7月18日
地上に通じる地下鉄の階段を上ると、果物のいい香りが流れてくる。一種類の何かではなく、たくさんの新鮮な果物の香り。
この階段を上りきると、すぐ右手に果実店があるはずだ。
正面の道路を挟んで右手にはドーナツショップ、左手には銀行、そして少し奥にはファーストフードの店がある・・。
その階段を上りきると、記憶にあるとおりの町並みが目の前に再現されていた。
懐かしい街。
10年前、僕はこの街に住み、この街にある精神科専門病院の閉鎖病棟で白衣を着て働いていた。
この地下鉄の入り口に広がる商店街は、離院(閉鎖病棟の入院患者さんが病棟から“逃げ出す”こと。患者さんなので“脱走”とは言わない。)した患者さんを探して、白衣のまま走り回った思い出のルートだ。
歩道が狭いのも、放置自転車が多いのも昔のまま。
変わったのはしゃれた料理店がいくつかできたくらい。
果実店を右手に見て道なりに進むと程なくして大きな交差点にぶつかる。
ここを左に曲がれば、あの病院につながる道。
でも、今日は曲がらない。
交差点をまっすぐわたり、2~3分歩いたところにあるオフィスビルに入る。
1Fのホールを抜け、エレベーターに乗る。
僕の手に握られたパンフレットには、このビルの5Fに目指す施設はあることになっていた。
エレベーターの扉が開き、すぐ右手にその施設はあった。
「障害者職業センター」
主に精神障害者の方を対象に、社会復帰へのお手伝いをする公的施設だそうである。
独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構なる団体の下部組織にあたるらしい。
1ヶ月前、2週間に一度通っているメンタルクリニックの主治医にあるパンフレットを見せられた。
「鬱病などで会社を休職された方を対象に、ゆっくり確実に復職までもっていくための専門の支援をしている機関です。利用されてみる気はありませんか?」
手渡されたパンフレットには、「復職支援(リワーク支援)」の文字と、なにやら数人の人物が作業や、ミーティングを行っている写真が掲載されていた。
はじめにこの話を聞かされたときは、「精神障害者向け施設」という看板に、かなりの違和感と若干の不快感を覚えた。
ただ、鬱病患者の休職からの復職プロセスを支援する団体は公・民問わず存在することは知っていたので、その制度自体に特に違和感を感じることはなかった。
僕はもう休職期間を終え退職してしまっているので今は無職だが、主治医が熱心に薦めることもあり、また「利用者の評判も悪くない。(主治医談)」そうなので主治医の顔を立てる意味でも一度この施設を訪れることにしたのだ。
施設へはその日のうちに電話で連絡をいれ、現在鬱病で通院中であることと、主治医からその施設を紹介されたことを伝えた。
電話にでた職員の説明によると、この施設の支援を受けるには一度「ガイダンス」を受ける必要があると言う。
また、リワーク支援を希望しているが、現在は既に退職済みであることを伝えると、「う~ん・・・退職済みの方ですかぁ・・・。」と難渋気味。
なんだか怪しい展開だが、とりあえず「ガイダンス」を受けてみてくれ、という職員の指示に従って一番直近に開催されるガイダンスに予約をいれた。
「ガイダンス」当日、会場に来ていた“障害者”の方は僕を入れて4名。僕以外すべての方が付き添いつきで、外見や付き添いの方とのやりとりから、おそらく統合失調症かあるいはそのほかの精神障害をもたれた方だと推測がついた。
僕は障害者の方を差別しているつもりは全くないのだが、正直なところ、彼らと同じ席につき、これから受けるかもしれない支援サービスについて、同じ説明を受けることに少なからず戸惑いを受けた。
やがて時間となり、無表情で小柄な女性が部屋に入ってきた。
やや小さな声で、これまで何十回と繰り返してきたと思われる決まりきった挨拶と、これから始まるガイダンスの進行方法及び概要について抑揚無く説明をした。
その後、誰からも質問が無いことを確認して、事前にそれぞれの机の前に用意されたカラー刷りのパンフレット数枚が手元に行き渡っているかを確認し、これまた抑揚も表情もない小さな声で説明をはじめた。
