ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

お米は研ぐ?洗う?

2014-04-22 15:42:18 | つれづれ

 

質問サイトでの「質問」、「お米は研ぐ、が正しいのか洗う、が正しいのか」…。

ついでに見つけたのは「拍子木切り」って…どう切るのか、の前に「なんて読むんですか?」

脱力です。

 

さて、お米は研ぐのか洗うのか…どっちも間違いではありません。

そもそもなんで水の中でシャバシャバするのに「洗う」ではなく「研ぐ」のか。

「研ぐ」といえば、刃物…ですね。研ぐというのは「余分なものを落として、きれいに整える」です。

 

昔のお米は、精米が今ほどよくありませんでしたから、糠もたくさんついていたし、

小さな石のかけら(米粒よりはるかに小さい)のが残っていたりして、

ご飯食べてるとガリッなんてことが、たまにありました。

だから「米研ぎ」は、米と米とをこすり合わせて余分な糠をとりのぞき、石やごみを取り除く…

そういう作業だったわけです。だから「研ぐ」だったのですね。

今は精米機の性能もよくなって、糠もよく落ちてるし、ほとんどゴミも石ころもありません。

ただ、米は水を吸ったとたんに、糠の匂いも一緒に吸い込む…これは変わりませんから、

最初にざっと水を入れたら、急いで洗い流す、これは今も昔も同じ。

そのあとは、昔のように米と米とをじゃっじゃっとすり合わせて、

何度も水を取り替えるようなことはしなくても、本当は大丈夫です。

この前の「洗濯の時の予洗い」もそうですが、

親に教わった、母がそうしていた…でまねをしているのだと思いますが…。

むしろ、料理学校の先生、日本料理のプロでしたが「米揉んでどうする。米が割れる」と言いました。

やさしく、ザッザッ程度でいいんだ、と。

 

世の中が変わると、言葉も変わる…今は「米は洗う」でもいいのだと思いますが、

家事仕事の動作として「お米を研ぐ」とか「おいもをふかす」とか、残ってほしい言葉だと

そんなことを思っているのです。やる動作は変わっても「名称」のように、そのままでいいのではと。

 

「拍子木」はなんと読むか…なんかねぇ、悲しくなりました。

これも、日常生活のなかで「拍子木」というものがめったに見られなくなったせいもあるかと思います。

私の子供のころは、まだ「夜回り」がありましたから、近所のおじさんが数人で組になって、

拍子木と懐中電灯を首からぶら下げて「火のよーじん」と、やっていたのを覚えています。

歌舞伎にでも興味があれば、拍子木もわかるでしょうけれど「なんて読むの」には愕然…。

「拍子」って音楽でも出てくると思うのですが「木」がついただけで読めない…のは、

ひとえに「想像力のケツラク」と、私は思っています。

だいたいなんでもすぐ聞く、自分で調べなさいって。

ネットに書き込むことが、調べていることになるのかしら。

 

さてさて、文句ばかり言ってないで…拍子木切り、千切り、いちょう切り、輪切り…。

そんなことも母親から教わりました。

今は親子の関係も、昔とは違うのでしょうけれど、

時代がいくらかわろうと、親は子供にとって、いろんな意味で一番身近な先生…だと思うのです。

母はよく「ばぁば(私の祖母)がこう言うてた」「ばぁばはこないしてはった」と、

言葉やしぐさ、動作を聞かせたり見せたりしてくれていました。

また母の日常のことも、今の時代よりは、ずっと目に映っている時間が

長かったのかと思っています。

今の時代、親は仕事に忙しく、子供は勉強と塾や習い事に忙しく、

(ついでにスマホやケータイをいじるのに忙しく??)

家族一緒に夕食をとらない家庭も多いと聞きます。

それがおかしいとは、思えない時代なのでしょうね。

 

こんな話を書いているのは、今朝の新聞投稿欄で、40代女性が、

「1年前、娘にスマホを与えたが…」と書いていたから。

よくある「スマホチェックに忙しく、テレビ見ながらナンタラカタラ…」で

何度叱ったことか…と続きます。それをパート先の若い同僚(学生)にグチったら、

「そのうち、そんなこともあったね、という日が来る」と、彼もスマホをいじりながら言ったと。

そして最後に

 娘よ、週末に一緒に台所に立とうよ。「は?無理」と言われてしまうかもしれないけれど、

で終わっていました。

親が子供を叱れない、親のいうことを聞かない、そんなことはもうだいぶ前から言われていますが、

なんで「は?無理」と言われても「やりなさい」と言えないのでしょう。

ジェネレーション・ギャップなんて、実の親子なら当然、永遠に続くハードルです。

だからこそ「大事な時には、いうことを聞かせる」のが、親の務めではないかと。

 

