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the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

応援してます。エンドリさん。

2007-02-09 23:54:56 | 鬱病日記
2月9日


今日の起床時間は、14:30。
昨夜の宣言どおり、「医者の指示に従って」沈没していた。

目覚めてから、しばし、ベットの上でぼぅっとする。

とりあえず、何か飲もう。
今飲んでいる三環系と呼ばれる抗鬱剤は、口乾感と手指の振るえ、便秘などの副作用がある。

僕の場合、口乾感と手指の振るえは深刻で、しばしば報告させていただくとおりである。便秘もつらいが、毎日下剤を飲んで対応している。

枕元においてある2Lのペットボトルから、ミネラルウォーターをマグカップに一杯。

一息ついたところで、テキストを広げてお勉強タイムである。
珍しく15:00~20:00頃まで勉強した。
それでもまだ予定しているカリキュラムと差が出ている。
今週末で挽回しなくては。


それはそうと、今日のMステにENDLIさん(ENDLICHERI☆ENDLICHERI)が新曲とともに出演されていた。

1stシングルの「ソメイヨシノ」から、僕は彼のファンである。
彼はますます、深化していく。
彼はどこに行こうとしているのだろうか。

目下、桐原一押しのアーティストである。
というか、友達になりたい。
あんな感性の人間が友達にいれば、他には何もいらないかも知れない。


明日は朝から学校に行かねばならない。
主治医の忠告に反して、早朝から起きなければ。


起きれるかな。
自信がないな。



心のワーキング・プア/つり革握れますか?

2007-02-09 02:50:48 | 鬱病日記
2月8日


11:00。枕元にある携帯のアラームを手探りでとめる。

起きてからの行動を、まどろんだ意識のなかでシミュレーションしてみる。
頭が働かないので、そのシミュレーションはなかなか最後までたどり着けない。
それでもなんとか答えをだして、「まだ数時間は眠れる」と思った次の瞬間、僕はまた眠りに落ちる。

13:00。万が一に備えて設定していたアラームが再び鳴り響く。目をつぶったまま携帯を手でさぐりあて、アラームをとめる。もう起きなければ間に合わない。でも、あと五分・・。

気づいたら15分たっていた。

あわててベットを抜け出して、取り合え得ず朝と昼の分の薬を胃に流し込む。

次に何をするんだっけ。

そうだ、シャワーをあびなきゃ。
服を脱ぎながら、着替えの服を用意して、ついでにカバンの中身を確かめる。

時間がないからいつもの半分の時間でシャワーを終えて、ドライヤーで髪を乾かす。

時間がない。

ちょっとパニくりながら、生乾きの髪をそのままに、両眼にコンタクトを入れる。こんなときに限って手指の振るえという副作用が現れて、うまくコンタクトを入れることができない。何度と泣く眼球を指でつつきながら、5分ほどかけて装着完了。

服を着て、マフラーにコートを羽織り、火の元と戸締りを確認してから小走りで家をでる。

時間がないながらも、途中のコンビニで新聞を買い、更に早足で駅に向かう。
どうやらなんとか間に合いそうだ。

今、僕が居候している母の家は郊外にあり、朝夕の通勤・通学の時間帯以外は、1時間に3本しか電車が走っていない。
去年の春まで僕が独り暮らしをしていたマンションは、地下鉄駅から徒歩7分と、交通には困らなかったので、いちいち電車の発車時間をチェックしなくてもよかったのに。
同じ都市とは思えない不便さである。

テキストと参考書でいっぱいになったカバンを背に、電車に乗り込む。
どうやら空席はないようだ。
仕方がないので、適当なところで立つことにする。

しかし、つり革は握らない。というか握れない。
僕は変なところで潔癖症なところがあって、不特定多数の接触が予想される部位は、なるべく手に触れないようにするのが癖になっている。
だからつり革も、仕方なく握らなければならないときは、「輪」の部分ではなく、「輪」を上から吊るしている「帯」の部分を握る。
一番嫌なのは、商業施設のあちこちにある、「大きな取っ手」のついた扉である。
ここは絶対に素手では触らない。
腕の部分で押したり、「取っ手」じゃない部分を押して空けようとする。
これが「押して開く扉」ではなく、「引いて開く扉」の場合は少し厄介である。
ここでも皆が触れているであろう、「取っ手」の中央部分は避けて、ずっと上の部分や下の部分をできるだけ接触面が少なくなるようにして、渋々、触る。
それでもとても気分が悪いので、僕はよく手を洗う。
この時期は「手袋」という大きな味方がついているので頼もしい。

