十勝の活性化を考える会

     
 勉強会や講演会を開催し十勝の歴史及び現状などを学ぶことを通じて十勝の課題とその解決策を議論しましょう

諦めない

2022-09-11 05:00:00 | 投稿

 

私は週1回、機能回復型デイサービスを利用している。そのデイサービスの介護士が、次のように言った。

「脳の自然治癒力には限りがない」と。私は、ハットした。何故かというと10年前に脳出血を患い長期間にわたって頭の一部がしびれていたが、それが最近、治っているのに気づいたからである。

私は、認知症のO専門病院にも通院している。その医師に、「あなたは認知症ではなく高次脳機能障害です。」と言われた。高次脳機能障害とは、けがや病気によって脳に損傷を負い、知的機能に障害が出て日常生活や社会生活に支障をきたす状態を指す。最近、認知症の方も少し治ってきているようなので、高次脳機能障害だったかも知れない。

知人は私と同じように17年前の50歳の時、脳出血を罹患した。彼は言語障害と右片麻痺の後遺症があり杖を突いているが、見事に障害からの克服を果たしている。

多くの人は中途障害を抱えると、自分が知らぬ間に「社会的弱者」と思うようになり、人間にとって最も避けたい存在意義を失う。その方は、水中映像で麻痺している下肢がしっかり動いている自分の姿を見て、それまで「動かない」と思い込んでいたことにハッとしたそうだ。

 私も脳出血を患い、介護3で車イスを使っていた。6年前に入会した総会では一生懸命に自己紹介したつもりであるが、H会員に聞くと何を話しているか分からなかったという。現在、右半身が不自由で歩く時に少しふらつくが、普通の生活をしている。だから、障害を克服するには、けして“諦めない”ことである。

老婆心ながらいうが、経験しなければ分からないことはたくさんあるので、経験することは大切であると思っている。歳をとるということは、それだけ多く経験を積んでいるということだろう。 “百聞は一見に如かず”という諺があるが、私が現場に赴き現物をとって現実を知るという“現場主義”を重視しているのはそのためである。

私は71歳の老人であるが、認知症にしても物忘れにしても忘れるということには違いがない。歳をとると脳細胞が死んでいくから忘れても仕方ないので、認知症になることは恥ずかしいことではないのである。

「十勝の活性化を考える会」会員


アイヌ神謡集“知里幸恵”

2022-09-10 05:00:00 | 投稿

 

1903年(明治36)生まれの”知里幸恵”は、登別市出身のアイヌ女性で、上川第五尋常小学校を卒業し上川第三尋常高等科へ進んだ。さらに、旭川市立女子職業学校に進学したのでかなり優秀であった。つまり、アイヌ語だけでなく日本語も極めて上手であったのである。

19年間という短い生涯ではあったが、その著書『アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ文化の復活をもたらしたことで知られている。彼女は東京の金田一京助氏の自宅に4カ月あまり寄宿していたが、重度の心臓病をかかえていた。その著書は、1922年(大正11年)9月18日に完成したが、その日の夜に心臓発作のため死去している。

彼女が書いた『アイヌ神謡集』は、まさに、命と引き換えの作品であったのである。その本は出版直後から大反響で、彼女が死ぬ間際の両親宛ての手紙(絶筆)は、次のとおりである。(一部分かりやすく訂正)

『(前略) 25日に帰る予定でしたが、お医者さんがもう少しといったので、10月10日に立つことに致しました。私のカムイユカラの本もすぐにできるようです。私は奥さんの裁縫を手伝ったり、金田一京助先生のアイヌ語のお相手になったり、ユカラを書いたり、気ままなことをしています。

去る7日、名医の診断を受けました。やっぱり心臓弁狭窄症という病気で、無理を少しすれば生命に関わるし、静かにしていれば長持ちしますって。診断書には結婚不可ということを書いていました。

私は自分の体の弱いことは誰よりも一番よく知っていました。また、この体で結婚する資格のないこともよく知っていました。それでも、私はやはり人間でした。いろいろな空想や理想を胸にえがき、結婚生活に対する憧憬に似たものをもっていました。自分には不可能と信じつつ・・・、それを充分に覚悟していながら、それでも、最後の宣告を受けた時は苦しうございました。

