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教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク

憲法に反する「君が代」条例ならびに公教育の理念に反する大阪の新自由主義的教育諸条例の廃止を求めます。

空野佳弘弁護士講演:聞き書き

2019-02-04 15:41:57 | Tネット総会
Tネット第7回総会における空野佳弘弁護士の講演は、「いま」がどんな時代なのか考える上え非常に示唆に富むものでした。大阪ネットの寺本勉さんの聞き書きまとめ(メモ)を掲載します。

空野弁護士による講演「辻谷裁判における西原意見書に即して」を聞いて(メモ)

寺本勉

辻谷さんの「日の丸・君が代」訴訟の代理人減給撤回訴訟控訴審で、西原先生に意見書を書いていただいたが、昨年交通事故で亡くなられた。惜しい人を亡くした思いだが、西原意見書の内容を紹介し、その論旨をまとめてみたいと思う。

第1
2017.2.10に「西原意見書」を大阪高裁に提出、主な論点は以下の2つ、
1.減給処分は裁量権の逸脱にあたる。
2.大阪における処分メカニズムは「思想・良心の自由」に対する直接的な侵害にあたる。

1. 2つの最高裁判決をもとにした意見

① 起立命令合憲判決
判決からの引用
「上記の起立斉唱行為は,その性質の点から見て,上告人の有する歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付くものとはいえず,上告人に対して上記の起立斉唱行為を求める本件職務命令は,上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものということはできない。・・・本件職務命令は,特定の思想を持つことを強制したり,これに反する思想を持つことを禁止したりするものではなく,特定の思想の有無について告白することを強要するものということもできない。そうすると,本件職務命令は,これらの観点において,個人の思想及び良心の自由を直ちに制約するものと認めることはできないというべきである。」
「個人の歴史観ないし世界観に由来する行動と異なる外部的行為を求められることとなり,その限りにおいて,当該職務命令が個人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面がある」

結論は、不起立処分は合憲というもの〜儀礼的所作、間接的制約、合理的理由があれば良い

② 停職・減給処分違法判決
判決からの引用
「不起立行為等に対する懲戒において戒告を超えて減給の処分を選択することが許容されるのは、過去の非違行為による懲戒処分等の処分歴や不起立行為等の前後における態度等に鑑み、学校の規律や秩序の保持等の必要性と処分による不利益の内容との権衡の観点から当該処分を選択することの相当性を基礎付ける具体的な事情が認められる場合であることを要する。」

櫻井裁判官の補足意見からの引用(判決の趣旨がよくわかる)
「本件の不起立行為は,既に多数意見の中で説示しているように,それぞれの行為者の歴史観等に起因してやむを得ず行うものであり,その結果式典の進行が遅れるなどの支障を生じさせる態様でもなく,また行為者も式典の妨害を目的にして行うものではない。不起立の時間も短く,保護者の一部に違和感,不快感を持つものがいるとしても,その後の教育活動,学校の秩序維持等に大きく影響しているという事実が認められているわけではない。」
「処分対象者の多くは,そのような葛藤の結果,自らの信じるところに従い不起立行為を選択したものであろう。式典のたびに不起立を繰り返すということは,その都度,葛藤を経て,自らの信条と尊厳を守るためにやむを得ず不起立を繰り返すことを選択したものと見ることができる。前記2(1)の状況の下で,毎年必ず挙行される入学式,卒業式等において不起立を行えば,次第に処分が加重され,2,3年もしないうちに戒告から減給,そして停職という形で不利益の程度が増していくことになるが,これらの職員の中には,自らの信条に忠実であればあるほど心理的に追い込まれ,上記の不利益の増大を受忍するか,自らの信条を捨てるかの選択を迫られる状態に置かれる者がいることを容易に推測できる。不起立行為それ自体が,これまで見たとおり,学校内の秩序を大きく乱すものとはいえないことに鑑みると,このように過酷な結果を職員個人にもたらす前記2(1)のような懲戒処分の加重量定は,法が予定している懲戒制度の運用の許容範囲に入るとは到底考えられず,法の許容する懲戒権の範囲を逸脱するものといわざるを得ない。」

東京高裁判決からの引用(2015年5月28日判決)

「「自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られる」こととなるような事態は「日本国憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」(後に最高裁判所第3小法廷の2016年5月31日上告棄却・上告申立不受理決定により確定)

減給・停職には、相当性を基礎付ける具体的な事情が認められなければ裁量権逸脱になる。
そこで、辻谷さんの行為が、減給処分を選択する相当性を基礎付ける事情が認められる場合に当たるかどうか、を考えてみると、

西原意見書では〜減給処分を選択する相当性を基礎付ける具体的事情はないと。

西原意見書からの引用

「卒業式の進行が特別に滞り、生徒や保護者を始めとする列席者に対して直接的な影響が生じたとする認定がなされていない本件において、不起立行為の秩序侵害性は特別に大きいものであったと判断する根拠は存在しないことになる。」
「丸椅子の持ち込んでの不起立についても、卒業生を送り出す式典に同席することに対する教員の教育上の利益を前提にした場合には、「本件不起立に積極的かつ意図的に及んだ」とする認定は適切ではなく、あくまで同席する場に国歌斉唱があったことによりやむを得ず不起立に及んだものと同視することが適切といえる。」
「本件の処分対象は2012年4月の入学式における不起立行為と同種の行為と評価すべきものである。にもかかわらず、それが2回目であることによって減給処分へと加重されているわけであるが、前回行為と比較した場合に特別に重く処罰すべき事情は処分対象行為の性質それ自体の中には存在しない。」
「処分権者としては、「次は免職」としての意味合いを十分に考慮に入れ、そうした意味を持つ加重処分としての条件に合致する処分選択となっているかどうかにつき、十分な検討を行うことが必要とされる」が、そのような検討はなされていない。
「処分対象となる行為の悪質さに比して不必要に重い意味を持つ処分が選択されたことになり、権衡を失する状態に立ち至ったものと認められるのであり、比例原則違反を認定せざるを得ない状況にある。」

府教委は、次は免職という警告書を出しながらも、スリーアウト制とは関係ないと言い張った、判決もそれを追認した

最高裁判決の枠組みからしても、裁量権の範囲を逸脱していると主張したが受け入れらなかった。

2. 維新の会が発表した大阪府教育基本条例案(2011.8.19)条例案

(職務命令違反に対する処分)
第38条 職務命令に違反した教員等は、戒告又は減給とする。
2 過去に職務命令に違反した教員等が、職務命令に違反した場合は、停職とする。
3 前項による停職処分を行ったときは、第27条の規定にもかかわらず、教員等の所属及び氏名も併せて公表する。ただし、前条に基づく不服の申立てが有効になされており、停職処分が取り消される可能性のある場合は、停職処分が確定したのちに公表を行うものとする。
4 府立学校の教員等に対して、第2項に基づく停職処分を行ったときは、府教育委員会は、分限処分に係る対応措置として、第31条第6項に基づき警告書の交付及び指導研修を実施し、必要に応じ同条第7項から第14項までに定める措置を実施しなければならない。
5 府費負担教職員については、本条の規定に沿って、別に規則で定める。
(常習的職務命令違反に対する処分)
第39条 前条第4項で規定される指導研修が終了したのちに、5回目の職務命令違反又は同一の職務命令に対する3回目の違反を行った教員等は、直ちに免職とする。ただし、第37条に規定する不服の申立てが有効になされている場合は、要件に該当することが確定したのちに処分を行う。
2 前項の規定にもかかわらず、懲戒処分とする事由がある場合は、懲戒免職とする。

読売新聞の報道からの引用(讀賣新聞大阪本社版2011年5月17日夕刊)

「大阪府の橋下徹知事は17日、入学式や卒業式の国歌斉唱時に起立しない府立学校や公立小中学校の教員を免職する処分基準を定めた条例を9月の定例府議会に提案する考えを示した。府によると、同様の条例は全国でも例がないという。
 知事は報道陣に、『府教育委員会が国歌は立って歌うと決めている以上、公務員に個人の自由はない。従わない教員は大阪府にはいらない』と指摘し、『繰り返し違反すれば、免職になるというルールを作り、9月議会をめどに成立を目指したい』と述べた。」

これに対する西原意見書の記述

「ここに表明されているのは、国歌を歌うことを是とする思想を絶対化し、少なくとも府内の公立学校教員に対してその思想の無条件の受容を要求するとともに、その思想を受け容れることのできない者を公立学校教員として排除しようとする、明確な思想差別の意図である。」

この条例案が形を少し変えて、職員基本条例が制定(27条)が制定され、辻谷さんは29条2項に基づいて、警告書を出された。

西原意見書からの引用

「こうした制定の経緯を踏まえると、大阪府国旗国歌条例における教職員に対する無条件で国歌斉唱に参加できる信条の強制と、大阪府職員基本条例27条2項における免職条項は一体として構想されたものであり、後者が前者の手段として位置づけられて成立したものであることが明らかになる。」
 「しかし、国歌斉唱に参加することが自らの信条に照らして不可能であるとする教員を、その思想・信条のゆえに公立学校教員としての地位から排除しようとする権力的措置は、憲法19条の思想・良心の自由に対する直接的な侵害となる。」
「条例上の斉唱義務に基づく起立斉唱行為は、前記1に引用の最高裁起立命令合憲判決の用語法でいえば、「その性質の点から見て」当該教員の有する「歴史観ないし世界観を否定することと不可分に結び付く」ものであり、それを義務づける大阪府国旗国歌条例およびそれを実施するための職務命令は当該教員に対して「上記の歴史観ないし世界観それ自体を否定するもの」に該当することになる。」
「本件減給処分が大阪府国旗国歌条例と大阪府職員基本条例によって作り出された思想強制システムが作動する中で生じたものである」
「最高裁は現在までのところ、各自治体における学習指導要領の具体化手続を善意の教育目的のものと捉えるスタンスを維持し、特定思想に対する狙い撃ち的な排除構想の存在を認定しようとしてこなかった。」
「下級審段階で入手可能な証拠の範囲において思想・良心の自由を違憲な形で意図的に無視して特定思想に対する排除を追求する邪悪な意図を立証する手段が入手不可能であったことにも依存している現実である。」
「しかし、大阪府の状況は異なる。」
「日本国憲法が19条を定めることによって防ごうとしていた権力の暴走そのものである。」
「大阪発で日本全体を害しようとする危険な傾向の発露であることが見えてくる。本件の処理を間違えると、21世紀の日本で憲法に保障された個人の基本的人権は、暴力的なコンフォーミズムの中で有名無実化し、空洞化する動きを積極的に追認する意味を持ちかねない、危険な岐路に我々は立たされている。」