関係ないが、僕は家でもお風呂にはいらない。シャワー派である。
独り暮らしのときは、たまに湯船にお湯をはってはいることもあったが、今の家(=母の家)に来てからは、一度もお風呂に入ったことはない。夏も冬もシャワーである。
何故か。理由は簡単である。自分以外の人間が入ったお湯の中に自分が入るのが気持ち悪いのである。では、一番先に入ればいいではないか、と言われそうだが、自分が入ったお湯の中に、家族が入るのも嫌なのである。気持ちが悪いのだ。
最近、この年になってようやく温泉や銭湯に入れるようになった。
全くの気休めだが、温泉の各種成分が細菌類を殺菌してくれそうな気がするからである。この説に全く科学的根拠がないのは承知のうえで、あえてその部分は気づかないようにしている。そうじゃなきゃ、屋外の入浴施設に入れないから。
それでも家庭のお風呂だけは、どうしても入れない。たぶんこれから先も入れないと思う。


そうそう、何の話だっけ。


僕がこんなに急いで出かけようとしているのは、今日が2週間に1度の通院日だからである。おまけに、夜は18:30~21:30まで学校の授業がある。
電車と地下鉄を乗り継いで、予約時間を5分過ぎて病院に到着した。
今通っている病院は、18:00までは完全予約制である。ご存知のように精神科の診察は予約制であることが多い。
ちなみにここの病院は、18:00以降は予約不要となるのであるが、この時間帯はものすごく混雑する。18:00直後に受付を済ませても、「3時間待ちになりますが、よろしいですか?」なんて平気で言われたりする。都心に近いせいもあり、開院して数年しかたっていないクリニックであるが、どうやら繁盛しているらしい。

夜の混雑した院内とは対照的に、午後の院内はガランとしていて人影がなかった。
僕が受付をすませていると、その気配を察したのか、白衣を脱いだ主治医が待合室の奥から戻ってきた。どうやら大きな窓ガラス越しに外のビル群を眺め、しばしの休息をとっていたようだ。

僕は受付のお姉さんに誘導されるまま、3つある個室のうちの一番手前の部屋に案内される。
こじんまりとした小部屋である。白いソファーが壁面にそってL字型に配置され、部屋の中心に小さなガラスのテーブルが置いてある。

ソファーに腰をおろし、身支度を整えていると、5分と待たずに主治医がノートパソコンを片手に現れた。


「こんにちは。その後どうですか?」


僕は、朝どうしても起き上がれないこと、昼間もほとんどベットの中で過ごしていること、やる気が起きず、時折憂鬱感が現れることなどを、できるだけ簡潔に話した。

僕がこの2週間の経過を話している間、主治医はノートパソコンの画面を見つめたまま、ただ黙々とキーボードを打ち続けている。
昨今は電子カルテを導入している病院も増えてきて、たいそう便利そうである。

主治医がキーボードをたたく音だけが響く。しばしの沈黙。

そのとき、いつも主治医が片手に抱えているノートパソコンが、明らかに新品の機種に変わっていることに気づいた。最近、女性の受付のお姉さんも一人増えたし、
やはり繁盛しているようである。

ひとしきり電子カルテへの入力が終わったあと、主治医は手をあごにあて、ノートパソコンの画面を眺めながら、「う~ん・・・。」と言ったまま固まってしまった。

次に彼が口を開いたときに発せられたのは、こんな言葉である。


「起き上がれなくて眠気やダルさがどうしても抜けないときは、そのまま寝ていてください。」


ほう・・。そうきましたか。
この二週間の沈没ぶりで、薬の一つも変わるかと思っていただけに意外な一言だった。

主治医いわく、今の病状をお金に例えると、「借金やローンで首が回らない状態」なのだという、ここでいう借金やローンとは、心と身体のエネルギーのことをいうらしい。うつ病というのは、発病前に頑張りすぎて心のエネルギーを使い切ってしまった状態なのだから、基本的な治療法は、適切な薬物療法と、十分な休養ということである。
僕が日々だるく、ベットから抜け出せないのも、心のエネルギーが不足している状態の現われで、休養することによって、不足しているエネルギーをもとの水準までとりもどし、ひいては「貯金や蓄え」を貯めていくようにもって行くのが治療方針だということだ。

というわけで・・・。

僕は明日からもまた沈没します。

なんとなくわかったようなわからないような説明をされたあと、もう何年もベットの中で引きこもりに近い生活をしている僕は、どんなに休んでも心のエネルギーがたまらない、「ココロのワーキングプア」か?と思ってなんだか気落ちした。
リアルな世界でも、心の内側でも、ワーキングプアなんて悪い冗談だ。

その後、駅そばのミスドで今日始めての「食事」(フレンチクルーラーと抹茶のオールドファッション。それとカフェオレ。おいしかった。)をして、そこから徒歩10分の学校に向かう。

授業開始まで2時間程度あったので、僕がいつも利用しているロビーの奥のテーブルで、今日のカリキュラムの予習をした。

しかし、イマイチ頭にはいってこない。

授業時間になり、途中休憩を挟みながら3時間の講義を受けた。
途中から身体がだるい上に、眠気もでてきて起きているのが大変だったが、なんとか乗り切ったという感じである。
たぶん、すぐに復習をしないと忘れてしまうだろう。

