とどちゃんの縁側でひとり言・・・。

日々の生活の中で見たこと感じたことを記録していきます。

一休さん

2006-10-02 22:40:42 | 宗教
すきすきすきすきすきすき愛してる~と言えば一休さんですが、
ちょうど、臨済宗の勉強もしてますし、この宗派のなかで私のような30代からまりの者には馴染みが深いのでちょっと一休さんについてお話しましょう。

一休さんは、アニメの中でも描かれている通り、元々は高貴な出です。
父は後小松天皇、北朝の第100代天皇です。
母は南朝の遺臣の娘、懐妊すると宮中から追われ、一休を民家で生んだと言われています。
幼名は「千菊丸」6歳で京都「安国寺」の象外集鑑のもとで出家、周建と称する。
ちなみに、アニメの様に少年期の一休は頓智を働かせるような軽妙な子供ではありませんでした。ひたすらものの本質を追求し、偽善俗悪を憎む真面目一途な少年でした。
ところで・・・私が見ていた一休さんのシーンの中でとても印象的だったのは、一休さんが1歳の誕生日、誕生日前に歩いていた一休さんは、餅を背負わされるのですが、それでもやっとの思いで立ち上がり、母の元へ歩いて行きます。
母としては、今後の運命も(立場的に僧として生きるか、殺されるか)解っていただけにその心情ははかり知れないものがあったと思います。
このお母様は、結構アニメでも出てきますが、大変気丈なお母様でした。
アニメでも、一休が母のあかぎれにと軟膏を持っていくのですが、出家した身である一休には会おうともせず、雪の中を追い返します。この時に、一歳の誕生日の事を思い出して、お付の者が一休からあずかった薬を泣きながら抱いていたと思います。
少年一休は、この母の気魂を心のよりどころに、17歳で西金寺の謙翁宗為に参禅、名を宗純と改めます。
一休はよほど謙翁の徳にうたれたらしく、21歳で師が病没すると、呆然として母のもとに帰ります。
強い母に叱咤され、石山観音で七日間の坐禅に入りますが耐え切れず、瀬田の大橋から入水自殺をはかりますが、それを寸前で救ったのは、密かに人を頼んで見守らせていた母でした。
この自殺未遂が、一休の内面を大きく転換させたようです。

ところで、子供の頃も頓智も働かず、自殺未遂までするなんて、じゃあ、何であんなに一休さんはアニメに取り上げられたり、有名なの?と思うでしょ?
一休さんの凄いところはこれからなんです・・・。
ちなみに、アニメの中で一休さんがお正月に、賑わう町の中でしゃれこうべを掲げて説法を解くシーンがあったの覚えていますか?
説法とまではいきませんが、「正月だといって浮かれてはいけない、確実に死へ一歩近づいているのだから・・・」と訴えていました。町の人は、石を投げたりしますが、それでも一休さんはやめません。
この話は実際に一休さんが行なったことのようですよ・・・。
さ~て、一休さんの話の続きはまたの機会に・・・。
じゃ~あね~。
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