今の時代、共働きが多いですし、さまざま忙しい社会で、女性が家事の全般を担う、

ということは、確かに古くなっています。

でも、だからといって、女性はもう台所に立たない、とか、家事を全くしない、

というわけではありません。当番制だろうと、その日できるほうが、であろうと、

お手伝いさんでも雇う優雅な暮らしをしない限り、一生ついて回ります。

母は「やっとかな、アンタが嫁に行って苦労するねんで」と、いろいろ教えました。

「は?無理」という娘に「やりなさい」と、手伝わせることは、結果的に娘さんのためになると、

私はそう思うのですがねぇ。

 

トマトは薄く十文字に切り込みを入れて、湯につけるかかけると、皮がつるりとむけるとか、

蒲鉾は包丁の峰を入れておしていけば、板に蒲鉾が残らずきれいにとれるとか…。

そんなことは、別に「こうするのだ」と言われなくても、親のすることを見て覚えました。

だから「いつ教わったかわからない」なのです。

今はそれを大人になってから、料理教室やネットで知るのでしょうか。

以前若い友人が「パン切り包丁を買う」という話をしたので、

包丁をガス台で少しあぶる、ちょっとあったかくして切ればすぐ切れる、といったところ、

後日「切れましたぁ!とんぼさん、てんさーい」と言われて、また脱力。

こういうことを書くと「ふん、自分が知っていると思って、えらそーに」と言われるのかもしれません。

でも、私たちの年代は、親がしていることを見たり、自分も手伝ったりして、

自然と覚えたのです。そしてそれは、今でも役に立っています。

お米のように、精米方法がかわることで、作業そのものが変わっていくことも、

今の時代はたくさんあります。包丁で切るのではなく、スライサーでシャッシャッとやるにしても、

「何々切り」の名前くらいは覚えてほしいし、その使用目的で切り方を変える理由も、

ちゃんと知ってほしいものです。そういえば…蛇腹きゅうりはスライサーではできませんねぇ。

 

テレビでしたか、おかあさんが朝話すことは「早くしなさい」だけだと。

日本は、そんなに急いでどうなっていくのでしょう。

 

おしまいのおまけ話…

料理学校、と言っても調理師科でしたので、クラスは人数が結構いました。

実習の日は、その日使う「ご飯」を班ごとに持ち回りで米を研ぎ、一升釜にセットして炊くのが決まり。

それも、ほかの実習用もなので1台ではありません。

何しろ大量のお米です。手分けして研いでも大変なのです。

その日はあの「米はガシャガシャ研いだら割れる」といった日本料理のプロの実習日。

寿司飯は米が割れてたら商売にならない…です。

ある男子生徒が、めんどくせぇ…と、これまたプロ用の大きな泡だて器(家庭用の3倍くらいあるやつ)で、

ガッシャガッシャと研いでおりました。米が割れるぅ…そこへ、実習助手の女性が突然入ってきたのです。

全員手が止まりました。あぁ言いつけられたら叱られる…。

助手先生は、大きな泡だて器でお米を研いでいる生徒を目ざとくみつけ、飛んできました。

「まぁっなんてことするんですかっ」…そして泡だて器を取り上げて言いました。

「泡だて器が壊れたらどうするんですかっ」「(そっちかい…)」…ほんとの話です。 


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10 コメント

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Unknown (陽花)
2014-04-22 18:03:30
今みたいにスイッチひとつで済む時代じゃ
無かったので手伝うのが当たり前でしたね。
手伝いながら親から色々生活に必要な事を
習ったように思います。
今は子供に手伝いをさせないから覚える機会も
なくなっているんですね。
その内、調理が出来たものばかり買ってくるように
なるのでしょうか。
返信する
Unknown ()
2014-04-22 18:06:38
私の母は潔癖症で口うるさい人でした。
学校から帰ってきた私の後ろを、私の足跡を消すように雑巾がけをしてついてくるような人で・・・
雑巾の絞り方に始まって、台所の始末、戸の開け閉めがうるさいとか、
バタバタ足音を立てるなとか、手を空にして歩くな(通りすがりにできる仕事があるだろうと・・・)とか。
私は一人っ子なので周囲からは「さぞかし大事に、甘やかされて育った」と思われがちですが、とんでもない。
私から見たら鬼のような母でした(笑)
朝は、母の掃除の手伝いを済ませてからでないと学校へは行けないような…いつの時代の子供でしょうね?
でも大人になった時に、その意味がわかりました。
生活する上で必要なことはすべて身についていて、それが本当に
無意識に出来てしまった時に「そうか・・・」と理解できました。
母がそれを意識していたかどうかは分かりません。
でも私の身に付いたことが無駄にならなかったことは事実です。
そろそろ娘にも台所のことを教えておかなくちゃ。
片づけのしかたも・・・あれも・・・これも・・・
山ほどありますね。あ~ぁ

