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ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

サマ代わりのお話し

2012-01-07 19:07:48 | つれづれ

 

以前アップした写真です。江戸時代の「花見」の様子を模したもの。

目一杯の晴れ着でオシャレして、キレイな小袖を自慢げにはりめぐらせて…「小袖幕」といいます。

 

福袋は「くじ」や「縁起物」みたいな意味合いを持っていた…と書きました。

そして時代とともに、様変わりしました。福袋に限らず、いろいろなことが昔と比べてかわってきています。

ちょっと大雑把な言い方ですみませんが、まぁ福袋からひっぱって、お正月とか季節の行事とかってことで。

「晴れ」と「褻」(ハレとケ)の間があいまいになってしまってるんですよね。

 

「ハレ」は「非日常」、「ケ」は「日常」、と言ったらわかりやすいと思います。

いまでも「晴れ着」「晴れ舞台」「晴れ姿」「晴れの○○式」…なんて言い方をします。

このときの「晴れ」は、天気の晴れではなく「非日常的な…」とか「特別な」「普段と違う」というイミです。

「ケ」は日常、つまり毎日同じように繰り返している生活、普通の暮らし…です。 

近代に入って、特に明治からになりますが、この「ハレ」と「ケ」の境目が、だんだんアイマイになってきたんですね。

 

江戸の昔、今と比べて人々の暮らしはとても活動範囲が狭いうえ、情報の拡散もないし、

毎日の暮らしの変化と言うのは、ほとんどありませんでした。まず「休み」というものが今のようにありません。

来る日も来る日も、朝から晩までひたすら「同じ暮らし」を繰り返すわけです。

今の「毎日同じ暮らし」というのは、便利な道具に囲まれ、行動半径も情報網もアタリマエに広いです。

休みも定期的にあります。いつものルーティンの合間に、様々なレクリエーションも楽しむことができます。

そのとき「これは非日常、特別のことだから」とか「今日は晴れの日」という意識はありませんね。

今の私たちの「晴れの日」と言ったら結婚式、お宮参り、七五三、入学卒業、成人式…。

晴れ着をきて「今日は特別」と思うのはそういう日です。

でも、いつも定位置で同じことを繰り返す江戸の昔の人たちにとっては

「どこかへでかける」ということそのものが「非日常」だったのです。

なにしろ「歩いていける範囲」しか動けませんし、休みはないし、みな総じて「ビンボー」…でしたから。

 

そういう暮らしの中では、例えば農家であれば秋の収穫が終っての「秋祭り」。

町の人たちはと言うと、例えば芝居見物や花見…そして新年を迎える正月もまた特別。そういうことが「ハレ」。

一年に何度もない「一大イベント」でしたから、思いっきりの晴れ着を着て、華やかに、めでたく騒いで楽しみました。 

「朝から晩まで一日中ほとんど休みなく働く」がアタリマエで、

「遊ぶ」「休む」ということは、日常的にはありませんでしたから、「ハレ」と「ケ」の差はとても大きかったのです。

 

その「ハレとケ」の差が、生活の向上や暮らし方の変化によって、だんだん差が縮まってきました。

さきほど「今のハレは、結婚式やお宮参りや…」と書きましたが、その中にすでに「お正月」がない??。

確かに、松飾やお供え、お年玉、おせち…などは今でもそれなりに続いていますが、

都会であればあるほど「歳神様をお迎えし、新年を寿ぎ、一年の息災を願う」という、その厳粛さといいますか、

意識のようなものが薄れています。なんとなく「年越しイベント」…になっているような。

 

私が子供のころと比べても、わずか50年での様変わりです。

小さいころは、とりあえず「正月は晴れ着を着る日」、まぎれもなく「ハレの日」でした。

我が家は狭い二軒長屋の市営住宅でしたが、我が家もご近所も元旦には国旗を立てたものです。

今はお正月に振袖を着るのではなく、成人式のために誂え、それを着る…そしてあとはほとんど着ない…。

子供たちも着物を着なくなりました。お正月の凧揚げ、独楽回し、羽突きも、とんと見なくなりました。

電線に引っかかるから危ない、車がくるから危ない…ついでに「おかしな人がいるからあぶない」…。

便利をおいかけて、あらゆるところに電線を張り、空地をなくしたんですよね。

 

いいとか悪いとか、そういうことではなく、誰がそう決めたわけでもないのに、

だんだんそういうところがゆるんできて、ラクなほうへ、面倒なくくりのないほうへ…と流れている気がします。

それでいて、やはり結婚式といえば留袖を着る、七五三といえば着物を着せる…。

それは「ハレの日」だから…それでもすでに七五三の晴れ着が子供だけで、

親が普段着だったり、子供の着物が「着物ドレス」になったり…。

ついでに「本来、それはなんのためか」も薄れてきています。

呉服屋さんが「今は七五三も成人式も写真がメイン」と言ってました。前撮りもアタリマエに行われています。

七五三は本来「神参り」の行事ですが、前撮り写真では、親も貸衣装で撮って、

本番の七五三は、親は洋装だったり、たまに子供だけ晴れ着の着物で、親は普段着だったりして驚きます。

バレンタインやクリスマスは、あれだけ騒ぐのに、どうして日本古来のものは様変わりが止まらないのかと…。

めんどくさい、堅苦しい、やっぱり和服が関係してる??

和のことは、ダサい…ととられるのでしょうかねぇ。

  

ハレとケがあいまいになり、テレビの中ではみんなが紋付袴に振袖なのに、

さて自分が出かけるときには、「普通のよそいき」か「普段着」。 

止める人がいない…とめてほしいのは「何も知らないまま、時代の流れに乗っている若い人」、

だけではなく、それを「今はこうだから」と見過ごしている親御さんたちの年代も入ってきました。

もちろん、私も含めてです。ちゃんと伝えていかないと、お正月の晴れ着は、もうもどってこないと思います。

福袋だけを槍玉に挙げるのではなく、昔からのものにはちゃんと意味がある、大切なものがある、

その意味が、ハレとケのあいまいさといっしょにうやむやになっていくのは、もったいないとおもうのです。

日本人はどこへ向かっているのだろう…などと、そーだいなことを考えてしまうのです。

また長くなりましたので、本日これまで。 


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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (陽花)
2012-01-08 23:44:55
電化製品や機械が発達していない頃の方が、
自由な時間が少なくても、苦労した分の
喜びは大きかったと思いますね。

いつでもハレなのかケなのか分からず、
情緒も感動も無くなってきましたね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2012-01-09 19:15:13
陽花様

あまりにも「なんでもカンタン」だと、
人の気持ちの起伏もなくなってしまう気がします。

便利になってできた時間の使い方、日本人はヘタになったと、
そんな気がします。
返信する

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