私は年齢71歳で、“老化”が進んでいる。45歳まで空手をやっていたので体には自信があったが、先日、道路でつまずいて転んで手から血が出た。その時は何でもないと思っていたが、次の日からあばら骨が痛み出したので、胸を打ったからであろう。
私には今まで痛むところはなかったが、69歳の妻に尋ねると体中が痛いという。そのために、食後の皿洗いは自分がするようにしている。私もそのうちに体中に痛いところが出てくるだろうが、老化というものは新陳代謝が不活発になり細胞が死んでいくことである。老化が進まないと、いつまでも長生きして若い人に迷惑をかけることが多くなるだろう。また、老人になれば誰でも忘れるようになることを自覚すべきで、私も71歳であるから前期高齢者の老人になっている。
ところで、 現代の姥捨て山とは、自ら進んでグループホームなどの老人施設に入ることである。なぜなら、老々介護が出来なくなると、入所するには簡単でお金で済むからである。世の中は、お金次第であるのである。ただ、アンケート調査によると8割の人が、自宅で人生を終わりにしたいそうである。
俳優であった樹木希林さんは生前、「死ぬときぐらい好きにさせてよ」、「人生なんて自分の思い描いた通りにならなくて当たり前」と語っていた。また、作家の瀬戸内寂聴さんは、「朝、家政婦が寂聴さんを見にいったら、ペンを持ちながら死んでいた」というような死に方をしたいと語っていたが、二人の話に共通していることは自分の死に方であろう。
みんな“ピンピンコロリ”と逝きたいが、残念ながらピンピンコロリと逝かないことが多い。私は10年前に脳出血で倒れて九死に一生を得て、いま再出発している。脳出血の後遺症が残るが、病気で得たことも多い。いま71歳になるが、命はひとつしかない無いので大切にしよう。
少子高齢化の時代なので、老々介護やヤングケアラーが増えてきており、私は子供や孫に迷惑を掛けず100歳まで生きようと思っているが、夫婦ともに自宅の階段は手すりを使わないと上り下りが出来なくなってきているので無理だろう。ただ、長生きすればそれで良いとは思わない。人それぞれに役割は違うが生きている以上、何か他人のために役割を果たすことが大切だと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員
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