僕にはそれがまるで出来損ないの詩の朗読か、前衛演劇の一場面を見せられているような気がして、他の“聴衆達”を含めたこの空間が、現実世界のものではないかのように感じられ、自分が存在しているこの小さな空間に強烈な違和感を覚えた。
一通りの説明が終わったあと、次は個別の面談にうつると説明があった。
会場を出て、それぞれがパーテーションで仕切られた企業の商談スペースのような小さな空間に入るよう促されていく。
その小さな空間には四人がけのテーブルとイスが備えられており、僕の入った個室には既に女性の面接官が座っていた。
テーブルを挟んだ向かいのイスに座るよう促された僕は、素直に指示に従う。
「桐原さんですね?今回の面接を担当させていただく○○です。よろしくお願いします。」
明らかに僕よりも遥かに年下であるように見えるこの女性は、感情のこもった人間味のある常識的な挨拶をした。
どうやらこの人は出来損ないの詩を読んだり、前衛演劇を演じたりする人ではないようだ。
その女性は、見かけの若さをはるかに凌駕する仕事っぷりを見せた。
僕の現在の病状と通院状況、服薬している薬の種類と量やこれまでの病歴、鬱病を発症した経緯やその当時の職場環境や生活環境、及び現在の生活環境や普段の生活の様子まで、およそ必要と思われる内容について一つ一つ端的に、要領よく、適切な質問をした。僕が何かを語ると必ず相槌をうち、僕の説明が不十分であると補足的な答えを促す質問をした。
そんなやりとりが20分ほど経過しただろうか。
結論から言うと、僕は主治医から薦められた「リワーク支援」という援助を受けることはできないのだという。リワーク支援はあくまでも休職者向けのカリキュラムだから、というのがその理由だった。
その代わりに僕の現在の病状や医師の意見書をもとに考えられるサービスとして、「職業支援サービス」なるものがあると言う。
先ほどの能面の女性が朗読していたものと同じパンフレットに記されたそれは、精神障害者と思われる複数の男性がなにかの軽作業をしている写真が掲載されている。どうやらカリキュラムの一部を紹介したものらしい。その他の作業として説明された写真には、「バラバラにされたボールペンの部品の中から適切な部品を適切な数だけとりだして、1本の完成されたボールペンを組み立てる」作業を延々と繰り返すものがあるという。
ここまできて、僕は来るところを間違えたのではないかと言う最初に感じた疑問が確信へと変わった。
「ボールペンの組み立て作業」を例にあげ、どうも今の自分の病状や性質にあっているとは思えない、という感想を率直に正面に座っている担当者に訴えた。
しかしこの作業は、最初に主治医の指示で僕が受けることを希望していた「リワーク支援」でも行われるカリキュラムの1つなのだという。
また、目的は“できるだけ多くのボールペンを短時間に作成できるかを競う”などというものではなく、“どの程度の作業でどの程度自分に疲労がでてくるか”を客観的に確認するために行うのだとの説明も付け加えられた。
全くもって意味不明である。
ボールペンを完成させることに何の意味があるのかわからないし、だいたい普通の日常生活を送る健康な社会人だって、何時間もそんな作業を繰り返していれば誰だって疲れるに決まっている。
そして今の僕に適しているとして紹介された援助サービスの説明の最後にはカッコ書きでこう書かれていた。
(対象:精神障害者)
その日の面談はそこまでで終了し、この施設での援助を受けるかどうかは改めて主治医と相談してから回答する、と伝え施設を後にした。
その数日後、メンタルクリニックの予約診療の際、紹介された施設に行ってきたこと、リワーク支援は受けられないらしいということ、そのほかのサービスとして「職業支援サービス」なるものを紹介されたことを伝えた。
僕は主治医に率直な感想を伝えた。
他の精神障害者の方と一緒にボールペンを組み立てることが、今の僕に役立つとは到底思えない。
また、そのほかのメニュートして紹介されたSST(ソーシャル・スキル・トレーニング=生活技能訓練)やグループミーティングに関しても、かつての精神科病院勤務時代に“参加者”とは別の立場で関わっており、その“質”や“期待される効果”などについては、あまり良い印象をもっていないことも付け加えた。
