すいーと雑記帳

とっこの独り言

「台風部長」・・・母の思い出

2017-10-22 21:58:20 | 日録・雑感など

  10月22日 SUN   27℃

 非常に強い台風21号が沖縄に接近しているというので、期日前投票も早々に済ませ、昨日はチョイさんと二人でベランダの片付けに大童でした。テーブルや椅子、ブーゲンビリアなどの鉢を20個ほどヨイショヨイショと室内に運び込んで大汗かきました。作業を終えてベランダから近所のおうちを見渡すと、「あれ? どこも植木鉢などを片付けている家はないみたい。屋上やベランダには普段通り、青々と葉を茂らせた鉢がたくさん見えます。おかしいな~、取り込まないのかな~、沖縄では「なんくるないさ~」主義で台風に立ち向かうのかなあ? 不思議に思いましたが、なんとその態度が大正解だったことが今朝わかりました! 昨夜の雨も風も全然たいしたことなくて「屁みたい」な台風でした。大片付けして損しちゃったわい! 被害がなくて結構ではあるけれど、気象台にモンク言いたい気分。おかげで室内に取り込んだ物を外に出すのにまた一汗二汗かきましたよ。さいわい沖縄は肩透かしに終わりましたが、今後台風の行く先に当たる地域の皆さん、油断大敵、くれぐれもご注意くださいね。

どうも台風というと「過剰に備える」癖がついています。20年来うちには強力な「台風部長」(母)がいたからです。その台風部長も昨年末に亡くなりましたが、私は部長の下で働いた頃の性癖がまだ抜けずにいるようです。

台風が来ると母の「部長」ぶりを懐かしく思い出します。以下、高校の同窓会HPに2004年に書いたものですが転載します。(アニメはこのHPの作成者だったA氏による)


酔桃亭だより



 


台風部長
2004年9月3日

今年は、やたら台風が日本に上陸して、あちこちで被害が出ていますが、皆さんのところでは大丈夫でしたか?

今年は、私、もう、「台風疲れ」してしまいました。京都は、唯一結構なことに、台風被害がほとんどない土地柄みたいで、ご近所では台風が近づいても、みんな涼しい顔でへっちゃらなのに、うちの家だけは「備え」が大変なのです。それというのも、うちには、強力な「台風部長」(母)がいるからです。

1934年の室戸台風の時、女学校への通学途中で猛烈な暴風に吹き飛ばされて、増水した小川へ転落。流されそうになったのを、たまたま川面に垂れてきた柳の枝に掴ってようやく助かったという恐怖の体験が、70年経った今もよみがえるらしいですね。

だから、日本の遥か南の海上に台風が発生しようものなら、「あ、今度の台風は大きいなー、あんなに目がパッチリしているもの。これは近畿地方を直撃するかもしれんね」と、なります。(母には、どの台風も全部近畿に向かって来るように見えるらしい・・・)。

そして、その日から台風の過ぎるまで、次々と部長から「無言の指令」が出ることに。(母が、実際に「ああせえ、こうせえ」言うわけじゃないのだけれど、台風が近づくにつれ、なんだか不安げにウロウロしはじめるから、仕方なしに毎回、私が母の習慣通りに、以下のような大騒ぎをする羽目になるのです)。

1)まず、水の確保をする。(生活用水として、浴槽と屋内外の洗濯機2台、戸外の大ポリ容器すべてに貯水する。飲料水として、鍋、やかん類に水を入れ、2リットルペットボトルの水も10本ほど準備)。

2)買い物に行って3日分の食料を買い込む。(そういえば亡くなった父の口癖は、戦中派らしく「お米と梅干はいつも切らしたらあかん。これは心得ごとでっせ。梅干は百年経っても大丈夫やから!(ほんまかいな?)」でしたね。笑ってしまいますが、懐かしいセリフです)。

3)懐中電灯、乾電池、ろうそく等の点検をする。

4)ベランダ・戸外の、風で飛びそうな物への対策。(物干し竿を全部地面に下ろす、バケツ類を重ねて洗濯機に沈める、ゴミ箱等の蓋を全部ガムテープで貼り付ける、竹箒類はまとめて縛る・・・等々)。

5)花鉢・植木鉢を屋内に取り込む。(今、花盛りの一番大事な鉢は、みんな風呂場、玄関、居間へ入れる。次に大事な鉢は軒下へ移動。その次に大事な鉢はかためてロープで縛って庭の片隅でがんばらせる。ほかの地植えのどうでもいい花木は、「そこでなんとかがんばれ!」と励ましておく)。



もう、この辺りで私は汗ダクダク。だんだん嫌気が差して、いかにも「過剰に備えている」自分に腹も立ってきて、「あー、もうええわ。来るなら来いや! ここ20年、京都はそんなに吹いたことない! ご近所はどこも何もしてはらへんやんか。風で飛ばされた物だけ、後で拾いに回るから・・もうええ、もうええ!!」と、ヤケ気味に家に入ると、母がテレビの前にじっと立って台風情報を食い入るように見ています。

母の曰く、「室戸台風の時、912ミリバールで気圧計が壊れて止まってたのやけど、今度のは910ヘクトパスカルて言うたはるから、室戸台風と同じくらいや。これが紀伊水道を上がってまともに来たら、えらいことやなあ!」
「(うーん、よっぽど室戸台風でえらい目に遭ったらしいなー。しゃーないか。ここはあきらめて、母の気の済むようにしたろか・・)」

考えてみれば、私も、1950年9月、4歳の時のジェーン台風では、かなり怖い思いをしました。ちょうど母が妹のお産で不在だったので余計に不安だったのでしょう。大阪・大正区の川が溢れて、川の水が大人の腰近くの高さまでゴウゴウと流れてきました。そんな濁流の道路を父に負われてジャブジャブと横切って、向かいの父の工場の二階まで避難しました。

そこに町内の人もたくさん避難していて、お祭りみたいに賑やかでもありました。二階の窓から道路の濁流を眺めていると、材木やら木箱やらいろんな物が飛ぶような勢いで流されていったのが、鮮やかに目に焼きついています。水がなくてサイダーでご飯を炊いたのを食べさせてくれた近所のオッチャンがいたけど、何ともまずかったなー。

で、今回も大騒動して「迎え撃った」台風16号でしたが、京都では夜半過ぎにヒュ~ッ、ヒュ~ッと一吹き二吹きしただけで終わったみたいでした。私は熟睡していたので何も知りませんが、「台風部長」の報告によると、そのようです。(地震などへの備えは、ほとんどしないのに、どうして「台風」となると、眼の色変わっちゃうのかネー、うちの部長は・・?)

さあ、翌日の後片付けの虚しいこと、しんどいこと・・・。上記「準備項目」を全部元に戻さんならんのや。「ホンマに、毎回毎回、エエ加減にしてや~」と、ブツブツ思いながらの作業です。そんな時のいつもの母の決まり文句。「被害が出ての後片付けは大変やけど、被害がなかったのやから、こんなに有り難いことはないな~」。まあね。

でも、迎撃にくたびれちゃったから、カミサマ、もう今年の上陸台風は「予定数終了」にしてや~! 頼みますよ~。



 

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