『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』

2006年07月08日 | Books
(今週の書棚)
林建良『日本よ、こんな中国とつきあえるか?』(並木書房)
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 日本に留学して、そのまま医師となって栃木県に居着いてしまった林建良医師は、正義の人であり、熱血漢だ。
台湾独立、台湾正名運動の提唱者にして、台湾の独立運動を全国的に繰り広げ、李登輝友の会、台湾の声編集長としても大活躍中である。
 その林さんが流暢な日本語を駆使して、中国人と決定的にちがう台湾人の性格などとの比較、日本人との比較検証によって中国人の本質をぐさりと抉る。
それも冒頭から、きまじめな日本人なら卒倒しそうになる事実が所狭しと並んでいて、驚かされること夥しい。
 第一の衝撃は、これまでにも噂として聞こえてきた中国の臓器売買の実態だ。
それも死刑囚の臓器を執行現場に待機している医師がたちまち摘出手術をおこない、待機している外国人患者には国内患者の二倍から三倍で売りつける。
 その手術を中国のどこでおこなっているか、70ヶ所の病院名一覧もついている。

なかには生きている死刑囚から臓器を摘出した医師がおり、その後、西側に亡命して証言したことから中国の驚嘆すべき凶々(まがまがし)さが、世界に曝された。日本のマスコミはあまりこのことを触れたがらない。
 中国の漢方薬の店に行けば、たちどころに中国人の性欲のえげつなさがわかるのは狗鞭(ゴウベン)、虎鞭(フーベン)という動物の生殖器が精力剤で売られていることだ。
 バイアグラの偽物も行き交う中国だが、セックスに強いという信仰が窺える。

「このような考え方(医食同源)は「その臓器を食べるということになる。それも、出来るだけ人間に近い方がよく、また新鮮なものほどよいとされている。たとえば、広東省や四川省では、昔から猿の脳を食べる」。
 そうそう、広東の女性は広東料理の目玉=ハトの丸焼きばかりか、梟も食べる。眼が良くなるという信仰があるからだ。
 死刑囚の皮膚をはがして美容薬にしていることも広く知られる。SARSの根本原因は愛玩動物のハクビシンを食べるからである。
 死刑場へ饅頭をもって集まるのは中国人にとって「公開処刑が娯楽」であるばかりか、飛ぶ血を饅頭に吸収し、長生きしようとするからで、この実話は魯迅の小説『薬』にも、ちゃんとでてくる。
 女性革命家秋謹がまさに処刑される場へ庶民は饅頭をもって現れた。魯迅はそれを書いた(拙著『中国よ、反日ありがとう』も参照あれ)。

 岳飛の「満江紅」という漢詩では「壮志飢餐胡虜肉」(おなかがすいたら外人捕虜の肉を食え)、「笑談渇呑兇奴血」(談笑して喉がかわけば「きょうど」の血でも飲め)。
 林さんによれば「中国では、この漢詩に曲をつけ、今でも小学校の唱歌のひとつとして教えている」という。
 このようなショッキングな実例が夥しく網羅されながらも、本書は決して猟奇をもとめてのものではなく、つまり、騙しが好きで人を食うおそるべき中国人に、うぶな日本人が対応できるのか、という危惧の現れが全編の基調である。
にもかかわらず日本人が下手に付き合うと、いずれ中国に隷属することになる、と不気味な近未来を予測している。
 そうならないためにどうするのか。まず本書を読んで対策を考えるしかあるまい。




   ♪
(読者の声2)宮崎哲弥とか宮崎正治(つくる会の前事務局長)を宮崎正弘先生と勘違いしている人は以外と多いのですね、と過日、(TK生、佐賀)の投書。
じつは私も(ブッシュ大統領なみに)物を知らない人間でして、「新ゴーマニズム宣言」で「従軍慰安婦」が話題になつてゐた頃、書店で池東旭氏と宮崎正弘先生の対談本をパラパラと立ち読みし、「ナンだ、この爺さん、こんな問題にも首を突つ込んでゐるのか」と意外に感じて本を書棚にもどした記憶があります。
(宮崎市定と勘違ひしてたんですね)
 その本のオチは池先生の「いやいや、竹島は韓国領ですよ」でした。(金美齢先生の尖閣同様、ナショナリストなんですね、池先生)

 さて些細な事を御うかがひ致したいのですが… 先生はシナで現地の人から「普通の日本人もオマエと同じくらゐ普通話を話すのか?」と聞かれたと、以前お書きです。
さういふ経験は北方・南方・辺境、いづれで多くありましたでせうか?
(また漢族・非漢族、いづれで多くありましたでせうか?)
現在の普通話は民国時代の「国語」であり、それは更に清朝時代の官話(宮廷用語)が基礎になつてゐると想像いたします。
現地人の、普通話を話す人(先生)への反問は畏敬の念の表明であり、それは直接的には清朝宮廷への尊崇、長い目で見ればシナ文明の「官尊民卑」の伝統(価値観)に由来するものではないかと想像するのですが、先生の御意見は如何でせうか?
   (showa78)


(宮崎正弘のコメント)ご質問の趣旨はよくわかります。しかしいまの中国はおっしゃるような言語空間ではないのです。
 新彊ウィグル自治区へ数年前にいったおり、ウィグル人の若い女性が中国語のテキストで、懸命に「漢字」を覚えていた。国家公務員の試験を受けるのだから、と言っておりました。ウルムチは人口200万人。すでに八割が漢族です。
 二十年前、香港の人は普通語を喋らなかった。いや、喋れなかった。
 いまも香港の新聞の半分は広東語です。高卒以上でないと普通語は喋れなかったのですが、いまや「狼の乳をのんだ子供たち」(北京の洗脳だけで育った世代)は広東語を田舎のコトバと認識するまでになり、普通語を喋るのです。
 香港が北京語(普通語)に浸食され、台湾はずぅっと昔から普通語です。台中から台南、高雄まで行って台湾語の世界が拡がりますが。。
 で、この現象はハルピンのずぅっとさきの黒河(ロシア国境)でも満州里やノモンハン、ホロンバイルでも同じ。南は雲南省のシーサンバンナあたりでも同じです。
 先日、四川省の山奥にいたとき、チベットの美人に足裏マッサージをして貰いました。
そのときに彼女と話して最大の衝撃は「わたしチベット語、喋れない」とあっけらかんと発言したことです。
少数民族の言語は小学校三年生から教室では使えない。全部、強制的に普通語(北京語)であり、クルマの免許も大学の入学試験も普通語です。
 つまり、おっしゃる意味での北京語への反発的な感情は二世代ほど前の感情。いまは新しい段階に突入した、と考えるべきでしょう。
 ウィリー・ラム(香港CNNのチャイナウォッチャー)が「青蔵鉄道はチベット民族への同化政策が本当の狙いだ」と言っておりました。
状況はそれ以上に現場では進んでおり、官尊民卑は、一世代前の話になってしまいました。恐るべき実態が進んでいます。



平成18年(2006年)7月7日(金曜日)貳
通巻第1503号  特大号

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