私は週1回、機能回復型デイサービスを利用している。そのデイサービスの介護士が、次のように言った。
「脳の自然治癒力には限りがない」と。私は、ハットした。何故かというと10年前に脳出血を患い長期間にわたって頭の一部がしびれていたが、それが最近、治っているのに気づいたからである。
私は、認知症のO専門病院にも通院している。その医師に、「あなたは認知症ではなく高次脳機能障害です。」と言われた。高次脳機能障害とは、けがや病気によって脳に損傷を負い、知的機能に障害が出て日常生活や社会生活に支障をきたす状態を指す。最近、認知症の方も少し治ってきているようなので、高次脳機能障害だったかも知れない。
知人は私と同じように17年前の50歳の時、脳出血を罹患した。彼は言語障害と右片麻痺の後遺症があり杖を突いているが、見事に障害からの克服を果たしている。
多くの人は中途障害を抱えると、自分が知らぬ間に「社会的弱者」と思うようになり、人間にとって最も避けたい存在意義を失う。その方は、水中映像で麻痺している下肢がしっかり動いている自分の姿を見て、それまで「動かない」と思い込んでいたことにハッとしたそうだ。
私も脳出血を患い、介護3で車イスを使っていた。6年前に入会した総会では一生懸命に自己紹介したつもりであるが、H会員に聞くと何を話しているか分からなかったという。現在、右半身が不自由で歩く時に少しふらつくが、普通の生活をしている。だから、障害を克服するには、けして“諦めない”ことである。
老婆心ながらいうが、経験しなければ分からないことはたくさんあるので、経験することは大切であると思っている。歳をとるということは、それだけ多く経験を積んでいるということだろう。 “百聞は一見に如かず”という諺があるが、私が現場に赴き現物をとって現実を知るという“現場主義”を重視しているのはそのためである。
私は71歳の老人であるが、認知症にしても物忘れにしても忘れるということには違いがない。歳をとると脳細胞が死んでいくから忘れても仕方ないので、認知症になることは恥ずかしいことではないのである。
「十勝の活性化を考える会」会員