ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

おひなさま

2006-02-22 17:57:30 | 昔の道具・暮らし

オークションのお話しがつづきましたが、ひとまず終わりにして、
今日は「おひなさま」のお話し。ちょっと早いですけれど、
もう飾っても早くはありませんので・・。皆さん?もう出されましたか?
と、言ってる私がまだなんですぅ・・・。
写真は以前に撮ったもの(撮っといてヨカッター)です。
私のおひなさまは、ふたつあります。先にもらったのがこちら、
いわゆる「木目込み」です。大きさは、なんと比較したらいいかしら・・・
ひとつが、セブンスターとかあのタイプのタバコを立てたら隠れてしまうくらい、
といったらわかりやすいでしょうか。小さいです。
このおひなさまの特徴は、女雛の髪型が、あのおすべらかしではなく
おかっぱといいますか、市松人形のような髪型で冠も雅楽の「迦陵頻」のような
両脇にビラビラ飾りのついたものです。ちょっと赤く見えているのが
飾りのビーズ、年季がはいってます。なにしろ55歳ですから・・。
もうひとつの方、こちらは「土人形」です。
こちらは一番大きいお内裏様でもマッチ箱にのるくらいです。



土ですので当然落とせば割れるか欠けるかするわけですが、
持ち主がそそっかしい性格の割には、不思議に無事にここまできています。
雪洞(ぼんぼり)もあったのですが、それは真ん中が細い針金であったため、
曲がって壊れてしまいました。もう昔のことですが、壊れた雪洞のかわりに
父が新しいものを買ってきてくれたのですが、それが普通のお雛様用ので、
真横に立てるとひな壇より大きい・・・。
いつしかそれも壊れて、永らく雪洞ナシでいたのですが、
この写真を撮ったあと、父が「雪洞型」の箸置きを買ってきてくれました。
最近では、それを使っています。これがまたぴったりで・・・。

さて、それでは「三月三日」に先駆けまして「ひな祭り」のウンチクを・・。
三月三日は「桃節句」、元々は「上巳(じょうし)の節句」。
節句については、節分の時書きましたが、一年で五つあります。
桃節句はその二番目の節句です。元々は三月の最初の「巳の日」でしたが、
中国でかなり古い時期に「三月三日」に固定されたようです。
桃の節句といいますが、実際にはまだ桃の花が満開になるような時期では
ありません。しかし、これも旧暦でいきますと、今の3月下旬ですから、
ちょうどよかったのですね。今の桃は促成栽培の桃の花を買ってくるわけで・・
なんか寂しい気もしますね。
さて、この「上巳の節句」は、元々は中国において、
この日に川の流れに入って禊を行う・・という習慣があったそうです。
これが日本にも伝わったわけなのですが、日本では川に入って・・
というのは「はやらなかった」ようで、結局「形代」と呼ばれる
人の形をした白い紙で、体をなぞって穢れを移し、その形代を川に流す・・
という習慣になりました。今でも「流し雛」というかたちで残っていますね。

さて、このタダの紙の人型(ひとがた)が、なぜあんな豪華になったのか。
これは調べてみましたところ、この「形代」は和紙でできているわけで、
これを「贈答品」としたわけですね。「お節句になったらこれをお使い下さい」
ってなところでしょうか。最初は紙だったものが目上の人へのプレゼントとなれば
だんだんと色がつき形がつき・・・になっていったのでしょうね。
そうなるといくらお金持ちの貴族さまでも「流すにゃ惜しい」わけで、
結局家の中に飾るというように変化していった・・ということだそうです。
そりゃぁねぇ、お節句のたびに、あちこちの貴族が七段飾り川に流した日にゃ、
鴨川も桂川もエラいことになりますし・・・。
で、さらにいつの時代も女の子は人形遊びをするもので、
これが融合して、「ひなまつり」になっていったようです。
家に雛を飾る・・ということが定着したのは、室町時代のことだそうです。
もちろん「庶民」では、まだまだずーっと先のことでした。

