12月4日 WED 24℃
今日夕方、ペシャワール会の中村哲医師がアフガニスタンのジャララバード で何者かに銃撃されて亡くなったというニュースが飛び込んできました。ショックです。
私の一番尊敬している人で、日本にこんな立派な人がおられることをずっと誇りに思ってきました。いったい誰が哲さんを襲撃したのか?! ニュース番組に映る中村医師の姿に涙が出てなりませんでした。悲しい、悔しい、許しがたい。
中村医師の講演会には京都で5回行きました。その都度、心が洗われて勇気を与えられました。
以下は2003年夏、講演を聴いた後書いた文です。
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それぞれの井戸掘り
2003年8月26日
去る8月3日、ペシャワール会・中村哲医師の講演会(「平和の水源を求めて」)がありました。京都では3回目になります。アジアのノーベル賞といわれるマグサイサイ賞受賞後初めての講演ということもあってか1000人近い人が来場されました。
世間の目がすでにイラク問題や北朝鮮問題に移り、「アフガニスタンはもう終わった!」になってしまった感のある昨今、こんなに多くの人が、猛暑の中、参加されたことにまず驚きました。
講演は、ペシャワール会の20年近い活動の歴史についてと、氏の言葉によれば「この20年間で最悪の状態になってしまった」アフガニスタンでの最近の活動報告でした。ペシャワール会のワーカー達は、マスコミや世間の注目の去就などとは関係なく、今も従前と変らず医療活動や水源確保のために井戸やカレーズ(伝統的な地下水路)を掘る活動を現地の人たちと共に黙々と続けておられるとのこと。当然と言えば当然なのかもしれないけれど、なかなか出来ないことだなあ、と思います。
きわめて小柄な「アジア系口髭おじさん」という印象の中村さんが、静かにボソボソと語られる話は、何遍聞いても面白く、「なんという人やろ!! 誰を相手にどこで話す時もまったく同じ。国会で話す時も、テレビに出る時も、ウヨクと話す時も、サヨクと話す時も、裏から叩いても表から叩いても、逆さに吊るしても、ちっとも変らない。何事に関しても自分の踏み固めてきた大地にしっかり足をつけてモノを言う、国や民族や政治を超えて『人の命の重さ』という揺るぎない立場に立っている、こんなホンマモンの人間ありか!」と感動します。なんか分からないけれど元気が出ます。来場した多くの若者たちがどんなに感銘を受けて聞いているかなあ、と思うだけで嬉しくなりました。
講演と質疑応答で3時間半、内容は実に多岐にわたって、とてもここに紹介しきれませんが、特に印象的だったことだけ以下に書きます。
講演会場での中村哲氏。
中央、紺色スーツの人
「山賊や強盗に遭ったことはありますか?」という質問に答えて。
「山賊に遭ったことはあります。現地職員の運転手と車で山道を走っていたら山賊に襲われた。運転手の首に銃を突きつけて賊が何か言ってる。運転手が言うには『車をよこすか、命をよこすかと聞いてます。先生、どうします?』」(笑)。後は言われなかったけれど、当然、車を渡したのでしょうね。
また、「アメリカのアフガン攻撃、イラク攻撃を支持した日本に対する人々の感情の変化はありますか?」との質問には、
「日露戦争以来、格別に親日的だったアフガニスタンで対日感情が悪い方に大きく変化している。最近の日本は、強いものにはなびき弱いものには居丈高になっている。とても腹立たしい。『それでも日本人か!』と言いたい!」
と、中村さんには珍しく、とても激しい口調でおっしゃいました。
やはりこの人は紛れもない「任侠の人」であり、「義侠の世界」の人なのだなあ、と強く感じます。弱い者に優しく強い者に強い、これを「侠気」(「おとこぎ」、今どきは「おんなぎ」と読むのかも・・)というのでしょう。
