アンティーク青葉2021

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人見知り

2022-09-26 22:34:29 | 日記
私の場合、大体、人と会うと、失敗する。
人と会わない期間が長いと、精神的に安定する。
今は、中国の骨董のことを考えている。
と、いうか、人間はなにかいつも考えていないといけないらしく、しかも、強制されていること以外の事でないといけないらしい。

繭籠もり、というか、今から半年間ほどは、どうも人に会いたくない。
夏に、業者に中国骨董を安く売ってしまい、といっても2点ほどだが、ショックを受けて、塞ぎ込んでしまった。
経済危機でもあるし、ダブルショックだ。

しかし、失ったものを補おうとする本能で、中国美術の本を購入、すごく役立っている。

世間では、為替介入や金利のことでいろいろ言っているが、ストレスでビールの消費量が増えるだけだろう。

私などは、そんなの勝手にして、という感じというか、あまり、国民にストレスやショックを与えないで欲しい。
なるようにしかならない。

私の鬱も、今日は、誰とも会っていないので、最悪の昨日と較べて落ち着いている。

世間では、日本を脱出する人が増えるのではないかと言っている。
物価高に増税、少子高齢化、人口減少、そして円安。
しかし、昔は、1ドル300円であった。

人生に、失敗はつきもの、政治もまた失敗ありき、とにかく戦争という事態にならなければよい。
今の日本は、失敗を許さない不寛容な世界である。
同調圧力というものである。

日銀の金利政策に、批判的な人は多いが、その心理に同調圧力はないだろうか。
アベノミクス以来、低金利政策で雇用を守ってきた日本だが、ここで金利を上げると、合理化、リストラのあらしが見舞う。
問題は、日本は、世界中が低金利政策をとるまで、ずっと我慢の子であるのか、ということだ。
その頃には、もうみんな生活物資を買えなくなって、配給切符とかが配られるのではないか。
フードスタンプとかが。
そのころには、ものすごい赤字国債の額になっているだろう。
暴動がおきそうになり、野党は、これをあおるだろう。
政情不安なかで、警察にくわえて自衛隊も出動するかもしれない。
それから戦争へはそう遠くない。
気がする。





民芸

2022-09-25 19:52:48 | 日記
最近は、中国の骨董がブームらしい。
とくにいまは、清朝の磁器が高価になっているらしい。
とりわけ、政府直々の、官窯のものに需要があるらしい。
コロナ禍で不審の茶道具に替わって、高価な中国物がもてはやされている。

私の場合、自分が佐賀県人なので、アイデンティティ確保のために、伊万里や唐津焼に親近感を覚えて時々買ってきた。
そのなかで、鍋島の染付が好きだ。

自分は鬱を抱えているので、なんでも保持して置くというのができない。
まず、神経の治療をしながら、それから、ということになる。
つまり、心のなかに異質なものを抱えることができない。

そんなになっていく私は、実は世界の歴史とかに密接な職業だったりするのだが、今年度、失業しているのを幸いとして、日本古代史を学んでいる。
なぜ古代史かというと、武士とか、ぶっそうな存在があまり好きではない。

勾玉のイメージのある時代が好きだ。

しかし、世界的な経済戦争の時代に、日本も巻き込まれている現在、祖先の育んできた日本の文化も危ない。

なぜ危ないかというと、日本の文化は、民芸、つまり、庶民の生活と密接であるからだ。
それに対して、中国の官窯の製品は完全である。庶民の要素はない。
曲芸師要素を極めている。
実用品ではなく、あくまで鑑賞用である。
皇帝の絶対的支配、世界帝国を前提としている。
そういうところが、世界のコレクターの目を引き付けている。

日本文化は、庶民の所産である。
それに対して、中国文化は、大地主の上に君臨する皇帝の所産である。

しかし、今、日本は中国史のように、階級のはっきりした専制国家のようになって来ている。
かつての自作農にかわる新中間層の衰退のなかで、日本文化の社会的基盤が崩壊している。

