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教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク

憲法に反する「君が代」条例ならびに公教育の理念に反する大阪の新自由主義的教育諸条例の廃止を求めます。

「君が代」不起立減給処分取消訴訟:最高裁棄却・不受理決定!

2019-01-11 22:12:39 | 戒告処分取消裁判
残念なお知らせです。

一昨年10月に上告した「君が代」不起立減給処分取消訴訟は、昨年の4月18日に棄却・不受理の決定がなされていました。最高裁からなかなか連絡がないので、ひょっとしたら・・・と淡い期待も寄せていたのですが、やはりそんな甘いものではありませんでした。

西原博史さんの講演録に出てくる京都「君が代」カセットテープ事件のことを調べようと、下記サイトを開いたところ、すでに私の裁判も最高裁から棄却・不受理の決定がなされていることを知り驚いた次第です。

主担の弁護士に確認したところ、弁護士事務所の事務担当の方が昨年4月19日に最高裁決定通知を添付で
メールを送信したが、操作ミスのため届いていなかったようで申し訳なかったということでした。

本日届いた最高裁の決定通知の画像を掲載します。

本来なら、抗議声明を出すところですが、気持ちの整理がつかず、後日にいたします。

(参考)
大阪法教育研究会
「日の丸・君が代」処分事例集
http://kohoken.chobi.net/cgi-bin/folio.cgi?index=doc&query=/lib/khk194a2.htm
http://kohoken.chobi.net/cgi-bin/folio.cgi?index=doc&query=/lib/khk194a2.htm#20160706

大阪府立高校・不起立減給処分事件
最高裁二小平成30年4月18日決定
平成29年(行ツ)第410号、平成29年(行ヒ)第476号
給与減額処分取消等請求上告事件 棄却・不受理




証人尋問を前に〜陳述書公開

2017-09-11 16:28:44 | 戒告処分取消裁判
遅くなりましたが、「君が代」不起立戒告処分取消共同訴訟で裁判所に提出いたしました陳述書を掲載します。長文ですが、お読みいただければ、学校における「君が代」問題がどのようであったのか、ご理解していただけるのではと思います。

「君が代」不起立戒告処分取消共同訴訟   陳述書

2017.5.1
原告 志 水 博 子

(1)経歴等

私は1975年、大阪府立南寝屋川高校に国語科新任教員として赴任し、その後、東寝屋川高校、四條畷高校、枚方なぎさ高校で勤め2013年定年退職しました。2012年枚方なぎさ高校第9期生入学式で「君が代」斉唱時不起立を理由に戒告処分、翌2013年枚方なぎさ高校第7期生卒業式で同じく「君が代」斉唱時不起立を理由に減給1月処分を受けました。また、戒告処分を理由に定年退職後の再任用は拒否されました。

現在、森友学園系列の幼稚園における「愛国」教育が問題となっています。そのニュースを聞きながら、私は、やはり「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」(以下、「君が代」強制条例)には従わなくてよかったと改めて思いました。

君が代強制条例は、その第1条で目的を3つあげています。その第1番目は、「府民、とりわけ次代を担う子どもが伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する意識の高揚に資する」とあります。まさに「愛国」教育が目的であることがわかります。この条例に基づき発出された教育長通達(2012.1.17付)は、さらに、「君が代」の起立斉唱の目的が「日本人としての自覚を養い」「国を愛する心を育てる」ことと明記されていました。学校長はその通達にしたがい、職務命令を口頭で発出したわけです。大阪の人権教育が理念として来たところは、多様な子どもの個々それぞれの人権を尊重することでした。それに反することは、たとえ命令であろうが従うことはできません。私は、教員が入学式や卒業式に参列することは職務の一環であると思っています。それを式場外役割分担により阻害されたうえ、「君が代」を歌わなかったというだけで懲戒処分を受けることは、到底納得できるものではありません。

最初に裁判官へお願いしたいことは、本件処分の前提となった職務命令、そして、その根拠となった「君が代」強制条例の違憲性・違法性についてご審理・ご裁決いただきたいことです。職務命令に違反すれば戒告処分は妥当という形式的な判決ではなく、全国で唯一、教職員に「君が代」起立斉唱を強制することにより、子どもへの「愛国心」高揚を目的とした「君が代」強制条例は憲法で保障されている様々な権利を侵害しているのではないか、どうかそのことについてご審理・ご判決をいただけますよう、お願い申し上げます。

(2)はじめに

ここでは、少々長くなりますが、私が、なぜ卒業式や入学式における「君が代」斉唱時に起立斉唱できないのか、そしてそれと大きく関係しますが、私が教員として携わってきた人権教育について述べたいと思います。

(3)なぜ、入学式に出てはいけないのでしょうか

教員であれば、新入生を迎え入れる入学式、卒業生を送り出す卒業式にはできるだけ参列したいと思うのはあたりまえのことです。そのあたりまえのことをすることが、なぜ、こんなにも困難になったのでしょうか。入学式に出るためには、「『君が代』を歌います」と宣言しなければいけないなど、どう考えても納得できません。

教員なら国歌を歌うのはあたりまえ、まして公務員なら上司から命令が出たならそれに従うのは当然ではないかという人がいます。そのことについても考えました。

私は大阪の出身ですが、私が子どもの時には今でいう人権教育はありませんでした。小学校時代は越境入学があたりまえ、中学校も、大阪市や大阪府に統一テストがあり、いわゆる輪切りによって進学する高校も決められるような状況でした。高校時代に聞いた言葉「こんなのは教育じゃない。私たちは教育を受けていない」と言った先輩の言葉は強烈に頭に残っています。私が教員生活38年間のなかで求め考え続けたことは、いったい教育とは何かということだったように思います。

(4)差別とは

私が最初に赴任した南寝屋川高校は同和教育推進校でした。差別などしないと思っていた私ですが、同和教育を通して、差別とは、するとかしないとかの心情の問題ではなく、社会に厳然としてある差別や人権侵害に対し自分はどういう立場に立つかだということを学んだように思います。それとともに、差別などしないと思っていた自分の中にも、実は偏見が巣食っていることも自覚するようになりました。つまり、人権教育の担い手である教員は、絶えず意識して差別や人権侵害を許さない立場に立たなければならないと感じました。教師となって同和教育・人権教育に触れ、そしてそれを通して私自身も多くのことを学んできました。

(5)教師の仕事

教師は何をするか以上に何をしてはいけないかそのことに自覚的でなければならないことも人権教育を通して学んだことです。

教師が絶対にしてはいけないこと――いじめに加担してはならない。生徒に嘘をついてはならない。そして、様々な生徒がいる学校でたったひとつの価値を押し付けることはあってはならない。それらは、長年教師をするなかで痛感して来たことです。そしてもう一つ、私が常々生徒たちに言って来たことは、自分自身を大切にすることでした。自分自身を大切にしない人間に他人を大切にできるわけはない、なんらかの形で自分の権利が侵されたときは怒って当然であり、周囲の人々はそれを受け止めなければならないと。

