すみません、本日記事ナシで~す。
ちょっとボケこいてまして、古い写真の整理をしていたら、時間が・・・!
とりあえず、この一枚を。「こーこーせい」のとんぼです。
このスーツ、家庭科の課題で縫ったもの。
作る前は、クラス中デザイナーになったように、
私はちょっとシャネルっぽく・・だの、みんなえらそーなこと言ってたのに、
いざ始まったら「できるだけカンタンなのにしよう・・」。
そりゃぁもー苦労して縫いました。
一応、課題ポイントの「衿芯のハ刺し」だの「雨ぶたポケット」だの、
みんな必死でクリアしたんですが、一生分の洋裁をやった気分でした?!
全員完成したあと、先生が班ごとに「記念写真」を撮ってくれたのです。
貼ってあったところのタイトル「よくまぁみんな袖が通ったものだ・・」
実は、これですっかり「洋裁」が苦手分野になりまして、
まともに「原型」の型紙から起こしてなんてのは、一切やらなくなり、
目が行くのは「カンタン・ソーイング」ばっかし・・。
このスーツのボタンホールを徹夜で作りながら
「ユカタはボタンホールがないっ、やっぱ着物はいい!」と思ってました。
その和裁も「袷」の手前で、母にさからってやらなかった・・。
要は「こんじょナシ」のとんぼです。
カンタンだ~~~いすき~~!
みんな、すごいなァ。
わ、わたしだったら、
卒業できない・・・
そうなんです。普通の授業だったんですよ。
これのほかにスカート一枚・・だったと思います。
私はファスナーつけが大嫌いで、
スカートは紺地に赤と白の大きなチェック柄の
「巻きスカート」で提出しました。
いまだに柄もはっきり思い出せるほど
ため息がでるような「うらめしい?」思い出です。
コレ以来スーツは作ったことがありません。
ついでにこのスーツも一度も着ないままでした。
私は洋裁は苦手というか解らないです。
でも一度友達に教えてもらってスーツに
挑戦したことがあるんですよ。
切しつけの時点で多分2度としないだろうと
思いました。洋裁はむつかしい・・・
皆さん同じ感想でしたね。
浴衣でさえ、一年上の学年まででした。
作ったのはフレンチスリーブのブラウスのみ。つまり袖付け無し。
そんな風にいやな思い出がないので私は却って恐い物知らずですね。
素人とプロは違ってこそありがたみがあると言うもんですね。
いまだに製図を見るとアタマ痛くなり、
そこでギブアップです。
よくも縫ったものだと思います。
でもいましたよ、どうするとこうなる・・
というような不器用な人、全部親にやってもらった人
私は手伝ってくれる母ではありませんでしたから
赤点とりたくない一心でやりましたが、
「これで洋裁が嫌いになった」という友人、
やっぱりいます。教育ってなんなんだーっ!?
うまこ様
当時私たちは「当たり前」と思っていたのですが、
大人になって「私の学校じゃなかったわよ」と
みんなそういうんで、えぇーっと思いました。
洋裁学校じゃないんでしょって。確かに・・。
私の年下の友人の高校は和裁が必修だったそうで、
単も袷も全部縫ったというのに、何も覚えてなくて
いまやユカタも縫えないのです。
理由は「先生がぶんなぐってやりたいくらい
ヤなやつだったから・・」だそうです。
きょーいくって大事?!
規制も課題もない今、気楽に縫うのは楽しいです。
何だかんだと言っても上手に出来上がっているではないですか。
高校の家庭科の授業では、ブラウス1枚。
中学に至っては浴衣は和紙で縫い代を貼って名前を覚えるだけでした。
なんて安直な・・・
あっ 赤ん坊の靴下の編み物がありましたが左右大きさが揃わず、結局母が編みました。
・・・
簡単に変更できる技術がすごい!
このときの苦労は、他の学科の試験だの
課題だのより、はるかにはっきりくっきり
記憶があるのです。ちゃんと裏もつけましたが
あとになって自分でも「よくやれたよな」の一品。
たしかブラウスも縫いましたよ。
中学ではユカタぬいまして、寝巻きみたいな柄で。
ワンピースも作りましたよ。
薄いグリーンのソフトデニムで・・。
学校によってそんなに違うもんなんですねぇ。
しかし、役にたったんだろーか・・と思います。
いい思い出ないんですもん!