アンティーク青葉2021

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cogito ergo sum

2023-01-29 00:51:58 | 日記
片付けをしている。
なかなか片付かない。
寝ながら片付けている。
ハムスターの餌の時間だ。

ルネ・デカルトは、我思う故に我ありコギトエルゴスムで有名だが、方法序説のなかで読書についても言っている。
旅も読書もあんまりしていると、自分の国で異邦人になる。
これは、若い時、読書と旅に明け暮れたデカルトならではの言葉だ。
とくにその旅は、ドイツ三十年戦争、最後で最大の宗教戦争。
デカルトには、今の暇な大学生の青春などというものは無かった。
生涯独身、思索のなかで過ごしたデカルトの人生を述べる方法序説は、今のこの時代に再び読まれていいのではないか。
今から訪れる日本の中世。
国家の治安立法強化のなかで、物価高と重税にいかに耐えるかを考えないといけない。
正直、刑務所の飯が、庶民の飯よりよくなる日が来ないとも限らない。
というか、すでに一部ではきている。
この一部がもう一部になってきてもいる。
我々に残されたのは、デカルトと同じ思索することだけ。
デカルトは、哲学と思索の日々をおくったが、
我々は、行の日々をおくらねばならない。
日本の風土は湿潤で、変化が激しく、ヨーロッパのように安定的思考に向いていない。
散歩をすれば、夏は暑く、木陰はなく、冬は寒くトイレはない。
夏の夜は蚊がぶんぶんとしていて、虫よけスプレーは高い。

ヨーロッパは、安定的思索に向いている。
アウグスティヌスが、目覚めたのは、立ちてこれを読めという少女の声だった。
地中海世界での出来事だ。

日本は、行と参学が気候風土にかなっている。
姿勢に無理する必要はない。
同じことをただ続けることだ。




ミネルヴァのフクロウ

2023-01-28 19:43:44 | 日記
ミネルヴァのフクロウは夕暮れ時を待って飛び立つ。
ミネルヴァのフクロウとは、アテネの紋章であり、転じて転じて哲学のこと。
ある時代が終わったとき、哲学は生まれるというもの。
つまり、失敗した後にしか、深い反省は生まれない、と言うべきか。
私も、最後にちょっと骨董屋をしてみたいと思ったが、コロナと不況であえなく挫折。
まあ、失敗しないと誰も読んでくれないのでいいか。
しかし、出店していたら大変だった。
人間、欲がでるといけない、というか、妄想はほどほどに。
ドイツの哲学者ヘーゲルは、若い頃老人とよばれた。ヘーゲルに負けたショーペンハウアーは、いじけて暮らした。
ヘーゲルは、60歳で40歳の妻と結婚してむつまじく暮らしていたが、コレラですぐ死んだ。
ふたりとも哲学者として立派な生涯だった。
ウィトゲンシュタインは庭師になり、ランボーは海にでかけ、ゴーギャンは、太平洋の孤島タヒチに行った。
そして、私は、20年前に出会った道元の道を究めんと、正法眼蔵に向かっている。
日本史を学びノート化していくなかで正法眼蔵の意義を見出している。
行としての日本史と、参学としての正法眼蔵がある。
私の前に道はない、私の後に道はできる。
高村光太郎の道程。
人通りの少ない道でも、自分の信じた道をゆくこと。
デザイナー芦田淳さんのことば。
現代人の寿命は長い。
どっかで連続した思考がとぎれる。
私は、原始仏典を読んだりキリスト教会のミサに参列したり、さをざん迷って、正法眼蔵と日本史にたどりついた。


寒い日

2023-01-28 19:03:04 | 日記
人間が多いと忙しく、人間が少ないと個性が出過ぎて人間関係で病む。
人間関係は密になりすぎるといけない。
人間が少ないと相談できる人も限られるし、隠れていられる場所も少ない。
孤独を好む人はある意味、大衆であることを好む。
自己実現とは、好きなことをしているときだろうが、次には、ほっといてほしいことでもある。高度な研究者にはこれがある。
ポスドクは世慣れできない。

お金の問題がからむ。
年金と貯金、年金だけでは食っていけないが、年金は必要だ。
私は、少し病んでいるが、健康な人でも歳をとると仕事がなくなる。
結婚は即家庭を意味する。
子供のいない家庭は寂しいだろう。
というか、国家は家庭をつくれという。
標準世帯というのも国家が作った概念だ。
単身世帯が一番多いのに。
結婚式では、三人以上の子供をという。
誰が責任をもつのか。

