先日、あるサークルのイベントに参加してきた。当日のテーマは、学習発表会であった。世話人の人が、この発表に関して、後日、以下のことを語っていた。
「グループごとの発表にあたり、所属しているメンバーの名前や写真を用紙に載せることに際して、意義をとなえる人が増えてきている」とのことです。
私は憲法学者ではないので、この意義に関して云々しようと思っていない。ただ、憲法12条にも書いているように、自由や権利には必ず責任が伴うということである。そして、この憲法12条を守るためには、不断の努力が必要なのだ。
ある時、米軍基地に関して、沖縄に住んでいる老人女性の言葉が忘れられない。「わしゃは、憲法や法律のような難しいことは分からない。しかし、道理は分かっているつもりだ」と。私は、憲法や法律は道理が明文化されたものだと思っている。
「十勝の活性化を考える会」会員
注) 憲法12条
日本国憲法 第12条は、日本国憲法の第3章にある条文で、自由権及び人権を保持する義務、その濫用の禁止について規定し、第11条・第13条とともに、人権保障の基本原則を定めている。
第十二条
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
【解説】
人権の歴史的演繹から導かれるその性格及び保持に必要な国民の責務をうたう。国民の倫理的指針を示したものである。
「権利や自由は主張し行使しなければ取り消される」のであり、よって国民自ら政府から防衛しなければならず、かつ行使する場合は公共の福祉、つまり自分も含めた第三者の利益に適うべきと定めた規定。
「公共の福祉」の意味については争いがある(詳しくは公共の福祉の記事参照)。当初は人権の外にある社会全体の利益を指すと考えられていたが(一元的外在制約説)、この解釈に基づくならば公共の福祉を理由としていかなる人権をも制約することが可能になってしまうため、「人権相互の矛盾を調整するために認められる実質的衡平の原理」として考えられるようになった(一元的内在制約説)。
しかし、人権相互の調整原理に限定するのは狭きに失するとの長谷部恭男らによる批判を受け、現在二重の基準説によって 精神的自由(政治的自由を含む)は内在制約的解釈で政府の介入を認めず 経済的自由は、「公共の福祉」に国家的利益や社会的利益を含めて解釈する傾向にある。
(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋)
注) 道理
1. 物事の正しいすじみち。また、人として行うべき正しい道。ことわり。
「道理をわきまえる」「道理に外れた行為」
2.すじが通っていること。正論であること。また、そのさま。
「言われてみれば、道理な話」
(出典:小学館デジタル大辞泉)