特定思想に対する排除構造を立証する証拠はこれまで入手不可能だったが、大阪では明白な証拠としての条例が存在するから、直接的な侵害と言っていいのだ。

・・・これが西原先生の遺言となってしまった。

最高裁は、この西原先生の意見に耳を傾けなかったようだ、昨年4月に上告棄却している。


第2、日の丸・君が代不起立処分の本質―教育の国家統制、政治的介入

そもそも私は、「君が代」処分の本質は、教育の国家統制であり、政治的介入であると考えている。教育の中における生徒が対象となっており、政府の考えでひとつにまとめ上げようとするために、反対する教員を排除しようとするものである。
これまでにもこの主張はされてきたが、最高裁はこれに正面から向き合っていない。

ピアノ伴奏拒否最高裁判決(2007.2.27)
藤田裁判官は学者出身の判事であったが、今は、実際のところで学者判事といえる人は一人もいないのが実情である。

藤田裁判官の反対意見
「1 多数意見は,本件で問題とされる上告人の「思想及び良心」の内容を,上告人の有する「歴史観ないし世界観」(すなわち,「君が代」が過去において果たして来た役割に対する否定的評価)及びこれに由来する社会生活上の信念等であるととらえ,このような理解を前提とした上で,本件入学式の国歌斉唱の際のピアノ伴奏を拒否することは,上告人にとっては,この歴史観ないし世界観に基づく一つの選択ではあろうが,一般的には,これと不可分に結び付くものということはできないとして,上告人に対して同伴奏を命じる本件職務命令が,直ちに,上告人のこの歴史観ないし世界観それ自体を否定するものと認めることはできないとし,また,このようなピアノ伴奏を命じることが,上告人に対して,特定の思想を持つことを強制したり,特定の思想の有無について告白することを強要するものであるということはできないとする。これはすなわち,憲法19条によって保障される上告人の「思想及び良心」として,その中核に,「君が代」に対する否定的評価という「歴史観ないし世界観」自体を据えるとともに,入学式における「君が代」のピアノ伴奏の拒否は,その派生的ないし付随的行為であるものとしてとらえ,しかも,両者の間には(例えば,キリスト教の信仰と踏み絵とのように)後者を強いることが直ちに前者を否定することとなるような密接な関係は認められない,という考え方に立つものということができよう。しかし,私には,まず,本件における真の問題は,校長の職務命令によってピアノの伴奏を命じることが,上告人に「『君が代』に対する否定的評価」それ自体を禁じたり,あるいは一定の「歴史観ないし世界観」の有無についての告白を強要することになるかどうかというところにあるのではなく(上告人が,多数意見のいうような意味での「歴史観ないし世界観」を持っていること自体は,既に本人自身が明らかにしていることである。そして,「踏み絵」の場合のように,このような告白をしたからといって,そのこと自体によって,処罰されたり懲戒されたりする恐れがあるわけではない。),むしろ,入学式においてピアノ伴奏をすることは,自らの信条に照らし上告人にとって極めて苦痛なことであり,それにもかかわらずこれを強制することが許されるかどうかという点にこそあるように思われる。」
「そうであるとすると,本件において問題とされるべき上告人の「思想及び良心」としては,このように「『君が代』が果たしてきた役割に対する否定的評価という歴史観ないし世界観それ自体」もさることながら,それに加えて更に,「『君が代』の斉唱をめぐり,学校の入学式のような公的儀式の場で,公的機関が,参加者にその意思に反してでも一律に行動すべく強制することに対する否定的評価(従って,また,このような行動に自分は参加してはならないという信念ないし信条)」といった側面が含まれている可能性があるのであり,また,後者の側面こそが,本件では重要なのではないかと考える。」
「そして,これが肯定されるとすれば,このような信念ないし信条がそれ自体として憲法による保護を受けるものとはいえないのか,すなわち,そのような信念・信条に反する行為(本件におけるピアノ伴奏は,まさにそのような行為であることになる。)を強制することが憲法違反とならないかどうかは,仮に多数意見の上記の考えを前提とするとしても,改めて検討する必要があるものといわなければならない。」
「このことは,例えば,「君が代」を国歌として位置付けることには異論が無く,従って,例えばオリンピックにおいて優勝者が国歌演奏によって讃えられること自体については抵抗感が無くとも,一方で「君が代」に対する評価に関し国民の中に大きな分かれが現に存在する以上,公的儀式においてその斉唱を強制することについては,そのこと自体に対して強く反対するという考え方も有り得るし,また現にこのような考え方を採る者も少なからず存在するということからも,いえるところである。この考え方は,それ自体,上記の歴史観ないし世界観とは理論的には一応区別された一つの信念・信条であるということができ,このような信念・信条を抱く者に対して公的儀式における斉唱への協力を強制することが,当人の信念・信条そのものに対する直接的抑圧となることは,明白であるといわなければならない。そしてまた,こういった信念・信条が,例えば「およそ法秩序に従った行動をすべきではない」というような,国民一般に到底受け入れられないようなものであるのではなく,自由主義・個人主義の見地から,それなりに評価し得るものであることも,にわかに否定することはできない。本件における,上告人に対してピアノ伴奏を命じる職務命令と上告人の思想・良心の自由との関係については,こういった見地から更に慎重な検討が加えられるべきものと考える。」

最高裁多数意見の立場に対し、
藤田裁判官の意見は、「上告人にとって極めて苦痛、それを強制することが許されるかどうか・・・」

この反対意見は、実に重要なことを指摘している。慣例的儀礼的所作論に対する批判、公の式典で全員が一致した行動を強制されることこそ問題の本質である。これは、これまでの「日の丸・君が代」裁判の中での最高の地平と言える。

最高裁多数意見は、藤田裁判官の着目した点を認めると、教育の国家統制に入って行かざるを得ないため、一種の詭弁を弄して、ごまかしているのだと思う。

藤田反対意見を中心に置いた場合、辻谷さんの「式場外警備」という職務命令は、特定の教員の排除になり、教育統制の一種の手段としてあることになる。裁判は一種の詭弁の世界であり、結論が先にあって、その理由は後でなんとでもつけられる。

上告棄却の意味
最高裁判決の枠組みでは、減給処分は撤回されなければならないはずだが、審理なしに上告棄却されたということだが、2012年1月16日最高裁の「不起立停職・減給処分違法判決」における、あの枠組みは、原則と例外を逆転させたものであり、案外軽いものかもしれない。

大阪の条例についても実質審理しなかったのは、直接的制約という問題には一切関わらないという最高裁の態度を明らかにしたものだ。

社会を大きく変えていこうとする動きの一環として、この判決をとらえる必要がある。その動きが始まったのは90年代からではなかったか。

1937年に南京に入城した元日本兵士東史郎さんが90年代に日記を公表したが、元上官から訴えられた裁判を担当したことがあった。地裁では敗訴したが、高裁では尋問もあり逆転するのではないかと思っていた。一般的には高裁で尋問をやるということはひっくり返る可能性が大きいのだが、ところが、裁判官が3人とも入れ替わり、結果は地裁と同じく敗訴だった。今考えると明らかに政治的な意思が働いていたに違いない確信している。驚くべきことに、日本会議に会長職には元最高裁判事が2人もなっている。

社会は急激に変わる時がある。学会の通説であった天皇機関説が、たった2年間で不敬罪に問われた。その1930年代とは違って、まだ話せる自由が完全には封じられていない。綱引きと一緒で、力のバランスが崩れると、一気に進んでしまう。だからこそ、こうした裁判は重要だと思っている。



第7回Tネット総会・講演会無事終わりました!

2019-02-02 21:59:39 | Tネット総会
空野佳弘弁護士は、資料をもとに、今は西原博史さんの遺言とでもいうべきものになってしまった「意見書」の論旨をわかりやく解説してくださった。裁判所はきわめて真っ当な主張にまったく耳を貸さなかったわけだが、それだけ2012年1月最高裁が減給以上を取り消しにする枠組みは“軽い”ものなのかもしれないと言われた。

また、最高裁ピアノ判決の藤田宙靖裁判官の反対意見に触れられ、「君が代」裁判において、いまだこれを超える見解はないと言われた。

「君が代」裁判に限らず、司法の判断の背景にはいつも世間がある。この「世間」を変えていかない限り「君が代」裁判はまだまだ暗いトンネルの中を通らなれければならないのかもしれない。時代は間違いなく悪い方向に向かっている。そこで「勝つ」つまり多数派になることは容易なことではないだろう。しかし、少数派としてたたかうことの意義もある。「君が代」」裁判はまだまだ続くだろう。私は改めて、その裁判の当該として闘えたことはよかったと思う。

講演の最後にされた話も非常に興味深かった。

90年代半ば頃から進行している、この社会を大きく変えようとする大きな動きのなかで、私たちは「君が代」」の問題も捉える必要があると思っている、と。

1937年に南京に入城した元日本兵士東史郎さんが90年代に日記を公表したが、元上官から訴えられた裁判を担当したことがあった。地裁では敗訴したが、高裁では尋問もあり逆転するのではないかと思っていた。一般的には高裁で尋問をやるということはひっくり返る可能性が大きいのだが、ところが、裁判官が3人とも入れ替わり、結果は地裁と同じく敗訴だった。今考えると明らかに政治的な意思が働いていたに違いない確信している、と。

聞きながら、今も変わらないのかもしれないと思った。

そして、こう言われた、ちょうど、その頃から始まっているように思う。
日本会議の会長職に就いた人で元最高裁長官が2人もいる。驚いた。
いったいこの社会はどこまでいくのか。
1935年に天皇機機関説事件が起こったが、
美濃部達吉に対する攻撃が始まり、わずか2年でそれまで当時の憲法学の代表的な通説であった天皇機関説が不敬罪を問われることとなった。
このように社会は急激に変わるときがある。
しかし、まだ、幸いにも話す自由を完全には封じられていない。
綱引きというのは、力が拮抗している時は動かないが、
それが崩れると、どどっと変わる。それに似た状況がある。
頑張れる時に頑張らないと。

ますます、今という時代の危うさを感じた。「君が代」強制がなんら司法においても問題とならない時代に私たちは生きている。これ以上危険なことはない。


明日です!Tネット総会:憲法19条からメリット・ペイまで維新の教育政策にもの申す!