人間、好きなことをしたい。
けど、それが泥棒であっては困る。
ゆとり世代の結果遊びすぎて金が無い、z世代が新たに生まれる。

氷河期かというくらい寒い。
香港でも寒いそうだ。
ロシアでは、マイナス60度以下。
寒いと動きが自動的に止まる。
歳をとると、体温があがらない。
これでも学生時代は結構長く東北にいた。
東北の凄いところは、粘り強い。
研究が凄い。
寒いから、頭が働く。
若いから頑張れた。
もし東北にいなかったら、つまらないおとなになっていた、とうか、いまでもつまらないが。 
時代はかわる。
アベノミクスは夢だった。
夢ばっかりで現実がみえない。
だから東北は必要だ。

九州は生活しやすい。
東京の流行も関係ない。
むしろ東南アジアだ。
結構信心深い。
南方仏教文化だ。

孤独とはなにか。
それは会えなくてもいいが、いつでも会える友人が近くにいること。
職場の友人は、職場を離れると無縁になる。
家族は自家中毒になる。
仕事があって家庭がある。日本では。
経済的理由もあって独身できたのだが、孤立しているのだろうか。?

卓球シューズが好きだ。
卓球シューズを履いているときに至福の時を感じる。
さすがに、道路では履き心地は悪いが。
卓球シューズは心がひきしまる。
小さな動きに強い。
これは大きな動きのない現代において最適だ。
しかも、斜めの動き、すぐ元の位置にもどるという現代のデスクワークを踏まえたものとなっている。



ズボン モードの迷宮

2023-01-27 00:08:26 | 日記
男は基本的に服にお金をかけないで生きることができる。
乗り物も基本原付があればいい。
朝日訴訟並みに衣料費を抑えようとするが、どうしても消耗してしまうものがある。
それは、ズボンである。
ではなぜズボンが消耗するかというと、可動部があるからである。
それが膝、ひざである。
個人的に、靴は中古をメルカリで安く買っている。
中古がはきやすい。
しかし、ズボンの中古は、難しい。
ズボンで必要なのは、ある程度の生地の厚さである。
薄い生地はなにか履いていてスカスカする。
やはり、安定性からして、厚い生地がいい。
作業ズボンは、よく出来ている。
私の場合は、でかいのとダブダブ好きで、安定するまで時間がかかった。
が、いまは、ヨレヨレになったら寝間着になっている。
膝さえなかったら、グニャグニャにならずに済むものをと思うが、お尻が破ける。
小学生のときからお尻が破ける苦難にあってきた。
自分だけだろうか。
お尻はやわらかい。
やわらかいのと可動部分が欠点だ。
男は、だいたい身体が硬く、棒のようになっていく。
私も、衣料費は、どんどんおちてきた。
昔からモノトーンしか買わないので、正式も日常もない。
人生喪服、ヨーロッパ中世の修道院だ。
だが、修道女の服をダサいという人はいない。
現代文明は、ゆとりからZ世代、中世に向かいつつある。
文学の衰退のなかで、内部、祈りに向かいつつある心の。
男は力を失ったが、中世の修道女として復権しつつある。



缶詰横丁

2023-01-22 00:16:49 | 日記
下町というのが、金のかかるノスタルジアになってしまった、というか、スマホになってしまった現在。
少なくとも金のかからない下町を、というか、
はればれした気持ちになる下町の光景はないのか。
小説の中にはある。
しかも、アメリカの小説。
スタインベックのキャナリィーロウ、訳して缶詰横丁。
生物学者としてなんでか尊敬されている博士のところでパーティーがある。
中国系の雑貨商や、売春宿のおかみとか売春婦とか、なんか、エピソードが楽しい。
缶詰横丁だから、おそらく缶詰パーティなのであろう。
すごく薄い本だが、アメリカの小説では、いちばん楽しい。
古本で高いが、価値はある。
昔は安かった。
缶詰工場がいっぱいある海辺の町らしい。
人生、貧しく楽しく、貧しくとも苦にしない。
というか、そんな気負いもない。
昔は、どんなとこにも下町があった。
私も海に開かれたところに住む人がまぶしかった。
キャナリィ・ロウを読んだ頃は、なんか倉庫の一室に住むことを夢見ていた。