アンティーク青葉2021

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読書

2023-01-18 23:40:37 | 日記
最近、ひさびさに小説を読んでいる。
しかし、なんか最近の小説は爽快感というものがない。
私がもし最高の爽快感をうけた小説はなにか、と聞かれたら、浅田次郎のプリズンホテル秋を挙げる。
最近は廃墟ブームとかいうが、この小説は、
温泉小説の絶品だ。
なによりもエンターテイメントである。
最近の小説は、現代社会の問題点を上げるが、
それを爽快に解決しない。
解決は、読者にまかされている。
これでは、本屋に行かないわけだ。
おまけに本はなかなか高い。
通信費が高額になった現代社会で、本を買うのは大変だ。
これは、本を読む学生、大人層の衰退を物語る。
物語自体の衰退だ。
物語自体の衰退を物語ることはできない。
本というのは大切だ。
それは、いつの時代にも存在する、言葉の支配者としての職業人でないゆえに重要だ。
とくに、現代社会は、昔のように、全的職業人である職人や自給的農家が、消滅の危機にある。
森敦の月山の昔ですら、それは東北の山奥に探しに行っても、幻影をみているのか、現実としてあるのか、精神と現実の境界線いかん、というところであった。
そして現代社会は、皆が、一体自分はどこにいるのか、といった時代である。
組織とはなにか、不思議なことに、文書以外組織は見えない。
不透明ななかでただおおいかぶさってくる責任というもの。
管理職も責任といものをきらう。
ほうり出された個人。
安部公房の燃えつきた地図では、まだ個人は、
逃げていく場所があった。
しかし、今は、経済的餓死以外行く場所はない。
ユーチューブの広告収入が、外的内的競争で激減しているそうだ。
やはり現代文明は、変動によわい。
しかも、変動は短期でくる。
梶井基次郎の檸檬という小説がある。
それは、主人公が見捨てられたものに、ひかれてさまようなかで、檸檬をみつけるというものだが、本当は、見捨てられている自分を大切にしている自分の心なのかもしれない。
私は、普通の人が本を媒介にして出会える、心を通わせる世界はいいな、と思う。
きれぎれの仕事をして、あるいは組織のなかにいて、自分の全的物語を語れないとき、小説の、本の物語に托して自分を語る、そうした何気ない会話で、心の触れ合いが生まれる。
現代社会は、スマホ、パソコン、素晴らしい社会だ。
しかし、どんな社会にも、欠点はある、それをどう解決していくのか。
読者の問題は、私は、職業人ではないのでシロウト的に考えているが解決はつかない。
ただ、時々、読書って大切だなあと思う。
この本能的思いが大切なのかもしれない。