(6)母の話

私は、「君が代」を学校で執り行うことには一貫して反対して来ましたが、その発端には、もっぱら戦時を軍国少女として生きた母の影響があります。戦時、日本の租借地であった旧大連で育った母は、日の丸、君が代、御真影等々を通して、天皇陛下のために死ぬことが自分の務めと信じ切っていたそうです。そして、そうなったのは教育のせいだと私は随分聞かされました。母だけではありません。歴史を見れば、あの時代、「お国のため」の一言で、そんなふうにマインドコントロールされたのは確かに学校の教育のせいだったと言えます。それを担ったのは教師だったのです。

母は、よく、あの時代はみんなそうだったのだから仕方がなかったんだよと言いますが、教師になった私は、母とは違い、「仕方がなかった」ということは許されないと思いました。教師にとって、何かをすることをより、やってはいけないことの方がずっと大きいからです。時代の空気のなかで知らず知らずのうちに生徒に戦争を肯定するような方向性に誘うことは決して許されません。母の話や大阪の人権教育のなかで同僚や生徒や保護者やいろんな人と接するうちに、いつのまにか人を差別したり、いつのまにか偏見の虜となりそこから抜け出せなくなったり、いつのまにか時代に騙され生徒を一つの方向に導いていたり、そんなふうになっては絶対いけないと考えるようになりました。

(5)シンボルとしての「君が代」

それに、自分自身の経験からウタの持つある種の魔力のようなものにも用心しなければならないと考えていました。1952年生まれの私の世代は、軍歌が生活の背景にありました。例えば、遊びのなかで歌ったり聞いたりした記憶があります。そして、そのメロディに共鳴した感覚は身体の奥深いところで今なお残っています。軍歌の持つ問題性をいくら論理で否定しても歌うという行為は論理を越え、直接身体に刻まれる感性的なものであるだけに、独特の力を持つもののような気がします。私は歌が大好きです。それだけに、歌の力というか、影響力を気にせずにはいられません。

(6)解放教育から学ぶ

南寝屋川高校では多くのことを学びました。特に解放研究会や朝鮮文化研究会に所属する生徒たちの発言には、私がそれまで知ることのなかった差別とそこからの解放を目指す真摯な思いがあふれており、教師として、差別や偏見が根強く残る日本社会にどう向き合えばいいか考える契機となったように思います。

一例をあげますと、解放研究会のある生徒の言葉、「先生たちは差別があかんとか言う前に、ここ(被差別)でおっちゃんやおばちゃんが取り組んで来た解放運動のことを(同和教育で)とりあげてほしい」。朝鮮文化研究会の生徒の保護者からは、「(日本と朝鮮半島の)歴史をきちんと教えてほしい」等々。それらは、まさしく、私自身が差別とどう向き合い何をするかが問題であることを教えてくれました。

(7)就職差別

その中でも特に忘れられないのは、初めて3年生を担任した時、そのクラスにいた在日コリアンの生徒でした。あった彼女は就職選考応募を機に本名で働きたいと希望しました。ところが就職差別にあい、本名を名乗ることさえ諦めざるを得ませんでした。私自身初めて差別の実態を目の当たりに見た思いがしました。そしてそんな風に彼女を諦めさせてしまった会社や社会に対してどうすることmもできない無力感もありました。正直なところ、それからしばらくは在日の生徒に向かい合うことが怖い時期もありました。

(8)「日の丸」「君が代」強制

さて、1985年、当時の文部省は公立学校の入学式と卒業式における「君が代」斉唱の実施率を調査しました。結果、卒業式では、小学校で72.8%、中学校で68.0%、高校で53.3%しか「君が代」は斉唱されていませんでした。長野県、京都府、沖縄県、そして大阪府では、ほとんど実施されていませんでした。この結果に文部省(当時)は、初等中等教育局長の名前で「入学式及び卒業式において、国旗の掲揚や国歌の斉唱を行わない学校があるので、その適切な取り扱いについて徹底すること」という通知を出しました。いわゆる「徹底通知」と呼ばれるものです。しかし、同和教育の観点から大阪府教育委員会は学校現場にはさほど強制は行わなかったように思います。職員会議で、朝鮮文化研究会の顧問であった同僚が、同会に所属する生徒が「日の丸」があがらなくてよかったと言っていたと報告したことは印象的でした。その頃も、日の丸」にそれほどのこだわりを持っていない生徒の方が多かったかもしれません。しかし、日本と中国・朝鮮半島等の歴史を考えると、少数であったかもしれませんが、「日の丸」「君が代」に忌避感を持つ生徒はいましたし、私自身、通名で生活することを余儀なくされている日本社会の在ありように、戦争は終わっていないとも感じていましたので、学校で「日の丸」「君が代」を執り行うことは絶対に反対でした。

(9)昭和天皇の死を通して

1989年1月7日、昭和天皇が亡くなり、1月9日の始業式には、校門に「日の丸」が半期として翻りました。教師になって以来初めて私は校門に翻る「日の丸」を見ました。その光景は今でも忘れることはできません。なぜなら、それまでの職員会議では、何度も議論をし、学校で「日の丸」「君が代」は執り行わないことが確認されていたからです。昭和天皇の戦争責任をあいまいにしたままで、その死に対し学校として哀悼の意を表することに多くの教員が異議を唱えました。それを無視して文部省、教育委員会の指示に従い「日の丸」半旗を掲げた校長への抗議の気持ちを込めて、何人もの教員が始業式に出ませんでした。私は当時1年の担任でしたが、そのクラスには中学で「本名宣言」をし、本名で学校生活を送る生徒がいました。先に触れた、「ちゃんと歴史を子どもたちに教えてほしい」と言った保護者というのは、その生徒の母親でした。私も始業式には出ませんでした。それでもその頃は、校長からも教育委員会からも何の「指導」もありませんでした。学校には、「日の丸」「君が代」に忌避感を持つ生徒、保護者、教員がいることが、大阪の学校ではあたりまえのように理解されていたと言えます。

(10)学習指導要領改訂

文部省(当時)は、1989年3月に「学習指導要領」を改訂し、「日の丸」「君が代」の強制をさらに強めました。従前の表記を「国歌を斉唱するよう指導するものとする」と改め、斉唱の場面も「入学式や卒業式などにおいて」と、より明確に定め、ついに、これまでの「望ましい」という態度を放棄してしまったのです。以降、大阪の学校現場では、管理職を通してこれまでになく「日の丸」「君が代」は強制されることになりました。しかし、多くの教職員は地道に管理職と話し合いを続け、教育現場で「日の丸」「君が代」を執り行うわけにはいかないと理解を求めました。

・東寝屋川高校で
1989年4月、私は東寝屋川高校に転勤しました。そこ出会った本名で通う在日朝鮮人Kによって、再び私は在日の生徒に向かい合うことができたような気がします。彼女は文化祭の有志企画として、『サムルノリ』(朝鮮の農楽)を行い、後日冊子も発行しました。私はその顧問として、彼女をはじめとする在日の生徒、そして日本人生徒と接しながら、在日の生徒に絶えずいろんな形で同化を迫る日本社会のありようを改めて痛感しました。それは私自身も含めて、ともすれば、多数の日本人のなかにいる少数の在日の生徒を見失いがちだということです。

