ただいま、グループZAZAでは、冊子「池田浩士さん講演録①」や「13人の不起立の思い」を頒布しております。以下は、その「13人の不起立の思い」に寄稿したものです。お読みいただければ幸いです。
「君が代」起立斉唱命令には従えない
辻谷博子
◆序にかえて
明日(2016.1.25)は、「君が代」減給処分取消訴訟の証人尋問法廷です。2012年最高裁判決から考えても、また昨年の東京地裁・高裁の判決から考えても、処分取消は明らかなはずです。しかし、それが取り消されなかったとしたら、時代はますます危険な水域に入ったということかもしれません。
話は変わりますが、私は今大連で日本語教師をしています。実際に中国で1年余りを暮してみて、自分がいかにこの小さな国の教育とメディアに毒されていたか痛感しています。そして、それとともに、ますます「君が代」強制はあってはならないと言う気持ちも強くなりました。司法がどのような判断をくだそうとも、私は、これからも「君が代」強制の問題に取り組んでいきます。
次の文章は、明日の証人尋問に向け裁判所に提出した陳述書から抜粋しました。読んでくださればうれしいです。そしてともに考えていただければなおうれしいです。なぜ、かくも「君が代」が強制されるのかを。
◆これほどまでに「君が代」を強制するのはなぜ?
私は、大阪府国旗国歌条例下「君が代」斉唱時に起立して斉唱せよとの職務命令にどうしても従うことができませんでした。当時、橋下知事は、大人の知恵を働かせればよい、逃げ道は与えている、「君が代」を歌えない教師は、卒業式に出なければよいとマスコミを通じて発言しました。私はこれを聞き、なぜ、「君が代」を歌えない教師は卒業式に出てはいけないのだろうか、まるで「君が代」に反対する教師が子どもたちの卒業を祝福することなどもっての他だと言わんばかりに聞こえました。そして子どもたち全員に「君が代」を歌わせる時代を作っていくためには、きっと「君が代」に反対する教員を何が何でも排除したいんだなと思いました。橋下知事は、これは思想の問題などではなく服務の問題であると言い、そのうえ、「君が代」を歌えという職務命令に従わない教員はいずれクビにしてやるとまで言い放ちました。いったい、いつの時代の話だろうか、「君が代」を歌わない教師はクビだなんて、正直なところ頭がクラクラする思いでした。
今、これほど「君が代」を学校に強制するのはどうしてなのだろうと考えた時、まさか再び歴史が繰り返されることはないと思いながらも、もしも自分が教師としてそれに加担するようなことは、あってはならないことだと思いました。
一方で、「オリンピックやワールドカップで歌うんやから、卒業式でも歌ってええんと違う。私は先生には『君が代』歌ってほしいけど」…近所の人や学校以外に勤めている人からはそんな声を聞きました。「先生、歌ったふりだけしといたらええやん」そう言う生徒もいました。そういう声を聞きながら、私は、「君が代」問題について、学校と学校以外の世界でいつの間にかこんなに距離ができてしまっていることに教師として責任を感じました。「君が代」に対する教員の問題意識は確かに学校以外の方には解かりにくい話かもしれません。しかし、私たちは毎年議論し続けて来たのです。1975年に教員になり定年を前にした時こんなことが起こるなんて、いったい今までの教育は何だったんだろう、平和や人権より国家が大事という時代が再び来るのだろうか、そう思うと信じられないような気持でありながら、それに加担することだけはしてはならないと思いました。
◆私は「君が代」を歌えない、立てない。
近代における差別はどのように作られていったか。学校の儀式で「君が代」を執り行うことは戦前に行われたことと同じではないか。今でも多くの「在日」生徒にとってある意味では戦争は終わっていないのではないか。戦時、学校は多くの少国民や軍国少女を生み出しお国のためと称して人を殺させ、また自分の命も捧げさせたではないか。論理(理屈)としてではなくシンボルとして視覚や聴覚を通して直接身体に刻印されるゆえ国連人権委員会も警鐘しているではないか。シンボルであるゆえに「日の丸」「君が代」は危険なのだ。学校でそれを行うことは許されないのではないか。「愛国心」のもと自分を犠牲にしたり排他的な考えにつながることは自他の人権を侵すのではないか。意味もわからぬまま国歌であるという理由だけで、畢竟天皇を讃える「君が代」をここまで強制されことはどう考えてもおかしい。これまでに行って来た憲法や人権教育には反する。大きな力や流れの中で、自分にはそれをどうすることもできないかもしれないが、少なくも「君が代」斉唱時には座ろう。「君が代」を立って歌うと言うことは、かつて私が責めた母の“しかたがなかったんだよ。あの時代は誰でもそうだったんだから”を今度は私自身が繰り返すことになる。いやそれだけにとどまらず教師として生徒たちに教えることになる。私が今まで聞いて来た生徒の声を私は無視していいのか。なぜ「君が代」を歌えないのか、立てないのか。どう述べても言い尽くせないような気がします。私が今まで生きて来て、教師として聞いた・話した―それらすべてを反故にするならもうこの仕事はできない、そんな思いを抱きました。―たかがウタです。そんなに思いつめなくてもと言われるかもしれません。しかし、誰でもこれだけは譲れない何かというものがあるのではないでしょうか。私にとって「君が代」を歌うことはそれまでの私自身を否定するようなことだったのです。「君が代」不起立の一番大きな理由は、私が私であるための、いわば私自身に対するひとつのけじめのようなものでした。
◆最後の卒業式