2019-02-01 13:43:24 | Tネット総会


教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク(略称Tネット)第7回総会・講演会のご案内

◆日時:2月2日(土曜日)午後1時半開場 2時開会
◆会場:国労大阪会館(JR環状線「天満」下車改札右手に出て、環状線沿いに京橋方面に徒歩5分)
◆資料代:500円

昨年はじめ、憲法19条の研究では第一人者と言われていた西原博史さんが不慮の事故でお亡くなりになられました。私たちは、ちょうどその1年前、第5回Tネット総会に西原さんをお招きして「ポスト2011〜2012年最高裁判決の『君が代』強制問題ー大阪条例と教師の良心の自由ー」というテーマでご講演いただきました。

辻谷「君が代」減給処分取り消し訴訟は、最高裁から上告棄却通知という一片の調書により残念ながら終わってしまいましたが、大阪の教育をはじめとしてまるで憲法を無視したかのような昨今の社会状況を考えとき、むしろこれまで以上に声をあげていく必要性を感じています。

憲法19条が保障するところの「思想・良心の自由」の侵害がこれほどまでに平然と行われている現在、
改めてその意義について考えてみたいと思います。今回は、辻谷裁判で一貫してお世話になっています空野弁護士より、裁判所にも提出しました「西原鑑定意見書」の意義についてお話しいただきます。

また当該の辻谷からは、一昨年より大阪市立中学で講師をするなかで見えてきた大阪の学校現場の今についてお話しさせていただきます。

全国学力テスト(実はこの言い方が間違いを生んでいるのかもしれません。)ならぬ教育行政に生徒や学校が協力して行っているところの全国学力調査新聞の点数を教員人事評価に反映させることは地方公務員に抵触するおそれがあるため、今回の総合教育会議では、直接的な反映は見送ったものの、姑息にも「隠れ学テ人事評価」として2019年度から試行をはじめるつもりです。

現場にいると、チャレンジテストで授業の内容が大幅に拘束される現状には、恐ろしいものさえ感じます。今回は私の方からも、「現場からのレポート」として、pptを使い、「現場から見えてくること・現場では見えないこと」についてお話しする予定です。

なにかとお忙しいところ、ご都合がつきましたら、どうかおいでください。



2月2日第7回Tネット総会・講演会開催します!!!

2019-01-20 18:21:44 | Tネット総会
憲法というと、なんだか自分たちの生活から遠くのところにあるように思う人が多いような気がします。それは何より、日本の学校ではあまりにも憲法教育がないがしろにされてきたからのように思います。

憲法のある学校、私たちはそんな学校をめざしたいと思います。

なぜ、「日の丸」「君が代」がかくも強制されるのか!?

憲法19条思想・良心の自由とは?

私たちはどのような教育・どのような社会を目指すのか。

大阪の学校、大丈夫?そんな声を耳にすることが多くなりました。2011年「君が代」条例制定から8年目―いま、大阪の学校に自由はありますか?「君が代」裁判の原点ともいえる憲法19条思想・良心の自由の問題について、故西原博史さんの「意見書」を空野佳弘弁護士に解説していただきます。
空野弁護士は、外国人登録指紋押捺拒否事件を契機として、様々な国からの難民事件など、数多くの外国人事件に関わり続けてこられました。辻谷裁判でも一貫して代理人を引き受けていただいています。
Tネット会員に限らずどなたでも参加いただけますので、ご参加のほどよろしくお願いいたします。


いま、大阪の学校は?!


2018年8月2日、吉村洋文大阪市長は、来年度から全国学テの結果を教員の人事評価とボーナスに反映させ、学校予算もそれに応じて決めると檄を飛ばした。市民の中には、学力を向上させるためならと歓迎する向きもなくはない。しかし、これは子どもの学力を憂えての発言だろうか。実のところは、橋下知事時代から大阪維新の会が一貫して目指してきた教員管理政策、すなわちメリット・ペイに向けてのものではないだろうか。

かつて吉村市長は、ツイッターで「今の教員給与システムは信じられないよ。完全に共産国家。」(2017.7)と、さも教員給与システムが前時代的であるかのような情報を流している。彼らの狙いは、11月14日に開催された大阪市総合教育会議でさらにはっきりする。ここで大活躍するのが、橋下市長時代に招聘され、教育委員、さらには大阪市教育長となり、学校選択制や全国学力調査の学校別結果の公表を導入した、あの大森不二夫氏である。現在も彼は大阪市特別顧問として維新流「改革」の旗振り役を務めている。その大森不二夫特別顧問が、吉村市長の意向を受け、全国学力調査だけではなく、「経年テスト」(大阪市小学校)や、「チャレンジテスト」(大阪府中学統一テスト)までを用い、その結果を教員の人事評価に反映させる給与制度案を持ち出してきたのだ。すでに大阪市教育委員会は制度設計に入り、来年度から試行実施を始めるつもりである。これは、橋下徹知事時代から描いていた既定路線を押し進めるものに他ならない。つまり学テ結果が政令都市中最下位という情報で危機を煽りながら、維新流「改革」を進めるという、まさに維新お得意の“ショックドクトリン”なのではないだろうか。

教員の勤務成績を反映した給与制度をメリット・ペイという。これを全国でも最初に盛り込んだのが、2011年に大阪維新の会が提起した教育基本条例案であった。橋下知事(当時)の構想のひとつは教員管理支配の徹底であった。かつて、彼は実にうまく「君が代」を利用した。「君が代」に疑義を抱く教員をルール破りの子教員と決めつけることによって不起立の教員を学校現場から排除した。

橋下徹氏の狙いはなんだったのであろうか。ひとつは、「愛国教育」を図る安倍政権との連携。もうひとつは、たとえ理不尽なことであったとしても、ルールとして決めらたからにはそれに服従する教員集団作りではなかったろうか。あれからほぼ10年、現場では確かに声をあげにくい空気が生まれている。行政サイドからの(それはすでに政治からと言ってもいいが)助言や指示の類は、忖度からか、まるで命令と同じように機能している。「君が代」条例の危険性はまさにそこにある。

「君が代」条例からメリットペイへ、それは、維新政治がこの10年間において一貫して目指してきた教育施策である。学校から「もの言う」少数者を排除し、子どもらを、教員を、学校を、「点数」というひとつの価値基準によって有無を言わせず競わせる。それが公教育にどのような影響を及ぼすか。その危険は実に測り知れない。

学校を格付けし、点数で子どもを序列化し、子どもにまで自己責任論を押しつけかねない維新教育「改革」は仕上げの段階に入っている。このまま私たちは手をこまねいて見ているわけにはいかない。今後もともに大阪の教育を考えていきたい。



西原博史講演録ー大阪条例と教師の良心の自由ー

2019-01-04 16:26:28 | Tネット総会
お待たせしました。2017年2月18日Tネット総会時の西原博史さんの講演録です。今、改めて「君が代」強制がいかに子どもたち一人ひとりの人権を無視した学校を作り出していくか考えさせられます。一人ひとりが尊重される学校を目指すとき、「君が代」強制は決して許されない問題です。どうか多くの方々に読んでいただきたいと思います。なお、西原博史さんはすでに故人となられましたので、校正をお願いすることは叶わず、文責はすべてTネットにあることをお断りしておきます。

2017年2月18日西原博史さん講演文字起こし

【はじめに】
こんばんは。お招きいただきました西原博史と申します。
大阪に寄せていただくのは、かなり久し振りになってしまうかもしれません。過去の記録を確認していたのですが、2012年に一度大阪の弁護士会に呼んでいただいてこちらに来たのが前回ということでした。その前は、確か2008年だったか2009年だったかの、これも卒業式にかかわっての、生徒たちには不起立・立ち上がらない・歌わない権利があるのだという発言を巡っての裁判のなかでその支援者と一緒に会合を持った、等々です。