「日の丸」と「君が代」の強制は学習指導要領の改訂後、東寝屋川高校でも管理職は教育委員会の指導通り、これまでになく強硬に卒業式や入学式での実施を迫るようになりました。しかし、職員会議では多くの教職員が反対意見を出しました。強くなりました。1995年、私が東寝屋川高校で初めて担任した第18期生の卒業式、校長は、障がいのある生徒が卒業するのに「君が代」斉唱はふさわしくないと実施を見送りました。まだまだ一人ひとりの生徒が大事にされていた時代です。
大阪の学校では、そのように卒業式や入学式で「君が代」を実施することについては真摯な議論があったのです。

・新入生が退場した入学式
1999年4月、私は第22期生の担任となりました。新たに赴任したK校長は入学式式次第において「君が代」斉唱を行うと宣言しました。この年の卒業式まで、同校では、式場で開式前に「君が代」のテープを流す方法が取られていました。なぜ、このような形態が取られたかというと、先に記したように、教育委員会の指示を受けた管理職の、とにかく「君が代」を流す形を作りたいという意向と、最低限生徒にだけは聞かせたくないとする教職員の意向の妥協点がその形だったのです。とても不自然な形態でしたが、大阪の学校ではこのような形が多々取られていました。

さて、第22期生の入学式を前に、校長と何度も話し合いを持ちましたが、それでもK校長は実施する意向を翻すことはありませんでした。私たち1年学年団は、教員にできる最低限のこととして入学式直前に新入生にプリントを配布し、その事実を伝えるとともに、入学式の主役として、新入生の一人ひとりに日本国憲法19条思想・良心の自由が保障されていること、21条では表現の自由が保障されていることを担任から伝えました。結果、入学式では多くの新入生が「君が代」斉唱時に式場から退出し、また私を含む多くの教員も退出しました。上意下達により、「君が代」を式次第に入れ有無を言わさず起立し歌わそうとするやり方は人権教育の観点のみならず公教育の条理に照らし合わせても納得できないものだったわけです。私は、担任クラスでプリントを配り、新入生にことの経緯を話し、『憲法』や『子どもの権利条約』の話をしましました。そして、このような事態になったからには、一人ひとり、自分の問題として判断してほしいと話しましました。その時、真ん中あたりに座っていた一人の生徒が隣の席の生徒に『そんなん、どうするか学校で決めておいてほしいやんなぁ』とそういうことを話す声が聞こえて来ましました。私は、それが入学生にとっては正直な思いだろうと聞きながら、これはだれかに決めてもらってそれに従うという問題ではないので、自分でどうすればいいか迷う気持ちも当然あると思うが、でも、一人ひとり自分で決めて欲しいし、決めなければならないことだというようなことを話しました。
入学式が終わって、生徒や保護者のなかには、今後の高校生活に不安を抱かれる方もいるのではないかと思い、人権教育の係り、学年通信の係りとして、校長や学年団の教員らと相談の上、校長からのメッセージとともに、次のような記事を掲載しました。長くなりますが、全文を引用します。

「 東寝屋川高校では、開校以来、今春の入学式まで新入生を前に「君が代」が流れたことはありませんでした。今春の入学式を前に、学校長から入学式において開式に先立ち『君が代』を入学生に聞かせたいとの要請があり学校長ともども教職員一同この件について限られた時間の中で論議を続けて来ました。これまでの本校の教育活動の経過を振り返り、そして、また、「日の丸・君が代」について入学生・保護者の方々がそれぞれのご意見をお持ちであろう事を考えあわせ、本校の教育活動のスタートの場である入学式において、主役である新入生一人一人のアイデンティティを尊重するにはどのような形で入学式を執り行うのがよいのか、どうすればよいのか、入学式直前まで議論を続けました。何よりも、入学式が混乱するようなことは何としても避けたいというのが、学校長を初め、私たち一年学年団、そして全教職員の一致した意見でした。
入学式当日、「君が代」を流すに先立って、メロディだけでも新入生に聞かせたい、しかし、どうしても聞くことができないという人については配慮したいとの学校長の意向を受け、一年学年団として、式場入場の前に今起こっている事態を新入生に説明をし、そして、式場において校長より前述の説明がなされた折り、新入生が意見表明(退席するか、その場に残るかの判断)をしやすいように、学年団の教師から生徒に対し「このような形で『君が代』を聞きたくないとう思う人は、退席できます」と声をかけるようにした次第です。
思いがけない突然の事態にとまどった生徒も多かったと思います。保護者の方からも、いくつかの忌憚なきご意見をいただいております。私たち一年学年団は、この「入学式」が巻き起こした波紋を忘れることなく、今後の日々の教育活動を通して「生きる力」―さまざまな意見に耳を傾け、論議をし、考える中で、自らの意見を表明することのできる力の育成を目指していきたいと考えております。どうかこれからも子どもたちの教育を巡っての連携についてご尽力のほどよろしくお願いします。」

校長の強引とも言える「君が代」実施の後、「日の丸」「君が代」問題はあからさまになり、皮肉にも、保護者や生徒を含めて真剣な議論を交わすことになったのです。

そして、4月の人権教育において、生徒たちに入学式についての意見・感想を書いてもらいました。入学式における「日の丸」「君が代」について、多くの生徒たちが意見を書いてくれました。それは今も残していますが、この時、確認できたことは、生徒たちの間に実さまざまな意見がある以上、それぞれ異なる意見を尊重する必要性でした。これは、私自身の、これまでの「日の丸」「君が代」問題に取り組む教員としての責任の内実が変わったということでした。つまり、生徒の目に触れさせない教員としての責任から、生徒らの間にある多様な意見を尊重する、とりわけ少数者の意見を尊重する責任を大きく意識することになったのです。校長とはその後話し合い、入学式の件について、学年通信にも寄稿してもらいました。このように、教育委員会から指導・指示を受け、現場ではなによりも話し合いを大切にしてきました。行政、管理職、現場の教員、生徒、保護者、市民、それぞれが立場が異なることを考えますと、話し合いは非常に大事でした。

・うちらの卒業式には「日の丸」も「君が代」もいらない
2000年3月東寝屋川高校20期卒業式もとりわけ忘れられません。私は生徒たちから教えられました。東寝屋川高校では、毎年、卒業生が卒業式委員会を結成し、自分たちの卒業式に取り組むことが伝統でありました。20期生は「日の丸」「君が代」問題に取り組みました。まず、卒業式委員は、その実施の是非についてみんなの意見を集約し校長と話し合いまで持ちました。そして、学習指導要領を根拠にあくまで実施するという校長に対し、「うちらのめでたい卒業式に血で汚れた「日の丸」も「君が代」もいらない」と、全校生から署名を集め、1、2年生のクラスにおいてもアピールを行いました。私は、このとき中心となった女子生徒から次のような話を聞いました。「私は小学校時代に教わった平和教育や同和教育を通して、学校に「日の丸」や「君が代」はいらないと思っていた。ところが、東寝屋川高校に入学したとき、だれもいないところにしても『君が代』が流され、誰も見ていないにしても屋上に『日の丸』が掲げられていることを知った。このことに私は、ずっとおかしいと思っていた。」と。私はこの言葉を聞き、さらに公教育の場で「日の丸」「君が代」を執り行ってはいけないとの思いを強くしました。そして、そのことを、生徒と共に考えていかなければならないとも思いました。私が担任した22期生も、先輩らが卒業式を自ら作り出す過程を見て、自分たちの卒業式は自分たちの手で作っていきたいと話していました。しかし、私は22期生1年担任を終えた後、四條畷高校に転任することになりました。