SSTとは日常の生活能力が欠けた方に対して行う一種のリハビリのようなもので、精神科病院などでよく行われる。精神科ではお馴染みだが、著名な精神科医の中には「SSTほどくだらないものはない。全くの無駄。」と言ってはばからない人もいる。まぁ、この医者の発言は極端なものの一つだが。
僕の話を一通り聞いた主治医は、現在の多くの精神科で漫然と行われているSSTやグループミーティングなどについて問題があることは認めた上で、それでもその施設を利用する価値があると言う。
精神科病院でSSTなどが行われる場合、参加者は入院患者さんの比率に比例するように統合失調症(一昔前までは精神分裂病と言った。)などを患っている方が多い。僕は10年前の精神病院の現場しか知らないから、あまり勝手なことは言えないが、当時のそれは、はっきり言ってあまり意味のある行為には見えなかった。
やらせている側(医療従事者)も、やらされている側(患者さん)も、“やらされている”感たっぷりなのである。Dr.が指示するから仕方なくやっている。そんな感じなのだ。
僕の主治医はもっと辛らつに、精神科病院で行っているそれは、金儲けのためです。だからあんなふうに漫然とした雰囲気になるのです。と言い切った。
だがしかし、ここの施設の支援を受けることは、今の僕にとって悪くないというのだ。
理由は、まだ新しい施設であり、統合失調症などの比較的症状が重い患者さんなどの利用はまだ少ないと考えられること、また、僕の今の病状で優先的に解決されなければならないのが、昼夜逆転の生活を改め、生活リズムをもとに戻すことであること。そのためには、無理のない範囲で一定の場所に通って適切なケアや訓練を受けるのが有効であると考えられること、などをあげた。
まだ釈然としないままであったが、確かにこのまま2週間に一度通院していても生活リズムが元に戻るとも思えず、また、この1年、同居している母以外の人間とはまともに会話を交わしていないので、社会復帰のためにも集団の中でコミュニケーションをはかることは確かに良い影響を与えるかもしれない。
しかし、やはりあのパンフレットに載っていたボールペンを組み立てている精神障害者の方の写真と、十年前に経験した精神科病院でのSSTを行っている患者さん達の無気力さのイメージが先行してしまい、心のどこかでブレーキがかかる。
そんなこんなで結構悩んだが、支援プログラムの援助を受けるのは無料な上、自分に合わないと思ったらいつでもやめられる、ということだったので、ここは主治医の意見を信じてみることにした。
翌日改めてセンターに支援サービスを利用したい旨を電話で伝えた。
すると今度は、個別の支援プログラムを作成するために専門の相談員との面談と、いくつかの検査を受ける必要があるという。
やがて予約の日がおとずれ、冒頭で紹介した思い出の街を抜けた僕は今、個別面談を受けるために、その施設の前までやってきた。
窓口に立ったが誰も僕に気づいた様子はない。
しかたないので声をかけてみる。
「あの・・・すみません。」
何人かの職員が顔をあげ、一番近くにいた男性職員が近づいてきた。
「14:00から面談のお約束をしていた桐原です。」
男性職員は丁寧な応対で僕を、あのガイダンスで使われたパーテーションでしきられた小部屋で待つよう案内した。
程なく別の男性が現れ、僕を「面談室」なる部屋に入るよう促した。
ちょっとした会議室のような程よいスペースのその部屋で、大きなテーブルをはさみ改めてお互いに挨拶を交わした。
渡された名刺には、「障害者職業カウンセラー」の肩書きがあった。
僕はそこで約二時間の間面談を受けた。
正面に座った「障害者職業カウンセラー」からの質問は、前回の面談資料と主治医に書いてもらった「意見書」に基づき、現在の生活や病状の再確認と、今後の支援の方向性を話し合うものだった。彼は、熱心にメモをとりながら僕の話を注意深く聞いた。
いわゆる“カウンセリング”とは違い、彼と僕の話す割合は五分五分といったところだ。
