農民一揆である「音幌農場争議」を、ご存じだろうか。この争議(小作人64戸)は1930年(昭和5)年2月に妥結し、補償金は同年5年2月25日に小作人に支払うことでおさまった。
音幌農場は南北で音更1号から9号まであり、東西では音更基線1号から東4号までの範囲であり、新たな地主の元で戦後の農地改革まで存在した。この争議には、十勝毎日新聞の初代社長である林豊州氏、十勝が生んだ俳句の天才である井浦徹人氏などが傍聴していたという。
首相兼音幌農場主であった斉藤実(さいとうまこと)は岩手県水沢藩の出身で、1936年(昭和11)に起こった二・二六事件で殺されたが、彼が殺されていなければ、もう少しまっとうな政治が行われていただろう。
ところで私は、様々な会に入会している。具体的には、十勝の大樹町生まれなので「帯広大樹会」、障害者なので、「帯広身体者協会」や「脳外傷友の会」、「新俳句人の会」、「十勝文化会議」などである。
これらの会が、消滅市町村ではないが会員減少に直面している。会員の高齢化により様々な“会”が減っているのである。それが、コロナ禍の活動停止で一層増加している。その原因は、価値観の多様化、個人主義化、人間関係の希薄化などもあろう。
2年前に退会したが、「ゴミ処理場を考える会」では十勝に約400億円を費やして1個所に集約するゴミ処理場を建設する予定であったが、その会はいまどのような活動を行なっているのだろう。
十勝は岐阜県と同じ広さで、岐阜県に長く住んでいた者としては、リスク分散の意味から1個所の建設には疑問視せざるを得ない。異常気象の影響から大災害が起こる可能性があるからで、ゴミ処理場を分散して建設してもらいたいと思っている。
日本の政治と同じように、1個所の建設には賄賂や忖度があると思わざるを得ない。どんな会にも目的があり、志を同じくする者同士が組織化されたもので、会が減少していくということは、ある意味で社会の崩壊が進んでいることを意味している。なお、私が「ゴミ処理場を考える会」を退会した理由は、日本の政治と同じように「金」が「会」を動かしているからである。
何でもそうであるが、「お金」は沸いてこない。だから、残念ながら「金」がなければ日本の国は良くはならないので、お金をどのように使うかだと思っている。
世界経済は、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻などで大変なことになっているが、地球温暖化はもっと大変な事態である。我々のような一市民は、地球温暖化の抑止に向けて燃えるゴミを少なくするとか、自家用車を使わずにバスや自転車を利用することしか出来ないのである。
自然災害が頻発する昨今、事前に予報することが重要になっているが、“天災は忘れたころにやってくる“のである。
「十勝の活性化を考える会」会員
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