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教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク

憲法に反する「君が代」条例ならびに公教育の理念に反する大阪の新自由主義的教育諸条例の廃止を求めます。

ポスト最高裁!!

2019-04-26 15:23:57 | 当該より
            

「日の丸・君が代」強制反対、不起立処分を撤回させる大阪ネットワークニュース第17号に寄稿しました。減給処分取り消し訴訟上告が棄却された後のたたかいについて述べたものです。お読みくだされば嬉しいです。


ポスト最高裁 辻谷博子

〈最高裁上告棄却〉

2018年4月18日、最高裁第2小法廷は、辻谷「君が代」不起立減給処分取消訴訟上告棄却・上告申立不受理を決定しました。すでに1年が経ってしまいましたが、こちらの事務的なミスにより報告が遅れましたことをまずお詫びいたします。

2014年1月20日大阪地裁に訴状を提出して以来、一貫して訴えてきました「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」いわゆる「君が代」強制条例の違憲性について、司法は結局のところなんら審議をせずに判断を回避した結果と言えます。これが日本の司法の現実です。


〈連綿と続く「日の丸」「君が代」裁判〉

「日の丸」や「君が代」をどう取り扱うかについては、戦後まもなくから議論が起こります。とりわけ先の戦争でこれらが果たした役割、ましてそれらが教室で教えられたことを振り返るなら、それを戦後の学校で再び繰り返してはいけないというおおいなる抵抗がありました。政府や行政は、学校とりわけ儀式において「日の丸」を掲げ「君が代」を斉唱することを推進しようとしましたが、それに対して現場の多くの教員は、さまざまな立場、さまざまな考えの子どもたちが学ぶ学校において、「日の丸」「君が代」を強制することはあってはならないと主張し行動を起こしたわけです。
「日の丸」「君が代」裁判は1960年代から連綿と続きます。大阪、福岡、京都、沖縄、東京、鹿児島、広島・・ゆうに70件を越えます。
「日の丸」「君が代」の戦後史は、そのまま司法に対して憲法を問う歴史でもあったわけです。私が裁判に踏み切った理由は、そういった先達のたたかいを引き継ぎ、かつ、それを次代の子どもたちにも伝えていきたいと思ったからです。「君が代」裁判は今後もまだまだ続きます。そして、私自身、ポスト最高裁の今も、全国で唯一大阪だけにある「君が代」強制条例は明らかに憲法に違反しているという考えはまったく変わっていません。


〈「君が代」強制条例の違憲性〉

2011年6月3日、大阪維新の会が提案した「君が代」強制条例案は、わずか数時間の審議のみで、数の力の暴挙により可決成立に至りました。そしてその半年後の2012年3月23日には、今度はその処分条例ともいえる職員基本条例が可決成立しました。ここに大阪の公立学校のすべての教員に「君が代」起立斉唱職務命令を出し、それに抵抗すれば免職もあり得るとの“命令と恫喝”の全体主義の嵐が大阪の学校に吹き荒れ始めたといっても過言ではありません。
大阪地裁に提訴して以来、司法に一貫して求めてきたことは「君が代」強制条例・職員基本条例の違憲性でしたが、地裁判決(2016年7月6日内藤裕之裁判長)も高裁判決(2017年8月31日田中敦裁判長)もなんら審議は行いませんでした。特に高裁においては、西原博史意見書を提出し判断を迫りましたが、「西原意見書はにわかに採用できない」の一言で片付けられるという態様に、司法の最後の砦として最高裁に一縷の望みを託したわけです。しかし、ついに司法は「君が代」強制条例について憲法判断は行いませんでした。

昨年、ひとりの法学者が司法の現状を次のように言われました。「憲法判断を行わないのが司法のプロだという裁判官の意識が日本の司法の問題である」と。
「日の丸」「君が代」が国家のシンボルである以上、そしてそれらを為政者が「国民」を束ねる道具として利用しているからには、司法もそれに忖度するということなのでしょうか。しかし、司法が国や行政の過ちを判断しないでいったいだれがその危険性を指摘できるでしょうか。