今後、支援を受けていくにあたって質問は無いかと問われたので、僕は前回の診療の際に主治医に問うた事と同じ内容の質問をしてみた。
ボールペンの組み立てについての話はなかったが、このセンターの利用者は意外なことに鬱病の患者さんが大半であるという。
僕が予想していた統合失調症などの患者さんは、かかりつけの精神病院でSSTなどの訓練をうけるので、外部機関であるこの施設にくることはないのだそうだ。
その後、社会復帰したときの希望月収や希望職種などを聞かれ面談は終了した。
今日はこれで終わりかと思ったのだが、
「お時間のほうが大丈夫でしたら、このままいくつかの検査を受けていただきたいのですが、大丈夫ですか?」
とのこと。
だいたい友人のいない僕に約束などあるわけもなく、僕はそのまま2つの検査を受けた。それは心理検査のようなもので、1つは鬱病の病状の程度に関するもの、もう1つは性格判断に使われるようなものだった。
それぞれの検査は数分で終わり、その結果を1つ1つ確認しながら、深く掘り下げた質問がなされた。
そして丸2時間たって、ようやく初日に予定は終了し、また次回の面談の予約を入れ、僕は「精神障害者」という身分から解放された。
次回の面談でもまだいくつかの検査が行われるという。
はじめに感じていた不安は、今回の面談で随分解消された。
ただ、実際のプログラムが始まっていないのでなんともいえないが、一つだけ確実なことは、僕はいつのまにか「鬱病患者」から「精神障害者」に、呼称が変わったようである。
精神障害者というと、多くの方は知的障害があり、言語や動作が不自然な方を想像されるかもしれない。
僕も正直なところ、精神障害者として扱われるのは、あまり気持ちのいいものではない。
しかし、調べてみると、「精神障害者」に対する法的な定義は複数あるようで、いわゆる日常生活に支障をきたす程度の深刻さを持った方を精神障害者と定義する法律もあれば、精神科領域の疾病(鬱病などの感情障害を含む)で在宅で療養中の方までも含めて精神障害者として定義する法律もあるようだ。
最初は抵抗があり、憤ってみたり、精神障害者と呼ばれることの憤りを感じるということは、彼らに対して無意識のうちに差別意識をもっていたということだろうか、などと内省してみたりもしたが、なんだかもう、どうでもよくなってきてしまった。
僕は確実に精神障害者として扱われる流れの上に載ってしまっている。
しかし、誰になんと呼ばれようとも、僕は桐原亮司。
狂った一族の嫡子であり、また、その一族の血を断つ使命を持った者。
傷ついた魂を抱え、ボロを着て、杖を突き、ランプを片手に闇の大地を彷徨う者。
ココロに空いた“穴ぼこ”を埋める“何か”を探して永遠に彷徨い歩く者。
過去の記憶に生きる者。
そう、僕の名前は桐原亮司。
精神障害者、桐原亮司。
狂気の者、桐原亮司。
孤独を憂い、孤独を求める者。
そう、何も変わらない。
何もかわらないのだ。
僕は、精神障害者、桐原亮司です。
地上に通じる地下鉄の階段を上ると、果物のいい香りが流れてくる。一種類の何かではなく、たくさんの新鮮な果物の香り。
この階段を上りきると、すぐ右手に果実店があるはずだ。
正面の道路を挟んで右手にはドーナツショップ、左手には銀行、そして少し奥にはファーストフードの店がある・・。
その階段を上りきると、記憶にあるとおりの町並みが目の前に再現されていた。
懐かしい街。
10年前、僕はこの街に住み、この街にある精神科専門病院の閉鎖病棟で白衣を着て働いていた。
この地下鉄の入り口に広がる商店街は、離院(閉鎖病棟の入院患者さんが病棟から“逃げ出す”こと。患者さんなので“脱走”とは言わない。)した患者さんを探して、白衣のまま走り回った思い出のルートだ。
歩道が狭いのも、放置自転車が多いのも昔のまま。
変わったのはしゃれた料理店がいくつかできたくらい。
果実店を右手に見て道なりに進むと程なくして大きな交差点にぶつかる。
ここを左に曲がれば、あの病院につながる道。
でも、今日は曲がらない。
交差点をまっすぐわたり、2~3分歩いたところにあるオフィスビルに入る。
1Fのホールを抜け、エレベーターに乗る。