だが、ある大きな使命・・・、それは愛する同胞が、過去、幾千年の間に残しつつ絶えた文芸を書き残すことです。もだえもだえ苦しみ、苦しんだあげく私は、すべての目前の愛欲、小さなものをすべてなげうって、神の前にご両親さまにそむき、すべての人にそむいた罪の深い娘である幸恵は、かくして生まれ変わろうと存じます。

何とぞ、お父さまもお母さまも、過去の幸恵をお許しくださいませ。おひざもとへ帰ります。一生を登別でくらしたいと存じます。 (中略)

いま、私は平和な感謝の気持ちに満たされて、誰でもすべての人を愛したいような気が致します。何とぞご両親さま、おからだを大切にあそばしてくださいませ。

さようなら 幸恵より』

ところで、アイヌ文化とは、アイヌ13世紀ころから現代に至る歴史の中で生み出してきた文化である。現在、アイヌは同化政策の影響もあり、日常生活で表面的に和人と大きく変わらない。アイヌを一番特徴づけているアイヌ語を流ちょうに、しかも日常的に話せる人はいない。もちろん、北海道にはアイヌの精神性を持つ人はたくさんいるが、アイヌ民族はいないのである。

アイヌのアイデンティティーをもつ人がアイヌ語を学び、流暢に話せるようになるというのが、今日的なアイヌ文化振興の成果で、そうしたことに対する評価もしっかりとしていく必要があろう。

しかし、アイヌであることを隠す人達もいる中で、アイヌとしての精神性はその血筋の人々の間で少なからず継承されている。特に、2020年にオープンした国立アイヌ民族博物館“ウポポイ(民族象徴共生空間)により、アイヌ文化が見直されてきている。

ただアイヌ文化の伝承者が少なくなり、アイヌ語伝統工芸などが存立危機に直面しているほか、アイヌの歴史や文化について幅広い理解が進んでいないという基本的な課題も存在しているのが現状である。なお、作家の司馬遼太郎氏に言わせると、日本人は縄文人であるから、エミシ(アイヌ)の血が大なり小なり流れているそうである。

「十勝の活性化を考える会」会員


個人情報保護法とは・・・

2022-09-09 05:00:00 | 投稿

コロナ禍が教えてくれたもの”に、人とのつながりや命の大切さなどがある。それが、ソーシャルディスなどでいま失われようとしている。その原因は、①価値観の多様化、②個人主義化、③人間関係の希薄化などであろう。

上記のことは、いずれも現代人の持つ自由に関係している。人間の自由というものは、“公共 ”というものが前にあって、そのあとに自由がくると思っていた。しかし、現代社会は自由が公共の前にあり、住みにくい社会ができつつあるようだ。

これに関連して、“個人情報保護法というものがある。個人情報保護法とは、何だろうといつも考えている。というのは最近、何かあれば「それは個人情報ですから言えません」とか、「それは個人情報に抵触します」と言われるからである。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスが「悪法も法なり」といったが、この悪法ともいえる個人情報保護法を、何とかならないものだろうか。ただ、法律だから遵守する必要があるが、個人情報保護法を悪用して、個人攻撃をする輩もいる。“ヘイトスピーチ”などは、その最たるものであろう。

個人情報保護法との関連で憲法は、「そもそも国政は、国民の厳正な信託によるものであって、その権利は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福祉は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。」と述べている。

私が最も心配しているのは、個人情報を保護することは良いことだが、いま進んでいる人間同士の分断である。個人情報の保護が人間同士の分断を生み、社会が崩壊し町内会の加入率低下などに繋がっていなければ良いと思っている。

町内会の意義は、そもそもお互い住人が助け合うのが目的で、「この町内会を住みよい所にしよう」という一人一人の願いにある。町内会の加入率を上げることも確かに重要であるが、それ以上に自分の住む町を住みやすい街にしようという意欲を住民に沸き起こすことが必要だと思われる。

その意欲であるが、お互いの考え方にも違いがあり全ての住人に入会してもらうことには無理があろう。なお、私の属している町内会は18世帯の9割の加入率であり、町内会の会長は女性で、きめ細かくて風とおしが良いので参考にしてほしい。

