よみがえるケインズ

ケインズの一般理論を基に日本の現代資本主義を読み解いています。
カテゴリーが多岐に渡りすぎて整理を検討中。

07:第2章 古典派への宣戦布告

2021年07月28日 | 一般理論を読む
第2章 古典派経済学の公準
その失業は自発的か?非自発的か?

 今までは、ケインズは古典派理論の前提(公準)を明らかにし、その前提はおかしいのではないか、と言っているだけである。根本的な批判にはなっていない。その根本的な批判のためには何が必要か、この項の最後に出てくる。

 その前に、ケインズは「完全雇用の定義」を示すが、その表現は少々難解である。が、ここを理解しておかないと次章で???となるので解説しておく。
 今回再掲するかどうか迷ったが、訳書に当たると必ず引っかかることになるので載せておく。一般理論を手元に置いていない方は読み飛ばされても結構である。

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間宮訳(非自発的失業の定義)
 賃金財価格が貨幣賃金に比べて相対的にわずかばかり上昇したとき、この貨幣賃金と引き換えに働こうとする総労働供給とその賃金の下での総労働需要とが、ともに現在の雇用量よりも大きいなら、そのとき人々は非自発的失業の状態にある。

 この訳は、間違っていないが、分からない。少なくとも筆者はまったく理解できなかった。
 原文はこうである。

Men are involuntarily unemployed If, in the event of a small rise in the price of wage-goods relatively to the money-wage, both the aggregate supply of labour willing to work for the current money-wage and the aggregate demand for it at that wage would be greater than the existing volume of employment.

筆者「意」訳
 古典派の公準によれば、実質賃金が低下することによって労働供給は何ほどかは減る一方、労働需要は増えるはずだ。その時に失業している人は「自発的」かもしれないが、現に供給量も需要量も増えているのに失業している人がいる。この人は自発的とは言えないだろう。

 古典派の公準と現実が食い違っていることを言っているだけで、定義は大げさである。ケインズには「あんたの言っていることが正しいならこうなっているのはどういうわけ?」という言い方が多い。
 実際には、ここまでの理論展開では非自発的失業は定義できない。
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 この章の最後には、セイの法則「供給は自らの需要を生み出す」を引いて「生産物全体の需要価格はその供給価格に等しいとする想定こそ、古典派理論の「平行公理」と、称すべきものである。」と締めくくっている。

 平行公理というのはユークリッド幾何学の公理系のことである。現代正統派も暗黙の前提としてこの平行公理:古典派の公準とセイの法則を維持している。売れない製品を作っている企業は淘汰され、結局は「供給は自らの需要を生み出す」ことになるというわけだ。しかし、そのように企業が淘汰されていく先に何が待っているのか。次章以下で展開される。

 ケインズはこの章で古典派に対して宣戦布告を行う。引用する。
「 本章の処々で、われわれは古典派理論が次の諸仮定に依存していると考えた。順に言うと

  1. 実質賃金は現行雇用の限界不効用に等しい
  2. 厳密な意味での非自発的失業は存在しない
  3. 産出量と雇用がどのような水準にあったとしても総需要価格と総供給価格は等しくなるという意味で、供給は需要を創り出す

といっても、これら三つの仮定は、立つも一緒、倒れるも一緒、それらのいずれをとっても論理的に他の二つを包含しているという意味で、実質的には一に帰す。 」

 この「実質的には一に帰す」古典派理論を粉砕しようというわけである。

 古典派理論を、きわめて単純化して言うと、“神の見えざる手が存在し、自由放任の神の前では人間は何もすべきではない。その神とは「価格による需給調整」である”というものだ。
 ケインズは、それは間違っているという。どこが間違っているのだろうか?

 次回は、有効需要の原理である。有効需要という言葉の意味を正確に分かっている人はまずいない。このブログを訪れた人は幸いである。

 なお、ここまで読んで賃金は実質で考えるべきか名目で考えるべきか疑問に思った人は「筋がいい」。
 正解は「場合によって」である。ちなみに第二章では基本的に「実質」で考えている。

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