
大晦日の今日、朝からこの一年を振り返る番組を見ていて、特に三つの出来事が私の意識に触れました。1)イチロー選手の活躍 2)皇室の変化 3)長崎の小学生による友人殺傷事件に代表される凶悪事件です。明るいことでは264本の安打を放ち、大リーグのシーズン最多安打を84年ぶりに更新たしイチロー選手です。テレビでキャスターが「彼は哲学者のようなところもある」と言いましたが、本当にそう思います。
イチロー選手の信条は、あたらしい地球での生き方で、競争意識を捨てても人は立派にエネルギッシュに生き、成長することができることを証明しています。
たとえば子供達の成長を知ることのひとつに学業の成績の上昇が挙げられますが、それを簡単に知れるものは「通知表」です。しかしこの、クラスの中でどの辺の位置にいるかという評価ではなくて、別の評価があります。このことは多くの人が気付いていません。
通知表などによる学力評価はだいたいにおいて相対的な評価でなされます。しかし本当の評価は
「昨年(昨日)の自分と比べ今年(今日)の自分はどのくらい成長しているか」によって為されます。自分が成長していなくても全体の成績が落ちれば自分は成績が上がると見なされる相対的な評価は正しく成長を捉えられないのです。
実はイチロー選手はこのことに早くから気付いている人でした。
以下【 】内は私が3年前に書いた本
「真実の扉」からの抜粋です。
イチロー選手が貢献する新しい地球への意識変換
【大リーグで活躍するイチロー選手は、平成十三年七月六日付けのシアトル・ポスト・インテリジェンサー紙のインタビューに、「日本では何度も打席に立つときに嫌がらせを受けた」「こちらで最も強く感じたのは選手同士が互いに尊敬しあっている。日本では選手だけでなく、監督やコーチまでもが相手のプレーを妨げるような言動をする。それが嫌で球場に行きたくなくなるような思いもした」と答えました。
また以前、スポーツ紙で読みましたが、スポーツ記者がイチロー選手とライバル達とを比較して、とても執拗(しつよう)に他の選手との数字的な争いについて聞いてくることも、彼には苦痛だったようです。自分自身がそういう生き方を望んでいないからです。
平成十三年八月二十四日の日本経済新聞の記事では、彼は他の人の動向を気にしていたのでは、自分のプレーに集中することはできないという考えであることが示されていました。
「人の結果が絡んでくることに目を向けることはできない。自分ではどうしようもないことだから」。
競争意識には必ずと言っていいくらい、相手の失敗を望む気持ちが並存します。野次は相手の足を引っ張る行為です。このような意識にふれることを新しい意識の持主は嫌います。
他の選手は自分以外の選手の動向を気にすることが多いのに、イチロー選手は異なります。他との比較の結果でしかない首位打者争などに関する興味も薄く、彼の興味は首位打者よりも自分がより多くのヒットを打つことにあると言います。
「人の調子が落ちてきて、自分が(数字を)キープしてトップになる可能性がある。そんなことを意識してグラウンドには立てません」と述べ、そして彼が一九九四年のオリックス時代に二百十安打したときも「打率はどうでもいい。安打数を求めるのは(打率に意識を向け)精神的に苦しむのが嫌だから」と語っています。これは彼が二十歳のときのコメントです。
考えてみれば、打率とは安打と凡打との比較から出された数字です。打率を下げる凡打は打率にとって確実に失敗であり、マイナス現象なのです。しかし単純に安打数を求める限り(確かに凡打は安打数を伸ばさないものの)、少なくとも安打数を減らしもしないのです。その分、失敗を恐れずにチャレンジできるのではないでしょうか。
安打数を求めることは絶対的な価値観で、安打と凡打を比較する打率は相対的な価値観だ、というには少し無理があるのかも知れませんが、失敗を恐れないという意味では前者が野球人生をより生き生きとさせてくれることでしょう。
しかしこれも、人と競争しないとやる気が起きないとか、人の上に立ちたいという価値観を求める人にとっては、物足りないということになってしまうのでしょう。
イチロー選手は人気も実力もある打者ですから、こういった何気ない記事を読んだ人々に、「そういうスポーツの楽しみ方もあるんだな」との気づきを与えることでしょう。彼は少なからず人々の意識の変換に貢献していることとなります。このような仕組みが新しい地球の実現のために、至るところで図られているのです。
現在、大リーグと日本のプロ野球で活躍するプレーヤーの中で誰が現役最高のプレーヤーかという質問を日本の野球ファンにすれば、間違いなくイチロー選手がトップの座につくことでしょう。人と比較することを嫌う新しい意識の選手が、多くの古い意識のタイプの選手を結果として抑えて一番になるだろうことも、エネルギーの新しい流れの創造の結果ではないかと感じずに入られません。
もっと言えば、イチロー選手が二〇〇一年の大リーグの首位打者になり、MVPまで獲得した要因は、もちろんイチロー選手の才能が第一なのですが、人類全員が成長するためにとの神の後押しがあったと、私は感じるのです。正しき者は、自らが自らを救える時代に既に入っているのです。
新しい地球のスポーツはこのような意識をもって、互いの成功、互いの進歩の喜びを分ち合えるスポーツへと変化させたいものです。】
どうでしょうか、来年は人のことを気にしないで「ONLY ONE」の自分を生きることを目標にしてみたら。
来年もよろしくお願いいたします。
今日も東京は雪
。写真は晴れ
の昨日、我が家(
