真実の扉

「何もしないことをする時」「何も考えないことをする時」・・本当の自分の扉が開く

自己確立と共同創造21(虚栄心)

2013年05月17日 21時44分48秒 | 自己確立と共同創造

オリンピックが終わって1ヶ月が経ちました(昨年の雑誌記事のリライトです)。
と言っても私は殆ど観ませんでした。
それにしても私の周りではオリンピックの話題は開催期間中まったく出ませんでした。
テレビも新聞もかなりの時間と紙面を割いて報道しましたが、世の中はそんなにヒートアップしていないようです。

良い傾向だと言いたいところですが、それだけ個人の生活に余裕がなくなったせいなのかもしれません。
私自身は若いころはスポーツ競技が大好きで、小学校の時は町の少年野球チームに籍を置き、中学時代は野球部に所属しました。
プロ野球選手になりたかったです。野球では長嶋茂雄が大好きだでした。
それなのに今は勝負事には全く興味がない。

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生き物の魂は鉱物 → 植物 → 動物 → 人間という媒体と繋がりながら成長して行きます。
人間になってもその成長過程はいろいろあって、段取りを踏んで行きます(拙書【真実の扉】「第5章、意識の進化論」 参照)。

だからスポーツ競技に夢中になったり、それに命を掛けていたりしている人たちを決して批判する気はありません。

でももしも、勝負に勝っても金メダルを取っても誰も注目しなかったら、誰も褒めてくれなかったら、それでも命がけで金メダルを取りに行きますか? と聞きたいですね。
多分白けてしまってそこまで誰もエネルギーを使わないでしょう。

昔、金メダルを取った男子体操選手が後にバルセロナオリンピック200メートル平泳ぎで金メダルを取った当時14歳の岩崎恭子選手に、「恭子ちゃん(開催国から)帰国したら世界がこれまでとまったく変わっているぞ」と言ったのを聞いたことがあり、やはり町の運動会とは違ってオリンピックやワールドカップでの競技エネルギーには、虚栄心も大きく関わっているのだなと思ったことがあります。

それがすべてとは言いませんが、一番であること、特別な人間であると認められること、注目を浴びてちやほやされることに大きな喜びを感じるのが、現代人の意識レベルです。
この虚栄心からは様々な御法度が生まれます。
何しろ虚栄心が満たされると気持ちが良いので、逆に満たされなかった時の羨みや恨みごとも大きくなります。
それだけ虚栄心に包まれると、魂の想いというものは完全にシャットアウトされるものなのです。

私もそんな意識は(虚栄心も善悪も)ありますが、そんな意識を意識していつでも自分の心の中の御法度を認識してそれを観て観察することができる、というところが他の一般の人と少し違うところかもしれません。

進化の方向性を知っているか否か、正邪善悪の判断ができているか、ということが今後、新しい地球に移行できるかどうかのポイントでもあります。

 

宇宙の理」2012年10月号
昼下がりのコーヒーブレイク
「自己確立と共同創造7」 より
前生のおもいで(志摩川友重著)から
小金井の要約と所感を加えてリライトしています
掲載許諾済



街でたった一人の石切りの経験者として、Aは街の子供たちに石切りを教えようと試みましたが、それは叶いませんでした。
親の心配心と期待の念掛けもあり落ち着かない子供達が多かったのです。
石を切るという行為は、何もしないことをするということを学んで、何も考えない瞬間をある程度維持できなければなりませんでした。
新しい地球へ移行するためにも、例え石が切れなくてもこれをクリアしないとならないのです。

新しい地球は神の国です。
考えない瞬間とは執着も恐怖心もない、自分自身を神(宇宙)に全託できる瞬間でもあるからです。
神の国に於いて、神と共存できる条件でもあるのです。

換言すれば神様(特定の神ではない)と神との共同創造を信じているか否かです。

例えば三次元的自己犠牲が必要な選択を迫られた時に、エゴの恐怖を捨てて全体意識の一部として、神の一員として信じて行動できるか、それが新しい地球への第一歩なのだと思います(拙書【真実の扉】P126ページ参照)。

もちろん第二歩、第三歩もありましょうが、この第一歩ですら出来ている人は人類の一割にも満ち足りません。
どんなに良い人でも、どんなに心の澄んだ人でも、神を信じていなければ 神の国であるユートピアには辿り付けないのです。

そして神を信じるということは、自分を信じるということで、単に知識として信じることではなくて、心から信じるということです。
やってきた真理に対して微塵の心配心も疑い心をも持たないで行動するということです。それがワンネスの体現です。
心配心も疑い心も魂の意識ではなくてマインドの意識だからです。

もちろん、今の地球でそんな意識を持てないのは当然で、恥じることはありません。

ただ、無意識にエゴと行動している自分を認識して、全体意識の意識付けを怠らないことです。

ありの侭の自分は疑いの対象ではなく、信じるに値するのですが、マインドが信じることを許さないのです。
ありの侭の自分からやってくるエネルギーの波動である直観は、信じるに値するのですが、マインドが受け入れを許さないのです。

人生のありの侭を受け入れるということが大切なのですが、これは人間の側から受け入れるというのではなくて、神の側の視点に行って共同意識、全体意識の一員となって神として共同創造するということです。

何か理屈っぽくなりましたが、人間(マインド)側にいて思考に嵌まっていたのでは(一瞬の)悟りにすら至らないないのです。

何度もいいますが、悟るのは人間ではなくて既に悟った本当の自分の意識なのです。
繰り返しますが、マインドと真我、大我の次元は異なるので、マインドを持った人間が悟ることはあり得ないのです。


だからそれはマインドから放れるということであり、悟った側の思考なき意識の立ち位置に立つということです。

既に私たちは一体であり、完成された存在であり、それが本当の私・・全体である私、悟った私なのです。

だからマインドで生きる自分は幻想の自分であり、自分を変える・・コントロールする・・ということは幻想の中での堂々巡りでしかないということです。

本当の私は既に一体であり、完成されているのです。

自分を変えようとしているのは一体でないマインドを持つ自分です。
それはマインドの思いの侭を実現しようとしているに過ぎないからです。
だから例えコントロールに成功しても、それは本当の自分の想いを実現したことにはならないのです。

すべてに於いてコントロールという意識から放れ、そんな対象をじっと観察する・・理性の立場から観察するということが大事なのです。

役割分担


次回からは石切りの話しの最後となります。
志摩川さんは「(前生の)おもいで」全24話を著わしていて、石切りの物語はその一つです。
他の23話も掲載の許諾をいただきましたので、その内「おもいで」として綴る機会も作るつもりです。

― つづく ―

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2 コメント

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Unknown (t.t)
2013-05-19 01:32:30
何時も、小我の自分で考えます理想の状態(正しい食生活や向上した自分も)になれずに、地団駄を踏んでいますが、その小我の側からは何度も同じ状況を繰り返しています。
やはり本当の自分(大我?)側からその状態を冷静に感謝で受け入れます事を意識致しますと、様々な問題も魂では本当にウェルカムの事柄であるのでは、と何となく感じますが...。
又、以外と簡単により早く改善され、向上の方向に流れていきますような...。

何時も思いつきのままにコメントさせて頂き、すみません。
有難う御座います。
返信する
tt.tさん (とびら)
2013-05-19 10:11:33
魂も大我も、いつでもwelcome・・
なるほどと思いました。

有難うございました。
返信する

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