・卒業式とは
東寝屋川高校についてもうひとつ述べておきたいことがあります。このことは後述しますが、同校は2009年度の卒業式において、大阪で初めて卒業式における「君が代」斉唱時不起立を理由に4名の教員が戒告処分を下された学校です。私はそのことを知ったときに、東寝屋川高校が卒業生を中心に手作りの卒業式が作られて来た伝統、そして「君が代」の実施についても教員だけではなく生徒自身が声をあげて来た伝統を潰し、まさに「日の丸」「君が代」のもとに、卒業証書を与える厳粛な儀式にするためだではないかと感じました。「君が代」強制とともに、東寝屋川高校のように卒業生を主体とした対面式の卒業式はもう今ではほとんど残っていないように思います。「日の丸」「君が代」を執り行うに連れ、卒業式そのものも変えられてしまいました。

・四條畷高校100周年記念行事
私は、2000年4月に四條畷高校に転勤しました。そこでは、「日の丸」「君が代」の強制はさらに一段と進んでいました。2003年、おそらく府立高校で初めて百周年記念行事でも「君が代」斉唱が行われることになりました。当時私は、2年の担任であり人権教育の担当でもありました。私にできることはと考えて、2年生全員に以下の内容のプリントを配布しました。

100周年記念式典における「国歌」「国旗」の問題
 みなさんも既に知っていることと思いますが、教育の場において「国歌」・「国旗」をシンボリックに取り上げることについては賛否両論の考え方があります。ここ数年特にこの問題は社会的にも大きく取り上げられています。みなさんの中には、小・中学校の入学式、卒業式、また本校の入学式の折りに、その問題について話し合ったり、深く考えた人もいるかと思います。
 さて、本校の100周年記念式典において、国旗が掲揚され、国歌が斉唱されることになりましたこの問題は思想・信条、良心に関わる側面があります。言うまでもなく、みなさんは日本国憲法によって思想・信条の自由が、良心の自由が保障されています。また、国際条約「子どもの権利条約」によって意見表明の権利も保障されています。
  学校が教育の場である限り、みなさんにひとつの思想を押しつけたり、一人ひとりの意見表明を拒むことはあってはならないことです。みなさんは自由に意見表明することができます。また、式典に臨み、みなさん方が自分の良心を守るためにいかなる行動を取ったとしても、そのことによって一切不利益を被ることはありません。そのことだけは伝えておきたいと思います。
なお、この問題についてクラスや学年、学校全体で話し合う時間を保障できなかったことを人権教育の係として申し訳なく思っています。私たちの学校で行われる様々なことが持つ意味、それが私たちにどのような影響があるのか、私たちの人権が侵害されることがないか、他者の人権を侵すことがないか、今後もみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

・四條畷高校卒業式 C評価 人権救済の申立
翌2004年、第57期生の卒業式予行の折、卒業生のMさんが校長に対して、「君が代」斉唱時に歌う・歌わない自由はあるのか、座ってもいいのかという質問をしました。質問に答えようとしない校長に対し私は、「卒業生は明日の卒業式を気持ちよく迎えたいと思っている。担任としてお願いしたい。卒業式で国歌を歌うことの是非については、社会でも大きな問題になっている。憲法19条は思想・良心の自由を保障している。卒業生一人ひとりが自分の良心にしたがって、歌う・歌わない、立つ・立たないを決めざるを得ない状況において、誰が歌った、誰が座ったなどで思想や良心が識別されることがないことを確認してほしい」という趣旨の発言をし、彼女の質問をサポートしました。また、卒業式に関しての保護者からの要望書を教職員に伝えました。

これらのことで、校長は私に「教職員の評価・育成システム」により、四條畷高校で唯一人、Cという低い評価をくだしました。2005年10月、私はこのことを大阪弁護士会に人権救済の申立を行いました。教師として生徒・保護者の意見表明の権利を擁護することは極めて当然のことです。にもかかわらず、教員評価でマイナスの評価をされることは、私に対する人権侵害だと考えました。

2008年11月、大阪弁護士会は四條畷高校校長と教育委員会に対し「C評価は思想・信条を理由としてなされたものであり、思想・良心の自由を侵害する不公正な評価であるから撤回し、適正な手続きを取るように」という内容の勧告を出しました。詳細は、その後、四條畷高校人権研修の場において、事例報告「自らの人権が侵害されたときのために」と題して詳細を報告しましたので、それを添付いたします。
卒業式予行の折、校長に質問をしたMさんの保護者にも一連の出来事をお伝えしました。その後、Mさんに会った時、彼女が私のC評価に対して責任を感じていることを知りました。もしも、彼女のなかで「君が代」に対し疑義を表明することが問題を引き起こしたのだと考えているなら、それは違うと彼女に伝えましたが、このような生徒の問題意識を封じ込めるようなやり方に、改めて、「君が代」について自らの意見も含め生徒の意見表明を尊重していかなければならないと考えました。

教育委員会や校長に「勧告」の実施を求めていましたが、その実現がかなわぬまま突然私は転勤を命じられました。このことについても怒りを禁じ得ません。「君が代」にもの言う教員に対する弾圧と言ってもいいかもしれませんが、生徒たちに、権力のもつ恐ろしさに、ものを言うことをためらわせることになったとすれば、忸怩たる思いがあります。

・枚方なぎさ高校
2009年4月、私は枚方なぎさ高校に赴任しました。OO校長は最初に、私が「君が代」強制に反対してきたこと、弁護士会に人権救済申立をし「勧告」が出たこと、そしてその実現を教育委員会に迫っていることは了解していると話しました。以後、校長とは立場の違いはあれ、何度か話し合いの場を持つこととなりました。

枚方なぎさ高校では、2010年卒業式を前にして、O校長が3年担任を一人ずつ呼び出し「君が代」斉唱の際、起立するかどうかの意思確認をしていることを3年担任より聞きました。これはこれまでにはなかったことでした。このことは、思想チェックに当 たる旨をO校長に告げました。翌年、国語科の意向もあり私は担任を希望しましたが、O校長は頑として私の担任希望を認めませんでした。校長からは人権教育推進委員会の長をやってほしいと懇願され、私は残された3年間の教員生活を人権教育にあてようと考えました。

2010年4月1日、職員会議において、私はO校長に対して、3点を要望しました。1点目は、「東寝屋川高校卒業式において「起立・斉唱」の職務命令が発出され、「不起立」を理由に4名の教員が4名懲戒処分を受けた。このことについて、同じ府立高校校長として、府教委に抗議をしてほしい。」と。O校長の回答は「してもどうにもならないだろう」とのことでした。2点目は「枚方なぎさ高校でも3年全担任を個別に一人ずつ呼び出し、『君が代』斉唱時に起立するかどうかの確認をされたと聞くが、これは思想のチェックになる。入学式に向けて1年担任団にはそのようなことはしないでほしい」と。校長はこれに対し「しない」と言明しました。3点目に、「職務命令は出すべきではない。出さないでほしい」と要望しました。校長は、「職務命令は出すつもりはない」とはっきりと答えました。