東京都荒川区の集合住宅の9階)から写した富士山です。かなりの望遠ですが。
みなさまが良いお年をお迎えいただけることを、心よりお祈りしております。
イチロー選手の信条は、あたらしい地球での生き方で、競争意識を捨てても人は立派にエネルギッシュに生き、成長することができることを証明しています。
たとえば子供達の成長を知ることのひとつに学業の成績の上昇が挙げられますが、それを簡単に知れるものは「通知表」です。しかしこの、クラスの中でどの辺の位置にいるかという評価ではなくて、別の評価があります。このことは多くの人が気付いていません。
通知表などによる学力評価はだいたいにおいて相対的な評価でなされます。しかし本当の評価は
「昨年(昨日)の自分と比べ今年(今日)の自分はどのくらい成長しているか」によって為されます。自分が成長していなくても全体の成績が落ちれば自分は成績が上がると見なされる相対的な評価は正しく成長を捉えられないのです。
実はイチロー選手はこのことに早くから気付いている人でした。
以下【 】内は私が3年前に書いた本

イチロー選手が貢献する新しい地球への意識変換
【大リーグで活躍するイチロー選手は、平成十三年七月六日付けのシアトル・ポスト・インテリジェンサー紙のインタビューに、「日本では何度も打席に立つときに嫌がらせを受けた」「こちらで最も強く感じたのは選手同士が互いに尊敬しあっている。日本では選手だけでなく、監督やコーチまでもが相手のプレーを妨げるような言動をする。それが嫌で球場に行きたくなくなるような思いもした」と答えました。
また以前、スポーツ紙で読みましたが、スポーツ記者がイチロー選手とライバル達とを比較して、とても執拗(しつよう)に他の選手との数字的な争いについて聞いてくることも、彼には苦痛だったようです。自分自身がそういう生き方を望んでいないからです。
平成十三年八月二十四日の日本経済新聞の記事では、彼は他の人の動向を気にしていたのでは、自分のプレーに集中することはできないという考えであることが示されていました。
「人の結果が絡んでくることに目を向けることはできない。自分ではどうしようもないことだから」。
競争意識には必ずと言っていいくらい、相手の失敗を望む気持ちが並存します。野次は相手の足を引っ張る行為です。このような意識にふれることを新しい意識の持主は嫌います。
他の選手は自分以外の選手の動向を気にすることが多いのに、イチロー選手は異なります。他との比較の結果でしかない首位打者争などに関する興味も薄く、彼の興味は首位打者よりも自分がより多くのヒットを打つことにあると言います。
「人の調子が落ちてきて、自分が(数字を)キープしてトップになる可能性がある。そんなことを意識してグラウンドには立てません」と述べ、そして彼が一九九四年のオリックス時代に二百十安打したときも「打率はどうでもいい。安打数を求めるのは(打率に意識を向け)精神的に苦しむのが嫌だから」と語っています。これは彼が二十歳のときのコメントです。
考えてみれば、打率とは安打と凡打との比較から出された数字です。打率を下げる凡打は打率にとって確実に失敗であり、マイナス現象なのです。しかし単純に安打数を求める限り(確かに凡打は安打数を伸ばさないものの)、少なくとも安打数を減らしもしないのです。その分、失敗を恐れずにチャレンジできるのではないでしょうか。
安打数を求めることは絶対的な価値観で、安打と凡打を比較する打率は相対的な価値観だ、というには少し無理があるのかも知れませんが、失敗を恐れないという意味では前者が野球人生をより生き生きとさせてくれることでしょう。
しかしこれも、人と競争しないとやる気が起きないとか、人の上に立ちたいという価値観を求める人にとっては、物足りないということになってしまうのでしょう。
イチロー選手は人気も実力もある打者ですから、こういった何気ない記事を読んだ人々に、「そういうスポーツの楽しみ方もあるんだな」との気づきを与えることでしょう。彼は少なからず人々の意識の変換に貢献していることとなります。このような仕組みが新しい地球の実現のために、至るところで図られているのです。
現在、大リーグと日本のプロ野球で活躍するプレーヤーの中で誰が現役最高のプレーヤーかという質問を日本の野球ファンにすれば、間違いなくイチロー選手がトップの座につくことでしょう。人と比較することを嫌う新しい意識の選手が、多くの古い意識のタイプの選手を結果として抑えて一番になるだろうことも、エネルギーの新しい流れの創造の結果ではないかと感じずに入られません。
もっと言えば、イチロー選手が二〇〇一年の大リーグの首位打者になり、MVPまで獲得した要因は、もちろんイチロー選手の才能が第一なのですが、人類全員が成長するためにとの神の後押しがあったと、私は感じるのです。正しき者は、自らが自らを救える時代に既に入っているのです。
新しい地球のスポーツはこのような意識をもって、互いの成功、互いの進歩の喜びを分ち合えるスポーツへと変化させたいものです。】
どうでしょうか、来年は人のことを気にしないで「ONLY ONE」の自分を生きることを目標にしてみたら。
来年もよろしくお願いいたします。
今日も東京は雪



みなさまが良いお年をお迎えいただけることを、心よりお祈りしております。
近年、元旦は大抵曇りがちで鮮やかな御来光は拝めませんが、ごそごそ起きだす頃に必ず一度は日が差してきます。来年もより柔軟に、自分の足で進む道を怖がらないで一歩ずつ踏み出していきたいと思います。
とびらさんも、よいお年をお迎えください。