最初にお願いです。
今回は、おやじのぐちだらけです。ぐちを見たくない方はスルーしてください。
姉は昨年暮れあたりから、ほとんど母の介護を手伝ってくれなくなりました。
姉には姉の事情があり、これまでは嫁ぎ先の実家に残る義母さんの様子をみるという口実のもと、母の介護を手伝ってくれていました。
それが、義母さんが亡くなってからは、自営で働く旦那さんの手前、これまでのように帰省できなくなりました。
それは、予想された事態ではあったのですが、月に1度くらいは手伝ってくれると思っていました。
それがここ2ヶ月で日帰りが1回。
自営だから確定申告で忙しいのはわかるのですが、電話で済むようなこともσ(-_-;)に依頼してきます。
しかも、「あー言え、こー言え」「あー言われたら、こー言え」ととても電話では覚えきれない細かい指示を
σ(-_-;)仕事中に受けた携帯電話に指示してきます。
たまらず、「ケース毎の対処がそんなにあるなら、姉貴から電話してくれん?」と依頼すると
「わかりましたっ!!」と強い口調で電話を切られました。
そんな言い方をせんでもいいのにと思ったものです。
その日の夜、姉から電話がありました。
姉「電話の件やけど、今日絶対に電話しなくてはいけないわけではないと思ったから、電話しとらん」
私「わかった」
姉も忙しいし、とやかく言いませんでした。
そして、本日土曜。
先週、姉が見つけてくれた母の足の異常。
まずはかかりつけ医に診てもらうことにしていました。
母には前日夜から、明日は病院に行くと何度もいっておいたのですが。
そして、かかりつけ医では専門が違うから、別の病院へ行く時間を残したいから、朝一番で行きたい旨を伝えていたのですが。
朝起きて、7時に起こして仕度をさせていました。
が、行きたくないだのグズグズ言ってます。
そして、寒くなったと言っては、こたつに入って一時休憩です。
ズボンを勧めましたが、普段着しかないといいます。どれも大して変わらないと思うのですが。
「じゃあ、スカートでいいよ」と言ったら、いつもの外出着をもたもた着て、くつしたを探し始めたところでトイレに行きました。
帰ってきたら、寒くなったとこたつに入り「どこに行くんだっけ?」となります。
説明すると、ズボンがいいねぇと言い出し、普段着しかないといいます。
まさに、「ふりだしに戻る」です。
「や、それでスカートに決めて、くつしたを探しているときにトイレに行った」と説明したら、
服を着替え始めました。
先ほど選んだ服とは違う服にしたい気分に変わったらしく、着替えたらまた寒くなって、こたつに入ります。
こたつで暖まったら、「どこに行くんやったかね」
説明し、服を着替えたところまで済んで、次は靴下を探すところと言うと、やっと靴下を探し始めました。
で、しぶしぶ決めて履き始めたのが、パンティストッキングです。
私「や、パンティストッキングだと、足の色とかわからんから、先生の前で脱ぐのがたいへんでしょ」というと
母「先生に足を診てもらうの?なんで?」
それも、昨晩から何度も説明した話です。
短期記憶力がないと全てこの調子です。しかし、判断力はあるので、ひとつひとつの情報からは、的確な対応を選択します。
まさに「もぐらたたき」そっくりです。もぐらが出なくなるまでたたき続けないといけませんが、いつ出なくなるのか見当もつきません。
もぐらが出たまま、連れて行こうとしました。
私「や、もういいから、とにかく先生のところに行こう」
母「いや、なんで足をあの先生に診てもらわないといけないの? もう、いくのやめた」
朝起きてから既に3時間。化粧が済んで、服を選び始めてから2時間経過しました。
遂にσ(-_-;)爆発してしまいました。
「だったら、引きずっても連れて行く」と宣言し、こたつにふんぞりかえる母のえりもとを掴み、こたつからひきずりだしました。
母「あんた、親になんてことするの! あんたと一緒に暮らしたくない! 死にたい!」と泣き出しました。
こちらも泣きたい気分です。前日の姉の対応にも頭にきていましたから、すぐ姉に電話をし、修羅場の音声を聞かせました。
