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the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

少しだけ回復・・

2007-02-20 00:05:37 | 鬱病日記
2月19日


昨日よりも少し回復。

最近は、ココロよりも身体にダメージがくることが多い。

身体が不調だとココロも不穏になって、余計なことを考えたり、嫌な思い出を思い出したり、将来にたいする不安に囚われたり、と悪循環。

気づけばまた、鉛の塊を抱いて井戸のどん底にいる。
じめっとしていて薄暗く、狭いところ。
僕の心の中の奥のほう。。。

試験も迫ってるから、勉強しなきゃいけない。
でも、今日の夜のクラスは休んでしまった。

家にいるとつい横になってしまうので、できれば明日は学校に行きたい。


書きたいこと、色々あるけど、うまく頭が働かないので、また後日。

まずは、明日を迎えることが僕の試練。

予想的中。

2007-02-19 00:04:22 | 鬱病日記
2月18日


激ダル。


起動不能。


一日、薬とサプリメントとミネラルォーターで過ごした。

食欲なし。

このまま、少し体重が少し落ちることを祈る。




HELP HELP HELP.......


明日も調子悪かったら、病院行こう・・・。



14時間30分

2007-02-18 00:46:58 | 鬱病日記
1月16日


昨日は色々頑張って疲れているはずなのに、ベットに入ってからもなかなか眠りにつけなかった。
今、僕が過ごしている部屋は、今の母の家に引越してくる前まで物置代わりに使われていた部屋で、そこに独り暮らし時代の家具とか大量の本や荷物を持ち込んでいるので、文字通り足の踏み場がない。
唯一ベットの上のスペースだけが確保されているような状態である。
そのベットが僕の今の居場所。シェルターだ。

時間は確実に進んでいるのに、全く眠気が訪れない。
睡眠薬も寝つきをよくする薬も、処方どおりの量を飲んでいるのに。

いつも寝るときに流すCDを流すのも3周目に突入した。
それでも眠れない。
明日は朝から午前のクラスがあるので寝ておかなければいけないのに、と思えば思うほど目が冴えてくる。

結局、眠りについたのは4:30AMを過ぎたころだったようだ。

なぜ時間がわかるのかというと、僕の今使用している部屋は扉を挟んで居間の隣にある。その居間にかけてある時計が、なんと、「鳩時計」なのである。
今の時代、鳩時計を使っている家庭はまずないのではないかと思われるが、母親の家では「鳩時計」なのである。
ご存知のように、鳩時計は、その時刻になると時刻の回数だけ、羽を羽ばたかせながら一鳴きする。例えば、2時なら2回、6時なら6回、12時なら12回である。
それとは別に各時間ごとに30分を迎えると一鳴きする。
これが24時間続くのである。
「ナイトモード」のようなものでもついていればいいのにと思うが、この時計は時間帯を問わず、昼でも夜でも時間通り鳴く。当然、深夜0時は12回である。

その鳩の鳴き声の回数の記憶があるのが4:30AMまでなので、確実にその時間までは起きていたことになる。

問題はその後である。

朝目覚めたときは9:00AM。これからどう頑張っても、午前のクラスには間に合わない。今日の登校はあきらめ、再びベットに戻りこむ。時折、起きたり寝たりを繰り返しながら、最終的にベットから起き上がったのは19:00。
14時間30分の睡眠である。

昼夜のリズムが逆転すると、身体の負担も大きくなり、状態も安定しないので、朝と夜のリズムはしっかり確保しておくようにと、主治医から忠告されていたのだが、すっかり昼夜が逆転してしまった。

あいにくというか、なんというか、明日は朝から学校で模試がある。
6:30には起きないと間に合わない。

起きられるだろうか・・・。
というか、このあと眠れるだろうか・・・。

自信がない。

なんとなく、明日のブログの内容が予想できそうだ・・。

胃が・・。

2007-02-17 01:12:56 | 鬱病日記
2月16日


寝起きが重い。

前日に頑張ってしまうと、次の日は必ず身体に“ゆりもどし”がくる。
前日に頑張ったと言っても、半日学校に行っていただけなのだが、今の僕にとっては結構な負担になるようだ。
毎日、一日中ベットで過ごしているのに、突然、外出して半日座っているのだから大変といえば大変なのかもしれない。

