ここのところガンの話題ですが、私は常々ガンになって病院にかかると死期が早まると言っています。
私の記事読みながら「うんうん」と納得しても、やっぱり自分がガンになると病院に行ってしまう、そういう人も多いと思います。
それは何となく納得していても、自分を信じられないで世間や家族の意見が気になってしまうからです。
本当の自分である全体意識よりも周りが気になるのです。
でも病は他人には治せません。最後は自分の気付きです。
また既に病院に掛かってしまってから私の記事を読んだ人の殆どは病院通いを止められないと思います。
本当に自分の中から信じられるもの、魂から湧きあがった信念を優先して、社会から条件付けられた人々から何を言われようと、魂の判断を押し通すという強い決断が大切です。
これは人を頼りにしてはいけないということではありません。
自分を確立するということは、全体意識の自分で生きる、つまり光のネットワークの仲間となって、互いに助け合って生きるということです。
しかしあなたの家族や隣人が、あなたの光のネットワークに乗っているとは限らないのです。
そこを見極めるのは大切なのです。
魂や全体意識からくるエネルギーの流れに乗るには、自分の中に入り込んで没頭しないで、自分と自分の周囲を外から観るという意識付け、観察をしていく必要があるのです。
そういう意識付けを習慣づけないと、次の事実だって、そのときは「そうか」と思っても2日も寝れば忘れてしまいます。
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医者がストをすると死亡率が低下するということを知っていますか?
1973年のイスラエルでの出来事です。
医師がストをする・・これだけでもとんでもないことですが、この年にイスラエルでは医者のストが決行されました。
そのために1日に診れる患者65,000人から7,000に減ってしまったのです。
ストは1ヶ月続きましたが、ストの期間中、何と死亡率が半減したというのです。
この話しはイスラエルだけではありません。
1976年、南米コロンビアの首都で52日間のストが決行されました。
緊急医療以外は一切治療が行われなかったにも拘わらず、スト期間中の死亡率が35%も減ったのです。
やはり1976年のロサンゼルス。
医師のストライキが決行され死亡率は18%低下したのです。
手術の件数が60%も減少していたことが一つの原因と考えられますが、1ヶ月とか52日とかの長期のストだと考えると医療行為自体に歪みがあるとしか考えられません。
そしてストが終わって医療機器が再び稼働し始めると、どれも死亡率はスト以前と同じに戻ったそうです。
アメリカでの数字では医師による治療(投薬を含む)による死亡が第一位で80万人で、70万人の心臓病を超えるのです。
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私の方が恐怖心からか、直ぐに医者に行く事もありまして、今思いますと見習わなくてはいけません。(最後には「ありがとうございました。」でしめます。
知り合いで原因不明の不調の方にも医者で無く、健康スタジオを紹介したいのですが、まだまだ周囲に何と言われるか考えますと怖気づいてしまいますが、これからの時代そうも言ってられませんし、魂ではそちらの道をご紹介する事が計画済みで有りますやもしれませんし...焦らず積極的でありたいものです。(一日に2度までならレントゲンはOKと言います話を聞きますと、こちらも怖くなってしまいますので)
有難う御座いました。
「病気 = 病院」という条件付けなんですね。
私たちは自分で判断するという以前に常識という呪縛に条件づけられてしまっているのです。
病を治すということにおいても、この条件付けという呪縛からまず放たれなければなりません。
今後いろいろと書いていきますが、家庭を最小の母体として政治に至るまで、私たちはさまざまの決めごと、善悪の条件付けをさせられてきました。
私たちにはその条件付けに無意識に従うという反応をします。
これは一種の性癖です。無意識に繰り返す御法度の心と繋がっています。
この無意識から放たれるのが「意識する」という心、観察する、心を見詰めるという、いわば洗心なのだと思います。
洗心とは奥深いものなのです。
ただ「反省します」「ごめんなさい」と何度繰り返しても洗心はなされないということです。
良いコメントを有難うございました。
このことは近々本文でも書いてみたいと思います。
食事につきましても、これからはいよいよ正しい物に切り替わっていかなくてはいけません様ですが、「意識付け」によりましてか、分からなくされてしまっています様です。
酪農家の方達には、「肉は人が生きていく上で必要不可欠なもの。なのでこれは聖職である」という考えの方もいます様です。
(多くの人達もやはり肉無しでは生きていけない、と食べられません状態になりますと不安に思ってしまいます様です。)
日々の洗心も、ついつい出てしまいます御法度の心を冷静に見詰めまして、誤った意識に光を射していきたいです。
槇原さんの曲の一節にも
そこには無いと決めつけて
見ようともしなかった場所に
大切な宝物があると気付いた。
そこには無いと決めつけて
見ようともしなかった
自分の心に見つけた暗闇に
火を灯すんだ
とありますが....。
本日も有難う御座いました。
無意識によって一定の方向に条件付けられているということです。
有難うございました。