で、ここは姉に任すと伝え、家の固定電話で母と話すよう依頼しました。
姉が電話で母と話し始めたのを確認してから、σ(-_-;)は車で家を出ました。
ひざぐらいまでの靴下を買いにいくためです。途中、姉から電話があり、くつしたの購入の指示がありました。
3店目でやっとみつかりました。100円ショップです。
ストッキングタイプとハイソックスタイプと買いました。
短期記憶がないから、先の喧嘩の記憶もないだろうと予想したら、そのとおりでした。
母はハイソックスタイプを選び、病院は予定より2時間半遅れの11時半となりました。
ラッキーだったのは、連休前の混雑が予想されてたのですが、ほとんど待たずに診察を受けられました。
予想通り、内科の先生は専門外とのことで、皮膚科の病院を紹介してくれました。
電話をすると12時半までの受付とのこと。
いつもの内科の処方箋をもらいました。薬を依頼してから、皮膚科に向かえば効率的だったのですが、薬局も12時半まで。
万一、皮膚科から12時半までに戻ってこられないと薬局に迷惑がかかるので、先に皮膚科に向かいました。
皮膚科に12時前に着いて、セーフ。すぐに内科の薬局に戻って、薬を依頼し、舞っている間、皮膚科に電話。
短期記憶力がないので、診察時は同伴したい旨伝えました。
薬を受け取り、皮膚科に戻ると、電話したにもかかわらず、丁度診察直前の状態でした。
「ひだこ」という低温やけどの手前の状態という意外な診断で、むくみ、腫れもこたつが原因で起こったということでした。
皮膚科ではそういう診察になるのも仕方ないと思いました。
正しい診断かは判りませんが、腫れは先週より引いているので様子をみることにしました。
乾燥肌で保湿クリームを出してくれましたが、実はお風呂に入らないので落ちる垢を乾燥した皮膚と思ったようでした。
それぞれの処方箋はそれぞれの近くにある薬局に出して薬をもらいました。
以前、病院の横にある薬局とは違うところに処方箋をだしたら、その薬はないと断られたためです。
とりあえず、予定の作業は完了し、σ(^^)のいきつけのうどん屋さんで、親子でうどんを食べて帰ったのでした。
おしまい。
今回は、おやじのぐちだらけです。ぐちを見たくない方はスルーしてください。
姉は昨年暮れあたりから、ほとんど母の介護を手伝ってくれなくなりました。
姉には姉の事情があり、これまでは嫁ぎ先の実家に残る義母さんの様子をみるという口実のもと、母の介護を手伝ってくれていました。
それが、義母さんが亡くなってからは、自営で働く旦那さんの手前、これまでのように帰省できなくなりました。
それは、予想された事態ではあったのですが、月に1度くらいは手伝ってくれると思っていました。
それがここ2ヶ月で日帰りが1回。
自営だから確定申告で忙しいのはわかるのですが、電話で済むようなこともσ(-_-;)に依頼してきます。
しかも、「あー言え、こー言え」「あー言われたら、こー言え」ととても電話では覚えきれない細かい指示を
σ(-_-;)仕事中に受けた携帯電話に指示してきます。
たまらず、「ケース毎の対処がそんなにあるなら、姉貴から電話してくれん?」と依頼すると
「わかりましたっ!!」と強い口調で電話を切られました。
そんな言い方をせんでもいいのにと思ったものです。
その日の夜、姉から電話がありました。
姉「電話の件やけど、今日絶対に電話しなくてはいけないわけではないと思ったから、電話しとらん」
私「わかった」
姉も忙しいし、とやかく言いませんでした。
そして、本日土曜。
先週、姉が見つけてくれた母の足の異常。
まずはかかりつけ医に診てもらうことにしていました。
母には前日夜から、明日は病院に行くと何度もいっておいたのですが。
そして、かかりつけ医では専門が違うから、別の病院へ行く時間を残したいから、朝一番で行きたい旨を伝えていたのですが。
朝起きて、7時に起こして仕度をさせていました。
が、行きたくないだのグズグズ言ってます。
そして、寒くなったと言っては、こたつに入って一時休憩です。