・橋下府政下 強まる強制
2008年2月橋下徹氏が大阪府知事として就任し、以後大阪府教育委員会は彼に翻弄させられることになりました。それはツイッターやマスコミ記事を見ればよくわかりますが、ここでは府下全般で何が起こったか述べるにとどめます。

大阪府教育委員会は、2009年度「府立学校指示事項」における卒・入学式における「日の丸」「君が代」の実施について、これまでとは異なる姿勢を示しました。それは次のような文言の変化に表れていました。

「入学式や卒業式においては、学習指導要領に基づき、国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導するとともに、『望ましい形』となるよう、その指導の徹底に努めること」(前年度までは「徹底」ではなく「充実」)。

「教員は教育公務員としての責務を自覚し、国歌斉唱に当たっては起立し斉唱するとともに節度ある行動をとること」(前年度までは「起立」のみで「斉唱」はない)。

そして、2009年春、I高校では不起立者の調査が行われ、入学式前には1年担任団全員に校長から個別に「起立するよう指導」がありました。しかし全員が不起立でした。また、I支援学校でも同じようなことがありました。結果、両校の不起立者全員に顛末書提出が求められ、提出に応じた全員27名が「厳重注意」処分とされました。

2009年3月18日、教育委員会は、この時期としては異例の通知を府立学校長あてに出し、改めて、「教員には教育公務員としての責務を自覚させ、国歌斉唱に当たっては、起立し斉唱させる」ことを求めました。政治の力によるものとしか考えられないことでした。

その後、私がかつて勤めた東寝屋川高校の卒業式で、担任団全員が不起立を理由に、当該の担任らが全員「顛末書」提出を求められました。また同じように近隣のN高校入学式においても担任団全員が不起立を理由に「顛末書」提出を求められました。そして、6月2日、大阪府教育委員会は退職者1名を除く両校の当該の教員15名に「厳重注意」処分がくだされました。「日の丸」「君が代」の強制はさらに進んでいったのです。

さらに、2010年1月15日、大阪府教育委員会は、「平成21年度府立学校に対する指示事項」を「参考」に掲げ、教育振興室長名で府立学校長・准校長に「卒業式及び入学式の実施について」を通知しました。東寝屋川高校N校長は府立高校・府立学校校長のなかでただ一人、3年担任全員に「君が代」起立斉唱の職務命令を発出しました。これは大阪府立高校の歴史のなかでは初めてのことでした。

卒業式では、学年主任を初めとする3年担任団全員の4名の教員がそれには従わず、大阪府立高校において初めて「君が代」不起立により懲戒処分すなわち戒告処分がくだされました。「君が代」に対する不服従の歴史は、東寝屋川の伝統のなかで生きていたと言えます。私は11年間そこで教員をした経験から、そして私の長女が3年間そこで学んだ経験からよくわかります。

・枚方なぎさ高校で
最後に枚方なぎさ高校での4年間について述べます。理不尽な形で転勤させられましたが、枚方なぎさ高校で教師として私が体験したこともひじょうに大きなものでした。

枚方なぎさ高校は、磯島高校と枚方西高校の統廃合によって2004年開校しました。前身の磯島高校の最後の卒業式では、卒業生のほとんどが「君が代」斉唱時に着席したと、枚方西高校はたった一人の卒業生が「君が代」を斉唱したとしてマスコミでも取り上げられていましたが。それだけ「君が代」の問題は大きく受け止められていました。

・自立支援コース
また、枚方なぎさ高校は、大阪が全国で唯一共生教育を目指して知的障がいのある生徒を受け入れている高校のひとつでした。それだけに人権教育や共生教育には熱心な学校でした。その反面現実的にいろいろな課題に直面するとも言えます。私自身も「国語」担当者として、自立支援コースの生徒(別枠入試で入学の知的障がいのある生徒)との共生授業は始めての経験でした。

他に印象に残っていることと言えば、当時の人権教育推進委員長から相談され、教職員人権研修で、
野宿者問題を取り上げ、野宿者ネットワーク代表の生田武志さんをお迎えしたことです。貧困の問題は人権にかかわる問題として社会でも大きくクルーズアップされていました。前任校の四條畷高校では62期生全員に学年人権行事として講演いただいたことがありましたが、いろいろ考えさせられることが多々ありました。講演でも、野宿者襲撃などの実例をお話しいただき、加害者の子どもらにはそのまま大人社会の意識が反映していると聞き、改めて人権教育の必要性を痛感しました。

・人権教育推進委員長として
転勤2年目は当然担任をするつもりでした。教科でもその予定で第7期生受け入れの準備もしていました。ところが、校長からは頑として認めてもらえませんでした。何度も最後の3年間を第7期生の担任としてかかわりたいと話しましたが、それでもだめでした。校長からは、人権教育推進委員長をやってほしいと言われ、最終的にはそれを受けることにしました。

2010年4月1日、職員会議において、私はO校長に対して、3点を要望しました。1点目は、「東寝屋川高校卒業式において「起立・斉唱」の職務命令が発出され、「不起立」を理由に4名の教員が4名懲戒処分を受けた。このことについて、同じ府立高校校長として、府教委に抗議をしてほしい。」と。O校長の回答は「してもどうにもならない」とのことでした。2点目は「枚方なぎさ高校でも3年全担任を個別に一人ずつ呼び出し、『君が代』斉唱時に起立するかどうかの確認をされたと聞くが、これは思想のチェックになる。入学式に向けて1年担任団にはそのようなことはしないでほしい」と。校長はこれに対し「しない」と言明しました。3点目に、「職務命令は出すべきではない。出さないでほしい」と要望しました。校長は、「職務命令は出すつもりはない」とはっきりと答えました。府教委の指導の下、管理職の苦しい立場を理解しつつも、府立高校における「君が代」強制がこれ以上進むようなことがあってはならないと考えていました。

・第7期生入学式
 2010年4月8日、入学式で第7期生を迎えました。「君が代」斉唱時は今までと同じく立つことはありませんでした。翌日の新入生オリエンテーションでは、人権教育委員長として憲法の話をしました。人権教育推進委員長としての仕事はおもに4つあります。全校人権教育行事の企画、教職員人権研修の企画、寝屋川支援学校との交流、それ学年の人権教育のサポートです。全校人権行事は、コミュニケーションをテーマとして映画に、また、教職員人権研修は障がいのある人との交流を中心に考えました。第7期生には、教科からは担任がいなかったため担任代わりとしてかかわりました。また、それ以外に生徒間ではいろんな問題事象がおこりましたが、第7期生で起こったいじめの問題については、生活指導部であったこともあり、何度も家庭訪問に行きました。また、この年度では、かつての教え子から頼まれて3年の国語表現のクラスで出前労働法授業を実践しました。社会ではブラック企業という言葉が出てくるなど、労働現場で声を上げることの必要性が言われ始めた時でもありました。