【「思想・良心の自由」を研究テーマとして】
私、実は憲法学の人間なんですけれど、もともとこの「日の丸」「君が代」問題に関係し始めたのも、直接的には京都の裁判から始まっておりますので、どちらかというと関東よりは関西で裁判にかかわることが比較的多かったという立場でございます。もともと私はどちらかというと本来学究的な人間かなと自分自身理解して研究を始めたわけですけれども、その中で研究テーマを選んだときに、一番憲法の条文の中で気になるところ、これやっぱり研究しなければいけないだろうと思って始めたのが、憲法19条というテーマでした。憲法19条「思想及び良心の自由はこれを侵してはならない」というふうに、すらっと書いてあるんですが、よくわからないんですね、正直言いまして。「思想の自由」、これはわかるような気がする。昔、治安維持法があって共産主義思想を持つだとか、反天皇制の思想を持つだとか、そういうかっこつきの権力から見て間違った思想を持った時に弾圧された、そういう時代があるし、そういう時代を持っている以上は、その間違った思想を持ったから弾圧するというようなことは民主主義である我々の社会のなかではやってはいけない、それは当たり前のことだ、それを確認しましょうというところに「思想の自由」の保障の出発点があるという事はわかるような気がするわけです。ただ、その隣に「思想及び良心の自由」はこれは侵してはならないというふうに書いてあって、これなんだ、というのが実はよくわかりませんでした。「良心の自由」、つまり、つまりと言ってもあれなんですけれど、あんまりつまりという一言でどうも語れそうもないのは、良心というのだから、やはり善し悪しの、個人として自分としてこういうことには手に染めてはいけない、やってはいけない、そういう善し悪しの基準に関わって自分でやっちゃいけないと思っている事はやらなくてもいいんだよ、「良心の自由」というとそういうふうに見えるわけですけれども、ところが、例えば国の中には法律というものがあって、この法律で禁じられた事はやっちゃいけないし、法律で義務付けられたことはやらなければいけない、あんたがどう考えようと関係ないんだよという話みたいになっている。そもそもこれってよくわからない。あるいはもうちょっと幅広く考えると、ここは結構破壊的な話なんですけれども、そもそも子どもたちは義務教育制度のなかで学校に通うわけです。学校に通って国家機関である学校の先生たちの指導に服するわけで、そしていろいろな事を教えてもらう。もちろん教科書に書いてある教科指導もあれば、いわゆる生徒指導あるいは生活指導と言われるような生活のあり方についての指導も学校で受けることになっています。よくある話ですけれども、ケンカした、お前は悪いことをやったんだから謝りなさい、いや私は悪くない、あいつが悪いんだ、でもここはお前が謝らないと事柄が収まらないから謝りなさい、頭を下げなさいという葛藤、これまぁ幼稚園の時から始まりますが、そういう中で子どもたちの善し悪しの感覚、どういうふうに問題を解決するのかということについても、やっぱりそのかっこつきの国家機関としての学校のなかで多くの影響を受け、そして考え方を学んでいく、というプロセスが一定程度出てくるということになります。でも、そもそも一方ではこれは非常に大切なことでして、子どもたちは学びの場をきちんと保障されて、そして自分が自分で考えられるようにきちんと情報を与えられて考える術を学んでいく、そのために専門家である先生たちのきちんとした手厚い指導が受けられる体制を作る、もちろんこれは大切なことである事は間違いないにしても、じゃぁ、そこでものを考えるときの基本的なスタンス、基本的な原理、そういうものについて本当に子どもたちは自分なりの思想・良心を形成できるのか、ということもたぶん問題になってくるのかなと考えてみました。こう考えてくると、よくわからないので、とりあえず大学院に入ると修士論文を書かなければいけないという段階で、テーマとして「思想・良心の自由」をやってみたいと思いますと決めたわけです。
ところが、当時1980年代の前半ですが、身近な先輩たちであったり、比較的若手の先生たちであったり、大学院というところは、こんにちは、いい天気ですねの代わりに二言目の挨拶には君の研究テーマは何だっけ?今どういう段階にあるんだっけ?はい「思想・良心の自由」を勉強しようと思ってますと言うと、はぁー、という反応があるんですね、はぁーと。もうそれいいから面白くないから、もうそれこそ思想弾圧とかそういう世の中じゃないから、もう民主主義、日本国憲法ができあがって40年ぐらいが経とうとしていて、もう思想弾圧とか心の中に手を突っ込んでどうこうとかそういう時代じゃないからいいよ、もうちょっと面白いテーマがあるはずだからと、ありがたい先輩たちはアドバイスをしてくれたんですが、いや個人的な興味があるんでやらしてくださいと言い続けていました。

【1990年代-「思想・良心の自由」が要請される時代に】
そういう中で、いつのまにやら、実は19条なんてやっている変わり者はお前しかいないのかもしれないが、でもなんか自分たちの思想・良心の自由、自分が大切に思っている子どもたち自分の身近な人たちの思想・良心の自由が脅かされているような気がするのでちょっと相談に乗ってくれという話をいただくようになったのがやはり1990年代になってからのことでした。先ほど申し上げた京都で、これは「君が代」のテープ、カセットテープですね。今もうほとんど博物館にしかなくなってしまったカセットテープですけれど、そのカセットテープに「君が代」の歌を入れて全学校に配った、これが、そんなものは学校で配る必要はないし、こんなことは意味のない公金の支出ではないかという裁判が起こって、最終的には高裁で負けてそこで止まるわけですけれど、その裁判の中で、そもそも無理矢理歌を歌わせる、そのためにお金を使って権力を使って子どもたちに特定の心の持ちよう、特定の愛国心の形というのを押し付けようとするのは憲法上問題があるのだという話をせざるをえないというふうに考え始めたわけです。実は、私のオリジナルでも何でもない、前から多くの方々が、あまり表だっての理論ではなかったかもしれないけれど、多くの方々はそのことを考えていたし、またいろんな地域で、現場の中で、これは、無理矢理歌を歌わせることは、思想・良心の自由、自分の思想の自由・良心の自由、自分の内心で内面的に信じているものに対する裏切りになるのだから、自分としては承服できないということは、多くの方々がおっしゃっていたし、まぁ実際になさっていたことです。それをなんとか形に裁判所に通じる言葉にしようと思ったのが当時の動きでした。

【1999年国旗・国歌法】
すみません自己紹介だけで長くなってしまっていますが、ところがそうこうするうちに、1999年の国旗国歌法の制定という時期に進んでくることになるわけです。これも私の目から見ていると、要するになんで国旗国歌法を制定したくなったのかとてもよくわかる。たしかにここも話し出すと長くなってしまいますが、ごくごく簡単にまとめると、広島の県立学校の校長さんの3月1日卒業式の日の朝の自死、自ら命を絶ったという、その動きの結果として、国旗国歌法制定の動きが出てくるわけです。ただ調べてみると、それは要するに校長さんを追い詰めて、やはり教育に携わった者としてうちの学校にハタ(日の丸)は立てられない、あるいはうちの学校で子どもたちに天皇を讃える歌は歌わせるわけにはいかないということで抵抗しようとしていた校長先生に対して、教育委員会がそれを否定するために、本当に最後の数日は毎日広島に呼びつけられては言い訳をさせられて、それでもはねのけながら、当日の朝県庁の人たちが車を連ねてやって来て吊るし上げという中での出来事であったわけですから。これも、そこまでして子どもたちに「君が代」を押し付ける、そこまでの策略を弄してまで彼らはやろうとしているということであったわけですけれども、でも、権力を持つ人たちというのは情報の使い方うまいなぁ。それをあたかも現場の教職員が、その校長さんを孤立させて、そういうところに苦しめてしまった、という現場の教職員の責任の話にすると、報道の中では作り変えられ、そしてその中で、「君が代」が国歌である、「日の丸」が国旗であるということが正式に法律上決まっていないからそういう不幸なことが起こるんだ、ということで国旗国歌法制定の動きにつながっていったということであったわけです。

【2006年教育基本法「改正」】
したがって、やはりそこでは、ことがらの本質というのは、子どもたちを守れるかどうかという問題にあるということも見えてきました。その先の話をしますと、2006年に教育基本法が変わります。それももう10年も昔のことでもあったんですけれども、その国旗国歌をめぐる争いにずっと携わっていた私の目から見ると、どうして教育基本法を変えなければいけないのかも、わりとはっきり見えていたわけです。つまり当時の教育基本法の中では、やはり一人ひとりの子どもを尊重するために、権力が教育を通じて子どもの心の中を操作していけないという基本的なそういう歯止めの部分の法律というのがあったので、その歯止めをどうしても外さずにはいられなかった、というところが自民党が教育基本法の改正を提案したひとつのポイントであったことは間違いのないところです。当時の与党協議のなかで公明党がかなり粘って、教育基本法の改正の中ではひじょうに危険な部分を多々含みながらも、一番危険な部分のトゲはある種抜いた形で現行の2006年の教育基本法が成り立つ形になりましたので、ある意味で言うと、まだ闘える、闘うための、あるいは人々が自分たちを守るために教育基本法を使いこなしてくことによって自分たちを守っていく、そういう教育基本法でもあり得るものが出来上がったという形になっています。だから、当時これは第一次安倍政権の時に成立した形になりますけれど、どちらかというと、安倍首相の教育基本法改正は自分にとっての成功事例というよりはやりたいことがまだできなかったという形でおそらく位置付けていて、それを骨抜きにするためにどうするかで、いま日々いろんなことを考えて、ことを進めようとしているということなのだと思います。

【減給取消控訴審への鑑定意見書】
そういう中で、比較的早い時期から大阪におけるさまざまな処分事例であったり、さまざまな法廷闘争等にも若干のお手伝いをさせていただいた、そういう立場でございます。すみません。自己紹介がすっかり長くなってしまいましたけれども。お手元の資料として別刷りの3枚ぐらいの紙を作っていただきました。それが一応今日のお話のための資料として用意させていただいたものです。めくっていただくと左側に簡単な箇条書きの項目が書いてあって、そこの右から先、これは最高裁の判決の抜粋、2つの判決が載っているのがお手元の資料です。
それから、もうひとつ一番でかいピンクのTネットとデカデカと書いてあるものの中に皆さんを差し置いてそしてご本人を差し置いて一番最初に持ってきていただいたのはとても恐縮なのですが、私の作りました鑑定意見書が、つい先日やっと出来上がりまして裁判所に提出させていただきましたが、その鑑定意見書がつけられています。10何ページぐらいあると思うので、読み上げることはいたしませんが、途中で部分的にご紹介させていただくかもしれません。基本的にはここから先の話は、お手元のA3、2枚二つ折りの資料、その最初にあります項目レジュメにしたがって進めさせていただきます。と言っている間にすでに10分も経ってしまいました。