ズボンを勧めましたが、普段着しかないといいます。どれも大して変わらないと思うのですが。
「じゃあ、スカートでいいよ」と言ったら、いつもの外出着をもたもた着て、くつしたを探し始めたところでトイレに行きました。
帰ってきたら、寒くなったとこたつに入り「どこに行くんだっけ?」となります。
説明すると、ズボンがいいねぇと言い出し、普段着しかないといいます。
まさに、「ふりだしに戻る」です。
「や、それでスカートに決めて、くつしたを探しているときにトイレに行った」と説明したら、
服を着替え始めました。
先ほど選んだ服とは違う服にしたい気分に変わったらしく、着替えたらまた寒くなって、こたつに入ります。
こたつで暖まったら、「どこに行くんやったかね」
説明し、服を着替えたところまで済んで、次は靴下を探すところと言うと、やっと靴下を探し始めました。
で、しぶしぶ決めて履き始めたのが、パンティストッキングです。
私「や、パンティストッキングだと、足の色とかわからんから、先生の前で脱ぐのがたいへんでしょ」というと
母「先生に足を診てもらうの?なんで?」
それも、昨晩から何度も説明した話です。
短期記憶力がないと全てこの調子です。しかし、判断力はあるので、ひとつひとつの情報からは、的確な対応を選択します。
まさに「もぐらたたき」そっくりです。もぐらが出なくなるまでたたき続けないといけませんが、いつ出なくなるのか見当もつきません。
もぐらが出たまま、連れて行こうとしました。
私「や、もういいから、とにかく先生のところに行こう」
母「いや、なんで足をあの先生に診てもらわないといけないの? もう、いくのやめた」
朝起きてから既に3時間。化粧が済んで、服を選び始めてから2時間経過しました。
遂にσ(-_-;)爆発してしまいました。
「だったら、引きずっても連れて行く」と宣言し、こたつにふんぞりかえる母のえりもとを掴み、こたつからひきずりだしました。
母「あんた、親になんてことするの! あんたと一緒に暮らしたくない! 死にたい!」と泣き出しました。
こちらも泣きたい気分です。前日の姉の対応にも頭にきていましたから、すぐ姉に電話をし、修羅場の音声を聞かせました。
で、ここは姉に任すと伝え、家の固定電話で母と話すよう依頼しました。
姉が電話で母と話し始めたのを確認してから、σ(-_-;)は車で家を出ました。
ひざぐらいまでの靴下を買いにいくためです。途中、姉から電話があり、くつしたの購入の指示がありました。
3店目でやっとみつかりました。100円ショップです。
ストッキングタイプとハイソックスタイプと買いました。
短期記憶がないから、先の喧嘩の記憶もないだろうと予想したら、そのとおりでした。
母はハイソックスタイプを選び、病院は予定より2時間半遅れの11時半となりました。
ラッキーだったのは、連休前の混雑が予想されてたのですが、ほとんど待たずに診察を受けられました。
予想通り、内科の先生は専門外とのことで、皮膚科の病院を紹介してくれました。
電話をすると12時半までの受付とのこと。
いつもの内科の処方箋をもらいました。薬を依頼してから、皮膚科に向かえば効率的だったのですが、薬局も12時半まで。
万一、皮膚科から12時半までに戻ってこられないと薬局に迷惑がかかるので、先に皮膚科に向かいました。
皮膚科に12時前に着いて、セーフ。すぐに内科の薬局に戻って、薬を依頼し、舞っている間、皮膚科に電話。
短期記憶力がないので、診察時は同伴したい旨伝えました。
薬を受け取り、皮膚科に戻ると、電話したにもかかわらず、丁度診察直前の状態でした。
「ひだこ」という低温やけどの手前の状態という意外な診断で、むくみ、腫れもこたつが原因で起こったということでした。
皮膚科ではそういう診察になるのも仕方ないと思いました。
正しい診断かは判りませんが、腫れは先週より引いているので様子をみることにしました。
乾燥肌で保湿クリームを出してくれましたが、実はお風呂に入らないので落ちる垢を乾燥した皮膚と思ったようでした。
それぞれの処方箋はそれぞれの近くにある薬局に出して薬をもらいました。