・人権教育
2011年、人権教育推進委員長として2年目でしたが、在籍する聴覚障がい者への集会時のケアを徹底しました。あらかじめ、集会発言者の原稿を該当生徒に渡すだけのことでしたが、ともすれば、少数者で忘れられがちであった生徒へのケアができたことはよかったと思います。他には、韓国籍の生徒に朝鮮奨学金の紹介ができたことも挙げられます。全校人権行事は「一歩踏み出せば風はかわる~在日二世のゴスペルシンガー新井深絵」ライブを行い、事後学習として民族差別の問題に取り組みました。職員人権研修は、「高校生への労働者権利教育~労働現場の実態は?労働法教育とは~」をテーマにNPO法人POSSEから講師をお迎えしました。これは働く現場で起こる人権侵害について声をあげることの必要性を私自身が痛感していたこともあります。その折に、うかがった労働現場の「無限の「指揮命令」つまり使用者が労働者に対してどんな要求でもできる職場の労使関係の実態を聞き、人権教育を通して声をあげられる労働者を育成するにはどうすればよいかとも考えました。また、職場におけるパワーハラスメントの防止及び対応に関して」という題で伊田弘行さんからお話をうかがい職員間で一定パワハラ問題についての認識を深めることができました。

・「君が代」条例
ところが、この年の6月大阪維新の会は数の力にものを言わせいわゆる「君が代」条例を成立施行しました。およそ、人権教育の観点から見れば、政治が行っていることは問題だらけでした。

2012年1月17日、教育長通達が出て、卒業式を前に、「君が代」起立斉唱の職務命令が出ました。すべてがこれまで現場でやってきた人権教育とは真逆のことでした。3月の卒業式では、大阪府下で「君が代」不起立のため多くの処分者が出ましたが、私自身は、第6期生は授業をまったく担当していなかったこともあり、母の頼みを受け入れ熊本の叔母の法事に同行し卒業式は休みました。

そして、2012年4月の入学式を前にして、私は「君が代」起立斉唱職務命令とはじめて対峙しなければならなくなりました。

・「君が代」は歌えない新入生の存在
第9期生は副担任でもあり、そして最後に迎え入れる新入生でした。そして、人権推進委員長として入試選抜の調査書等資料を再度読み直し、また、中学訪問の資料から人権教育上配慮を要する生徒の確認が重大な仕事でした。これは顛末書追加資料にも記載しましたが、新入生のなかにクリスチャンで「君が代」斉唱はできないという生徒がいることがわかりました。中学訪問で知った情報はいわゆるセンシティブ情報で直接新入生や保護者に確認することはできません。私は入学までのわずかな時間を利用して中学を訪れましたが、ただ、1年からも申し送り事項として記載してあったというだけで詳細は分かりませんでした。これまでにも、卒業式の事例ですが、第5期生の中国人卒業生は予行の後、自分は「君が代」は歌わないと言い、卒業式を欠席したことがありました。後にその9期生の保護者からは、「私共は、キリスト教信仰の由に『君』とは天皇を指すものであり、偶像崇拝にあたるとの観点から『君が代』を歌うことを、子どもたちにも禁じております。」と書かれた手紙を頂戴し、また生徒自身とも話をし、「自分は『君が代』は歌わない」と聞きました。が、その折には生徒にも保護者にも直接確認することは不可能でした。(前後で齟齬があるように思います)

卒業式や入学式で、「君が代」をどう執り行うか、また執り行わないかは、教育行政、教員、生徒、保護者にとって切実な問題であり、多くの真摯な議論の末、決定して来たところです。特に繰り返しになりますが、人権教育においては少数者が排除されぬよう配慮することは最も必要なことでした。

・慣例上の儀礼的な所作とは
これまでの最高裁判例では、卒業式や入学式において、「君が代」斉唱は、慣例上の儀礼的所作として広く行われていたことは周知の事実だと言われていますが、少なくとも、大阪府立高校で一般的・客観的にみてもそのようなことはありませんでした。確かに多数派価値観としては、「君が代」をに歌うことに抵抗はなかったでしょうが、そのなかで少数者はともすれば、多数者価値観のなかでなかなか声を上げることも困難な状況にありました。人事委員会で今回証人として立ってくれた松村紘子さんの証言にもあるように、卒業式で「君が代」を歌うことに疑問を持っている生徒は多数ではありませんが、います。

最高裁は、これまで「君が代」起立斉唱職務命令について、憲法19条に保障された思想・良心の自由に対する間接的制約には当たるが、それなりの必要性・合理性が認められるゆえ違憲ではないと判断していました。その理由としてあげられているのが、起立斉唱は「慣例上の儀礼的所作」であることでした。しかし、それこそが人権教育上では最も問題にして来たことです。みんながやっているから、みんなそうだからは差別を肯定する理由にならないと、私は最高裁に言いたいです。

さて入学式を前にして、私は校長のところを何度も訪れました。それは、顛末書にあるように、私の教員としての責務を理解してもらうためでした。私は、校長にだけではなく誰に対しても一貫して「君が代」は起立できない・歌えないと言って来ましたが、校長はただの一度も私を呼び起立斉唱をするように指導したこともなければ、まして個別の職務命令を出すこともありませんでした。ただ、私の意思が固いことを知っているだけに、府教委が指示した役割分担では式場内にはしないことはわかっていました。第7期生の副担任であろうが人権教育推進委員長であろうが、入学式で不起立者処分者を出さないよう私を式場外の役割にすることは目に見えていました。そもそも、教育委員会が「君が代」起立斉唱の職務命令だけではなく、マニュアルを作ってまですべての教職員に式場内と式場外の役割分担まで校長に決定させ、そのうえ、職務命令まで出したのは何のためでしょうか。条例施行後、一般的また客観的に考えれば「君が代」起立斉唱の職務命令だけですむはずです。教育委員会の作成したマニュアルを見れば、その意図はよくわかります。「君が代」起立斉唱を徹底するためです。だからこそ、式場内には誰がいるか把握する必要があったのでしょう。枚方なぎさ高校で君が代」斉唱時には立てないと言明していた教職員は私だけでした。しかし、私は校長に話さなければならないと考えました。人権教育でなによりも大切なことは異なる立場のものが対話することです。これまで人権教育に携わってきた私はまずは校長に説得に努めるべきだと考えました。何度も校長のところへ行き、立場こそ違え私の教員としてのあり方を理解してもらおうとしました。 

・役割分担職務命令とは
校長はある程度まで私の立場を理解してくれたように思います。4月6日の職員会議で配布された役割分担は、私は式場外でした。しかし、その折、こういう状況のもと役割分担の変更も認めてほしいと私が発言すると、希望があるなら教頭に言って調整してもらえばよいと本当にあっさりと認めてくれたのです。その日は他に会議や出張もあり教頭に希望の申し出はできませんでしたが、9日(月)に2名が式場内から式場外へ、そして1名が式場外から内への変更の申し出があったと、教頭から聞きましたので、それなら1名式場内が少なくなるから私が式場外から式場内に希望すると言ったところ、教頭は言下に否定しました。教頭にしてみれば、「君が代」では立てないと言っている私を式場内に入れることなどもっての他だと思っていたようです。覺道教頭は、もし私の希望を受け入れなかった理由を人数的な問題として役割分担を組み直さなければならないが、その時間がすでになかったと答えていますが、4月6日職員会議で出された役割分担表、すなわち職務命令発出時にということですが、そこには参列者は16名とありますが、最終のつまり変更後の役割分担表では13名と3名も減っています。また正門警備は逆に3名から4名に増えています。つまり、仮に教頭が言うように役割分担の人数的なことが問題であれば、私を式場外から式場内にする方がよく、また入学式で教頭が絶えず気にしていた列席教員の少なさという点からもよかったわけです。それなのに教頭が変更しなかったのは「君が代」斉唱時に立たない教員を式場内に入れるわけにはいかないという判断からです。

