日本列島に人が住み始めたのは、約3万5千年前の旧石器時代以降と言われています。
日本列島には、最後の氷河期の最寒冷期にシベリアからマンモスハンターと呼ばれる人々が、また、氷河期末期の気候温暖化とともに東南アジア方面から黒潮の民と呼ばれる人々等が、日本列島に辿り着き、列島内で長い時間をかけて交流を重ねることで、やがて豊かで独自の狩猟採集の縄文文化を形成しました。
そうした縄文文化の担い手が、日本人の原型とも言える “縄文人”と呼ばれる人々です。
その後、約2千数百年前以降、大陸から水田稲作農法を携えた人々が、大陸の混乱等を背景に幾度となく九州を中心に渡来し、やがて列島各地に水田稲作農法の弥生文化を広めていきました。そうした弥生文化の担い手は、先住の縄文人に対して“渡来系弥生人”と呼ばれ、現代日本人の形成に大きな影響を与えました。
渡来系弥生人は、先住系縄文人と争うこともありましたが、多くの場合は平和的に縄文人と混血を繰り返しながら、東へ北へと列島内を拡散していきました。縄文人と弥生人の混血度合で言えば、遺伝子的には西日本では弥生系の度合が高く、東日本ではそれより低くなる傾向が見られます。
そうした中で、日本列島でも水田稲作に不向きな北海道と琉球列島には弥生文化がほとんど浸透せず、後々まで縄文系の文化の影響が色濃く残り、遺伝子的にも縄文人の遺伝子が、日本列島の他の地域に較べて色濃く残りました。
アイヌと呼ばれる人々は、そうした縄文人系の人々の遺伝子をより濃く引き継いだ人々の末裔です。つまり、アイヌと呼ばれている人々も、江戸時代に和人と呼ばれた狭義の日本人も、生物学的意味での人種は同じモンゴロイドで、アイヌも和人もルーツは同じであり、広義の日本人であることに変わらないと言うことです。
両者に差を見つけるとすれば、一つは、先住系縄文人と渡来系弥生人の混血度合の差であり、もう一つは、水田稲作をベースとした農耕文化と縄文系の狩猟採集文化の中で、どちらを選択したかという文化の差に過ぎないと言うことです。
つまり、縄文系の狩猟採集の生活・習慣・文化を最後まで守った人々が、アイヌと呼ばれる人々と言えます。私たちがこうした事実を正しく理解することが、アイヌと呼ばれる人々に対する差別解消の第一歩になるのではと思います。
東京都多摩市在住 「十勝の活性化を考える会」会員
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