十勝の活性化を考える会

     
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「アイヌ文化の基礎知識」の本

2019-12-18 05:00:00 | 投稿

先日、児島恭子著「アイヌ文化の基礎知識」の本に、以下の興味深いことが書かれていた。

 

<「蝦夷」アイヌ説と非アイヌ説>
 『「蝦夷」という語は、元来、中国の歴史の中で漢族以外の野蛮人をさす蔑称であったが、古代日本ではヤマト政権が、東北地方のヤマトに屈伏しない人々をこの語(えみし)でよんだ。のちには北海道の地を蝦夷島(えぞがしま)とか蝦夷地とよんでいる。

 

古代の歴史書に出てくる「蝦夷」がアイヌと同じであるかどうかという問題は、江戸時代の新井白石や本居宣長等の説いらい、明治になると人類学者や考古学者などにより論争されてきた。小金井良精や鳥居龍蔵は石器時代人アイヌ説、坪井正五郎は石器時代人コロボックル(アイヌ神話のなかの人物)説を唱えた。

 

つまり日本列島の先住民であるはずの石器時代人をアイヌと想定していたのである。その後、これらの説は批判され、アイヌ民族の由来は、相変わらず不明とされた。

考古学からの説明も。古代東北の文化は弥生時代にすでに農耕文化が成立していたという発掘の成果もあり、さらに金田一京助や山田秀三による東北地方におけるアイヌ語地名の研究もあり、「蝦夷」とアイヌの関係はいまだすっきり解明されていない。

 

要するに、蝦夷アイヌ説は、「蝦夷」が北海道のアイヌ文化に、蝦夷非アイヌ説では日本(ヤマト)文化につながる面を強調していることになろう。』

 

縄文人は日本人としての始まりであり、あとから来た弥生人との混血を繰り返しながら北方と南方に分かれたという。北方は「エミシ族」であり、南方は「琉球民族」と言われている。私が日本人のルーツについて無知であったことは、恥ずべきことのひとつであった。

 

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注) アイヌ

アイヌは、北海道を主な居住圏とする先住民であり、少数民族である。独自の文化を有する。かつては北海道のみならず、北は概ね北緯50度線付近より南の樺太、東は千島列島全域、南は本州北端にまたがる地域に居住していた。母語アイヌ語で、縄文人の遺伝子を色濃く受け継ぐ民族とされている。

アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。生業から得られる毛皮海産物などをもって、和人からはなどの食料漆器木綿鉄器などを入手。黒竜江下流域や沿海州との山丹交易を仲介したほか、カムチャツカ半島南部の地域と交易を行い、永くオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。

19世紀に列強の国々が領土拡張するにあたり、多くの先住民族が編入されたが、19世紀中頃にはアイヌも同様の運命をたどった。 1855年2月7日安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約により、当時の国際法の下、一部がロシア国民とされた。現在、日本とロシアに居住し、日本国内では北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。

 

アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。世界の民族集団でこのような視点から「人間」をとらえ、それが後に民族名称になっていることはめずらしいことではない。これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、大和民族和人)とアイヌとの交易量が増加した17世紀末から18世紀初めにかけての時期とされている。

( 出典:『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)

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