私は、人権教育委員長としても、「君が代」を歌えない新入生がいることを聞き、よけいに参列する必要があると感じていました。参列したからといって何ができるわけでもありません。しかし、処分されるのを恐れて参列を止める気持ちにはなれませんでした。校長は、職員会議以前から、私に、条例ができた以上は職務命令を出すことになる、命令違反だと処分されることになると、何とか入学式参列を諦めるようにと言いました。それは必ずしも校長自身の保身ばかりでなく、ある意味で校長なりの配慮であったと思います。しかし、それを聞くたびに私はかえって参列する責務を強く感じました。これまで人権教育で、差別に対し見て見ぬふりをしたり、見過ごすことは結局差別を肯定する側に立つことになると話して来たわけですから、校長が処分されることになると言えば言うほど、処分を避けるために自分自身が感じている責務を放棄してもいいのかということになるわけです。

・入学式参列を決意
橋下知事は当時「君が代」起立斉唱が嫌なら逃げ道は与えている、おとなの判断をすればよいと、式に出なければいいと言い始めました。なんというおかしな理屈でしょうか。彼の頭の中には、とにかく形の上だけつまり儀礼的に全参列者が「君が代」斉唱している構図さえ作れれば満足だったのでしょうか。そしてその図ができれば、次は教員が生徒を「指導」することになります。「君が代」に疑義をもつ生徒はますます孤立化していくことは目に見えています。

私はやはり参列しようと心に決めました。だれよりも早く校門に行き、警備の仕事というよりは、新入生と保護者に挨拶をしました。そのうち他の教員も集まって来てみんなで声掛けをしました。その場をどうやって離れようかと考えました。誰かに断るわけにはいきません。どんな形でその教員に迷惑がかかるかしれません。すると、一人の保護者が、リボンを忘れたので届けてほしいと頼まれました。私はそのことを断り教室に届けた後、体育館に急ぎました。

入学式が始まる寸前でしたが、空席はたくさんありました。教頭の証言にもありますが、あとで確認するといくつか空席がありました。福井証言にもある通り、式場内・式場外役割分担職務命令は出ていましたが、現場の教員にしてみれば、それは「君が代」不起立の教員を処分しやすくするためであることはだれもが知っていました。よって、役割分担職務命令そのものを守らなければと考える教員はまずいなかったということです。でなければ、「参列者」で席にいなかった教員は当然処分されることになるでしょうが、そんなことは一切なかったからです。

・人権教育の観点から
卒業式や入学式で、「君が代」をどう執り行うか、また執り行わないかは、教育行政、教員、生徒、保護者にとって切実な問題であり、多くの真摯な議論の末、決定して来たところです。繰り返しになりますが、人権教育においては少数者が排除されぬよう配慮することは最も必要なことでした。

最高裁は、これまで「君が代」起立斉唱職務命令について、憲法19条に保障された思想・良心の自由に対する間接的制約には当たるが、それなりの必要性・合理性が認められるゆえ違憲ではないと判断していました。その理由としてあげられているのが、起立斉唱は「慣例上の儀礼的所作」であることでした。しかし、それこそが人権教育上では最も問題にして来たことです。みんながやっているから、みんなそうだからは差別を肯定する理由にならないと。私は最高裁に言いたいです。

その「慣例上の儀礼的所作」の論理が、日本に蔓延っている差別や人権侵害に対して誰も責任を感じない無責任さを生み出しているのだと。

国旗国歌法と「君が代」条例
1999年国旗国歌法の制定過程において、衆議院内閣委員会文教委員会連合審査会で当時の有馬文部大臣は、国歌斉唱に際して起立したくないと言い張る子どもとの関係において、「その人の良心の自由で、ほかの人に迷惑をかけない格好で、自分の気持ちで歌わないことはあり得る」と明示しました。子どもを例に不起立という具体的な行為を問題として、立法過程における政府の憲法解釈として、国歌斉唱時の不起立が憲法19条の保護領域に入り得ることが認められていたわけです。

ところが、大阪の「君が代」条例は、教育基本法では規定されていない「意識の高揚に資する」という文言を用いて府民への「愛国心」の高揚という特定の内面的価値の勧奨を目的としています。そのために大阪の全教員に一律に「君が代」起立斉唱を強制しました。さらに、職員基本条例により、不起立の懲戒処分をこれまでに比して容易に機械的に行うことをも可能にし、三度の不起立で分限免職とするとまで規定しています。懲戒免職ではないとはいえ、事実上職を失う有体に言えばクビであることには違いありません。大阪の教員がこの条例でどれだけ委縮することか、それが生徒に影響しないわけはありません。学校は子どもたちに「長いものには巻かれろ」と強いもの、大きなもの、多数者価値観に従えと教えるところではないはずです。むしろ、人権教育においては、その逆のこと、つまり、自分自身、自分のアイデンティティを大切にすることを学ぶところであるはずです。

学校教育法第42条三項にはこうあります、
「高等学校における教育については,前条の目的を実現するために,左の各号に掲げる目標の達成に努め
なければならない。 ‥
三 社会について,広く深い理解と健全な批判力を養い,個性の確立に努めること。
  高等学校の教育課程は,この目的の実現と目標の達成とを目ざし,中学校教育の基礎の上に,この段
階における完成教育を施すという立場を基本とするものである。」

まさに、「健全な批判力」の育成を考えれば、国旗国歌法から大阪の条例制定までに流れをこそ学ぶ必要があるのではないでしょうか。

・「君が代」不起立――最高裁は
2015年5月28日東京高裁須藤裁判長は、「自己の歴史観や世界観を含む思想等により忠実であろうとする教員にとっては、自らの思想や心情を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり、…日本国憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」と判じました。憲法19条の実質的侵害に踏み込んだ判決です。そして、本年5月末最高裁は全員一致で東京都教育委員会の上告を棄却しました。

・人権擁護の立場から
現在では、確かに「君が代」を抵抗なく歌う人の方が多いかもしれません。しかし、だからこそ、学校では、歌わない・歌えない生徒の人権を護る必要があります。教員がこれまで培って来た教育理念(それは世界観・歴史観に通じるものでしょうが、私には自分が自分であるための背骨のようなものすなわちアイデンティティといった方がぴったりしています。)を裏切り、命令に従うことは、あってはならないと思います。

それは、私の「思想」や「良心」は、それらを通して形成されて来たものだからです。「思想」はたんにイデオロギー的なものを指すのではなく、体験を通して個々人の核として存在するものだと考えます。条例で定められようが、命令されようが、「君が代」斉唱時には起立斉唱はできません。それは私がこれまでかかわって来たもの、そして私のなかに蓄積されたものすべてを否定することになるからです。特に教員として「君が代」強制の一翼を担うことは、憲法が保障するところの「思想」及び「良心」を自ら捨てさせられることに等しく到底受け入れられないことなのです。学校における「君が代」強制を抵抗することなくそのまま受け入れることは、教員としてのアイデンティティである「思想」及び「良心」に反する行為を自らが行うことによりそれらを無に帰する行為と言っても過言ではありません。そのような状況から心身を守るためにこそ憲法19条は存在すると考えます。

・条例の問題
大阪の条例では、まさにここが問われているのではないでしょうか。
教員に採用されるとき、私は憲法を遵守することを誓いました。大阪の条例は教員を縛ることにっよって、子どもの教育への権利をも侵害します。これは大阪の教育にかかわる問題です。今後の大阪の教育や日本の教育にも影響があることを念頭に、憲法に則った判決を期待しております。

以上です。

戒告処分取消訴訟で陳述しました!