僕の手に握られたパンフレットには、このビルの5Fに目指す施設はあることになっていた。
エレベーターの扉が開き、すぐ右手にその施設はあった。
「障害者職業センター」
主に精神障害者の方を対象に、社会復帰へのお手伝いをする公的施設だそうである。
独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構なる団体の下部組織にあたるらしい。
1ヶ月前、2週間に一度通っているメンタルクリニックの主治医にあるパンフレットを見せられた。
「鬱病などで会社を休職された方を対象に、ゆっくり確実に復職までもっていくための専門の支援をしている機関です。利用されてみる気はありませんか?」
手渡されたパンフレットには、「復職支援(リワーク支援)」の文字と、なにやら数人の人物が作業や、ミーティングを行っている写真が掲載されていた。
はじめにこの話を聞かされたときは、「精神障害者向け施設」という看板に、かなりの違和感と若干の不快感を覚えた。
ただ、鬱病患者の休職からの復職プロセスを支援する団体は公・民問わず存在することは知っていたので、その制度自体に特に違和感を感じることはなかった。
僕はもう休職期間を終え退職してしまっているので今は無職だが、主治医が熱心に薦めることもあり、また「利用者の評判も悪くない。(主治医談)」そうなので主治医の顔を立てる意味でも一度この施設を訪れることにしたのだ。
施設へはその日のうちに電話で連絡をいれ、現在鬱病で通院中であることと、主治医からその施設を紹介されたことを伝えた。
電話にでた職員の説明によると、この施設の支援を受けるには一度「ガイダンス」を受ける必要があると言う。
また、リワーク支援を希望しているが、現在は既に退職済みであることを伝えると、「う~ん・・・退職済みの方ですかぁ・・・。」と難渋気味。
なんだか怪しい展開だが、とりあえず「ガイダンス」を受けてみてくれ、という職員の指示に従って一番直近に開催されるガイダンスに予約をいれた。
「ガイダンス」当日、会場に来ていた“障害者”の方は僕を入れて4名。僕以外すべての方が付き添いつきで、外見や付き添いの方とのやりとりから、おそらく統合失調症かあるいはそのほかの精神障害をもたれた方だと推測がついた。
僕は障害者の方を差別しているつもりは全くないのだが、正直なところ、彼らと同じ席につき、これから受けるかもしれない支援サービスについて、同じ説明を受けることに少なからず戸惑いを受けた。
やがて時間となり、無表情で小柄な女性が部屋に入ってきた。
やや小さな声で、これまで何十回と繰り返してきたと思われる決まりきった挨拶と、これから始まるガイダンスの進行方法及び概要について抑揚無く説明をした。
その後、誰からも質問が無いことを確認して、事前にそれぞれの机の前に用意されたカラー刷りのパンフレット数枚が手元に行き渡っているかを確認し、これまた抑揚も表情もない小さな声で説明をはじめた。
僕にはそれがまるで出来損ないの詩の朗読か、前衛演劇の一場面を見せられているような気がして、他の“聴衆達”を含めたこの空間が、現実世界のものではないかのように感じられ、自分が存在しているこの小さな空間に強烈な違和感を覚えた。
一通りの説明が終わったあと、次は個別の面談にうつると説明があった。
会場を出て、それぞれがパーテーションで仕切られた企業の商談スペースのような小さな空間に入るよう促されていく。
その小さな空間には四人がけのテーブルとイスが備えられており、僕の入った個室には既に女性の面接官が座っていた。
テーブルを挟んだ向かいのイスに座るよう促された僕は、素直に指示に従う。
「桐原さんですね?今回の面接を担当させていただく○○です。よろしくお願いします。」
明らかに僕よりも遥かに年下であるように見えるこの女性は、感情のこもった人間味のある常識的な挨拶をした。
どうやらこの人は出来損ないの詩を読んだり、前衛演劇を演じたりする人ではないようだ。
その女性は、見かけの若さをはるかに凌駕する仕事っぷりを見せた。