【Brexit、トランプ】
時代の話をいたしますと、世界的に、たぶん今ひとつ世界の時代の転換期を迎えているのだという思いがします。去年のイギリスのいわゆるブレグジッド、EU離脱国民投票であったり、とかがひとつの動きになっていきます。後からよく言われているのは、国民投票が終わって、すぐその後に、イギリスの中でグーグルで検索が増えた項目がありまして、何が一番検索回数が増えたかというと、EUって何だっけというのがイギリスの中で国民投票が終わって初めてみんなが情報を知ろうとしていたという状況が見えてきたりします。つまり、国民投票を行った時に、じゃあ、みんながどこまで情報を共有していて、あるいは、EU離脱を進めようとしてきた人たちがいろんなことを言っていたわけですけれども、その中には正しいこともあったけれど、正しくないことも多く含まれていた、そういう一種情報戦の中において、正しくない情報を踏まえたままに国民が決断をしてしまった、それが後になって一部の人々は騙されていたというふうに気がついたんだけれど、その時にはすでに手遅れという状況ができあがったのかもしれない、というのが2016年という年のひとつの世界的なショックではあったわけです。
そして、その後11月にはドナルド・トランプ、現アメリカ大統領ですけれども、彼の当選という事態に立ち至るわけです。もちろん、選挙戦の間から、彼の発言がこれまでの大統領選挙における普通の大統領候補の政治的なスタンスとは多く違っているということは認識されていました。そして彼が今年になって着任した後、いろんなことがはっきりしてくるわけですが、その一つに情報の扱い方という問題があります。例えば、レジュメに書いてあります、もう一つの真実、もう一つの事実、オルタナティブファクトと英語でそのように言っておりますが、ドナルド・トランプ氏本人が使ったものではなくて、彼の側近がインタビューのなかで使った言葉ですけれども、有名な話としては彼の就任式に多くの聴衆が駆けつけた。で、その聴衆が駆けつけた、これはネットに画像が出ていますのでご自身でご確認いただければと思いますが、これまでの大統領就任式のどの大統領就任式よりも多くの聴衆が大統領就任式に参加した、というふうにドナルド・トランプ側からは情報が出てまいりました。ところが、ヘリコプター画像を見れば歴然としていたわけで、ホワイトハウスの前を8年前のオバマ1期の就任式はやはり人が全部埋め尽くしていて、そこからこぼれ落ちた人々が道を埋めていた、それだけの動員数があったのに対して、今年は、その前半分三分の一ぐらいのところまでしか人が来ていない、つまり聴衆を集めたということに対しては明らかな虚偽情報であったわけです。でも、トランプ大統領は自分の就任式は歴史の中で一番聴衆を集めた、そういう就任式だったと言い張り続ける、どんな証拠が出されても言い張り続ける、という形になっています。で、この証拠を見たときにどうするんだという時は、それはもうひとつの真実であって我々の語っている真実ではない、というのが、このもう一つの事実ということであって、つまり、事実というのは一つではない、我々が権力を持った人間としてこれが事実だと言っていることがある時に、他の証拠をもって他の事実を主張しようとする人たちは、所詮それは意味のない事実の主張であって、我々が主張している事実の前では何の意味も持たないのだという考え方です。つまり権力を持つ者が世の中の真実を決めるということなわけです。これはやはりアメリカ社会に対して非常に大きなショックをもたらすことになります。特にアメリカは科学技術立国でもあり、その知の世界で、我々も大学の中にいると、なんというかアメリカの大学の強い誇りと強いパワーと強い影響力を日々感じてはいるわけですけれども、人類共通の知を人類共通なものとして作り上げていくことに対するアメリカ的な考え方の力強さ、というのはひとつの特徴にもなっていたわけです。だから普遍的なものを目指し、普遍的な真理というものにいかにたどり着くかということを意識していたアメリカの知のあり方というのが、一方の極において存在していながら、そんなものは関係ない、俺たちが真実だと思いたいものがあればそれを真実にしてしまってよいのだと言う政治家が現れ、それに基づく政治活動が展開されようとしている瞬間の人々の違和感というものがそこにあるわけです。

【大阪での先行】
ところがここに、レジュメの中に既視感、デジャヴという言葉を使いましたけれども、実はどこかで見たな、という感覚が、特にここではこの部屋の中では強いのではないかと思います。東京にいるとその既視感はなかなか共有されない部分もあるんですが、例えばTwitterを使いこなしてTwitterの中で攻撃的に、自分の考えと違うことを言った人間に対してはこっぴどく、ただし手短にそして絶対反論を許さないし、証明を付けない形で、あいつの言っている事は間違っている、俺の言っていることが正しい、みんな俺を信じろというメッセージを発する政治家は、まぁどこかにいたような気がするなぁという話になってきます。そのどっかにいたような気がするなというその政治家、現在大阪府政および大阪市政からは引退なさったわけですけれども、でも現在の大阪の秩序のひとつの柱の中にやっぱり彼が想定したような、権力が真実を作り、そして権力が作った真実に基づいて世の中が動いていく秩序、というものが動き出していた。特にそれが非常に大きな形で、その構想、その考え方に基づく秩序を作ろうとしたのが学校というところであったわけでして、要するに民主主義で選挙をやってこの人を選んだ、この人を選んだ以上はこいつの言うことは全て正しい、ということを人々が選んだ。したがってそこで選ばれた正しいことについては、その正しいことに基づいて府政の政治を行い、人々の意識をその方向で結集していき、力強い形でその正しいことを実現していく、そういう秩序原理というものが作り出されていたということになるわけだし、それが動き出していたということになるのかと思います。
ここは、みなさんの前に来させていただいたのは、実は私が何かをお教えするとか、お授けするとかいうそういう話ではなくて、むしろ私の方で教えていただいて、実際のところ、じゃあそれがどういう力関係の中でどういう力学で動いているのか、どこまで来ているのか、そしてそれの綻びがあるとすればどこなのか、というところを、それを教えてもらうためにも来ている部分もあるんですけれども、そのためにも、私の方からとりあえずこう考えたらという仮説を提示してみてというのが、ここでお話しをさせていただいている意味になっております。

【戦後教育行政の変遷】
ということで、その学校現場、そして不起立処分、私がここで申し上げるまでもないことばかりなのですけれども、もう一度問題の概観からお話させていただければと思います。そもそも「君が代」問題とは何なのか?というところから話を始めようとすると長くなってしまうんですけれど、もともと戦後初期には、たぶん多くの方々が同時代で見てきたお話ですので、ここで特にお話しする必要はないと思いますが、戦後初期、もともと例えば旧教育委員会法があって、公選の教育委員会の中で地域における学校で一体何を教えるのか、どういうふうに子どもたちが育つのかは、国が決めるのではなくて、地域で決めていこうというところから、実は戦後の教育行政が動き出していたわけです。中央集権やってお国のためとかそういうアホなことを言い出す人たちが権力を握ることがないように、地域で分散してそこの人々が子どもたちに近いところから教育というものを考えていくのが正しいことなんだというということを目指したわけですが、最終的には、それは1955年に公選制の教育委員会が廃止され、知事任命制あるいは首長任免制の教育委員会制度に移り変わっていくわけです。やはり地域で民主主義の中で自分たちの地元の人たちの英知を結集して、うちの街での教育のあり方はこうでなければいけないというプログラムを作るということについては難しかったかもしれないねという段階で、50年代にそこでの方針転換が起こってきたわけです。
ところが、これは裏があって、当時も実はアメリカとの密約、アメリカとのお約束の話になってくるわけですけれども、戦後、占領下から日米講和を果たして独立国になる段階で、自分の国ぐらいはちゃんと守れよという話をアメリカからこんこんと説教されていた。それに対して、いやいやいやいやあんたが憲法を作らしたんじゃないの、と話をしていたわけです。はっきり言って日本政府は当時国防を引き受けるのは無理である、オマエの方がオレのところをきっちり守れよということをわりと正面から言っていました。無理である理由はいくつかあって、まず憲法がある。憲法で、もう国を守るためであろうと武器なんか使わないと言っちゃている。それからそれに基づいてすでに平和教育が実践されていて、うちの国の国民たちは、平和を守るためであろうと人を殺して平和を守ると、そういう発想は一切ない。そういうなかで日本の再軍備とか無理である、という話をしていたんですが、そこを押し切られてしまいます。これは朝鮮戦争が起こり、最低限の何らかのみずからを守る組織が必要だという話が出てきて、警察予備隊ができあがるのが1950年、そのあたりから、アメリカも憲法9条を作らせてしまったのはまずかったかなという立場に転換していくわけで、それが50年代、まあ10年ぐらいかけて、どういう形で憲法9条を作らしてしまった、そのアメリカにとっての都合の悪い戦後の状況をどういう形で世界秩序の中にもう一度織り込み直していくかということが続いていくことになるわけです。ですから、常にアメリカは日本に対して憲法改正を要求し続けるということになるわけですし、自民党が1955年に自主憲法の制定というプログラムを掲げて保守合同を行うのもアメリカの期待に応えて自分たちがもう一度憲法を改正し、世界秩序の中で役割を果たせるようにしたいという夢があった。ただ、基本的には、それ以降の日本の政治状況というのは、1950年代に作られた土俵の上でいまだに動いているという状況でしかないということなのかもしれません。
だから、基本原理と言いますか、例えば音楽用語を使うとテーマと言われるものですが、主題というものが、共通の主題が出てきて、それが時代時代のバリエーションの中で、別の色合いをもって憲法改正についても時代時代によって別の色合いでもって語られていくわけですけれども、基本的な主題としては、やはり戦後初期に日本が軍事国家にならないという決断をした、それをどういう形で撤回していくか、そして、先ほど黒田さんからのお話にもあった通りこれは憲法で決まっているからの話というより人の心の問題にかかわってきます。自分たちが、戦争に行って人を殺せる人になるために、日本人をそういう人として育てていくためにどうするのかという問題が常に問われてくるということになるわけです。だから、1958年、国旗国歌問題の出発点は58年と書いてありますが、これは1958年までは、それまでは文部省学習指導要領が、それまではたんに試案であって拘束力のないものであったのが、1958年に文部省学習指導要領が文部省告示という法形式をとるに至り、告示というのは教員という行政機関内部における法的拘束力を持った命令に近いものであるという位置付けに転換していくのが1958年です。それまでは、基本的には、これを参考にしながら先生たちそれぞれ頑張ってねという話だったのが、突然、上から、学校の先生たちというのは文部省の手先なんだから、文部省のロボットなんだから、文部省が決めた通りにここでやれって言われたことをやらなければいけないんだよという理解を文部省が言い始めて、そしてその指令としての学習指導要領が法的拘束力があるんだと言い始めるのが、1958年です。まさにその学習指導要領1958年、で告示化されたものの中に、いわゆる国旗国歌条項、つまり卒業式等の学校行事の中では、当時は「日の丸」を掲揚し、「君が代」を斉唱することが望ましいというふうに書いてありました。これ、1980年代にもうワンランクバージョンアップして「君が代」を斉唱するよう指導するものとする、と。これも「ものとする」は義務付け規定なんだよ、というふうに文部省が言い出しましたので、闘いバージョン2がそこでもう一度湧き起こるわけですが、そういう段階で、1950年からの闘争が続いている観点です。
ただ長いこと、仮に文部省が、教職員というのはオレの手先なんだからオレの言う通り、右向け右と言われたら右を向くのが学校の先生だというふうに文部省が言い続けようと、学校というのは長くそうならなかった。これはたとえば地域の教育委員会もすぐさま文部省の言う通りに学校を動かしたわけでもなかったわけですし、それから、もちろん一番大切なこととしては、学校で子どもたちを守る先生が、これはあくまで、これはというのは学習指導要領は一つの手引き・参考資料であり一つの標準であって、手引きに書いてあるからすべてやらなきゃいけないというそういう話ではない、ということで、それよりはまず子どもたちを守ること、そして目の前の子どもたちが何を学びたいかということを大切にしようということを中心にして学校組織というものが長く続いていきますので、したがって、文部省が当時持っていた構想というものがすぐさまは実現していかなかったということになっていったのも皆さん方も一番よくご存知の通りだと思います。