〈「君が代」強制条例施行から8年〉

新年度が始まりました。4月入学式を前にして、またしても大阪の学校は、職務命令からスタートしました。2011年「君が代」強制条例が公布施行され8年目になります。学校現場は明らかに変わりました。条例下「君が代」起立斉唱“命令”体制は不当な人事評価制度ともあいまって、教職員が意見、特に政府や行政に対する批判的な意見を表明することさえ憚られる空気を生み出しました。もちろん、それは生徒にも即座に伝播します。子どもたちは、「上」のいうことを聞くのは当たり前、今ある社会を批判することもできず、格差社会を肯定し、何か問題があったとしても「自己責任論」に絡め取られているように見えます。これこそが為政者の狙いではなかったのかとさえ思うほどです。


〈ポスト最高裁〉

今、私は、司法が憲法を尊重しないなら、私たち市民が憲法を擁護していく他はないと考えています。「君が代」裁判はこれからも続くことでしょう。司法が憲法を取り戻すまでたたかいは続きます。それと同時に憲法は誰のために、何のためにあるのか、多くの人々と考え合い、語り合い、そして憲法を私たちの生活のなかで活かしていきたいと思います。4月1日の“新元号騒動”をみれば、それはこれまで以上に困難な道かもしれません。しかし、だからこそ私たちのやるべきことはより明確ともいえます。
これまで「君が代」不起立減給処分取消裁判を応援してくださったみなさま、心よりお礼申しあげます。そして、今こそポスト最高裁のこの困難な時代を、知恵を出し合いたたかい続けて行こうではありませんか、子どもたちの未来に向けて。それが私たちの責任であると同時に希望であると確信しています。憲法を次代に活かすために。


チャレンジテスト制度ーー大阪市立中学校長の声

2019-04-23 12:00:28 | 当該より
2019年3月をもって大阪公立学校の講師の仕事を終えました。おそらくもう二度と大阪の公教育の教員として勤めることはないと思います。

さて、大阪市立中学に勤めるなかで、最も疑問に思ったのはチャレンジテスト制度でした。これまでも何回か報告してきましたが、本日は、昨年大阪市立中学校長会研究部が実施された「チャレンジテストの公正性」を問うアンケート結果をご紹介します。正直なところ、私はこの結果を見て驚きました。これは現場の悲鳴にも似た訴えてであるとも思いました。

pptにしてみましたので、アドレスの紹介と全部で39枚のスライドを画像で紹介します。どうか多くの人にチャレンジテストについて、現場の校長先生がどのような思いを持っておられるか、ぜひ知っていただきたいと思います。

ppt「校長先生の悲鳴」
https://1drv.ms/p/s!ApYYtT1Gj3-JgZ00P4z1kmCfoJQGqw







































子どもをテストで追いつめるな!市民の会「要望書」に賛同のお願い

2019-03-03 22:36:54 | 当該より


2013年教育基本諸条例のもと、大阪の教育は政治の介入により上意下達の維新施策が、まさに大阪の公教育を潰しにかかっています。

みなさまにぜひお願いいたします。大阪維新の会吉村市長の「テストの点で学校予算と人事評価を行う」方針撤回を促す「要望書」に賛同署名をしていただけないでしょうか。

すでにご存知の方も多いでしょうが、今や大阪の教育は、維新の会教育施策により、まるで新自由主義的教育の実験場とされているかのようです。

昨年8月、吉村市長は、全国学力調査の結果を理由として、「学力テストの結果を学校予算や教員人事評価に反映させる」方針を表明し批判が噴出しました。しかし、本年1月29日の総合教育会議において大阪市教育委員会は「学力向上」のためと称し、これまで以上に児童・生徒へのテスト対策を学校に課し、テスト結果をもって校長、そして間接的にではありますが教員への人事評価方針を打ち出しました。