今日はいつもより早く、10:00AMに一度目の目覚めが訪れた。
いつもの僕のライフサイクルから言うと、まだ「深夜」である。

一瞬そのまま起きてしまおうかと思ったが、なんとなく二度寝をしてしまう。
次に気づいたのが12:00PM。
だけど結局ベットから起き上がったのは、いつもどおり14:00PMだった。

でも、今日はなんとしても勉強しなければならないと思ったので、そのまま支度を整え学校に向かった。

そこから4時間のお勉強。

えらい。

二日続けて、しかも4時間も勉強するなんて、ずいぶん頑張ったものだ。

帰り道、ふらっと書店によって目に付いた本を購入。
この調子でいくと、先月なみに本を大量に購入してしまいそうだ。
読みきれていない本が部屋の片隅に黙々と積み上げられていく。

帰りの電車のなかで、もういつ購入したのかわからない本をカバンから取り出して読んでいると、胃のあたりが何かおかしい。
吐き気とまではいかないが、ムカムカ、ヒリヒリ、チクチクという感覚が一緒にきた感じ。

あまり食事をとらないで薬ばかり大量に飲んでいるせいで、胃が荒れたのだろうか。勉強しながら飲んでいた缶コーヒーが胃壁に染みる。

去年も同じ頃に、同じようなことがあって、その時は一週間としないうちに全く固形物が食べられなくなってしまった。市販の胃腸薬を飲んでいたのだが一向に改善しないので、その頃独り暮らしをしていたマンションの近くにある内科系の総合病院を受診した。
看護師さんに症状を説明して問診票に記入し待つことしばし。。。。

すると何故か突然、循環器科の先生がでてきて、腹部を触診したあと、「う~ん・・肝臓がちょと腫れてますね。」(?)と一言。

なぜ循環器科?しかも肝臓って・・?そもそも肝臓って腫れたりするものだったっけ??

頭の中が「?」だらけで混乱している僕にその医者が聞く。

医者:「固形物が食べられないって・・あなた、この1週間何食べてたの?」

桐原:「ヨーグルトとか・・あとスープとかです・・。」

医者:「ああそう。そうね、固形物がムリな時はそんな感じでいいですから。」


おいおい。

ここ一週間栄養がまともにとれていなかったので、胃カメラの検査か、もしくは点滴の1本でもうってくれるのかと思っていたのだが、結局、胃薬はおろか「状況観察」ということで終わってしまった。

事前に看護師に提示していた、当時服用中の薬剤リスト(今通っている心療内科兼精神科クリニックで処方されていたもの)を見て、どうやらびびってしまったらしい。遠まわしに、そっちの医者になんとかしてもらってくれ、と言わんばかりの対応だった。

少し考えてみると当たり前のことなのかもしれないが、やはり医者と言えども専門が違うと、処方される薬も微妙に(あるいは全く)違うものもあるわけで、診察中、その医者は僕の提示した服薬中薬剤リストを机に広げ、「お薬大辞典」で気になる薬をチェックしていた。その光景にちょっと唖然。せめて患者の見ていないところでやって欲しい。というか、胃の症状なのに、なぜ循環器科のあなたがでてきたの?「腫れている」という肝臓はこのままでいいの?と、「?」ずくしの診察であった。

結局、その数日後、今も受診している心療内科(兼精神科)クリニックで胃薬を出してもらって徐々に症状は改善されていったのだが、その間(2週間~3週間弱くらいかかっただろうか。)は、まともに食事ができず、ヨーグルトと市販のレトルトスープとビタミン剤で過ごし、結構しんどかった。
※ちなみにその後の健康診断で胃と肝臓にポリープが発見されるが、この時の症状との関連は不明である。



などと、当時の出来事を思い出しながら帰宅したのだが、母は昨日の抑うつ状態から幾分回復しているらしい。
食事の用意をしていてくれた。
食卓に出された料理は、



豚キムチ炒め。



なんでこんな時にキムチなんだ・・。
最近は年のせいか、揚げ物やお肉の類が結構胃にもたれるようになってきたのだが、それに加えて「キムチ」である。
タイミングが悪すぎる。

