すいーと雑記帳

とっこの独り言

「沈黙の叫び」

2012-09-02 18:21:00 | 日録・雑感など
9月2日 SUN   31℃

図書館で「沈黙の叫び 尖閣列島戦時遭難事件」を借りてきて読みました。

 
(尖閣列島戦時遭難死没者慰霊之碑建立事業期成会)2006年 南山舎

沖縄戦も末期、すでに日本軍が壊滅状態になった後の1945年7月、石垣島から台湾に向かった疎開船2隻が、途中でアメリカ軍機の銃撃を受けて、一隻は炎上沈没、もう一隻は尖閣諸島の魚釣島に漂着して、そこで飢えに苦しみ、衰弱死する人達も出しながら45日間頑張って、奇跡的に120人が救助されて石垣島に生還した戦時遭難事件の記録・証言集です。

沖縄から本土へ向かう途中に米潜水艦の攻撃にあって沈没した学童疎開船・対馬丸のことなどはよく聞いていますが、尖閣諸島付近でも戦時疎開船の遭難があったことは初めて知りました。

漁船みたいな小型船に乗って大海原を進み、台湾の島影が見えた辺りで突然米軍機の爆撃や機銃掃射を受けて、女子供年寄りの乗った甲板、船内は阿鼻叫喚の地獄になります。
祖母に抱かれて海へ飛び込む幼女、幼い娘を甲板に放りあげた後、梯子が焼け落ちて登れなくなって幼い息子を負ぶったまま、甲板上から自分を見つめる幼い娘に無言で必死に手を合わせる母親・・・。海に放り出されて丸太につかまっていたが丸太が回転するたびに人が振り落とされて波間に消えてゆく・・・。
魚釣島へ漂着上陸した後の飢餓地獄も凄惨でした。老人子供病弱者からどんどん死んで行くのだけれど、生きている者も墓を掘る体力がなくなっているので、遺体にクバの葉をかぶせるだけになった・・・・。
どの証言も、読んでいて胸がつまってきます。
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今朝のテレビニュースでも、尖閣諸島が映っていましたが、この「沈黙の叫び」の本を読んで以来、魚釣島の島の姿が映るたびに「あ~、あの島へ石垣島の人達が漂着したのか~」と思って見るようになりました。

この戦時遭難船の犠牲者に限らず、結局、戦争が起こって一番苦労するのは、住民とくに年寄り女子供、病人など、一番弱い者なんだから、そこんとこよ~く考えて、はずみで戦争になったりしないように、日本も中国も「赤目吊って」コトを起こさず、カシコクカシコク冷静に対処しないといけないよね~、とあらためて思いました。

「沈黙の叫び」: 「南山舎」

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