ちなみに私、お米は研ぎます。
もちろんどこでも「ごちそうさま」は当然の事として言いますよ。
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はぁ~ (露草)
2014-04-22 19:01:29
私も「研ぐ」です。
研ぐって「磨く」っていうニュアンスもあって、お米に対する気持ちのようなものが表れた言葉だと思いますね。
他の言葉も、単なる形や技術だけでない、物を大切にするとか丁寧に扱う、丁寧に暮らす心を表すものじゃないでしょうか?

核家族が多くなって、子どもに関わる大人が親と先生くらいになってしまっていることもあるのではないでしょうか。昔はもっとごっちゃに、親戚や近所のおじさんおばさんも関わっていたような気がします。

以前お世話になった呉服屋の若い店員さん、「茶道を習うようになって初めて、畳のへりを踏んではいけないと知った」と言ってましたよ。びっくり!でした(*_*) でもね~「家に畳の部屋がなかったし」と言うんです…実際このところ住んでいるアパート(大東建託とかのオシャレーな外観のアパートです)は和室がないんですよねぇ…
おばちゃんはやっぱり畳の上でないと、いまいち寛げないです…

返信する
Unknown ()
2014-04-22 22:28:25
お米 
昔は研ぐ 今は洗う
精米技術が進歩しているので
手早い数度の水かえだけで 
糠臭さはなくなりますが 
一度は研ぎたい私です
返信する
Unknown (ほあかばりきるま。)
2014-04-23 00:18:10
今は無洗米なんてものもありますもんね。←美味しくありませんね。
そういえば少し前に大人数で集まったときに私が包丁で野菜を千切りにしていたら「昭和の音がする!」と、ある既婚男性に云われました。
え?奥さんも包丁使うでしょ?と聞くとスライサーを使っているから「すとととととと~」みたいな音は聞かないんだそうです。
驚きました・・・。
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Unknown (とんぼ)
2014-04-23 17:25:52
陽花様

ほんとにそのうち「家で作る」なんて、
なくなるのでしょうか。
危ないからといって、なんでも取り上げてしまうより、
そばについて使わせて、覚えさせてあげたほうが
結局はいいとおもうのですけれど。
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Unknown (とんぼ)
2014-04-23 17:28:18
夢様

まるで私の母のようだ…と、思わず笑いました。
おんなじでしたよ。立ち上がったら回り見回せって。
私も一人っ子でしたから、同じように
甘やかされて…と言われましたが、
一度甘えて見たかった…です。
そしてやっぱり、結婚してから、なーんにも困りませんでした。
ありがたいですよね。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-04-23 17:33:29
露草様

そう「磨く」意識ですよね。
だから炊き上がったご飯はピッカピカって。
昔のほうが、なにによらず、気持ちというものを
当たり前に感じて、大事にしていた気がします。
人とのかかわりは、時に摩擦として、
うっとおしいこともあるけれど、
結局人は一人で生きていけるわけではないのですから、
関わったほうが、身の幸せだと思うんですけどねぇ。

畳のヘリ、和室がない…我が家もそうなんです。
鴨居も長押もない、障子もふすまもない家って、
なんかヘンですよー。
一部屋だけでも純和室がほしいです。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-04-23 17:34:59
惠様

さぁご飯の支度ってとき、まずお米とぎですよね。
日本人なら米を研ぐっ!です。
返信する
Unknown (とんぼ)
2014-04-23 17:40:31
ほあかばりきるま。様

実は我が家は時々無洗米です。
購入先の関係で・・・。
でもきになって「研いでるし」です。
普通のお米より、やわらかいというか、
べちゃっとした炊き上がりになりますね。

「昭和の音」・・・そういわれてしまう時代なんですね。
まな板でトントントン、とかトトトトトトとか、
当たり前の音ですが、聞かなくなると懐かしい音に
なってしまうのですね。
包丁の音、みそ汁の匂い、アジの開きや
シャケの切り身を焼くちりちりいう音・・・
日本の朝の風景は、今やドラマの中だけ?
さみしいですねぇ。
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