
以前アップした写真です。江戸時代の「花見」の様子を模したもの。
目一杯の晴れ着でオシャレして、キレイな小袖を自慢げにはりめぐらせて…「小袖幕」といいます。
福袋は「くじ」や「縁起物」みたいな意味合いを持っていた…と書きました。
そして時代とともに、様変わりしました。福袋に限らず、いろいろなことが昔と比べてかわってきています。
ちょっと大雑把な言い方ですみませんが、まぁ福袋からひっぱって、お正月とか季節の行事とかってことで。
「晴れ」と「褻」(ハレとケ)の間があいまいになってしまってるんですよね。
「ハレ」は「非日常」、「ケ」は「日常」、と言ったらわかりやすいと思います。
いまでも「晴れ着」「晴れ舞台」「晴れ姿」「晴れの○○式」…なんて言い方をします。
このときの「晴れ」は、天気の晴れではなく「非日常的な…」とか「特別な」「普段と違う」というイミです。
「ケ」は日常、つまり毎日同じように繰り返している生活、普通の暮らし…です。
近代に入って、特に明治からになりますが、この「ハレ」と「ケ」の境目が、だんだんアイマイになってきたんですね。
江戸の昔、今と比べて人々の暮らしはとても活動範囲が狭いうえ、情報の拡散もないし、
毎日の暮らしの変化と言うのは、ほとんどありませんでした。まず「休み」というものが今のようにありません。
来る日も来る日も、朝から晩までひたすら「同じ暮らし」を繰り返すわけです。
今の「毎日同じ暮らし」というのは、便利な道具に囲まれ、行動半径も情報網もアタリマエに広いです。
休みも定期的にあります。いつものルーティンの合間に、様々なレクリエーションも楽しむことができます。
そのとき「これは非日常、特別のことだから」とか「今日は晴れの日」という意識はありませんね。
今の私たちの「晴れの日」と言ったら結婚式、お宮参り、七五三、入学卒業、成人式…。
晴れ着をきて「今日は特別」と思うのはそういう日です。
でも、いつも定位置で同じことを繰り返す江戸の昔の人たちにとっては
「どこかへでかける」ということそのものが「非日常」だったのです。
なにしろ「歩いていける範囲」しか動けませんし、休みはないし、みな総じて「ビンボー」…でしたから。
そういう暮らしの中では、例えば農家であれば秋の収穫が終っての「秋祭り」。
町の人たちはと言うと、例えば芝居見物や花見…そして新年を迎える正月もまた特別。そういうことが「ハレ」。
一年に何度もない「一大イベント」でしたから、思いっきりの晴れ着を着て、華やかに、めでたく騒いで楽しみました。
「朝から晩まで一日中ほとんど休みなく働く」がアタリマエで、
「遊ぶ」「休む」ということは、日常的にはありませんでしたから、「ハレ」と「ケ」の差はとても大きかったのです。
その「ハレとケ」の差が、生活の向上や暮らし方の変化によって、だんだん差が縮まってきました。
さきほど「今のハレは、結婚式やお宮参りや…」と書きましたが、その中にすでに「お正月」がない??。
確かに、松飾やお供え、お年玉、おせち…などは今でもそれなりに続いていますが、
都会であればあるほど「歳神様をお迎えし、新年を寿ぎ、一年の息災を願う」という、その厳粛さといいますか、
意識のようなものが薄れています。なんとなく「年越しイベント」…になっているような。
私が子供のころと比べても、わずか50年での様変わりです。
小さいころは、とりあえず「正月は晴れ着を着る日」、まぎれもなく「ハレの日」でした。
我が家は狭い二軒長屋の市営住宅でしたが、我が家もご近所も元旦には国旗を立てたものです。
今はお正月に振袖を着るのではなく、成人式のために誂え、それを着る…そしてあとはほとんど着ない…。
子供たちも着物を着なくなりました。お正月の凧揚げ、独楽回し、羽突きも、とんと見なくなりました。
電線に引っかかるから危ない、車がくるから危ない…ついでに「おかしな人がいるからあぶない」…。
便利をおいかけて、あらゆるところに電線を張り、空地をなくしたんですよね。
いいとか悪いとか、そういうことではなく、誰がそう決めたわけでもないのに、
だんだんそういうところがゆるんできて、ラクなほうへ、面倒なくくりのないほうへ…と流れている気がします。
それでいて、やはり結婚式といえば留袖を着る、七五三といえば着物を着せる…。
それは「ハレの日」だから…それでもすでに七五三の晴れ着が子供だけで、
親が普段着だったり、子供の着物が「着物ドレス」になったり…。
ついでに「本来、それはなんのためか」も薄れてきています。
呉服屋さんが「今は七五三も成人式も写真がメイン」と言ってました。前撮りもアタリマエに行われています。
七五三は本来「神参り」の行事ですが、前撮り写真では、親も貸衣装で撮って、
本番の七五三は、親は洋装だったり、たまに子供だけ晴れ着の着物で、親は普段着だったりして驚きます。
バレンタインやクリスマスは、あれだけ騒ぐのに、どうして日本古来のものは様変わりが止まらないのかと…。
めんどくさい、堅苦しい、やっぱり和服が関係してる??
和のことは、ダサい…ととられるのでしょうかねぇ。
ハレとケがあいまいになり、テレビの中ではみんなが紋付袴に振袖なのに、
さて自分が出かけるときには、「普通のよそいき」か「普段着」。
止める人がいない…とめてほしいのは「何も知らないまま、時代の流れに乗っている若い人」、
だけではなく、それを「今はこうだから」と見過ごしている親御さんたちの年代も入ってきました。
もちろん、私も含めてです。ちゃんと伝えていかないと、お正月の晴れ着は、もうもどってこないと思います。
福袋だけを槍玉に挙げるのではなく、昔からのものにはちゃんと意味がある、大切なものがある、
その意味が、ハレとケのあいまいさといっしょにうやむやになっていくのは、もったいないとおもうのです。
日本人はどこへ向かっているのだろう…などと、そーだいなことを考えてしまうのです。
また長くなりましたので、本日これまで。
自由な時間が少なくても、苦労した分の
喜びは大きかったと思いますね。
いつでもハレなのかケなのか分からず、
情緒も感動も無くなってきましたね。
あまりにも「なんでもカンタン」だと、
人の気持ちの起伏もなくなってしまう気がします。
便利になってできた時間の使い方、日本人はヘタになったと、
そんな気がします。