僕の現在の病状と通院状況、服薬している薬の種類と量やこれまでの病歴、鬱病を発症した経緯やその当時の職場環境や生活環境、及び現在の生活環境や普段の生活の様子まで、およそ必要と思われる内容について一つ一つ端的に、要領よく、適切な質問をした。僕が何かを語ると必ず相槌をうち、僕の説明が不十分であると補足的な答えを促す質問をした。
そんなやりとりが20分ほど経過しただろうか。
結論から言うと、僕は主治医から薦められた「リワーク支援」という援助を受けることはできないのだという。リワーク支援はあくまでも休職者向けのカリキュラムだから、というのがその理由だった。
その代わりに僕の現在の病状や医師の意見書をもとに考えられるサービスとして、「職業支援サービス」なるものがあると言う。
先ほどの能面の女性が朗読していたものと同じパンフレットに記されたそれは、精神障害者と思われる複数の男性がなにかの軽作業をしている写真が掲載されている。どうやらカリキュラムの一部を紹介したものらしい。その他の作業として説明された写真には、「バラバラにされたボールペンの部品の中から適切な部品を適切な数だけとりだして、1本の完成されたボールペンを組み立てる」作業を延々と繰り返すものがあるという。
ここまできて、僕は来るところを間違えたのではないかと言う最初に感じた疑問が確信へと変わった。
「ボールペンの組み立て作業」を例にあげ、どうも今の自分の病状や性質にあっているとは思えない、という感想を率直に正面に座っている担当者に訴えた。
しかしこの作業は、最初に主治医の指示で僕が受けることを希望していた「リワーク支援」でも行われるカリキュラムの1つなのだという。
また、目的は“できるだけ多くのボールペンを短時間に作成できるかを競う”などというものではなく、“どの程度の作業でどの程度自分に疲労がでてくるか”を客観的に確認するために行うのだとの説明も付け加えられた。
全くもって意味不明である。
ボールペンを完成させることに何の意味があるのかわからないし、だいたい普通の日常生活を送る健康な社会人だって、何時間もそんな作業を繰り返していれば誰だって疲れるに決まっている。
そして今の僕に適しているとして紹介された援助サービスの説明の最後にはカッコ書きでこう書かれていた。
(対象:精神障害者)
その日の面談はそこまでで終了し、この施設での援助を受けるかどうかは改めて主治医と相談してから回答する、と伝え施設を後にした。
その数日後、メンタルクリニックの予約診療の際、紹介された施設に行ってきたこと、リワーク支援は受けられないらしいということ、そのほかのサービスとして「職業支援サービス」なるものを紹介されたことを伝えた。
僕は主治医に率直な感想を伝えた。
他の精神障害者の方と一緒にボールペンを組み立てることが、今の僕に役立つとは到底思えない。
また、そのほかのメニュートして紹介されたSST(ソーシャル・スキル・トレーニング=生活技能訓練)やグループミーティングに関しても、かつての精神科病院勤務時代に“参加者”とは別の立場で関わっており、その“質”や“期待される効果”などについては、あまり良い印象をもっていないことも付け加えた。
SSTとは日常の生活能力が欠けた方に対して行う一種のリハビリのようなもので、精神科病院などでよく行われる。精神科ではお馴染みだが、著名な精神科医の中には「SSTほどくだらないものはない。全くの無駄。」と言ってはばからない人もいる。まぁ、この医者の発言は極端なものの一つだが。
僕の話を一通り聞いた主治医は、現在の多くの精神科で漫然と行われているSSTやグループミーティングなどについて問題があることは認めた上で、それでもその施設を利用する価値があると言う。
精神科病院でSSTなどが行われる場合、参加者は入院患者さんの比率に比例するように統合失調症(一昔前までは精神分裂病と言った。)などを患っている方が多い。僕は10年前の精神病院の現場しか知らないから、あまり勝手なことは言えないが、当時のそれは、はっきり言ってあまり意味のある行為には見えなかった。
やらせている側(医療従事者)も、やらされている側(患者さん)も、“やらされている”感たっぷりなのである。Dr.が指示するから仕方なくやっている。そんな感じなのだ。
