2.「日の丸」「君が代」とわたし―教員以前―どのような時代を生きて来たか。
申立人は、1952年9月24日大阪市阿倍野区に生まれた。両親は、戦後、旧満州国からの引揚者である。「日の丸」についての最も早い記憶は、「白地に赤く、日の丸染めて、ああ、美しい日本の旗は」という歌である。おそらく幼稚園で教わったもので、馴染みやすく歌いやすいメロディとともに、日本という「国」を意識した最初の経験だったかもしれない。
小学・中学時代、おもに、戦争の恐怖は空襲や原爆にあった。つまり、戦争が起こるとどんな酷い目にあうか、いわば戦争を被害者側からとらえるものであった。
申立人の父母は、ともに旧満州大連からの引揚者である。父は戦時の経験を何ひとつ語らなかった。しかし、母は戦時中の話をよく申立人に語った。戦争末期の最も皇民化教育の激しかった時代に教育を受けた申立人の母は、天皇が神であるという教えに何の疑いも抱かなかったという。徴兵された兄に対して「どうぞ、お国のために死んでください」と手紙に書いたこともあったという。母は申立人に、教育の恐ろしさを語った。「信じられないかもしれないが、当時の教育によって多くの人がそう思っていた。」と。日の丸・君が代、御真影、そして古典作品までもが皇民化教育に利用されていた。母は、「『太平記』そそらんじながら、忠君正成を心から偉いと思ったものだよ」と語ることもあった。