枚方なぎさ高校第7回卒業式に、私は当然参列するつもりでした。3年間かかわって来た、そして教員生活最後の卒業式です。しかし、私は「君が代」斉唱時には立つことはできません。それはこれまで述べて来た通り、立つわけにはいかない、立てない、立てば、私がこれまで生徒に言って来たことは嘘になる、そんな思いでした。いかに条例下とは言え、いやその条例が問題だと思うのですが、職務命令に従って「君が代」起立斉唱することは様々な立場にある生徒を一つのシンボルのもとでまとめることは危険であると思っています。そしてこの陳述書を書いている現在、ますますその危険性は高まっているように思います。日本が集団的自衛権行使に向け法律を完備した今、「日本のため」「平和のため」と称して戦争を肯定し戦争に赴く「日本人」作りがますます教育に求められることでしょう。その時、国家のシンボルとして「日の丸」「君が代」は重要な役割を果たします。教員がそれに手を貸すことは、先の戦争の後、深い戒めになったはずです。私は、やはり「君が代」斉唱時に立つわけにはいかないのです。
卒業式前の職員会議、「どう考えても命令で『君が代』を歌わせるのは異常な事態であり、教職員への「君が代」強制の次に来るのは生徒への強制であり、それではかつての過ちと同じ過ちを再び教育が犯すことになる」という趣旨の発言をしました。校長は何も答えませんでした。その場で卒業式において初めてのことですが、教員席をすべて座席指定にすると言われました。私たちは驚愕しました。いまだかつて卒業式において教員席が座席指定されたことなど一度もありませんでした。いや、そもそも卒業式は、仕事の関係上、当初から着席することが難しい場合は多々ありますので、遅れて着席することも珍しいことではありませんでした。予め何人が着席するかはわかりませんからできるだけ多めに席に設けるのが常でした。それが変わったのは、条例下「君が代」起立斉唱の職務命令が発出されたからです。卒業式本来の意義が忘れ去られ、教職員が「君が代」斉唱時に起立するかどうかを確認することが卒業式の第一の目的と化してしまったのです。A先生が、「座席指定は府教委の指示か、校長の判断か、もしも校長の判断ならやめてほしい」と発言されたのはある意味当然の発言でした。
◆おかしな卒業式
どう考えても条例はおかしい、悪法とは言え法である以上、従わなければならないのでしょうか。しかし、それによって自分がこれまで生きて来たこと、すなわちして来たこと、生徒に話して来たことすべてが無に帰するようなことになってでも従わなければなりませんか。自分自身のアイデンティティ、特に教師としてやって来たことを思えば、私は卒業式に参列したいです。いや参列して卒業の姿を見届ける必要がありました。そして「君が代」斉唱時には立ちません。それ以外は考えられませんでした。校長にも教頭にもそのことは伝えました。
役割分担についてですが、卒業式における役割分担は卒業式参列を最優先に考えられてきました。だからこそ事前の打ち合わせや時間指定もなかったのです。どの教員も適宜卒業式に参列して、それで役割を果たしていないなどと咎められることは皆無でした。私はいつものようにしました。何を優先して考えればよいか、これまでの経験から当然それは卒業生を祝福し見届けることでした。教育委員会という行政機関にとっては教職員が条例下の職務命令に従うかどうか、卒業式での関心事と言えばそれしかなかったかもしれません。しかし、言わせてもらえば、38年間の教員の矜持に基づき何をしなければならないかは心得ているつもりです。私は、これまでと同じように警備の仕事をしてそれから式場に行きました。ごくあたりまえの自然な行動です。そのことによって警備の仕事を放棄したなど言われることはいまだかつてありませんでした。条例下の職務命令が学校をそして卒業式を本来の意義から逸脱させ、いびつなものにしてしまったのです。そのいびつさの中で本来的な教員としての行動が教育委員会から指弾されることになってしまったのです。しかし、卒業式とは本来どのような場であるかを考えれば、どちらがおかしいかは自ずと明らかなはずです。
◆卒業式に出てよかった
卒業式で特に印象に残ったことは、卒業生を代表した女子生徒が述べた次の言葉でした、「なぎさで学んだことで無駄なことは何一つなかった」。
私はその言葉を聞きながら、卒業式に参列して本当によかったと思いました。卒業生がこれから体験する世界は決して楽な明るい世界ではないかもしれないが、自信を持って一人ひとり自分を大切にして生きていってほしいと思いました。「君が代」斉唱のときはこれまでと同じように静かに座りました。
条例とそれに基づく職務命令が絶対であるならば、私のしたことは咎められて当然かもしれません。しかし、「君が代」が歴史的にどのような役割を果たしたか、そして今現在も「在日」生徒が本名すら名乗ることすらできないのはなぜか、教育が戦前どのような役割を果たしたか、その反省のもとに出発した公教育に38年かかわって来たわけですから、いかに条例に基づく職務命令であろうともそれに従うことはできませんでした。公教育に携わる教員の服務とは任用時に宣誓したように何よりも憲法遵守であるはずです。憲法第99条は言うまでもなく公権力に携わる者へ憲法擁護を義務づけています。そのうえ、私は人権教育において、憲法を説き続けて来ました。むかし、ある同僚が「生徒が嘘つくことあっても教師は嘘ついたらあかんのですわ」と言った声はずっと私の中に残っています。私は「君が代」に立つことはできません。そうすれば私は何よりも自分自身を殺すことになります。私は一点の恥じるところもありません。私にくだされた処分は不当です。私は日本国憲法を尊重しています。