胃がつらくて、正直、何も食べる気がしなかったのだが、僕が食事を摂らないと、異常なほどに母が心配し、狼狽する姿が目に見えているので、気休め代わりに牛乳をカップに1杯飲んで食事についた。

完食。

頑張った、桐原。


今日はいろんな意味でよく頑張った。
明日の朝の“ゆりもどし”が小さいことを願う。


鬱病の発症要因の分類と遺伝的要因について

2007-02-16 02:15:25 | 鬱病日記
2月15日


今日は午後から学校に行ってきた。
夜のクラスは18時30分からなので、少し早めに家をでて、今日予定されている授業内容をテキストを使って軽く予習しておくことにした。

適当な場所が見つからなかったので、駅中のミスドに入る。
飲み物だけ頼むのも気が引けたので、たいしてお腹は空いていなかったけれど、フレンチクルーラーを1つトレーに載せる。

店内は程よく混雑していて、僕はカウンター席の一番端に座った。

カフェオレを飲みながらテキストを開いていたが、なんだかイマイチよくわからない。

結局1時間くらいボーッと過ごし、学校に向かった。

授業は途中で休憩を挟みながら3時間。

1時間目。

2時間目。

3時間目・・・・。



さっぱりわからない。。。。。



もともと硬い文章でわかりにくいテキストだなぁとは思っていたが、講師の説明を聞いていても何を言いたいのかさっぱりわからない。講師の抑揚のない話し方がなお一層、理解の妨げになっているのではないか、と思ってしまう。

そもそも事前にしっかりと予習をしていない自分が悪いのではあるが・・。

そんなこんなで講義も終わり、来週はテストがあるという。
このままでは0点獲得は間違いない。
それくらいわからないのである。

昔の自分ならもっと覚えられたのに・・薬のせいかな・・など色々考えてしまう。

電車にのって帰宅したのが23時前。

玄関に入るとなんとなく嫌な予感がする。
ゆっくり扉を開き、居間に入る。


母が、居間に布団を敷いて横たわっている。
ああ・・目が死んでいる。
きた。
アレが来た。

僕の母は不定期に極度の抑うつ状態に陥る。
また一年に数度、重い抑うつ状態から錯乱状態に陥り、泣き叫びながら自分のこれまでの人生を呪い、また今の子供たちの不幸の一切は、すべて自分のせいだと言ってひたすら自分を責め立てる。

母は普段から愚痴っぽい人だが、抑うつ状態になると家事を一切放棄し、ひたすら暗い言葉を繰り返す。話しているうちはまだ状態はいいのだが、そのうちまともに会話ができないようになってしまう。
そのくせ、こちらからの問いかけや返事に対しては、過敏に反応しその反応のすべてがマイナスな解釈に持ち込まれてしまう。

こうなってしまっては、もう周りは(というか、僕しかいないのであるが)手の施しようがない。
ひたすら時間が症状を改善してくれることを祈るばかりである。

僕も母と同居をはじめて以来、何度となく不定期に起こる母の抑うつ状態(及びその延長としての錯乱状態)に遭遇してきたが、一度、この状態が「発症」してしまうと手のつけようがない。こちらからの励ましや問いかけも、すべて彼女にとってマイナス要因でしかないのである。

今日は夕食をつくる気にもならなかったようで、キッチンを見ても食べられそうなものが残っていなかったので、冷蔵庫から豆腐を出してきて夕食代わりに食べた。
特にお腹が空いていたわけではないので、それはそれでよかったのだが、なんだか惨めである。しかし、居候で家にお金を入れていない身分なので何も言えない。
(自分の食事くらい自分でつくればいいじゃないか、と思われる方もいるかと思うが、彼女は洗濯や食事の支度、掃除などの家事は、自分のペースでやらないとすっきりしないそうで、あまり僕が立ち入ると「そんなことはやらなくていい」と制止されてしまう。それでも時折、食器などの洗物をしてはいるのだけれど・・。)