昨夏の吉村市長の方針表明に危機を感じた市民らが結成した「子どもをテストで追いつめるな!市民の会」(以下、市民の会)は、新方針の見直しを迫る陳情書を市会に提出したところ、なんと大阪維新の会を除く全会派が陳情書採択を支持し、賛成多数で採択されました。

市民の会は陳情書の実現を吉村市長ならびに大阪市教委にせまるべく3月13日に要望書を提出します。つきましては、要望書に賛同をしていただけませんでしょうか。大阪市民に限らず、全国どこにお住まいの方でも賛同いただけます。また、お名前につきましては公開・非公開を選択することができます。

下記ブログページをお読みください。そして最後にネット賛同署名の入力フォームをクリックしてください。簡単に賛同の意を表明することができますのでどうかよろしくお願いします。みなさま方の賛同をもって、吉村市長ならびに大阪市教委に迫り、私たちは、これ以上大阪維新の会の公教育への破壊を許さない所存です。
http://no-testhyouka.cocolog-nifty.com/blog/2019/02/post-7085.html

訃報

2019-01-16 21:06:09 | 当該より
みなさまへ

悲しいお知らせです。

世話人のおひとりとして、Tネットの活動にひとからならぬお世話になった松下駿三さんが、 1月13日お亡くなりになりました。

あまりにも突然でしたので言葉もありません。

いまはただ心よりご冥福をお祈りいたします。

「君が代」条例からメリット・ペイまで ―維新流公教育の壊し方―

2018-12-26 21:27:12 | 当該より
現在、大阪市立中学で非常勤講師をしています。現場にいるだけに、大阪の公教育の危機を感じています。次の文章は『思想運動』に寄稿したものですが、できればお読みください。

「君が代」条例からメリット・ペイまで
―維新流公教育の壊し方―


本年8月2日、大阪市吉村市長の発言に激震が走った。全国学力・学習調査(全国学テ)の結果が政令指定市2年連続で最下位だったことを受けて、来年度から全国学力テの結果を校長や教員の人事評価とボーナスに反映させ、学校予算もそれに応じて決めると檄を飛ばしたからである。市民の中には、学力を向上させるためならと歓迎する向きもなくはない。
   
しかし、実は、これは子どもの学力の問題ではなく、それを利用した人事評価による教員格付けと学校の格付け、いわば橋下徹時代から描かれていた既定の路線を押し進めるものに他ならない。つまり学テ結果が政令都市中最下位という情報で危機を煽りながら維新流「改革」を進めるという、まさに維新お得意の“ショックドクトリン”なのである。

かつて吉村市長は、ツイッターで「今の教員給与システムは信じられないよ。完全に共産国家 。」(2017.7)と、さも教員給与システムが前時代的であるかのような情報を流している。

彼らの狙いは、11月14日に開催された大阪市総合教育会議でさらにはっきりする。総合教育会議とは、2015年4月から設置された、首長と教育委員会が教育行政の指針となる大綱を策定する会議である。ここで大活躍をしたのが、橋下時代に招聘され教育委員さらには大阪市教育長となり、学校選択制や全国学力調査の学校別結果の公表を導入した、あの大森不二夫氏である。現在も大阪市特別顧問として維新流「改革」の旗振り役をしている。その大森不二夫特別顧問が、吉村市長に意向を受け、全国学力調査だけではなく、「経年テスト」(大阪市小学校)や、「チャレンジテスト」(大阪府統一中学テスト)までを用い、教員の人事評価に反映させる制度案を持ち出してきたのだ。すでに大阪市教育委員会は制度設計を始め、来年度から試行実施を始めるつもりである。