驚くような2枚のスライドを見せてもらいました。一枚はカラカラに乾いた沙漠の写真。もう1枚は何か植物が生い茂った緑豊かな土地の写真。なんとこの2枚は全く同じ場所で撮ったもので、一方は水源事業(井戸掘り)をする前、他方は水源確保ができた後の写真だとのこと。思わず会場から「オーーッ」というどよめきが起こりました。水が人間の生活にとって如何に大きなものか実感しました。
未曾有の大旱魃の年であった2000年夏以降に、中村さんたちがアフガニスタン各地で飲料水確保のために掘った井戸は、なんとすでに1000本を越えたとのこと。これで、水溜りに這いつくばって犬のように泥水を飲んで下痢で死んでしまう子どもたちが何人助かったかわからないなあ、と思いました。
現在はまた、旱魃や戦乱で沙漠化してしまった農地を緑化するために用水路建設などの灌漑事業にも力を注いでおられます。ニングラハル州というところで、16kmにわたる用水路の建設が始まっています。その近辺の農民のおじちゃん、おにいちゃんたちが、炎天下、毎日毎日、まさに人海戦術でエイホエイホと用水路を堀り続けている姿をビデオで見ました。その埃と汗にまみれた姿から「じっとしていたってどうにもならん。この土地を棄てて難民になるよりない。それよりはこの水路に賭けてみよう」とでもいう声が聞こえてくるようで、グッと来るものがありましたね。
この水路、素晴らしいと思ったのは、コンクリートの護岸ではなく、あとあと現地の人々にも維持しやすいように、水路沿いに柳や桑の木を植えてその根が岸を護るようにするという話でした。
このような用水路が完成して川からなみなみと水が引かれ、何百、何千ヘクタールもの耕地がよみがえって再び作物が実る土地になったら、どんなにいいかなあ、と思います。
用水路の岸辺に青々とした柳が延々と続いて風にそよぎ、落ちた葉っぱは流れ積もって堆肥になる・・。緑豊かな肥沃な土地、平和な農村の暮らしがよみがえる・・・まるで夢みたい。
その用水路建設の話を講演で聞いて以来、私の心に「風にそよぐ岸辺の柳並木」の幻影が棲みついてしまいました。
中村さん曰く「武器を取りたい者は取れ。私たちはクワとツルハシで、平和を実現してみせよう。キザに言えば、そんな思いでやっとります」
強大な軍事力を背景にした大国による手前勝手な「復興」に対抗するに、「平和な農村の復活」をもってする。なんと素敵なアイデアでしょう。とても気持がいい。
その国の人々の文化を尊重し、その国の人々が望むことを一緒にやっていくこと、そこにしか本当の「援助」はないでしょうし、国や民族を超えた人間同志のつながりもないような気がします。
ああ、それにしても自分にもっと能力があればなあ。医療技術があるじゃなし、農業指導ができるじゃなし、井戸掘りや水路建設の土木技術があるじゃなし、昔だったら少しは出来たかもしれない単純穴掘り労働も、今では熱射病とギックリ腰になって足手まといになるのがオチ・・。
ああ、なんと非力無能なオバサンに成り果てたことよ。ヨ、ヨ、ヨ、ヨ(涙)・・・。
しかし中村哲さんはおっしゃった。(会場からの「今の日本には憂慮すべきことばかり。私たちは一体どうしたらいいのでしょうか?」という質問に答えて)「どうしたらいいのかな?じゃなくて、自分はどうすればいいのか、一人一人がしっかり考えること。その考えた通りにやればいい。それだけ。やり方はたくさんあると思います」
ほんとにね。実際に一人一人が自分で出来ることは身近にあるのかも知れません。
いかに自分が無能な人間に思えても、「いやいや、自分は自分でええのや。アフガンの風にそよぐ岸辺の柳並木を夢に描きつつ、一人一人が自分のいるところで自分なりの井戸を掘ったらええのかなあ」と、今は思えるようになりました。
講演前に控え室でくつろぐ中村哲さん
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哲先生、ありがとうございました。先生の言葉とやってこられたことを胸に刻みつけて自分の場所で精一杯がんばります。
どうか安らかにお休みください。