実際のところ、母は気分障害など何か精神的な疾患を抱えていると思う。
常日頃から身体各所の不調や睡眠がとれないこと、身体がだるくて重いこと、仕事にやる気が起きないことなどをぼやいているところを見ると、素人判断ながら仮面鬱病ではないかと思ってしまう。
仮面鬱病とは、ものすごく大雑把に言うと、鬱病特有の精神症状よりも身体の症状が前面にでてくる症状をいい、一見すると身体疾患のように見えて、その影には鬱病が潜んでいるという状態のことである。

今日、鬱病を発病する要因は、大きく三つにわけて説明されている。
・仕事上のストレスなど明らかな心理的ストレスによって引き起こされる鬱。(心因性という)
・脳梗塞や甲状腺の病など身体疾患が原因となって引き起こされる鬱。(外因性とも言われる)
・明確な理由がなく“ひとりでに引き起こされる”鬱。(内因性という。)

内因性といいながら、事前に発症のきっかけになるようなライフイベント(転職や、昇進、異動、近親者の死、交友関係のストレスなど。)を経てから発症されるケースもあり、心因性と内因性の区別はなかなか難しい側面もあるようである。

僕の場合はあきらかに内因性の鬱だと思われるが、内因性、心因性に関わらず、実は鬱病の発症には一定の割合で遺伝的要素が影響を与えているという。
双極性障害(躁うつ病)と比べると、いわゆる「鬱病」の場合は遺伝的要因が占める割合は小さくなるようであるが、家族の病歴(遺伝性要因)と本人のおかれた環境的要因が重なって発症される、複雑な病気であるらしい。

僕の主治医にも、「母が少し普通とは違う」ということは話してあるのだが、「どちらかの症状が不穏になると、そちらにひっぱられて本人の症状も悪くなることが懸念されるため、同居しつつも適度な距離をおいて接すること。」を暗に薦められた。

僕が精神科病院で勤務していたときもそうだったが、急性期の閉鎖病棟で鬱病でマックスに落ちている患者さんの扱いには手をやいた。これは自分が鬱病になってからも改めて反省させられたのだが、抑うつ状態でマックスに落ちているときは、誰に何を言われようと、心は漆黒の穴のなかに落とし込まれた上、上から大きな鉛の塊で覆われているような、なんともいえない状態に追い込まれるのである。
この状態で、「お風呂に入りましょう」とか、「OT(作業療法)に参加しましょう」などと言われても、身体も心も反応しないのである。それどころか、入院するほど重症になっているので、気持ちは哀しみや不安感、孤独感のどん底にあると推察される。こんなとき、目の前の看護者は敗北感とも無力感ともつかない思いにとりつかれてしまう。

(言葉は悪いが、統合失調症(旧:精神分裂病)で素っ頓狂な言動をしていたり、暴れまわって看護者に暴力をふるって身体拘束されている患者さんのほうがはるかに扱いやすい印象がある。)

それと同じことが、家庭内でくりかえされるのである。
しかも、一方は鬱病患者、もう一方は抑うつ傾向のある母。
自分が誰かに支えて欲しいくらいなのに、身内といえども暗黒の淵に落ちてしまった母を引き上げるのは大変な労力がかかるうえ、それらの試みは例外なく徒労におわるのである。
こうなってしまうと、母が自力で上がってくるのを待つしかない。
僕も、何度となく同じ経験をするにつれて、錯乱状態になって手がつけられなくなるとき意外は、余計な言葉をかけず、だまって見守ることにしている。

本当は母にも精神科の受診をすすめたいのであるが、親子で精神科通院というのもなんだかなぁという気がするし、母の性格上、一度病名がついて薬物療法が始まると、状態はもっと悪くなる気がする。