【1976年旭川学テ判決】
1976年には、最高裁の、有名な旭川学テ判決と呼ばれます有名な判決ですけれど、その判決の中で、先ほど言ったような、文部省が自分の手先として教員をつかうんだという発想自体もこれも極端で成り立たないという立場をはっきりと打ち出して来ます。
ただ他方で、学校の中では先生たちがすべてのことを決めるんだ、したがって先生たちに対して上からのルールというのは一切何も存在しないんだという考え方も、これも極端であると言って、その両方を一応切り捨てた上で、その中でそれぞれの範囲でそれぞれ教育主体がそれぞれの権限を持っていて、その教育にかかわる権限のバランスをきちんと保っていくことが重要なんだという発想の考え方を最高裁が打ち立てるのが1976年という時期であったわけです。それも、学校現場にとっては、どちらかというと敗北と受け取られた部分があって、一定部分について、つまり国が、一定の学習指導要領というあくまで最高裁の言うところによると、あくまで大綱つまりおおまかな枠を決めているだけであって、細かい個別の細目を決めているわけではないんだ、おおまかでこういうことを一応共有していきましょうね、という決め事だけなんだというふうに言った部分についても、それを、それが拘束力をもって学校に振ってくるのはいかがなものかという議論が当時からも続けられていたところでありました。

【80年代中曽根臨教審】
そういう中で、先ほど申し上げた1999年国旗国歌を巡る争いというものに、ひとつ80年代から、実は、80年代中曽根臨教審の段階で、国旗国歌条項の強化というものが図られたのがひとつの状況でして、したがってさっき言ったいわゆる義務化が行われるのが、1989年という時代でした。つまり中曽根臨教審が一応終わって、成果が出て、つまり成果が出ないことが明らかになって、中曽根臨教審というのは、いわゆる文部省側の画一教育が重要だという人たちと、もう片方の中曽根ブレーンたちによる教育に対する国家統制はやめてしまえという立場とが正面からぶつかったのが中曽根臨時教育審議会という会議体だったわけですけれども、その中曽根臨教審は、その両者の対立で結局何も生み出さずに終わっていきました。ただ唯一残ったのが、実は、その両者が共通して、国際化の時代なんだから日本人としての意識をきっちり持たせることが大切だよね、という部分だけが、中曽根臨教審の中で動いていた両グループで共有できた部分だったものですから、そこの部分だけが変な形で中曽根臨教審の成果という形で文部省による力強い推進力を得て、学校の中でもう一度国際化の時代なんだから日本人としての誇りを持つために「君が代」が歌えるようになりましょう、みたいな圧力が強まっていくという状況が出来上がってきました。したがって例えば90年代に入って、九州で不起立教員の処分が始まってくるというのは、1990年代95年ぐらいの段階から、文部省が一番力をかけやすかった、当時比較的早くに裁判闘争で日教組が若干組織を弱めていた地域、そして一時期は裁判闘争でひじょうに目立っていた地域である、たとえば福岡県に人材を送り込み、お金をかけてそこで「君が代」の強制の実質を上げようとしたりというような動きがあり、地域地域でターゲットを定めて、次はここの地域で「君が代」の実施を確保する、というような形での文部省の動きというのができあがってくるのが90年代ということになります。
90年代末、先ほど申し上げた広島県が次のターゲットになっていった時期に、そこで人の生命を脅かす形で、あるいは生命を奪う形で、権力側が暴走をしていく。ただそれが逆に権力側に利用されて、新しい形で全国的に国旗国歌の強制の動きをオーガナズするための制度作りに進んでいってしまうという、そういう流れになってしまったわけです。

【強制でないことの伝え方という問題】
ただ、2.2に書いてあるところですけれども、1999年、実は国旗国歌法ができあがった時期、そして2000年春というのは、ある意味では特殊な時期でもありました。というのは国旗国歌法ができあがっていく過程で、当時は小渕恵三総理ですけれども、子どもたちの内心にわたって強制することは一切ないと、はっきり言い続けるわけです。そして当時の有馬文部大臣も無理やり口を開けて歌わせることはない、あるいは、これは良心の自由で歌わないということは当然、これ実は子どもたちという条件が付いているのですが、子どもたち、あるいは保護者については、良心の自由として歌わない、人に迷惑をかけない形で歌わないことは当然ある、あってよいということを国会答弁のなかで認めていったわけです。これは、実は、90年代の動きからすると、えっと言うことがありました。えっと驚いたことは、実は推進側の人たちで、九州の裁判なんかで報告されたことですと、例えば小学校6年生の子どもが、こんな歌やっぱり歌えないなぁと思って、こんな身分差別の歌なんか嫌だと言って、式あるいは式の前日の予行演習の時に座り続けていたら、壇上から教頭がダダダダァと駆け下りて来て、「何やっとんじゃあ、バカモンが。立たんかい」と怒鳴りつけられて、公衆の面前といいますか、学年みんなの前で怒鳴りつけられて、怒鳴りつけられたら立てないよね、という話をしてるわけですが、でもそうやって怒鳴りつけてでも立たせるのが当たり前であったというのが、実は推進側の意識であったわけです。でも、それに対して、政府は、いや子どもに強制することはあってはいけないと、これは良心の自由の問題だ、つまり憲法上の基本的人権の問題として強制はできないのだということを、国会の答弁できちんと確保していったことにはひとつの大きな意味があったわけです。したがって、その次の年、2000年3月にこれはいろんな地域でいろんな動きがあるわけですが、例えば大阪なんかも突出していたのは、やはり大阪はそれまでのカッコつきの実施率つまり例えば、卒業式・入学式のプログラムの中に国歌斉唱なり「君が代」斉唱があったかということについては、99年まではほとんどゼロで、たしか2000年の春では、90何パーセントまで一気にポンと跳ね上がっていきます。したがって、この時期業界の中でうちはやられた、そういう言葉遣いがあったわけですが、つまり、校長が頑張ってどうしてもウタを入れる・ハタを揚げる、それに対して、現場例えば分会がきちんとそこで校長の方針を曲げられなかったというような場合に、やられたという言葉が使われていた時期がありますけれど、その観点で見ると2000年の春というのはもちろん死屍累々の敗北の嵐であったわけです。
ただ他方で、そうである以上は、逆に子どもたちにどう伝えるのか、去年までやっていなかったことを今年からやるというときに、それをどう伝えるのか、これは何の歌なのか、何の意味があってこれをやるのかということの伝え方の問題が出てきます。多くの地域で、やはり「君が代」斉唱を子どもたちにある意味突きつけることになるわけだけれども、しかし、これをもって日本を考える意識に大事だと考えている人たちもいるかもしれない、ただそれだけが自分たちの国を考えるということでもないかもしれない。そもそも歴史的背景を考えたときに、例えばこのシンボルとしての「日の丸」というのは何なのか。そして、「君が代」の「君」、これも国旗国歌法の制定過程で、「日本の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇・・」という長い説明でもって、これも小渕恵三首相が、日本国民の統合たる天皇を「君」と呼んでいるのだということを明言するわけですが、天皇の世が続くことを祈ることが、それが愛国心を果たすことになるのかならないのか、ということについても、これは人によっていろんな考え方が当然ある、国と自分の関係というのは、まさに自分のアイデンティティに関わることがらですから、自分の国というものをどう捉えるのか、どういうシンボルでもって象徴させて自分がその国というものとどういう関係を取り持とうとするのか、これはまさにアイデンティティーの中核に関わる問題なわけですので、まあ、そういう言い方をするかどうかは別にして、「君が代」斉唱というものがあるけれども、でも、これは仮に号令がかかる、号令というのはふつう命令であるわけですけれども、起立斉唱って言ったら、立ちなさい歌いなさいという命令なんだけれどもこれは違うんだ、これはあくまで儀式の中で歌いたい人もいるから歌う場を設定したけれども、もし歌いたいと思うんでしたら皆さんいかがですか、という強制力のないお誘いなのだということを、子どもたちにはっきり伝えない限りは、これは強制になってしまうという意識が強く出ていたのが2000年春という時期であったわけです。だからそこでは多くの学校で強制しないという形の動きが進んでいったわけだし、そこで強制でないことをどう伝えようかという話になっていきました。
にもかかわらず、それは、ある意味で子どもたちにとってはある意味で初めてのことだったかもしれません、つまり、もちろん戦前の教育の中では、先生のおっしゃることは、天皇陛下のおっしゃる事だということで、天皇陛下の言葉を背負って学校教育というものは成り立っていた。それを反省した教育基本法下体制下でもどこまでそれが改められていたのか、については、若干よくわからない部分が出てきます。教育基本法を作ったけれども、教育基本法というのは本当に子どもたち一人一人が違う考え方を持っているということを前提としたかどうかについては、実はもしかすると若干の反省の余地があったかもしれません。いずれにしても、学校がこれまで指導することについては、それを子どもたちが受け入れるかどうかの問題というのは生じなかったんですが、2000年春の段階では、学校はこういう指導する、ただそれを受け止めた子どもたち一人ひとりがどう受け止めるのか、それに一緒に参加するのかしないのかは個人の思想良心にかかわる問題としてあなた方自身が決めることなのだというメッセージを受け取ったのは、実は日本の学校教育の歴史の中では非常に珍しいことであったのかもしれません。
にもかかわらず、実はこれも大阪で一番最初始まるわけですが、2000年の春、大阪で一人の校長さんが戒告処分を受けています。何をやったのかというと、これから卒業式を始めます、「君が代」斉唱が最初にありますので、「君が代」斉唱に参加する生徒は体育館に入ってください。参加しない生徒についてはもう少し教室で待機していて下さい、という放送を流させたということで、そんなのはダメだと言って処分されています。そんな処分がありなのかということは、多くの人々にとって疑問であったわけですが、たぶんそこで裁判を起こしていれば、もしかするとその処分は違法な処分と認定されたかもしれませんが、まぁ校長さんという立場でしたので裁判を起こすという話には進んで行かなかったわけで、そういうケースでもありました。