私の枕元には、今、たまたま信楽があるが、なにがいいのか、さっぱりわからなくなってきている。確かに、昔、買った頃は感動していた。



自分には何が残るのか

2022-09-24 23:50:45 | 日記
今日は、鬱がひどい。
古信楽を見ていたら、よけい酷くなった。
なぜこのように、鬱なのか、というと、秋になって孤独になっているから、かもしれないが、ほんとの理由は、骨董をふたつほど、安く手放してしまったからではないか。
中国物はやはりわからない。
韓国物にしよう、オークション出品は。

それよりも、友人と接してしまったからかもしれない。
たしかに、ひとりで居るときは、たいして悩みもわかない。

今日は少し蒸し暑かったが、秋日和の日だった。
例年と違うところは、日本経済が自信を失っているところだ。
6月の黒田発言ショックと、それによる急激な消費の衰退という、精神的ショックがいかに日本経済に衝撃を与えるかという教訓を、政府はわかっていない。

今回の為替介入は、それが経済の自由主義と真っ向から反することからも、非常なショックを与えると思う。
私が思うことは、今年起こっていることは、政府と日銀による心理ショックであるということだ。
今度に関しては、政府より日銀が腰がすわっている気がする。
資本主義は、なるようにしかならない、というのが鉄則である。
だから自由主義なのである。
政府のすべきは、税制であって金融政策ではない。
日本がアジアのなかでいいところは、自由であるところだ。

しかるに、最近の日本は反省ばかりして、理想がない。
外国にはお金をばらまいて、その財源は赤字国債である。
おそらく、将来、増税になるだろう。









日本史の客観的価値

2022-09-22 23:16:39 | 日記
為替相場が大荒れの状況にある。
輸入超過の日本が、自ら進んで大切な外貨のドルを手放している。
このままでは、日本人の生活は破綻するのではなかろうか。
小学校のとき、日本は高度経済成長の時代で、皆んな、日本に生きていることに生きがいを感じていた。
しかし、アベノミクスという夢は、突然に打ち砕かれ、お金がすべてになってしまった日本は、ついにその大切なお金のコアである外貨をはたいて、円高の外見をとりつくろうとする。
まさに末法の世界である。
古代から、中国の冊封体制から独立しようと必死になってきた日本の祖先は、これをみて、なんと思っているだろう。
福沢諭吉は、一身独立して一国独立す、といったが、これでは庶民潰れて国も破綻する、といった状況、世界史的には、ナチスの台頭したドイツの状況に近いものがあるのではないか。
まず、このショックによって、生活とは関係ないものが切り落とされる。
その最初が、レジャーである。
ひとりキャンプとか、外食とかは、まず第一に切り落とされるだろう。
私の趣味であった骨董などは、とんでもない話しだ、ということになる。
そもそも、コロナで、茶道具の意味に疑問があったのに、これでは、日本文化に疑問が湧かざるを得ない。
現代、中国の清朝のものが、高い評価を得ているが、国際的位置を失っていっている日本のゆがんだ土器の価値を支えるものが急速になくなっているなかでの当たり前の状況である。