2016-02-17 17:10:35 | 戒告処分取消裁判
本日(2月17日)、「君が代」不起立戒告処分取消訴訟第3回法廷で、増田俊道さんとともに、冒頭で意見陳述を行いました。また、原告側第2準備書面で各論主張を行いました。

下記に意見陳述書を掲載します。

意見陳述書
2016年2月17日

原 告  志 水 博 子   

裁判官をはじめみなさまへ、私は、「君が代」を歌うことはどうしてもできません。大阪府は、条例を制定し、教職員に「君が代」起立斉唱を義務づけました。それでも私は、「君が代」起立斉唱はできません。なぜ、入学式や卒業式で「君が代」斉唱時、私は座ったのか、短い時間でそれをお伝えすることは難しいですが、精一杯述べたいと思います。

もしも、私が教師という職業を選んでいなければ、私は存外「君が代」を歌ったかもしれない、いや歌わないまでも、学校で「君が代」が斉唱されることにさほど関心は抱かなかったろう、と時々考えます。端的に言えば、私は、私が出会った生徒たちの顔を思い浮かべると、卒業式や入学式で「君が代」を歌うわけにはいかないのです。

見事な軍国少女だったと言う母から、私は子どもの頃、何度も教育の怖さについて聞かされました。翻って私は、平和と民主主義を標榜する戦後の日本で生まれ育ちました。母の時代と違い日本には憲法がある。小学校からの帰り道、友達と憲法の前文を暗唱しながら誇らしげな気持ちになったことを今でも覚えています。
しかし、教師になって、私は「戦争は終わっていない」ことを知ることになりました。日本名で通うことを余儀なくされている在日の生徒の存在が私にそのことを痛感させたのです。

教師になって6年目、就職差別事件が起こりました。本名で就職を望んだ在日韓国人の生徒でした。私ははじめて差別の現実に直面しました。

次に赴任した高校で、本名で通う1人の在日朝鮮人生徒と出会いました。彼女が文化祭有志企画として行った「サムルノリ」を通して、私は在日の生徒が日本社会で生きることがどれほど大変なことか、ここでも知ることになりました。日本社会には民族差別だけでなく、根強い差別が他にも温存しています。大阪の人権教育は、差別を許さない人間の育成を目標にしています。

1999年国旗国歌法ができ、学校では、それ以前にもまして「日の丸」「君が代」について議論が起こりました。翌年の卒業式では、卒業生自身が反対の署名を集め校長に提出しました。私は、なぜ反対するのと聞きました。彼女は「小学6年の時、差別の問題を勉強した。高校の入学式で開式前に「君が代」が流されたのは悲しかった」と話してくれました。天皇を讃える歌は自分たちの卒業式には要らないと言うわけです。差別、民族差別、障害者差別、日本社会の差別の構造は必ずと言っていいほど、その歴史を見れば天皇制と関係しています。

「君が代」は、近代以降、戦前・戦中、そして戦後もずっと歌われ続けて来ました。いつのまにか、「君が代」は日本のシンボルとして扱われるようになってしまいました。しかし、だからと言って教育の場すなわち学校において、生徒たちの人生の節目とも言うべき入学式や卒業式に強制してよいものでしょうか。学習指導要領は文部科学省が告示する大綱的基準に過ぎません。1975年教師になって以来、私は随分大阪の人権教育から学びました。流されてはいけない、みんなやってる、は言い訳にはならない、差別を見過ごしてはいけない、たくさんのことを教員として生徒に語って来ました。

2004年、3校目の学校の卒業式では、「君が代」を卒業式に歌う必要があるのかと問題提起した生徒がいました。枚方なぎさ高校でも、4年前のその前身校の卒業式では、多くの卒業生が「君が代」斉唱時に不起立を選びました。

 卒業式や入学式で「君が代」は慣例として行われてきたわけではありません。差別や理不尽なことを前にした時、自分がそれにどう向き合うか、学校では「君が代」についてもずっと話し合って来たのです。ところが、条例、命令は、有無をいわせず教員に「君が代」起立斉唱を迫ります。それは畢竟学校から民主主義を奪うことになりかねません。

裁判長、全国で唯一教職員に「君が代」起立斉唱を強制し、免職まで規定する大阪府条例は、民主主義国日本の最高法規「日本国憲法」に違反します。私は日本の憲法を誇りに思っています。どうか正しいご判断をお願いします。

以 上

戒告処分取消訴訟第2回口頭弁論

2015-12-06 13:51:25 | 戒告処分取消裁判
すでに、ブロググループZAZAでもお知らせしましたが、明日は、大阪「君が代」不起立戒告処分取消訴訟第2回口頭弁論が開廷されます。

本訴訟は、グループZAZAのメンバーのうち7名で起こした集団訴訟ですが、今回は、元府立支援学校教員のYさんと現職府立高校教員のUさんが冒頭陳述を行ないます。

そして、申し訳ないのですが、原告の1人である私は、今回大連での仕事のためどうしても帰国できません。

メールを通して送られて来た準備書面では、大阪の条例の不当性を訴えています。本裁判を通して、橋下維新の政治が生み出した「君が代」条例と、「不起立」3回でクビにできると定めた職員基本条例が何を目的にしたものか、そしてその条例に従う義務はあるのか、多くのみなさんとともに考えていきたいと思います。

なお、第3回口頭弁論期日は、2016年2月17日ですが、その日は必ず出廷いたします。

快晴に恵まれた冬の大連にて

辻 谷 博 子 





戒告処分取消集団訴訟第1回口頭弁論終わる

2015-10-07 06:12:12 | 戒告処分取消裁判
9月30日、大阪「君が代」不起立戒告処分取消集団訴訟第1回口頭弁論を終えることができました。

原告7名中、1名はどうしても授業の関係上出廷することができませんでしたが、私も大連から駆けつけ6名でこの日を迎えることができました。

冒頭原告意見陳述は、2人の現職教員が行いました。

この日は、被告大阪府(大阪府教育委員会)側から答弁書(第1)が提出されました。また、裁判所から進行協議の要請があり、そこで先々の日程についても決定しました。

第2回口頭弁論  12月 7日(月)10:00
第3回口頭弁論   2月17日(水)13:30
第4回口頭弁論   4月13日(水)13:30
第5回口頭弁論   6月13日(月) 13:30

「君が代」強制そのものがおかしいという原点からすべての処分の無効を問うていきます。

是非とも、傍聴支援をよろしくお願いします。