【推進側の課題】
したがって、だから今度は国旗国歌推進側としては、子どもたちが義務付けられているわけではない、子どもたちは歌わなくてもよいのだ、思想・良心の自由が保障されていて子どもたちはそこでは自分の心を守ることができるのだということを、いかに気づかせないかが、権力側にとってのあるいは国旗国歌推進側にとっての最大の課題となってくるわけです。
不起立教員の処分、これは始まる時期は、自治体によって実はそれぞれずれているわけです。東京だったら2003年の秋からという形であったりするわけですけれども、この不起立教員の処分というものは、典型的に子供たちが歌わなくてもよいということを見本を持って気が付くということを避けるために不起立を許さないということになっていくわけですね。歌わなくていいんだ、だって先生も歌ってないもんね、というのが発生しないようにするというのが最大の課題だったんだというふうに理解できるわけです。
したがって、どっかの時期からターゲットが切り替わる。ひとつはそこでターゲットが切り替わって子どもたちに歌わなくていいという実例を見せないことが課題になってくるし、ただもちろん、そこでは先生たちにとっては踏み絵になっていきます。つまり、まさに自分が仮に処分されても自分の正しいことを、上から、権力から強いられてそれを受け入れないからといって処分されても正しいことは曲げられない、という見本を子どもたちに示すことをしなくてよいのか、逆に言うと、長いものに巻かれて、日頃言っていたことと先生やってること違うじゃないか、という実例を子供たちの前につけつけて、偉そうなことを言ってても、所詮背に腹は変えられないんだから上から命令されたらしょうがないよね、という見本として自分が子どもたちの前に立つのか、という選択の問題になってしまった、という状況になります。
で、その場合には結局一言で言ってしまうと、結局、権力にとって、子どもたち、そしていろんなことを考える子どもたちが自分で考えることを目指して、子どもたちに働きかけようとする先生と、それから子どもたちのことよりも上の権力者の顔色を見て、権力者が子どもたちをどう作ろうとしているのかということに適切に反応して、権力者が作ろうと思っている子どもたちを作ることに向けて自分の教育活動を行なっていける先生。先生というものが結局そこで二種類の先生に分かれて見えて来てしまう。分かれて見えて来たときに、子どもたち、自分で考え自分で判断できる子どもたちを養成しようとする先生というのが、権力にとって邪魔な先生という扱いになっていった。そして、その邪魔な先生を見分けるための非常に簡単な基準、リトマス試験紙が「君が代」斉唱の時に、「さぁ、あなたは立つんですか立たないんですか」ということでもって、子どもたち第一で考える先生を見分けをつけて、その人たちを学校から追い出してしまえば、もはや権力の思う通りの子どもたちを操作して作っていく、そういう学校を実現するのに邪魔するものはいないと、そういう話になっていってしまうわけです。
そこで、だから、やはり「君が代」強制の動きというのは、まさに先生たち、現場の先生たちに対する踏み絵として、あなたは権力者の命令を聞くんですか、それとも子どもたちの利益を優先させるのですか、ということを問い詰める働きになってしまったという部分があります。

【2011年最高裁判例-間接的制約説】
そうした中で、2011年に最高裁がこの不起立問題について、いろんな、各地で起こっていた裁判を、最終的に、非常に変な判決の出し方なんですが、3週間のうちに第1、第2、第3という3つの最高裁小法廷があって、それ以外に大法廷という判決の出し方もあるんですが、「君が代」訴訟ついては全部小法廷で処理する形をとりました。ただ、3つの小法廷が、ほとんど、たとえば、一言一句、まぁそれぞれ1行ずつちょっとずつ違ってくるんですが、他は全部同じ言葉で作られた小法廷の判決を3週間の間に3つの小法廷が連続して出すという形で、最高裁としてのこの問題に対する扱い方を、2011年の5月から6月にかけて最高裁の立場が打ち出されることになります。この点についてこれも一言でまとめてしまいますと、6月6日の第1小法廷判決を代表としてここで資料としてお付けしてあります。大事なところは下にアンダーラインが引いてありますので、そこだけぴょんぴょんと飛ばして読んでいただければだいたいの流れは見えるようになっているんですが、要するにこれは特定の世界観・歴史観を先生たちに押し付けているものではない、そもそも単なる儀礼的な所作に過ぎないんだから、その儀礼的な所作を仮に職務命令によって押し付けても、それによって特定の世界観・歴史観を否定するものにはならない。ただこれは国旗に対する敬意の表明を含む側面を持つので、そこでは、いわゆる間接的制約というんですが、要するに嫌なことをやらされる、自分の歴史観・世界観にしたがってやるべきではないと考えていることをやらされる側面があるので、その部分については思想・良心に対する間接的な制約にはなる。直接的に押し付けるわけではないけれど間接的に嫌な思いをさせているから、だから、これが必要なのかどうか、つまりそういう嫌な思いをさせることが何らかの教育上の目的のために必要なのかどうかという点から検証しましょうと。ただ、でも学習指導要領があるし、それに意味があるとする教育の専門家たちは言っているらしいんで、したがって一応間接的制約はあるけれど、まぁたぶんそれは必要で合理的なんだね、という形で判決を結んでいます。ここでは結局直接的制約と間接的制約とを分けた。直接的制約というのは、ここでは当事者である学校の先生に対して特定の歴史観・世界観等のような思想・良心を持ちなさいと強制する、あるいは持ってはいけませんと禁止する、実際に持っている歴史観・世界観を否定する、そういうものが直接的な制約としてダメなのだという話になっているようです。例えば、治安維持法には私有財産制を否定する、これ共産主義のことですね、そして国体を否定する、これは天皇制を否定するという意味ですが、そういうことをそういう考え方を持ってはいけないというルールがあった。そのために結社を組織してはいけないという法的なルールがあった。これはたぶん最高裁の目から見ても、特定の思想を否定する法秩序ということになるんだと思います。それに対して、あなたは反「君が代」の思想を持ってはいけないと言っているわけではなくて、ただ「君が代」を歌いなさいと言われているだけなんだ、だからこれは特定の思想を押し付けてるものではないんだというのがこの最高裁の2011年の判決だということになります。
まぁ、とても気持ち悪い、というのがよくわかるのですが。まぁ最高裁というのはそういうものの考え方をするところなんだということなのかもしれません。
これはたぶん我々法律学にかかわる人間のまだまだ努力不足ということになりますので、それがおかしいという事についてはこれからも言い続けていくことになるんですが。

【2012年最高裁判例-戒告を超える処分について】
他方で、翌年の1月に、そうは言いながらもということで、最高裁はもう一つ別の判決を作っていきます。もう一セット別の流れの判決の流れを作っていきます。それが資料だと、めくっていただいたところから始まる部分ですけれど、これは処分の重さにかかわる問題なんですけれども、確かに例えば職務命令を出して立って歌いなさいということ自身は、で、それに対して職務命令違反で戒告の処分をするところまでは、まぁ校長の命令をきかかなかったんだから戒告ぐらいはしようがないかもしれないね。ただし、減給以上の処分についてはこれは違うんだよ、という話をするわけです。これは、身分に、あるいは生活に直結する処分である以上は慎重に、その処分をしなければならない必要性があるときにだけにしかしてはいけないんだけれども、しかし、所詮立たなかっただけでしょ。何も実害起こっていないよね、そういう中で、ではそれだけのそれほどの重い処分をすることに意義があるのかというと、それは必要性が認められない、よっぽどの特殊な事情がある場合にしか減給以上の処分はできないはずだというふうな方向で新しい判決を作っていきます。で、後ろの方に櫻井龍子裁判官の補足意見というものをくっつけてありますけれど、多数意見は比較的簡単にそこの論理をぼこぼこっと書いているだけなんですけれど、櫻井裁判官が補足意見の中でこういう意味なんだよと解説しています。つまり、もともとこれ思想・良心の問題なんだから、したがって繰り返しになるのは当たり前で一回やって反省して止めるとかそういう話ではなくて、思想良心の問題として歌えないと思っている人は繰り返すのが当たり前なんだ、で、そうすると繰り返したときそのたびに処分が重くなってくると、結局は早い段階で特定の思想・良心を捨てるかそれとも教職を捨てるか、どちらを捨てるか、あるいは職業、収入の糧を捨てるかという話になる、そういう二者択一の問題を突きつけられる。そういう処分のあり方、そういう処分のあり方、1回ごとに重たくなってくると、結局追い出すことにつながっていくんだけれど、そういう処分のあり方といういうのは、事柄の本質の問題としてやはり思想・良心の自由ということが前提にあるとすればありえないのだということを、櫻井裁判官の補足意見は、かなりはっきりと言葉に出して強調しているという形になってくるわけです。