元々、日本が、明治維新とともに踏み込んだ、資本主義経済は、経済の自由主義、つまり、神の見えざる手を前提とする社会である。
その日本は、今は世界の工場であることをやめ、しかし、ついに世界の銀行となることも出来ず、巨額の赤字国債をかかえ、途方にくれている。
国が途方にくれ、迷路に迷い込んて挙げ句のはてに輸入赤字が続くなかで、貴重な外貨を放出するというなかで、国民が途方にくれないわけがない。
ものは、いままで売れていたものがつくられ市場にならぶ。
しかし、物価は上がり、庶民は買えなくなる。
つまり、消費が成り立たなくなる。
消費者経済がなりたたなくなる。
いままでの日本の価値が崩壊するとは、芸術的価値のぐらつきをも意味する。
芸能界は、一般社会と違って、定年はないし、リストラもない。
単純に考えると、人は減らないが、定年のない終身雇用の世界だが、そもそも、暇な老人しかテレビをみないこの社会で、広告費や制作費は減っているのではないだろうか。
おまけに、コロナ禍で劇場やコンサートにいくのも勇気がいる。
ユーチューブでは、一杯コンサートがあっていて、しかもただだ。
独身のわたしにあっては、人間関係を円滑にするための家族費なんかもいらず、ただあるのは自身の精神的開放のみ。
一日ビール一缶のみでたっせられる。
一日一回コンビニにいけば終わる。
値上がりが激しいので、ものは極力買わない。

しかし、市場原理に基づかないで、大切な外貨を遣ったことは、熟慮を欠いているのではないか。
理由を投機が原因としているが、そもそも金利差が原因で、これは必然である。
もはや逃げ場所はないのである。
国民には、説明が必要である。
一時しのぎでないことの。
戦時中の大本営発表ではない。
そこのところが、皆んなもやもやしているのではないか。








シンボルとしての時代

2022-09-12 23:25:03 | 日記
最近、日本古代史に埋没している。
私が骨董を集めたいと思ったのは、20年ほど前、なぜか茶碗に惹かれたことからだ。
裏千家茶道教室にも通い茶道具について学んだ。
しかし、才能もなく、忍耐力もなく、記憶力もなく、正座に対して体重が耐えきらず終わってしまった。

現在の趣味と生きがいは、日本古代史。
大和朝廷の時代だ。
豪族連合政権の時代だ。
庶民は、どんな服を着ていたのだろうか。
天平の甍というように、人々は貧しかったろうが、夢があったような気がする。
この時代、しかし、人民は、都城造営をはじめとする労役や、軍事負担に喘いでもいた。
支配者と人民、この階層は、今にもつうずる。

戦後の日本の人民は、この支配から脱しようと、なによりも無産者は、その子供の教育に必死になった。
こうして、昭和は、稀にみる階級変動の可能性の時代となった。
 
古代史は、人民の時代だ。
しかし、昭和も人民の時代だ。
では、令和はなんの時代だろうか。
暗いのは自分だけでないような気もする。
令和が階級社会だとすると、平成は、昭和から令和への移行期間であったのかもしれない。
現代のすごいところは、スマホだが、現代社会は、ソフト化のなかでなぜか死滅しないパワハラ人間がしょっちゅうメディアで報じられるという、日本も終わりの時代だ。

報じられるパワハラおじさんは、私より若い、かつての若者だ。
日本は、葬式に欠席するのをにこにこして言っている、というおかしな国になった。
エリザベス女王の葬儀の招待状がきたら、にこにこして行くのだろうか。
もはや、野党の人々は、日本の庶民ではない。
党ごと外国に籍を遷した方がいい。

与党の人々は、議員以外の仕事もわりあてられる。が、野党の議員は、仕事がなくて暇なのだろう。どんどん規模を縮小していく党のなかでネクストなんとか、意味がわからない。

令和の日本は暗い。
これもゆとり教育の結末のひとつ。
塾や英会話教室に通えないむかしながらの日本の子供の多くが、未来の選択肢を狭められる。
都会と田舎の間が断絶している。
昭和初めには農村で欠食児童が問題となったが、今は、貧困と戦う議員はいない。
国会は、国権の最高機関とあるが、仕事をしないで、ソ連がいいだの中国がいいだの、今度はイギリスがいいだの言っている野党議員の気がしれない。

イギリスがいいという人に、
では、あなたは貴族というものがあるイギリスが好きですか。
もし、ただでさえ階級社会になっている日本が、貴族社会にもなったら、あなたはそういう日本社会を抱え込むことができますか。
一君万民の大日本帝国のほうが、まだ分かりやすいのでは。