「数値」、つまりテストの点を目標に掲げた過度の競争主義が何をもたらすか、イギリスやアメリカの先例ではっきりしている。いじめ、排除、不正、格差の肯定、さらには、地域破壊、教育関連業者との癒着、およそ教育の理念とは反するものばかりである。それがわかっていながら、なぜ維新政治は数値による競争主義推し進めようとするのか。そこにこの問題を解く鍵があるように思う。 

教員の勤務成績を反映した給与制度をメリットペイという。これを全国でも最初に盛り込んだのが、大阪維新の会が、2011年に提起した教育基本条例案であった。 

話は10年前に遡る。2008年橋下府政が誕生し、彼が華々しくスローガンとしてあげたのは「教育日本一 子どもが笑う大阪」だった。そして、真っ先に手がけたのが「教育改革」であった。彼は徹底的に教員を攻撃した。教員vs市民の構図を見事なまでに作り上げたわけだ。そもそも公教育においては、子ども・保護者・市民・教員・行政それぞれ立場が違う。それだけにその思いは異なる。だからこそ共通のコンセプトを求めて対話が必要なのだが、維新政治は、その対話を阻害することに専心した。教育は政治が決めると言わんばかりであった。政治が決めたことに教員も子どもも従えというのが維新の基本スタンツだ。そして、それが、現状の教育や教員に不満を持つ市民の間で残念ながらそれなりに受け入れられていった。
次に、橋下知事(当時)は教員の管理支配の徹底をもくろむ。その時、彼は実にうまく「君が代」を利用した。大阪には、歴史や平和・人権教育を通して、「君が代」に抵抗を示す教員は少なくなかった。私もその一人であるが、徐々に強まる「君が代」強制に、卒業式では、不起立というスタイルで意思表示をし、抗っていた。そういう「空気を読まず」に抵抗を続ける教員の姿に、彼は、組織のルールに従えない教員はクビにしてやるとまで息巻いたのだ。結果、大阪に全国で初となる公立学校の教員に「君が代」を義務付ける君が代条例が成立したことはご存知の方も多いだろう。

橋下徹氏の狙いはなんだったのであろうか。ひとつは、「愛国教育」を図る安倍政権との連携。もうひとつは、たとえ理不尽なことであってもルールとして決められれば服従する教員集団作りではなかったろうか。あれからほぼ10年、現場では確かに声をあげにくい空気が生まれている。行政サイドからの(それはすでに政治からと言っても過言ではないと思われるほどだが)助言や指示の類は、忖度からか、まるで命令と同じように機能している。「君が代」条例の究極の危険性がまさに表れている。
「君が代」条例からメリットペイへ、それは、維新政治がこの10年間において一貫して目指してきた教育施策である。学校から「もの言う」少数者を排除し、子どもらを、教員を、学校を、点数というひとつの価値基準によって有無を言わせず競わせる。それが公教育にどのような影響を及ぼすか。その危険は実は測り知れない。

なぜ、今、大阪市はメリットペイを持ち出して来たのか。失敗だとわかっていながらあえてそれをやろうとする意図はどこにあるのか。ひょっとしたら維新勢力はこれまでの公教育そのものを壊しにかかってきたのではないか。教育にお金をかけないことを市民を納得させるためには、教員にも子どもにも保護者にも誰にも批判させないことが必要だ。そう考えれば納得がいく。

最後に中学3年生の声を紹介しておこう。
「学力テストの結果だけがすべてじゃない。このまま点数だけの競争になれば潰される生徒が出てきて、必ず体罰教師も増えてくる。」
体罰教師――私はそこまで考えていなかったのだが、生徒は当時者だけにこの問題をリアルに実感しているのかもしれない。

学校を格付けし、点数で子どもを序列化し、子どもにまで自己責任論を押しつけかねない維新教育「改革」は仕上げの段階に入っているのかもしれない。私たちは手をこまねいて見ているわけにはいかない。大阪では、12月22日「学力テストの点数で教員・学校を査定!?子どもをテストで追いつめるな!12.22大阪集会」を開催する。近隣の方はどうかご参加くださればうれしい。