とは言え、僕の症状が落ち着いて、しかるべき時期がきたら母には精神科を受診してもらうつもりである。

できれば明日には母が自力であがってきてくれていることを祈る。

バレンタイン

2007-02-15 01:32:15 | 鬱病日記
2月14日


世間ではバレンタインデイだそうである。

甘いものはあまり得意なほうではない桐原であるが、チョコレートは食事代わりに良く口にする。

今日もいつもの時間、14:00にベットから起き出して何か食べたいなと思ったのだが、バレンタインデイに男子がチョコレートを買いに行くのはなんだか気恥ずかしい。

どうしても食べたくて仕方がないときは、

「いや、僕はそういう行事とか関係なくて、普通にチョコレートが食べたいんです。」

と心の中で叫びながら、レジにならぶ。
心なしか、レジのお姉さんは、少し不憫な顔をして商品を袋詰めしてくれる。

心の声:「いや、だからそういうんじゃないんです。」

店員の表情:「いいんですよ、わかってます。チョコレートもらえないと寂しいですもんね。」

と言わんばかりの対応に、何も言えずに足早にレジをあとにするのが常である。

幸いにも今日は、母親が包装も何もしていない、普通のチョコレートをテーブルの上に残して仕事に行ってくれた。

女の子からチョコレートをもらいたいとはあまり思わないけれど、母親からもらうというのもなんだかなぁ、という感じである。

今日はいつもより身体が幾分楽であったが、それでも座っていることができず、一日中ベットで横になっていた。
昼間にあまり寝ていると、夜寝られなくなってしまうのであまりよくないような気もするのだが、主治医によると、「寝たい時は好きなだけ寝ていてください」とのことなので、今日はそのとおりにしてみた。

おかげで、この時間になっても思い切り眼が冴えている。

朝起きるのがどんなに遅くなっても、夜の睡眠薬たちの力で無理やり眠りにつことによって、昼夜逆転生活をなんとか防止している感じである。

でも今日は眠れるかな。

部屋の明かりをけして、ベットに入ってから眠りにつくあいだ、これまでに経験していた、嫌な事、不安だった事、寂しかった事などを思い出して、心が不穏になるのが嫌なところである。
寝起きはもっと不穏なのであるが・・。

明日は学校で夜のクラスがある。
午前中は何もないので、さすがに明日は寝起きが悪くても、夜には学校に通えそうである。
早めに外出して、予習をしよう。


Happy Birthday to ・・・・・

2007-02-14 00:51:49 | 鬱病日記
2月13日


僕は今日、30歳になった。


ついに一線を超えてしまった感がある。
もう20代のような若々しさはない。


30歳、無職無収入、鬱病。


一日12種類、31錠以上の薬を飲んでいないと正気を保てない自分。


こんなはずじゃなかったのに。

どこで間違えたんだろう。


大学を中退して、フリーターを始めた頃の僕は、将来に対する不安も感じることなく、ただその日一日を勢いだけで突っ走ってきた。
社会という大きな壁に向かって、独りで精一杯の虚勢を張り、必要以上にとんがって、「生きる」ことに執着を持っていた。

20代半ばになって、将来のことについて考え出すも、学歴なし、資格なし、スキルなしの僕には、そう簡単に将来への開けた道は見つけられなかった。

そんななか、ある企業のバイトをしているうちに、いつの間にかその会社の正社員に登用されていた。僕は20代の大半をその会社で過ごした。朝から深夜まで働いた。給与や休日なんかよりも、自分の目の前にある仕事をいかに成功させるかに力をおいた。自分独自のスキルや知識をつけるように努力した。他の社員たちとのスキルの差別化を徹底した。おかげで、周りからは一目置かれる存在となり、自分の希望どおり東京に転勤することになる。

東京への転勤から一年後、希望していたマーケティング系・データ分析系の業務を担当する部署に異動になる。

この頃の僕が一番楽しかったのかもしれない。
仕事が面白かった。
見るもの、聞くもの、教わるものが毎日、毎日新鮮で、魅力的で、どれも残さず自分のスキルに加えたいものばかりだった。

周りからのプレッシャーは強く感じたが、僕のところに案件の相談にやってきてくれる営業君たちや、プレゼン先のクライアントとの打ち合わせ、業務がうまくいってクライアントから再指名されて業務を受注したときの嬉しさは僕に刺激と自信を与えた。

