昧ですね。
つまり「おでかけ」そのものが、江戸時代とは内容も出かける距離もかわったわけです。
なんせ江戸時代ってのは、一年中働いてて当たり前で、週末なんて感覚ないわけですから。
太陽暦が取り入れられて、お休みの日なんてのもできて、
お出かけ先も増えて…だんだん「オシャレ着・家庭着」の区別が
はっきりしてきたわけですね。着物がいろいろ増えても、素材が変わっても、
当時の人は絹であれなんであれ、自分で洗って自分で縫うことができましたから、
今の我々のように「洗うこと・仕立てること」の心配はなかったわけです。

つまり、江戸の昔はちょっとした外出の一張羅も、家の中で着るものもみんな木綿、
ほんの100年前まで、木綿の着物は今の絹物と同じ立ち位置、だったのです。
絹が主流になってきたために「普段専門」になり、
わざわざそれを袷にしたり単にしたりせずに、
そのまま「単の着物」として残った…というわけです。

また一口に木綿、といっても、糸の種類はさまざまです。
江戸時代、絹を扱うのは呉服屋、木綿や麻を使うのは太物屋といいました。
糸が太くて、反物も太くなったからです。
今、浴衣に使われる木綿糸は「コーマ糸」が上質、といわれます。
このコーマは「櫛」から着ているといわれていますが、
櫛のようなものに何度も糸を通して、木綿特有の毛羽を取り、柔らかくしなやかに、
絹糸のように仕上げた糸です。これで織り上げたものは、薄くてしなやかです。
この薄さが、単着物にしたときに「ペラペラ感」になってしまうのです。

同じ木綿地でも、片貝木綿などの太物、洋裁用のポプリン、サッカー、
シーチング、ダンガリー、インド綿…みんな全部特徴が違いますね。
これは使われている糸の質、太さ、織るときの経糸、緯の本数や織りかた、
そのさまざまな違いによって、いろんな布ができるわけですね。
江戸時代、江戸の近隣でもさまざまな「木綿」が織られています。
片貝、川越、真岡(晒し)、館林…また後期には絣がうまれ、
木綿は先染めの布として、最初は無地、縞、そして格子、絣、と、
色柄も増えていったわけです。

駆け足でしかも大雑把な「木綿のお話し」ですが、なんとなく「木綿の履歴書」、
おわかりいただけたでしょうか。

次回は「浴衣」について、とまとめの予定です。

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Unknown (りのりの)
2009-07-25 20:15:20
きりっ~つ・・・れーぃ
1時間目の授業おしま~い
ちゃんと復習しておくように・・・

って、それくらいわかりやすい木綿の歴史でした。ヤシの実が流れ着いたと言う渥美の浜にインド人も流れ着いて木綿栽培の技を教えたんですなねー・・・ロマンですねー

すみません、三河の産まれだもんで三河木綿の話に食いついてみました。



返信する
Unknown (とんぼ)
2009-07-25 21:50:10
りのりの様
「しゅっせきをとりまーす」…こらこら。
わかりやすいでしょうか。
書いてて自分で「わかるかなー」とか
悩んでまして…。
こまごま書くと、ものすごーく長くなるので
はしょるのに迷いました。
楽しみながら、すこしでもお役にたつことが
あれば幸いです。
返信する
失礼します (mon)
2009-07-25 22:30:17
ランキングサイトから来まして、各投稿とも興味深く拝読させて頂きました。
感想を、忌憚なく述べさせて頂きますのでよろしくお願いします。

ギャル系ゆかたやコスプレ着物(?)のお話、たぶん、blog主さん等のきもの好き側と、「モテ服」として着る側とで大きくギャップあるのかなと思いました。

わたしも(着物好き側です)、ギャル系ゆかたなどを、百歩譲ってもセンスが良いとはどうしたって思えないクチなんですが、つらつら思うにたぶん、着物好き側と、ギャル系側とは、出発点から大きく違うと思います。まず、後者たちの大半は、前者の考えているような着物を着たいわけでは、全くないんだと思います。

なので。
一般的な「ギャル系ゆかた」に、着物好きフィールドから「意見」すること自体あまり意味ないかなあと思います。
むしろ、「下手すると、着物好き側へ迷い込んでくるヤツも出るかも」くらいでオッケイではないかと。

