ご存知、義経八艘飛びの図です。
男の子の着物、これは、着物とおでんち(こっちでいうとちゃんんちゃんこ)の
セットだったと思います。男の子の着物柄で「戦記もの」というと、
けっこう、この「義経さん」使われます。
あとは「♪京の五条の橋のうえぇ~~」の弁慶さんと一緒に登場とか。
でも、実際にはカレは命がけでがんばったあげく空回りして、
最後は実の兄に追われて討たれる・・というヒサンな末路なわけですから
子供の着物の柄にはちょっと・・と思うのですが、そこはそれ、
日本には古くから「判官びいき」というのがありますね。
苦労を重ね、やがて名乗りをあげた義経は勇猛果敢、謹厳実直、
人望厚く、英知に長けて・・、つまりは義経の一番輝いていた時代を
褒め称え、図柄にした・・ということなんでしょうね。
こんな風に「まっすぐで勇敢で、ヒトに慕われる男になるように」と。
ところで、義経の愛妾「静御前」が捕らえられ、鎌倉で舞いながら
詠った歌は、二首とも有名ですが、義経と弁慶の別れの歌はご存知ですか?
もはやこれまで、と悟った二人が互いに歌を詠んだわけですが、
弁慶の方は
「六道の 道の巷に君よ待て 遅れ先立つ習いあるとも」です。
説明が長くなるのでカンタンに言いますと「六道の辻」というところ
そこはあの世との辻で、生前犯した罪によって「おまえあっち、アンタはこっち」
と分かれるところ、もちろん極楽ルートもありますが・・。
「遅れ先立つ」というのは、どっちかが先に逝き、どっちかが後になる・・
というような意味ですが、戦場において、もはやこれまでの時は、
主君は敵にやられる前に自害します。家臣は主君が心置きなく、
落ち着いて旅立てるように敵を阻止したのち、主君の後を追う・・
つまり「主君が先、家臣はあと」になるわけですが、
義経の場合、館の奥深くに入り、そこで自刃した(といわれていたり
逃げてジンギスカンになったといわれたりですが・・)そのとき弁慶は
門前で敵を迎え撃ち、そこを文字通り死守したわけですね。
全身に矢を受けながら、尚も鬼のような形相で立ちはだかった、
恐る恐る近寄ってみればすでにコト切れていた、有名な「弁慶の立ち往生」です。
さて、そうなると、どっちが先に逝ったやら・・。
弁慶の歌は「わが君よ 六道の辻あたりでお待ち下さい。
後先はわかりませんが、どっちにしてもそこですぐにお会いできますから」
という意味でしょう。一方義経は
「後の世も また後の世もめぐり合え 染む紫の雲のうえまで」です。
「おまえとは何度生まれ変わっても 巡りあいたいものだ、
あの戦のない極楽の紫の雲のうえでも」・・だと思うのですが。
すみません、文献なんてもので調べてないもので。
とにもかくにも、それほど信頼し合っていたということなのでしょう。
はてさて、自分には、それほど信頼し合えるヒト、生まれ変わっても
また巡り会いたいと思えるヒトは・・なぜここで「連れ合い」と即答しない!
えーっとそれは・・あのぉ・・、そだ!次回は花模様とか、そういうかわいい
女の子の着物の古布を紹介しますね。(ゴマかせっ、ゴマと化してしまえっ!)
命が尽きる時に気が付くかも知れませんという事で。
空気の有難みは今はまだ・・・という事で。
今の心は誤魔化せません?
空気みたいな存在になる・・そんな夫婦に
なりたい」なんて話してたんです。
結婚して20年目だったかに、主人と
「お互い空気というより毒ガス?」
「そーだなー、免疫できちゃって、
毒の効き目もうすいけど」って
大笑いしたことがありました。
縁あって共に歩いているひと、
フシギなもんですね。
でも新たに色々と綻びも出てきた。
長い間 夫婦やっていると面白いものです。
新しい発見がある、それが気に障る。
変ですね。
友人はみなご主人がちょうど「定年退職」の時期。
でも「これでやっと二人の老後を楽しめるわ」とか「毎日一緒で嬉しい」とかは、まーず聞きません。
だいたいが「うっとおしい」「めんどくさい」。
まぁそんなもんかもしれません。
夫は一番近くの他人ですから、若い頃のように
甘く熱い「愛情」の「愛」の部分が、
朝起きたら顔を洗うのと同じように「当たり前」の
ものになってしまうと、あとは「同じ釜の飯を
喰った仲」とでもいうような「情」しか見えない。
だから「しょーがないから一緒にいてあげてんのよ」
なぁんてね。夫婦ってほんとにおもしろいものです。
私も銀婚式も過ぎました。