以前、病院の横にある薬局とは違うところに処方箋をだしたら、その薬はないと断られたためです。
とりあえず、予定の作業は完了し、σ(^^)のいきつけのうどん屋さんで、親子でうどんを食べて帰ったのでした。
おしまい。
ホント、ご苦労様だわ。
一人だから、参っちゃうよね。
でも、お母さんに記憶がなくて、良いこともあるんだと思いました。
下手に、病院の先生に
「息子に虐待された」なんて、言われたら、最悪です。
今、虐待も多いから、間に受けられちゃいますよね。
それにしても、介護は、忍耐と根気が要りますね。
お姉さんも事情があるんだろうけどね。
私も弟と二人の兄弟で、父も母も弟夫婦に任せっ切りだったから、複雑だわ。
図書館に行ったとき「最近返却された本コーナー」を
眺めていて見つけたものです。
長崎出身のフリーライターさんの、お母さんの介護の様子を漫画とエッセイにあらわした本です。
西日本新聞社発行
岡野雄一著 「ぺコロスの母に会いに行く」
わかる人には、わかります。
二昔前の部活の顧問じゃあるまいし、手をあげるわけにはいかないのですから、
そして これからどんどん良くなるなんていう夢のような事は 起こり得ないのですから、
どんどん愚痴っちゃってください。
そして どこかに 有効で合法的な 気晴らしの方法を見つけてください。
私も夫に愚痴っていますがおそらく聞いていません。
それでも母親のことは少し聞いてくれてると思いますが義父のこと、自分の父親なのに聞いていません。
母や義父は悪気はないけど自分のことをいつも構ってほしくて私に買い物など一度に言わずに頼まれたものを持っていくとまた今度はあれが必要だと必ず頼みます。一度に言ってよと母には言いますが義父には言えません。
認知症は母にも義父にも今のところありませんが兄はたまに来て母を認知症と言いますがそれは日々世話をしている私や兄より頻繁に会う夫がそうではないと確信しています。
物忘れはします。年だから。
私もいつも物を探しているから危ないちゃ危ないかな???
母は失語症の後遺症でどうしても孫や他の人の名前を呼ぶのにさっと出てこなくて間違ったりするので兄たちは孫の名前を違う名前で呼んだからおかしいんちゃうか?と言います。話せないと医師にはいわれたのが会話は普通にできます。言葉がパッと出てきにくいけどちゃんと通じております。
元旦に義父と母を呼んで兄夫婦に新年の挨拶をするために私の携帯から大阪にかけて話したのにそれから1週間以上たって新年の挨拶をしたいと母が大阪に電話したそうでそれも認知症じゃないかと言いますが忘れただけだと思います。
どこまでが認知症でそうじゃないのかはわかりませんが普段の会話で辻褄があわないことはないです。
ただ二人の親を見ている私のストレスは兄夫婦には絶対わかりません。それだけは自信があります。
皆さんは娘にみてもらっていて幸せだねと母にも私にも言います。
実際そうだと思います。
でも親がいなくなって初めて親の世話できてよかったなと思うのじゃないかなと思います。
長男のお嫁さんのお母さんが自分の親二人の看病と介護をして看取ったらしのですが私に孫は成長の楽しみがあるけど老人の介護は悪くなる一方だから辛かったと話していました。
去年数か月友人とランチもできずに母親の病気のことであたふたしていて年開けて4日の日に遠出してランチ行く約束を暮れからしていたら4日その日に肋骨のヒビで通院付添いして頭にきました。
母には「なぜ私の楽しみの邪魔するの?」とつっかりました。
母も大晦日に転んでわざとではないしわかってはいるけどいらっとしてしまいます。転んだ理由が娘宅に着ていく服選びをしていたのでどんなにうれしくて楽しみにしていたかと思ったらかわいそうになります。
大変だよね~と言われても実際に面倒みている人にしかわかりません。
お姉さんは嫁ぎ先への遠慮か何か事情があるのでしょう。
ここだけの話、義母が生きていたら絶対母を仙台には呼べなかったことだけは確かです。
皮膚科ね、私も今月初めに義父を皮膚科に連れていきました。