僕の主治医はもっと辛らつに、精神科病院で行っているそれは、金儲けのためです。だからあんなふうに漫然とした雰囲気になるのです。と言い切った。
だがしかし、ここの施設の支援を受けることは、今の僕にとって悪くないというのだ。
理由は、まだ新しい施設であり、統合失調症などの比較的症状が重い患者さんなどの利用はまだ少ないと考えられること、また、僕の今の病状で優先的に解決されなければならないのが、昼夜逆転の生活を改め、生活リズムをもとに戻すことであること。そのためには、無理のない範囲で一定の場所に通って適切なケアや訓練を受けるのが有効であると考えられること、などをあげた。
まだ釈然としないままであったが、確かにこのまま2週間に一度通院していても生活リズムが元に戻るとも思えず、また、この1年、同居している母以外の人間とはまともに会話を交わしていないので、社会復帰のためにも集団の中でコミュニケーションをはかることは確かに良い影響を与えるかもしれない。
しかし、やはりあのパンフレットに載っていたボールペンを組み立てている精神障害者の方の写真と、十年前に経験した精神科病院でのSSTを行っている患者さん達の無気力さのイメージが先行してしまい、心のどこかでブレーキがかかる。
そんなこんなで結構悩んだが、支援プログラムの援助を受けるのは無料な上、自分に合わないと思ったらいつでもやめられる、ということだったので、ここは主治医の意見を信じてみることにした。
翌日改めてセンターに支援サービスを利用したい旨を電話で伝えた。
すると今度は、個別の支援プログラムを作成するために専門の相談員との面談と、いくつかの検査を受ける必要があるという。
やがて予約の日がおとずれ、冒頭で紹介した思い出の街を抜けた僕は今、個別面談を受けるために、その施設の前までやってきた。
窓口に立ったが誰も僕に気づいた様子はない。
しかたないので声をかけてみる。
「あの・・・すみません。」
何人かの職員が顔をあげ、一番近くにいた男性職員が近づいてきた。
「14:00から面談のお約束をしていた桐原です。」
男性職員は丁寧な応対で僕を、あのガイダンスで使われたパーテーションでしきられた小部屋で待つよう案内した。
程なく別の男性が現れ、僕を「面談室」なる部屋に入るよう促した。
ちょっとした会議室のような程よいスペースのその部屋で、大きなテーブルをはさみ改めてお互いに挨拶を交わした。
渡された名刺には、「障害者職業カウンセラー」の肩書きがあった。
僕はそこで約二時間の間面談を受けた。
正面に座った「障害者職業カウンセラー」からの質問は、前回の面談資料と主治医に書いてもらった「意見書」に基づき、現在の生活や病状の再確認と、今後の支援の方向性を話し合うものだった。彼は、熱心にメモをとりながら僕の話を注意深く聞いた。
いわゆる“カウンセリング”とは違い、彼と僕の話す割合は五分五分といったところだ。
今後、支援を受けていくにあたって質問は無いかと問われたので、僕は前回の診療の際に主治医に問うた事と同じ内容の質問をしてみた。
ボールペンの組み立てについての話はなかったが、このセンターの利用者は意外なことに鬱病の患者さんが大半であるという。
僕が予想していた統合失調症などの患者さんは、かかりつけの精神病院でSSTなどの訓練をうけるので、外部機関であるこの施設にくることはないのだそうだ。
その後、社会復帰したときの希望月収や希望職種などを聞かれ面談は終了した。
今日はこれで終わりかと思ったのだが、
「お時間のほうが大丈夫でしたら、このままいくつかの検査を受けていただきたいのですが、大丈夫ですか?」
とのこと。
だいたい友人のいない僕に約束などあるわけもなく、僕はそのまま2つの検査を受けた。それは心理検査のようなもので、1つは鬱病の病状の程度に関するもの、もう1つは性格判断に使われるようなものだった。
それぞれの検査は数分で終わり、その結果を1つ1つ確認しながら、深く掘り下げた質問がなされた。
そして丸2時間たって、ようやく初日に予定は終了し、また次回の面談の予約を入れ、僕は「精神障害者」という身分から解放された。
次回の面談でもまだいくつかの検査が行われるという。