コロナ禍のソーシャルディスタンスで人との距離が遠くなっているが、共産主義国家の中国では、新コロナウイルス陽性者の情報公開は、次のように行われている。

どこの病院に入院していたか

どこに住んでいるか 

どこの会社で働いているか               

罹患するまでに、どんな行動をとったか

以上のとおりコロナ対策でも、中国は個人よりも国家が優先し、有無を言わせず「個人情報」を公表する。日本は自由主義国家で基本的人権や個人主義が浸透しているから、このような違いになるのだろう。人間にとって権利と義務をはき違えると、とんでもない住みにくい社会ができるので、日本の未来を作っていく子供たちにそのことを教えることも、大人の責任だと思っている。

ところで、「個人情報保護」という言葉が一人歩きし、個人情報を保護する側面のみが強調されやすい傾向にある。そのため、個人情報の利用に対しては神経質になり過ぎ、組織内でのスムーズな業務を妨げてしまうことが少なくない。

私の利用している機能回復型デイサービスのような有益な事業活動を行なっている施設では、個人情報保護は「保護するもの」であると同時に「活用するもの」という視点を持つことも重要である。なぜなら、克服できる障害も情報交換ができないために克服できない可能性があるからである。

なお、憲法12条には、「不断の努力」と「公共の福祉」のことが書かれている。「不断の努力」は、基本的人権があるといっても不断の努力により保持しなければならないのである。「公共の福祉」では、他人の人権を犯してまで自分の人権を主張することは許されていないのである。

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「人間通」

2022-09-08 05:00:00 | 投稿

 

私の「音読テキスト」の中から、最近の日本の政治家の資質と対比してなる程と思った話のひとつです。原本は新潮選書の「人間通」谷沢永一(文芸評論家)著です。

『現代及び近未来の主要(きー)人物(ぱーそん)は、特技の人である必要はない。極言するなら、人間の器量としては凡人でもよいのだ。世に尽くす誠意と熱情があれば、それで十分である。

誠意と熱情ならあながち天賦の才はなくとも心を傾け、身を務める心働きによって誰でも達すること可能である。組織の要となり世の礎となりうるための必要条件は、ただひとつ言える。それは他人の心がわかることである。ただそれだけである。 

勿論文明の発生をみてよりこのかた数千年、他人の気持ちがわかることは指導者に必須の条件であった。その資格を最も十分に満たしていたのは、我が国の武家政権であったかも知れない。

 それに較べて現代社会では、他人の気を察ねることはなはだ疎かである。世を挙げての無関心時代となっている。日本人は、今や心淋しい時代を生きているのである。』

 すでに故人となった著者の評論ですが、日本の政治家に対する日本人の期待が、清濁併せ呑めて、よろしくことを運ぶという点では、今も以前も変わっていないのでしょうか・・・。

新型コロナ禍は世界中の大問題となりました、世界各国の首脳がどのように国民を説得、納得させて、それぞれの対策を進めたかが判ります。ドイツのメルケル氏の高評価の演説と、日本の首相の演説の評価の違いを思い考えました。

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台風11号の進路

2022-09-07 05:00:00 | 投稿

 

台風11号はいま小笠原諸島にあり、920ミリバール並みに発達するそうである。風速は毎秒70mだから、新幹線並みの速さである。気象庁では、かってない暴風雨になる予想で警戒を促している。

これも地球温暖化が影響しているらしいが、今後、これが常態化すると勝手に思っている。それぐらい、地球温暖化が進んでいるのである。だから、日本はウクライナ戦争などとは言っていられないのである。あと3~4日もすれば、被害の実態が明らかになっていると思われるが、徒労に終わればいいと願っている。

しかし、この地球温暖化は長期的に見れば確実に増えてきており、この北海道でも、台風が上陸するとか、5月に気温が39度になるとか、梅雨がなかった北海道であるが、エゾ梅雨というものがあるようになったのである。私は学者ではないが、“世も末”と思わざるを得ない。

「十勝の活性化を考える会」会員

注)異常気象

(出典:気象庁ホームぺージより)