義父は自分が95歳でステッキなしで歩くし若いという自信があって待合室で自分の友人や軍隊の知り合いはすでに他界していて生きているのは自分くらいかなと私にいうので、恥ずかしいです。自分はいつも若く見られるという自信からそのような会話になります。
またほんと、若く見えるから仕方ない。
足は組んでいて若ぶっているし大体皮膚科にいくのにスーツなんですよ、セーターとかラフな格好じゃ先生に失礼だと思っているようです。
いくらラフな格好でとお願いしても迎えに行ったらスーツ。
義父のことはまだまだあります。
また私も愚痴りましょうか・・・・・今度ね。
>一人だから、参っちゃうよね。
コップに少しずつ水が溜まり、溢れてしまいました。
それで、コップの水がなくなるわけではなく、わずかな水でも溢れやすくなった感じです。
コップの水を一度全部捨ててしまうにはどうすればいいのかなぁ。
>「息子に虐待された」なんて、言われたら、最悪です。
あー、そんな可能性もありますね。
ショックなことは、結構覚えている傾向がありましたが、それすら最近は・・・
本人の怒りの感情は、症状を進めてしまうそうです。反省です。
>お姉さんも事情があるんだろうけどね。
そうなんです。
物理的ではなく、精神的な点で大きなものを背負っているのは知っているのですが、
それぞれが背負う荷物が相手が思うより重いと思っていそうです。
一度、頭の整理をしてみるつもりです。
>私も弟と二人の兄弟で、父も母も弟夫婦に任せっ切りだったから、複雑だわ。
弟さんは家業を継いだのでしたっけ?
夫婦に任せたのなら、弟さんは不満には思っていないでしょう。
とほ家の場合、物心ついた時から、家業では暮らしていけないから、就職して働けと言われてました。
父も働いていたし。でも、結局父が亡くなると、家業は引き継がざるを得なかった。
そこのよみが甘かったです。私が定年になるまえに母が家業を引き継ぐ力を無くしてました。
とほママがこちらで同居していない点が、姉は不満で。
それはそのとおりだと思いますし。
一区切りついたのですが、まだまだ道は長い・・・
>長崎出身のフリーライターさんの、お母さんの介護の様子を漫画とエッセイにあらわした本です。
>西日本新聞社発行
>岡野雄一著 「ぺコロスの母に会いに行く」
ご紹介いただき、ありがとうございます。
心が疲れたときに、本で癒してもらうって忘れてました。
忙しいって、心を亡くすって書くのは、そうなんだなぁって思います。
子3人を私大に進学できるように、金を稼いで使わない生活がここ何年も続き、かつ程度が進んでいますが、
その貧乏生活で、心のほうが貧乏になったというか、節約主義に傾いたというか・・・
心のためにお金を使いたいと思いました。
失礼ついでに、続きは帰宅してからにさせてください。(*^^*ゞ
いろいろ大変だったでしょう。
でもコメント返しできるようになってよかったです。
私の母(来月93歳)は弟夫婦が面倒みています(東北在住)
歩いて5~6分のところに姉が住んでいて
母を心配して出かけるらしいけど
やはり小姑として見られるらしく
どちらもいろいろ大変そうです。
弟夫婦に全面的に任せればよいと思うのだけど
遠くに離れていて勝手なことも言えないしね。
夫は一人っ子なのでそういう姉弟の煩わしさはないのですが、両親はとくに義父が元気なうちはいろいろあったけど、ちゃんと看取りましたよ。
家庭の事情もそれぞれなので一概にも言えないけど
大変なことは変わりないですよね。
私のブログも姉弟が見ているので、記事にコメント下さる時は、どうぞそれなりに心してお願いします(笑)
当事者はきっと大変ですよね。
どこかで発散できることを祈念で。
昨日できなかったことが今日できるようになる人間の成長は希望とか明るい未来とか、
生きていく原動力みたいなものですが、
昨日できていたことが今日はできなくなっている人間の衰えを目の当たりにして
どう気持ちをもっていけばいいのか、うろたえているといった感じです。
>そして どこかに 有効で合法的な 気晴らしの方法を見つけてください。
合法的・・・、ここ大事ですね(笑)。