このところ、古い着物などの柄について、また着物の着方や組み合わせ、
そういったことについて、いろいろとブログ書いたり、
お話ししたりすることが続いていまして、そういうお話をするたびに
私はやはり、着物文化は廃れてほしくないという思いを強くするのです。
同時に「基本的なことを」残す、ということの大切さを思うのです。
先日「古い着物の本」のところで書いたことの繰り返しになる部分も多いのですが
ちょっと書いてみようと思います。
確かに、人間の作り出す文化というものは、長い年月を経ていくと
どんどんかわっていってしまうものではあります。
1000年前のみやこびとが、今の女性を見たとしたら・・・。
女性が髪を切り、不美人の理由である「縮れ毛」に、好んで縮らせ、
みどりなす黒髪を茶やら金色やらに染めて、顔も隠さず都大路を闊歩する・・。
まぁ「妖怪」にでもあったがごとく「あなおそろしや!」と叫ぶでしょう。
ほんの100年前の人達は、まさか自分たちのすぐの子孫が、
着物を脱ぎ捨て、着ることからも縫うことからもこれほど遠ざかるとは
夢にも思っていなかったことでしょう。
それではこの先100年経ったら「日本人って昔は『着物』なんていうもの
着てたんだって・・」ということになるのでしょうか・・・。
私はそれはない、と思うのです。
日本には、長い時間をかけて育まれてきた「伝統文化」というものがあります。
「お茶・お花・能・狂言・歌舞伎・・・」そのほかにも地域の祭や、神事など、
そういうものは、それを後世に伝える者がおり、技術や心といったものが、
きちんと伝えられていきます。そういうものと「着物」は、深いつながりがあり、
それゆえに、着物が消えてなくなるということはないと思うのです。
但し、先にあげた伝統文化と違うところは、必ずしも「後継者」には
恵まれていないということです。すでに途切れてしまった技術や、
幻になってしまった織物・染物も、あると思います。
しかし、残念ながら、私はそういうことを、伝えていく力がありません。
それなら自分にできる伝え方で、着物というものを伝えていきたい、
とそう思うのです。
ただ、やたらと古いことを持ち出して「着物っていうのはこうなんだ」と
変えない努力をする・・というのは、やはりちょっと問題があると思います。
先に書きましたように、もともと文化というものは「変わっていく」もの、
だと思うからです。矛盾しているのですけれど、変わっていくものだけど
変わらないものでもある・・といいますか・・。
ここでやっと、最初の「ヘタッパチ」なイラストのことをお話しいたします。
「イラスト」にしましたのは、本からの写真を使おうとしましたら、
しっかり「転写禁止」と・・・。まぁ当たり前のことですが・・。
それでこんなお眼汚しのものがアップされてしまったわけです。
どうぞご勘弁を・・・。
で、このイラストですが、この髪型は、どちらも「立兵庫」です。
このふたつは実は同じ名前の髪型なのです。どこが・・・と思うくらい
全く違うように見えますが、同じところがあるんです。
それがつまり「基本的な部分」。この髪型は、まず鬢(びん・顔の横部分の髪)
髱(たぼ・後ろの部分)、を少し膨らまし、髪をひとつにまとめて
元結(もっとい・もとゆい)で縛ってポニーテールにします。
その髪を折り曲げて立たせ、残りの髪を根元に巻きつけて留める・・です。
左側の髪が原型ですから、説明どおりであることがお分かり頂けると思います。
右はその「立たせたところ」を大きくひろげて丸くした形です。
細かくいえば、元は前髪を別にとって片側に流していたものが、
前髪もふくらませて、他の髪とまとめてうしろにいくようになったり、
あとは鬢と髱が、大きくなったり小さくなったり・・。
左から右へ行くのに100年余の長いときがかかっています。
しかし「なくなり」ませんでした。基本は変わらないまま、
名前とともに残ったわけです。「変わったけど、かわらなかった」んですね。
着物も、つい100年前までは、今のように細身ではありませんでした。
横幅は大きかったのです、更にさかのぼれば、もっと大きく、裄は短く、
いまでいうところの七分袖のようです。袖丈も短く、袖口はやっと手が
通る程度・・。それが長い年月を経て、今のような形になりました。
でも、基本でかわっていないところはたくさんあります。
私たちが伝えて、残していくことはなんなのか、そんなところに
答えがあるような気がするのです。
とりあえず、私の親の時代、戦後の動乱期を乗り切り、
国を豊かに、個人を豊かに・・とがんばって、洋風文化をどんどん取り入れて
そうしているうちに、とぎれてしまったもの、着物ってどうやって着るか、
着物ってそもそもどんなものなのか・・、そんな基本的なことから、
若い人達に伝えていきたいと思うのです。ただ、こうやって着るんだよ・・
だけではなく「実はこういう経緯があってこうなった、着物離れがあって
こんなものが生まれた、新しいものを使っての着方も、それはそれでいいけれど
実はこうやっていたんだよ」というような・・・。
私たちの親の時代、更にはもっと昔には「コー○ン・ベルト」も
「ゴムバンド」も、帯止め具もありませんでした。みんな、腰紐や伊達締め、
しごきだけで着ていたのです。本来そういうものなのだ・・ということを