【減給取消控訴審の争点-戒告を超える根拠】
それが、この辻谷裁判の中でどういう意味を持つのか、ということをもう一度考えたいのですが、「意見書」を読んでくださいとお願いするのは、裁判所相手に書いた文体なのであまりわかりやすい文体ではないので、読んでくださいとお願いするのはたいへん心苦しいしんですが、簡単に言ってしまうと、要するに、今回我々の裁判は減給処分なんですが、減給処分になる理由はないはずだよね、つまり、東京の裁判を前提にすると戒告まではしょうがない。だけど減給処分というのは、よっぽど、それまでの活動で処分歴、たんに不起立の処分歴だけではなくて、別の形の処分歴で、何というか、教員としての信頼性それ自身に不信感が投げられていたケース等でなければ、まぁ、そういう例外ケースも確かに最高裁は認めているんですが、そういう特殊なケースでなければ減給以上の処分にはしてはいけないという話をしていたところ、今回、地裁の判決で減給処分でしょうがないんだというのは、もともと校門警備という式場外の任務を一応割り当てられたはずだったのに、それが終わっちゃったからもう必要なくなったということで式場内に戻ってきた。戻ってくる時に2回目の卒業式の段階では、自分の席がないことがわかっていたのでその辺にあった丸い椅子を持ち込んで、そこで式場内で自分の席を作りそして同時に立ち上がらなかったという話を、特にことさらに式を妨害したかのように、あるいは自分のパフォーマンスとしてそういうことをやりたいからやったんでしょと、いう形で、極めて違法性のというか悪質な不起立行為という認定を地裁は投げつけるわけです。ただ、もちろん、学校の先生、あるいは学校に関係している人間は、自分たちの卒業生を送り出す場面に、一緒に育ってきた、あるいは一緒に過ごして来た人間としてそれに立ち会いたいと思うのはごくごく自然で当たり前で普通のことだし、もしそれが正門警備の必要がなくなった段階で戻ってよいのであれば、当然そこに戻るのが一緒に学校という場を作っていた人間としては当たり前のことだとすれば、そこの部分を取り立てて何かパーフォマンスのためにという物語を作り上げるということ自身は、そこでの人々、学校を作っている人間の感覚としてはかなり違うという話になってくるんだと思います。

【減給取消控訴審の争点-府条例下の処分の意味】
そして、もう一箇所、実は、そこはどちらかというと試合開始のジャブで送り込んでおいたんですが、たぶんことがらの本質は、そういうところよりも、もうひとつ別のところにあると思われます。つまり、先ほど言った直接的制約と間接的制約、特定の考え方を押し付けたたものではない、ただ一緒に歌え、付き合えよなという話を最高裁がしていたのに対して、もともと事柄の本質としては、先ほど言ったように、学校の先生に対する踏み絵ですから、子どもたちを守るのか、上の顔色を見るのかどちらが大切なのかを示せという踏み絵ですから、もともと、これは本質的には直接的制約にあたるものだったということなんですけれど、最高裁は、東京の事例等々他の地域の事例ではそれは認めていませんし、そうである証拠がないという話をしていくわけです。
で、それに対して大阪のケース、特にこれは、2011年に橋下府政のもとで国旗国歌条例が出来上がります。その後、教育基本条例を作った。国旗国歌条例と教育基本条例というのはもともと同じものというか、ひとつの条例として提案されていたわけで、この鑑定意見書の中にも、新聞記事を引用してありますけれど、資料の7ページのまん中へんに、大阪府の橋下徹知事は、という読売新聞からの引用文を載せていますけれど、要するに、府であるいは学習指導要領とそれをオーソライズする府の委員会で「君が代」を歌うと決めたんだから、それに逆らうようなやつはだめな奴なんで3回やったらクビにする、そういう条例をきちんと3回やったらクビに出来るようにしますということで、条例策定に動いていくわけです。5月の段階でこういう方向で動き出すんですが、そして最初の段階での教育基本条例という条例案を維新の会が作って来た時には、そこには国歌を歌わなければいけないと義務付ける規定があって、それからそれに違反して職務命令違反が3回やったらクビというのが同じ条例の中に組み込まれていました。ところがあまりに露骨でひどいということがさすがに大阪府議会でも問題になり、基本的にはこれは、国旗国歌条例と、それからあたかも教育問題からはずした形で職員基本条例とそれぞれ別の規定として独立に作られて行くことになりました。だから教員に対する斉唱義務付け規定が国旗国歌条例の中にあって、そして同一職務命令3回違反でクビ、同じ項目での3回連続の職務命令違反で免職とするというのが職員基本条例の中に埋め込まれていくというあり方であったわけです。
しかし、これ、もともとは、そういう意識でいる、つまり、お上の意向よりも子どもたちの思想良心、そして考え方の多様性、一人ひとりの自分なりに考える能力の育成、そういうものを大切に考える教員は、教員として間違った心を持っている教員なので追い出しましょう、3回やらせて追い出してしまいましょうという目的が非常にはっきりした、策略としての、この国旗国歌条例+職員基本条例という組み合わせであることは誰の目にも明らかですので、そこの部分をきちんと認定すれば、大阪におけるこの状況というのは、明らかに起立命令自身が、まさにそうやって特定の思想を否定するためのトリックとして使われているというのがはっきりして来るわけです。
実は、本件、ここで扱っているケースの中では3回目でなくて2回目なので、したがって地裁は職員基本条例は関係ない、本件においては職員基本条例は適用されてないから関係ない、という話をします。
実際、この最高裁の判決を見てみますと、職員基本条例「君が代」事例で3回でクビというのは、最高裁の判決を見たときにありえない制度ですので、職員基本条例のこの条項が「君が代」に適用されて免職になるというのは、これ最高裁の判決に照らせば、ありえない、将来的にも絶対ありえない話になっていきますので、たぶん、安心していいですよと私が言っちゃいけないような気もしますけれども、そういう状況なんです。つまり裁判所としてはこの職員基本条例の3回目というのは使えない条例なのですけれど、そこでは何かモゴモゴと言って今回は使えないので使いません、みたいな話しに丸め込んで行くんだと思います。教育委員会が仮に免職に向けての動きを進めると、それはたぶん違法、条例上は根拠があるけれどこの条例は使えない条例なので違法という判断になるでしょうし、あるいは教育委員会レベルでこの適用に向けてモゴモゴっと何かの回り道を作っていくということが想定されます。でも、今回のケースは2回目なので関係ないと言われてる、でも全然関係なくはないんです。確かに定年退職直前の話でしたので、2回目があったら次はクビかもしれないと具体的な状況というのはなかなか起きにくかったというのもケースの特性としてはそうかもしれません。しかし、1回目があった後2回目に、1回目より重い処分をしたというのはこのケースの非常に特徴的なところですので、そうするとそれは3回目で免職に向けての踏み台を踏んだというふうに前例としては扱われることになるわけだし、やはり例えば西原がここでいくら使えない条例ですからと言ったとしても、条例に3回で免職と書いてある以上はここでやばいんじゃないか、やっていけないんじゃないかと人々にとっての抑制が効いてくる。その時に、今回のケースが前例として1回目より2回目が重いものとして進んでいったというのは明らかに多くの人々にこの規定の役割を知らしめるものだし、したがって直接もちろん職員基本条例が適用されてのケースではないけれども、その職員基本条例に基づく処分の2回目であることは間違いないという点において、やはり本件においては、絶対に直接的な制約が認定できるはずだとここでは組み立てているわけです。
正直これを裁判所が受け止めてくれるかどうか、特に大阪高裁というところは、たぶん日本の裁判所、高等裁判所もいっぱいある中で、ある意味でいうと最もエリートたちの集まりでもあるわけだし、ある意味でいうと、最も最高裁事務総局つまり裁判官の人事権を持っている人たちから見てのエリートであるという点において、あまり人権意識があると思える裁判官に恵まれた裁判所でないことは、どうやら過去の前例から見ると、見えてくるところであります。その中でもちろん大阪における闘いというのは、大阪高裁を相手にしての闘いというのは、非常に厳しい闘いなってくるとは思います。
ただ、ことがらの重要性、そして、最高裁自体が変わろうとしている、明らかに、今までのような、みんなの意識を、違いがあるということを否定して、なんとなく空気でもって行政の中において上役の顔色を見ながら空気でもって進んでいくというようなことに対して、最高裁として多くのところで異議を唱えて始めているわけです。21世紀に入ってから、法律違憲の判決の数も20世紀段階に比べてかなり頻度が高まっているということも間違いのないところでありますし、そういう中で、本当の意味での基本的人権、一人ひとりの権利の尊重というところに目が向かい始めようとしている。最高裁も非常に政治的なところですので、特に内閣等との力関係の中で自分がどこまで、それこそジャスティスとしての正義を実現できるのかというところで悩んでいるところではあるにしても、最高裁自身が悩んでいるし、それはたぶん大阪も含めて各地の裁判所に大きく影響を及ぼして、そこで何を本当に救うべきなのかという点に裁判官たちの目も向かい始めているようにも思えて来ます。

【結び】
ここから先はみなさん一緒に頑張りましょう、の言葉でしかないんですけれども、やはり当事者だけでは言葉は裁判所に伝わっていかない、私もお手伝いはさせていただきますが、私のできることにも限界がある中で、ここにお集まりの多くの方々が、これから先の日本人たち、日本の子どもたち、そして、この国に生きるすべての子どもたちを含め、本当に一人ひとり自分の心に正直に、自分にウソをつかずに自分の正しい思いを口にし、そして、自分の正しいと思う方向にみんなで議論しながら国づくりを進めていく、そういう我々にとっては当たり前であったことが当たり前でない、当たり前であってはならないと考える人たちも、権力を持った人たちの中に少なからずいることは明らかですので、そういうなかで、本当に我々が大切にしたい本当に一人ひとりを尊重できるそういう社会秩序を目指すためには、現時点でなおやはり闘い続けなければいけないし、そして、みんなでその闘いを支えていくことが何よりも大切なのだというに感じております。
時間を超過してしまいました。いろいろご異論もあろうことかと思いますが、その点についてはこれからも教えていただくということとさせていただいて、とりあえず私の方からは以上といたします。どうもご清聴をありがとうございました。

画像は、2017年2月28日Tネット総会で講演していただいた在りし日の西原博史さんです。