はじめに感じていた不安は、今回の面談で随分解消された。
ただ、実際のプログラムが始まっていないのでなんともいえないが、一つだけ確実なことは、僕はいつのまにか「鬱病患者」から「精神障害者」に、呼称が変わったようである。
精神障害者というと、多くの方は知的障害があり、言語や動作が不自然な方を想像されるかもしれない。
僕も正直なところ、精神障害者として扱われるのは、あまり気持ちのいいものではない。
しかし、調べてみると、「精神障害者」に対する法的な定義は複数あるようで、いわゆる日常生活に支障をきたす程度の深刻さを持った方を精神障害者と定義する法律もあれば、精神科領域の疾病(鬱病などの感情障害を含む)で在宅で療養中の方までも含めて精神障害者として定義する法律もあるようだ。
最初は抵抗があり、憤ってみたり、精神障害者と呼ばれることの憤りを感じるということは、彼らに対して無意識のうちに差別意識をもっていたということだろうか、などと内省してみたりもしたが、なんだかもう、どうでもよくなってきてしまった。
僕は確実に精神障害者として扱われる流れの上に載ってしまっている。
しかし、誰になんと呼ばれようとも、僕は桐原亮司。
狂った一族の嫡子であり、また、その一族の血を断つ使命を持った者。
傷ついた魂を抱え、ボロを着て、杖を突き、ランプを片手に闇の大地を彷徨う者。
ココロに空いた“穴ぼこ”を埋める“何か”を探して永遠に彷徨い歩く者。
過去の記憶に生きる者。
そう、僕の名前は桐原亮司。
精神障害者、桐原亮司。
狂気の者、桐原亮司。
孤独を憂い、孤独を求める者。
そう、何も変わらない。
何もかわらないのだ。
僕は、精神障害者、桐原亮司です。
何故?何故?何故?
あなたのブログの 一文字 一文字から 苦しみのかけらを 見つけ
まるで ジグソーバズル
まるで 枕言葉の様にあなたの名前の前に ある言葉。
あれが無ければ 駄目ですか?
亮司さん、あなたは もしかしたら………私… 心配の余り亮司さんの心に 立ち入り過ぎて居るのかもしれない…………
そうかもしれない。
きっと…そうだ
少し 考えてみます。 では。
何か大きな疑問をお持ちのようでしたが、自己完結されたようなので、あえて触れないでおきます(笑)
ただ言えるのは、これが僕の誇張のない真の姿だということです。
いや、本当はもっとグロテスクなものかもしれませんね。(笑)
自己完結なんて していないです。
笑わないで下さい。 悲しいだけです。
現実は 美しい事ばかりでも、楽しい事ばかりでも無い事は わかっています。
でも、笑わないで下さい。
私から見たら 亮司さんは、博識で経験豊富 羨まし存在です。
笑わないで
笑わないで下さい。
でも…
私の叫びは虚しく響くだけですか??
決して気分を害させるつもりで書いたわけではないのですが、結果的にそうなってしまったようで、申し訳ないです。
あと、僕は博識でも経験豊富でもありません。
僕が羨ましい??
何が?どこが?
他にもっと素敵な人がいると思いますよ。
おはよう
亮司さん。
質問の答え。
疑問符が多いので、何から答えたらいいかしら?
1,何も私は気分を害している訳ではありません。そう感じる文章を書いてしまった事、謝ります。
ただ、亮司さん ご自分をあまりににも過小評価し過ぎている様に思い なんだかとっても悲しくて ちょっと怒っちゃったのかも!?
私は、自分で言うのもなんですが、滅多な事では 怒りませんよ( 笑 )
2,あなたは素敵な人です。
会った事も無く、ブログの中の事しか 分からないくせに なにが分かるのか…?と お思いでしょうが、分かるのです。
あなたの 綴った文字のひとつひとつに 内面からほとばしる 苦しみ 辛い心 慟哭とも思える叫びが…
私の心の琴線を 静かに鳴らしてゆきます。
亮司さん
あまり ご自分を過小評価して 自分で自分をいじめないでください。
ただ、それが私にとって 辛いのです。 悲しいのです。
なにが? どこが? の 亮司さんの疑問に 納得のいく答えにはなっていませんでしょうが…
精一杯 頑張って考え、書きました。
あなたは 知性的で 心の美しい人です。
だから 苦しみが多いのでしょう?