僕には学歴コンプレックスがある。大学中退であることに対して強い劣等感を持っている。身内(同僚や営業君をはじめとする関連部署の方々)もクライアントも僕よりもはるかに良い大学を卒業しているんだ、という、劣等感と戦いながら、一生懸命背伸びをして業務にあたってきた。
わからない用語、聞いたことのない技術、興味を引くテーマや領域、今後、業務の拡大が見込めそうな領域を見つけたときには、書店に行き、徹底的に勉強をした。
おかげで、今、僕の書棚にある本の8割はマーケティング系、マネージメント系、データ解析系の専門書ばかりである。(その書棚を見るたびに今の自分と当時を比較してしまい、胸が痛む。)

当時は上司との葛藤もないわけでもなかったが、その部署では1つの業務について1人が担当する、1業務=1担当制が慣例だったので、自分の裁量でできる範囲が広く、逆にそれがいいガス抜きになっていたのではないかと思う。


どこから歯車が狂い始めたのか。


正直、自分でもわからない。
初めて職場の近くの心療内科を受診したときには、こんな大事になるとは露にもおもわなかった。

それが、処方された抗うつ薬や抗不安剤を服用するにつれて、頭の回転がわるくなった。営業君たちの相談にのっていても、うまいアイデアがでてこない。それどころか、彼らの話している言葉じたいがうまく理解できなくなっていた。
やがて症状は身体面にも及び、遅刻や欠勤をする日が多くなってきた。

そして、地元への転勤。慣れない異部署での勤務にすっかり打ちのめされ、数ヶ月で休職に追いやられた。最初の休職は1ヶ月ほどで会社へ復帰したが、その数日後には再び休職となり、そこから10ヶ月ほど、辛く苦しい闘病生活が始まるのである。


自分はダメ人間だ。これから先どうしよう。心が憂鬱で仕方がない。不安感でじっとしていられない。新聞の文字が読めない。何度も何度も同じ行を読み返すが、内容が頭で理解できない。日中は立っていることはおろか、座っていることもままならない。


どうしてこんな風になってしまったのか。


休職した当初は、なんとも言えない焦燥感(これも鬱病の症状の1つである)から、早く復職しなければ、とばかり考えていたが、その頃には、もう、僕の帰る席はなくなっていたのである。


若い頃。
20代のはじめ頃、僕は1つの目標を立てた。
これから先、どんな仕事につくかわからないし、どんな人に出合うかわからない。
でも、30歳の誕生日を迎える頃には、自分の好きな領域で、自分の納得の行く仕事を充分に満喫していられたらいい。


ささやかな願いに見えたこの目標が、今は自分をダメ人間だと思わせる要因の一つになっている。

著者は忘れてしまったけれど、数ヶ月前のあるビジネス系雑誌に「勝ち組」「負け組」の特集が組まれていた。

その中で印象的だったのは、「20代の時の同僚との仕事量や成果、給料の差なんて問題にしてはいけない。20代は助走期間であって、本当の格差は30歳を超えてからやってくる。20代での成功体験なんて、あっという間にひっくりかえってしまう。」

といったような趣旨の文章だったと思う。


なるほどな、と思う。


僕が東京に転勤する前に、バイト君だったうちの何人かは、僕が再び転勤で地元に戻ったときには正社員になり役職についていた。


20代の大半を費やした会社からはじき出され、僕は今、ベットの中で暮らす日々を送っている。

僕は今、30歳である。

学歴、スキル、資格に加えて、年齢(若さ)いうポテンシャルも失いつつある。

今後、この病気がどのように回復していくのか、いつ回復するのかわからない。

やや、転職(というか再就職)には年をとりすぎたきらいもある。
都内など首都圏の景気は回復基調にあるようだが、地方の拠点都市ではまだまだ不景気のど真ん中である。
大学新卒者の求人倍率がバブル期なみに復活したそうであるが、僕らのような「失われた世代」にとってみれば、新卒雇用より再就職枠を増やせと言いたくなる。

本当にこの国は「再チャレンジできる社会」に向けて動き出しているのであろうか。


来年の誕生日、僕はどこにいるだろう。どんな仕事をしているだろう。どんな人たちに囲まれているだろう。いや、そもそも、僕は来年の誕生日を迎えることができるだろうか。


Happy Birthday to Me.

