“コロナ禍が教えてくれたもの”に、人とのつながりや命の大切さなどがある。それが、ソーシャルディスなどでいま失われようとしている。その原因は、①価値観の多様化、②個人主義化、③人間関係の希薄化などであろう。
上記のことは、いずれも現代人の持つ自由に関係している。人間の自由というものは、“公共 ”というものが前にあって、そのあとに自由がくると思っていた。しかし、現代社会は自由が公共の前にあり、住みにくい社会ができつつあるようだ。
これに関連して、“個人情報保護法”というものがある。個人情報保護法とは、何だろうといつも考えている。というのは最近、何かあれば「それは個人情報ですから言えません」とか、「それは個人情報に抵触します」と言われるからである。
古代ギリシャの哲学者ソクラテスが「悪法も法なり」といったが、この悪法ともいえる個人情報保護法を、何とかならないものだろうか。ただ、法律だから遵守する必要があるが、個人情報保護法を悪用して、個人攻撃をする輩もいる。“ヘイトスピーチ”などは、その最たるものであろう。
個人情報保護法との関連で憲法は、「そもそも国政は、国民の厳正な信託によるものであって、その権利は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福祉は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基づくものである。」と述べている。
私が最も心配しているのは、個人情報を保護することは良いことだが、いま進んでいる人間同士の分断である。個人情報の保護が人間同士の分断を生み、社会が崩壊し町内会の加入率低下などに繋がっていなければ良いと思っている。
町内会の意義は、そもそもお互い住人が助け合うのが目的で、「この町内会を住みよい所にしよう」という一人一人の願いにある。町内会の加入率を上げることも確かに重要であるが、それ以上に自分の住む町を住みやすい街にしようという意欲を住民に沸き起こすことが必要だと思われる。
その意欲であるが、お互いの考え方にも違いがあり全ての住人に入会してもらうことには無理があろう。なお、私の属している町内会は18世帯の9割の加入率であり、町内会の会長は女性で、きめ細かくて風とおしが良いので参考にしてほしい。
コロナ禍のソーシャルディスタンスで人との距離が遠くなっているが、共産主義国家の中国では、新コロナウイルス陽性者の情報公開は、次のように行われている。
①どこの病院に入院していたか
②どこに住んでいるか
③どこの会社で働いているか
④罹患するまでに、どんな行動をとったか
以上のとおりコロナ対策でも、中国は個人よりも国家が優先し、有無を言わせず「個人情報」を公表する。日本は自由主義国家で基本的人権や個人主義が浸透しているから、このような違いになるのだろう。人間にとって権利と義務をはき違えると、とんでもない住みにくい社会ができるので、日本の未来を作っていく子供たちにそのことを教えることも、大人の責任だと思っている。
ところで、「個人情報保護」という言葉が一人歩きし、個人情報を保護する側面のみが強調されやすい傾向にある。そのため、個人情報の利用に対しては神経質になり過ぎ、組織内でのスムーズな業務を妨げてしまうことが少なくない。
私の利用している機能回復型デイサービスのような有益な事業活動を行なっている施設では、個人情報保護は「保護するもの」であると同時に「活用するもの」という視点を持つことも重要である。なぜなら、克服できる障害も情報交換ができないために克服できない可能性があるからである。
なお、憲法12条には、「不断の努力」と「公共の福祉」のことが書かれている。「不断の努力」は、基本的人権があるといっても不断の努力により保持しなければならないのである。「公共の福祉」では、他人の人権を犯してまで自分の人権を主張することは許されていないのである。
「十勝の活性化を考える会」会員