ときの備忘録

美貌録、としたいところだがあまりに顰蹙をかいそうなので、物忘れがひどくなってきた現状にあわせてこのタイトル。

お手並み、拝見。

2004-11-19 | 砂時計
今日、社用で商品券を買いに出かけた。
主婦相手のプレゼントなので、大手スーパーの商品券である。
三つの包装をお願いしている間、見るともなく、売り場の女の子の流れるような手さばきを見ていた。
なれた手つきで、それでいてきっちりと隅を合わせ、折を決め、たちどころに仕上げてゆく。
思わず「ブラボー!」と手を叩きたくなった。

先日も、同じように感心したことがあった。
舅の湯灌のときのこと。
どうしても一晩は家で寝かせてあげたい、という姑の意向で湯灌も仏間で行うことになった。
仏間といっても、普通の六畳間なので、いったいどうするのか。
こんな場合も好奇心がうごめいてしまう私は固唾を飲んで見守った。
若い男女の二人が、青い大きなビニールシート、ポリの簡易バスタブみたいなのや、車からひっぱってきたホースやらを持ち込んで、あれよあれよという間にセットしていく。
義父の遺体をさっと持ち上げ、バスタブにセットされたメッシュのベルトの上に横たえる。
バスタオルでくるまれた身体を、こともなくすみずみまで丁寧に石鹸を泡立てて洗い上げる。
本当に、すみからすみまで、爪の間は爪ブラシまでかけてくれる念の入れようだ。
そのあと、きっちりと拭き上げて、白装束を着せ、死化粧をほどこす。
ゴム手袋などはめもせず、素手で全ての工程を完了させること40分足らず。
一分の無駄もなく、まるでアンドロイドかのように、無表情に淡々と完璧にこなすその仕事には、その場で見ていたものを皆、感動させた。
あれだけの無駄のない動きをするためには、それ相当の訓練をしてきたのだろう。
ある意味、人の嫌がる仕事といえば言えなくもない仕事ではあるけれど、欠かせない仕事でもある。

私は、主婦をしてもうすぐ19年。母親となって14年。
10年を超える時間を費やしている割には、本当に無駄な動きが多すぎる。
昨日の探し物しかり。
人生90年と考えても、もうすぐ折り返し地点だ。
これから先は、プロの手さばきを見習って、無駄のない動きで、一刻一刻を大切に生きなければ。

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