「モテ服」や「表現服」として考えると、ギャル系ゆかたやコスプレ着物は、“正解”ではあるのかなーと。
つまり、それらは着物が好き側の考えている「着物」じゃ無いモノ、と考えちゃった方が良いんでは、と。…延長線上にはあるので、厄介ですが。

正直。
私自身、誰がどう言いつくろっても、一般的には現代生活にはなかなかどうにも不便なのが着物だと思っています。多くは「趣味」になりますよね。

ので、「裾野」層…というか、はちゃめちゃに参加することで金銭的に少し貢献してくれる層が増えれば、「好き」になってしまい足が抜けられんコア層を僅かにでも支えてくれるんだからよろしい…など、ポジティブ?に考えれば良いのかなと。

以上、駄文かなと思いますが、正直なところです。お目汚し失礼しました。
返信する
Unknown (陽花)
2009-07-25 23:35:55
さすが、とんぼ様!
木綿の種類だけでなく、木綿の歴史まで
詳しく教えて頂いて、感謝です。
返信する
Unknown (とんぼ)
2009-07-27 02:11:21
mon様
はじめまして、
こちらこそよろしくお願いいたします。

「出発点」が違う、ということ、
私もそう思っておりますよ。
でも

>着物好きフィールドから「意見」すること

という意識はないんですよ。
「モテ服」ですか、そういうものとして
着物をお選びのかたがたは、
おっしゃるとおり、着物が好きで着ているのでは
ないのかもしれません。
そしてそれでおわるのかもしれません。
それならそれでも個人の自由ですから…。

もしそういう「始まり」のかたのなかで
これを読んでくださるかたがいて、
ご自分の着物に対するキモチが
変わられる方がいればそれもまたよし、です。
私は別に着物の権威でもなんでもありませんから

>下手すると、着物好き側へ迷い込んでくるヤツも出るかも

というような感覚を持ったら、
失礼に当たるかと思います。
モノは言いよう、だけかもしれませんが、
「モテ服」として選んだものを、
本当に「着物」として好きになってくれたら、
それはとてもうれしいと思いますけどね。

私があれこれ書くとき、いつも
「知らないともったいない」というような
そんな書き方をいたします。
それは、着物を着たり好きだとおっしゃる方にもっと奥へ入ってくると、もっと知ると、
着物ってもっと楽しいしものですよ、
というだけで、
特別に「モテ服」として着ている方々だけを
ターゲットに書いているつもりはないのです。

「裾野層」というお話につきましては、
そういうお考えもあるかもしれませんが、
浅慮ばかりの私には、どうも思いつきません。
私は着物は不便、と思っていませんし、
ここにおいでになられるかたがたのなかには、
着物で暮らしておられる方も、
できるだけ着物でいたい、というかたも、
たくさんおられます。
頂き物や、古着を上手に使われたり、
私などはほとんど親のものです。
お金をかけない工夫もまた、着物をきていく上では、
必要なことだと思います。
どんな形であれ、着物に魅せられた者として、
持ちつ持たれついけたらいいかなぁと…。

あまり的確なお返事にはなっていないかもしれませんね。
懲りずにまたお越しください。


返信する
Unknown (とんぼ)
2009-07-27 02:14:49
陽花様
「木綿と絹」についての本が
いろいろあるのですが、とても興味深いです。
なかなか全部読みきれないのですが、
まだ知らないことがいっぱいで…。
「三河木綿」と書いていて、
あっ帯芯どつかにあったよなぁと、
思い出しました。せーかつに密着してますなぁ。
返信する
ひき込まれて...。 (akkomam)
2009-07-27 12:04:36
  とても素直に木綿地の由来を学ぶことが出来ました。
  ただやみくもに見た目で判断したりしないで、
  奥を学べば扱い、着方、愛着...違ってくるものです。

  私流に流れ、解釈する前にその歴史を辿ることで
  知る!を大切にしたいです。
  毎回、楽しみに読ませていただいてます。
返信する
Unknown (とんぼ)
2009-07-27 14:16:15
akkomam様
何かお役に立てれば、ほんとにうれしいです。
ずっと身近にあると、愛着もわきますし。

絹と木綿と麻…それぞれに日本に
深く根付いたもので、
人間みたいに山川越えて今に至ります。
いとおしいと思います。
返信する

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