きちんと知った上で「便利道具」を使う、そういうプロセスを踏んで、
着物と親しんで欲しいと思うのです。
次のイラストは、せめてものお詫び?に、キレイなものを・・。
これは素材のCDからですので・・。
肩を見てください、ちょっとヒダがとってありますね、これ「肩揚げ」です。
私が子供の頃までは、18歳くらいまでは「子供」であるしるしとして
必ず肩をつまんで縫ったのです。京都へ行って舞妓さんに遭遇する機会があったら
見てください。彼女たちは、どんなにフケて見えても(失礼!)、必ず
肩揚げと袂の揚をしています。一人前じゃないよ、というしるしです。
また、このイラストの胸元は、とても大きく半衿が見えています。
明治の初期の頃の写真を見ると、普通の娘さんが、こうやって着ています。
こんなだったんですね。
だからこんな風に着よう・・というのではないのです。
今は今に合った着方をすればいいのです。ただ、本来着物って、
そんなに苦しく着るものじゃない、きちんと着るものじゃない、
だから基本的なこと「左を前にする」とか「留袖に羽織は着ない」とか
「紬に金銀の入った袋帯はしめない」とか・・そういうことを
踏まえたうえでなら、もっと自由でもいいんじゃないか・・ということを
みんなで考えて、「変えずに、変えて行く」ということについて、
考えていきたいと思うのです。私に何ができるかなぁ、こんなことでもいいかなぁ
そんなことを考えながら、毎日「古着」をいじっています。
今日はちっと「ナマイキとんぼ」になってみました。
どうしても届かないので、ケータイで送ったのですがやはりダメです。とりあえずお手紙を出させていただきますので、お待ち下さい。
でもお手紙がくるって聞くといそいそしてしまいます。
お待ちいたしております。
着物文化自体は無くならないと思いますが、しかし、このままでは、現在も進行しているように、ごく限られた人々のものになる可能性が大です。
では、その進行をくい止め、次の世代へ受け渡して行くのは、偉い学者や研究者ではなく、我々みたいな、多くの一般市民が直接間接に、自然な着物姿を見せたり教えたりしていかなければならないと思うのです。
団塊の世代と言いましたが、その中ですら、着物を着た事がない方の方が多いかもしれません。そして、その子供達は二十代から三十代でしょうが、我々の着物ブログ上では少なくないと感じても、一億三千万の国民全体として見てみれば、ごく少数派に違いありません。
私の場合は、たまたま「温泉の街」に生まれ育ったという環境でしたから、一般町民も着物姿で当たり前のように魚や野菜を買ってましたし、夕方になりますと置屋から旅館へ向かう芸者姿も大勢見てました。級友にも置屋の息子が二人おり、PTAからは怒られそうな事も、色々教わりました。(笑)畳屋の息子からは、花札やちんちろりんを教わり、放課後は教室で、博打打ちごっこです(笑)
でも、そうした自然の環境がないと、ただ手取り足取りして教えても、自然環境ではなく、趣味の世界に留まってしまうことでしょう。
やはり、大勢の人が自然に着物を着て出かけられる環境作りをみんなで積極的にしなければいけないと思いますね。
それには、高価な着物を時々着るのではなく、普段着を日常的に着ることが効果的だと思います。
特に、男着物の方は、危機的状況でもありますので、私は、羽二重の羽織や仙台平の袴姿ではなく、普段着やくつろぎ着で、これからも訴え続けて行こうと思っているのです。
つられての、ナマイキ千兵衛でした!(笑)
私のブログに、ぺたこさんから、とんぼさんへ、メッセージが入っておりますので、お伝えします!(笑)
今、コメント書かせていだたきました。それにしてもコメント数30以上、盛り上がりましたネェ、「襲」がいつのまにか「どすこい」の話しになってましたが・・。
ファッション・リーダーだったお女郎さんたちは、常に新しいものを作り出していたんでしょうね。ちなみに、右のイラストは「芝居用」のカツラからスケッチしたのですが、浮世絵などでの立兵庫の中には、こんなにまん丸じゃなくて、「揚羽蝶の羽のような形」に少しとんがった細めの形に描かれているものもあります。やはり時代でかわっていったのでしょうね。
わたしの血は源氏から続いた血です。戦乱の歴史の中をご先祖さまがどうやって生き抜いてきたのかわかりませんが、ご先祖さまがわたしへと命を繋いでくれたのは間違いのない事実です。日常生活で着物を着たのは祖母まででしたが、わたしがまた着物生活を始めました。着物を着ているだけで文化を伝えたとは言えないかもしれませんが、誰も着物を着ていない日常の中、わたしの着姿を見て、日本のこころを感じる人もあると思い、ただ毎日、着物を着続けています。
私は、たどっていくと父方が源氏です。母の実家のそのまた先は「平家の落人」、揚羽蝶の紋で、お蔵の中にはすっかりさびて形になっていない槍なんてのがありました。祖母の実家なんですが、一間巾の棚に無数のお位牌、うしろのほうなんかもう「誰のやわからへん」というくらい。それを見て「ああつながるってこういうことなんだ」と、妙に感動しました。つたえていくということは、大切なことだと思います。着物を着ているだけでも、十分日本の心を発信していると思います。私もがんばらなくっちゃ!