令和2年9月19日、民放テレビ“スッキリ”で、菅政権のことについて放映していた。その中で政治ジャーナリスト 田崎史郎氏が、菅内閣のことを「仕事人内閣」といっていた。
菅政権の公約のひとつに、「縦割り110番」がある。縦割り110番とは、縦割りの弊害をなくすために無駄な規制、仕事を妨げている規制、役所の縦割りで困っていること等々、規制に関する情報を受け付けるものとなっている。
またそのテレビでは菅首相のことを、 ①思い込みが激しい人、②大学時代に空手をやっており体力に自信がある人とも言っていたが、思い込みが激しいところなどは自分に似ているので親近感があった。
菅首相は秋田県出身であるから、「地方」というのは独特の存在だと思う。地方は、自分が住み続ける土地ではなく、遠くにあるからこそ思いが募る場所ともいえる。金沢市出身である室生犀星の初期の抒情詩集に、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と書いているが、知人も地方に移住して地方の良さが分かったという。
地方人は、その良さに意外と気づいていない人が多いのでないだろうか。自分は全国各地を転々としたので、地方の良さを分かっているつもりである。いろいろな事情で住む場所が決まると思うが、人はどこに住んでも“住めば都”である。
大切なことは、隣の住人が嫌いになって引っ越す人もいるので、その場所に住む人たちと仲良く暮らすことである。初めての場所に行くと知らないことだらけであり、地方の人は、その知らないことを喜んで都会人に教えてくれるはずだ。地方人と都会人の違いは、そのところにあると思っている。
その理由は、人が少ないことが理由のひとつであるが、地方人はとにかく人なつこく口べたである。逆に都会人は、話じょうずの人が多いように感じるが、人が多いので洗練されたのであろう。
菅政権に話を戻そう。菅政権はいつまで持つか分からないが、“スカ”政権に終わらなければと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会長
注) 室生犀星
室生 犀星は、日本の詩人・小説家。別号に「魚眠洞」、「魚生」、「殘花」、「照文」。石川県金沢市生まれ。
1889年(明治22年)、金沢市裏千日町に生まれる。加賀藩の足軽頭だった小畠家の小畠弥左衛門吉種とその女中であるハルという名の女性の間に私生児として生まれた。生後まもなく、生家近くの雨宝院(真言宗寺院)住職だった室生真乗の内縁の妻赤井ハツに引き取られ、ハツの私生児として照道の名で戸籍に登録された。
住職の室生家に養子として入ったのは7歳のときであり、この際室生照道を名乗ることになった。私生児として生まれ、実の両親の顔を見ることもなく、生まれてすぐに養子に出されたことは犀星の生い立ちと文学に深い影響を与えた。