降参です。

2007-02-13 00:34:35 | 鬱病日記
2月12日


連日の決意むなしく、本日もいつものベットの中で沈没しておりました。

起きたのは14:30PM。

その後、とりあえず薬だけ飲んで気づけば18時まで就寝。


明日は行きます。必ず行きます、学校に。

何もしなかった代わりに、今日は(12日~13日にかけて)ブログを3つ更新しました。

お暇なときにご覧ください。

決意空しく。

2007-02-12 00:28:04 | 鬱病日記
2月11日


起床時間は14:00PM。

まずはじめに薬を飲んで、あとはもうお決まりのパターンである。
ベットに引きこもる。

本当は起きてから学校に行って自習でもしようかと思っていたのだが、起きるのが遅すぎて断念した。
シャワーを浴びて準備をして駅まで行って電車にのって学校にたどり着くまでざっと1時間半。学校に行くには少し遅すぎる。

今日は日曜日なので、母が昼間から家にいる。
だから家では勉強ができない。

となれば・・・。
僕の唯一の安住の地、古いパイプベットに潜り込むしかない。

最近、毎日のように、「明日こそは学校に行く。」と繰り返し宣言しているが、一度も達成されていない。

明日は午前も夜間もクラスはないが、できるだけ早い時間に学校に行って自習しよう。というか、自習したい。
明日の朝の(昼?)の寝起きの調子次第になるかもしれないが、そろそろ勉強しないと本格的にやばいので。

明日は調子よく起き上がることができますように。

やっぱり、朝はムリです。

2007-02-11 01:35:00 | 鬱病日記
2月9日


今日は学校で午前のクラスがある日である。

昨夜は携帯のアラームを6:30AMにセットしてベットに潜り込んだ。しかし、なかなか眠りにつくことができず、2:30AM過ぎまでベットの中で起きていたように思う。
ただ目がさえているだけではなくて、この日はなんだか孤独感や不安感もでてきて、鳴るはずのない携帯を握って毛布にくるまり、丸まっていた。
こんな時間にメールを送れる相手はいないし、こんな時間にメールを送ってくれる相手もいない。
だけどこの夜の僕は、その携帯が社会との唯一の接点であるかのように思えたのだ。

翌朝、両手で握られた携帯は、6:30AM丁度にアラームを鳴らした。

やはりというか、案の定、今日も起き上がることができず、午前のクラスの受講を断念するとともに、再び眠りに落ちた。

次に目覚めたのは14:00PM。
いつものように、朝、昼の分の薬をまとめてミネラルウォーターで胃に流し込む。
さて、どうしよう。

授業は午前中で終わっているが、学校に行って自習でもしようか。

しかし、それにしても身体がだるいく、重い。

昨日のように少し頭と身体を使っただけで、その負荷は翌日に2倍にも3倍にもなって身体に返ってくる。
これも主治医の忠告どおり。

この記事を読まれている方のなかで、鬱病の経験がないかたには、「身体がだるいくらいで大げさな・・。」と思われる方もあるかもしれない。

しかし、この鬱病で現れている「疲労感」というか「身体のだるさ」、「身体が重い感じ」というのは、心の憂鬱感と同等に、場合によってはそれ以上につらいものなのである。

「だるさ」の感覚も、一般の方が普段の生活の中で感じられているであろう「けだるさ」とは似て非なるものなのである。
いや、普通の「だるさ」の延長線上にあるとも考えられなくもないのだが、この二つの「だるさ」の間には決定的な質の違いがあるように思われる。
身体の芯を抜かれたような、身体全体の細胞が鉛にかわってしまったような、とにかくなんとも言えない身体の感覚なのである。
立っていることも座っていることもできない。
この感覚は体験した人でないと実感しにくいかもしれない。

結局そのまま18:00PMまで浅くて、軽い睡眠についていた。

結局、今日は何もしていない。
明日は、少し遅くなっても学校に行こう。
今日の分を取り戻さなきゃ。

あと3回残っている午前のクラスは・・。
たぶん、通えないでおわるような気がする。

僕に、朝はムリだ。