ところで、皆様のお宅では、男雛・女雛の位置は関東風?関西風?
関東では「向かって男雛が左、女雛が右」です。関西では「男雛右、女雛左」、
どちらが正しいかといいますと、日本古来のしきたりに則るならば関西、です。
日本では、宮中において「右より左の方が身分が上」とされていました。
つまり「右大臣より左大臣」なわけです。但し、これは一番上にいるものから
見下ろした配置、つまり「帝」の位置にすわって右より左、ですから
自分の右側には奥さんである「親王后」が来るわけです。
帝より左はだれもいない・・ということですね。
これにならって「右近の橘」「左近の桜」も、お雛様から見て・・ですから
向かって左が「橘」、右が「桜」と置くのが正しいのです。
この橘と桜は京都御所の紫宸殿の前にあるものを模したそうです。
紫宸殿は北を背中に南向きに作られ、帝の東側、つまり「左」を守る近衛を
「左近衛(さこんのえ)」西側の右を守る近衛を「右近衛(うこんのえ)」と
言いました。左近の方が位でいうと「四位」、右近は「五位」、
お雛様の中で「右大臣」「左大臣」がありますが、
これが「右近」「左近」で若い方が「右」年寄りが「左」・・で
飾る時は逆・・というややこしいことになるわけです。
橘・桜もこれにならって「右近の・・左近の・・」と呼ばれるわけです。
お飾りになられるときは、ゆめゆめお間違いのないように・・。

では関東式・・これは実は明治時代に「西洋では婦人は夫の左、或いは
エスコートの時、男性が右で女性が左」という慣習を「皇室」が取り入れたことで
東京の人形の協会がそれに習った・・ということだそうです。
ですから、三人官女から下はおんなじなんですね。
「喪服」の時にお話しいたしましたが、当時皇室は、外国文化の流れを受け
外交という点で、ヨーロッパ流を多々取り入れたのですね。
郷に入っては郷に従え・・別にお雛様までかえんでもえーやん・・と思いますが
やはり「お上のご威光」はまぶしかったんでしょうねぇ。

三人官女の持ち物は右から「長柄の銚子・三方・加えの提子」ですが、
関西では真ん中の官女は、お祝いの印である「嶋台」を持っていたりします。
五人囃子は、言わずもがなの「雅楽」ですから、そのオーケストラ。
ただし雅楽専門職ということではなく、彼らは未来のエリート候補です。
右から「謡・笛・小鼓・大鼓・太鼓」の五人です。
仕丁(じちょう)は、顔が「泣・笑・怒」の「三人上戸」といわれる顔。
持ち物は「箒・熊手・ちりとり」の掃除道具なのですが、
武家社会の頃に始まった「立傘・沓台・台笠」という、
大名のしつらえのものも関東では多いようです。

というわけで、お雛様のウンチクはこれにておしまい。
これからお飾りになるかた、一つ一つお顔や着物、持ち物など、
楽しみながら飾ってください。
ちなみに私のは小さすぎてあっという間に出てしまいます。
片付ける時は一個ずつくるんだり割れないように詰め方考えたりで、
すごい時間がかかるんですが・・。

本日のおまけ・・。
三人官女は真ん中にすわっている人が年長者。
ひとりだけ既婚です。昔のもの、また細かく丁寧に作られているものなら、
真ん中の官女だけは「眉」が薄いか描いてないか・・です。お歯黒をしている
というものもあります。どちらも当時の「既婚者」のしるしですね。






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14 コメント

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Unknown (陽花)
2006-02-22 20:52:42
とんぼ様

恐れ入りました。

私は娘二人、女の子の孫が三人いる身でありながら・・

尚且つ初節句に贈っているにもかかわらず今のいままでそんな詳しい言われがあったなんて知りませんでした。右近の橘、左近の桜は聞いた事ありますが

お雛様から見てですか。ずーっとあやふやだったのが

解決しました。忘れないようにします。

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そうそう、右近の橘、左近の桜 (ぶりねぇ)
2006-02-22 21:15:55
と唱えながら、飾っていました。 毎年、母が「ほんまは、屏風を背にして、男雛さんは右で、女雛さんは左やけど、御維新で西洋風になったんです。」と言うのも恒例でした。

ところで、律令で定められた内親王様とは、天皇の御姉妹か、御皇女様を指すのではなかったでしたっけ。。。 違っていたら、すみません。
返信する
あれま、書き間違えちゃった。 (ぶりねぇ)
2006-02-22 21:20:24
屏風を背にして、男雛左、女雛右でした。



お雛様、どちらも、ほのぼのしますね。
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お雛様大好き (蜆子)
2006-02-22 22:02:40
江戸時代の古今雛、次郎平雛など、享保雛、みんなみんな好き、

徳川美術館のお雛様は圧巻です。今年もなんとかして行けないものかと画策中、

調度品の豪華さ、実家の威信がかかっています。小さな本は「源氏物語」きちんと中味も書いてあります。

皇室でなくなられたかたのお雛様も飾られています。時代を感じます。

私19年生まれ、お雛様を持ってる人は珍しかった、私母方の初孫、米と交換で祖母が求めてくれたもの、

小さいのですが、全部揃っています。今でも私の手元にあります。



山形酒田は紅花、庄内米の集散地、北前船で全盛期の酒田には豪華な京雛が集まりました。もちろん酒田にも見にいってきました。

豪華な雛に対する色々な思いを感じるのが好きなのです。
返信する
Unknown (とんぼ)
2006-02-22 22:18:57
陽花様

私も50過ぎて知ったことです。ある日シゲシゲと自分のお雛様を眺めまして・・。母がある程度のことは知ってました。やっぱり年寄りってのは物知りですね。



ぶりねぇ様

おっしゃるとおりです。「内親王」とは親王の姉妹か、皇女です。奥さんなら「親王妃」もしくは「親王后」です。本文も直しておきます。

不思議に思っているのですがこのカップルを歌っている歌に「お内裏様にお雛さま・・」というのがありますが、内裏雛というのは官女や五人囃子などオールキャストをいうのであって、男雛女雛の対のものは「親王雛」というんですよね。それにどの資料を見ても「親王」という呼び方はあるんですが、女雛の方を「皇后」とか「親王后」と呼んでいないんです。

元々「帝と皇后を模したもの」といっても、恐れ多くて、言葉にはだせなかったんでしょうかねぇ。
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いなかの・・ (とんぼ)
2006-02-22 22:28:43
蜆子様

いとこが嫁いだ先が「旧家」で、毎年藏から「4代」分くらいのお雛様を飾っていたのだそうです。お姑さんと二人でやっていたんだそうですが、もうおおごとで(座敷はナンボでもある・・っていういえでしたが)出すにしまうに何日もかかる・・雛祭なんか大嫌い・・と言ってました。私は見たい!と思ったのですが、お姑さんがなくなったとたんに「やめた」そうで・・。いつか見せてもらいに行くつもりでいます。
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左>右 (うまこ)
2006-02-22 22:37:03
おひな様を飾る時

右と左がいつもわからなくなっていたのですが、

おひな様から見た左右だったのですね。

納得しました。



我が家は西洋、日本関係なく、

私好みの立ち位置で並べています。

男性の右に立つと優位な感じがするので

(日本車の運転等)

男性の左に立つのが好きなんです。

守られている感じがするでしょ?

今風なんです、と言えばいいし。



来年からは、変えてみようかと、

今思っています。
返信する
web検索してみましたが、 (ぶりねぇ)
2006-02-22 23:16:24
やっぱり、親王雛の女雛をなんと呼ぶか、分かりませんでした。

(我が家では、お姫(ひい)様と呼んでました。)



かわりに、こんなのが↓とか

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Suzuran/2729/hinamatsuri.htm

こんなのが↓

http://www.town.kahoku.yamagata.jp/hinanoyakata/index.html
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ありがとうございます。 (とんぼ)
2006-02-22 23:31:07
ぶりねぇ様

こんなHPがあったのですね。

宮中のしきたりとやらは、いろいろあるようで、とても私なんか暮らせないと思いつつ、ちょっとアコガレたりもします。さっさとお雛様だそーっと!
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私のは・・・ ()
2006-02-23 00:03:58
私のお雛様はとんぼさんのと似ています。

多分昔は人形ケースに段になって入っていたのかと思いますが、既に記憶に有りません。

木目込みの小さなお雛様で一応 左大臣、右大臣、三人官女と五人囃子もいます。

小物類が少しずつ紛失?

左近の桜 右近の橘

さ=さ で 覚えました。

男雛と女雛の並びは関西と関東は違うとか

いろいろと聞きましたが、だったらどちらでも良いってことよね・・・と言いつつ一応関東風に。



26日が大安なので、その日に飾ろうと思っています。

母が娘たちに買ってくれたお雛様も木目込みです。

理由は”私が雑に仕舞っても皺がよらない様に”だそうです。

親は子供を良く知っております。ハイ!
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