帰りの電車の中で、先月大量に購入した本のなかから、選抜して持参した文庫を取り出して立ったまま読む。どんどん読んでいかないと、このブログでレビューを載せる機会がどんどん遠くなってしまう。先月大量に購入した本たちは、僕にちょっとした脅迫観念を与えてくる。もちろんここでも絶対につり革には触らない。

授業を終えて、家についたのは22:30くらいだったように思う。
とりあえず何をおいても、まず手を洗う。丹念にあらう。それも薬用石鹸でなくてはならない。

その後、食事を済ませて、歯を磨く。
今日は疲れたので夜の洗顔はパス。昼間、シャワーで洗ったし。
一見、潔癖症にみえてこんな部分はずぼらである。


そして只今の時刻は日付が変わって9日の2:30AM。



明日の沈没は間違いない。




軽く語られる魂と、死への傾斜

2007-02-08 00:35:58 | 鬱病日記
2月7日


14:30起床。

重いからだを引きずって起き上がり、朝昼の薬をまとめて飲み、テキストを広げてみる。

身体がだるい。座っていることが辛い。

10分後、ベットに倒れるように潜り込む。


今週はいまのところ全滅ペースである。
何が悪かったのだろう。

身体の調子が悪いときは、精神的にも不穏になってくる。

抑うつ感と孤独感。将来への不安。

最近は、ベットに眠ったまま朝が来なければいいのにと思う。

こんなことを書くと、必至で生きている人や、生きたかったのに生きられなかった人、そんな人たちの家族の方々から非難を受けるかもしれない。
それはとても申し訳ないのだが、僕は今、本当に、生きていくとに対する執着が薄れ、心は自分の死に傾斜しつつある。

僕がまだ高校生だった頃、休み時間に教室の窓辺にひじをつき、何気なく前庭を眺めながら、「今、ここから僕が消えても誰も気づかないだろうな。」と思って日々を過ごしていたことを思い出す。

僕が消えても、世界は昨日と変わらず流れていく。
明日も、その次の日も、ずっと。

今、僕のとなりにあるワンセグの携帯の中で、人気の「江原さん」と黄色い髪の「美輪さん」が、僕の知らない日本語で、僕の知らない世界のことを話している。

とめどなく。話している。

その向かい側でゲストのタレントさんが、さも、もっともらしそうに感心した顔で頷いている。

スタッフも出演者もみんな本当のことを知っているのに、誰も気づかないふりをして、会話は続く。

この番組の制作費はどのくらいだろう。
その制作費でもっとまともな番組はつくれなかったのか。
人気占い師の「細木さん」といい、なぜあんな人たちを敬い、称えるのか。
日本は不思議な国である。

死とはもっとリアルで、残酷で、無常なものだ。

自分の傷から流れ出る血は生温かく、ぬるぬるとしている。

そんなことも知らないで、空虚な会話は続いている。


まったくもってくだらない。


僕はあと、半年、もしくは3ヶ月、時間をもらえればいい。
身の回りを整理して、母親に親孝行をして、弟に別れを告げて、誰もいないところで眠るように静かに死にたい。
そうだ、このベットがいい。僕の苦悩と苦しみを一緒に耐えてくれた古いベット。
僕はこのベットで、眠るように静かに死ぬのだ。


僕が死んで、仮にあの世があったとしても、「江原さん」や「美輪さん」の口をかりて言葉を託すことはないだろう。


メンタルクリニックと精神科病院についての疑問

2007-02-07 01:30:36 | 鬱病日記
2月6日


残念ながら、今日も一日中、ベットの中で沈没していた。

せっかく少し勉強のペースを取り戻したのに、また元に戻ってしまう。

これではやばい。

病院に行ったときに、前回の診療から2週間の症状を主治医に説明するときが一番困ってしまう。

薬を変えても、正直なところたいした変化はなかったのだが、それでも、何か少しでも病状が好転したようなことを言わないと、せっかく薬を処方してくれた主治医に悪いような気持ちになってしまう。
(こんな性格だから鬱病になってしまうのだろうと思うけれど・・。)

会社の転勤にあわせて今の土地に戻ってきて、それを機に今の病院(というか正確にはクリニック)に通い始めてから、かれこれ2年は超えるだろうか。いまいち時間の感覚が鈍っているので正確にはわからないが、おそらくそれくらいだと思う。さすがに数年の単位で通院していると、受付の方にも顔を覚えられているようで、診察券を提示する前から「こんにちは、桐原さん。」と言われてしまう。
最初は、見た目も若く、ジーパンの上に白衣、サンダルというあまりにラフな格好であらわれる先生を少々怪しんでいたものの、今ではすっかりお世話になってしまっている。
今のところ、病院を変えるつもりはない。

大昔、僕が10代最後の年を迎えた頃、僕は精神科病院の中にいた。

と言っても、患者としてではなく、スタッフの一員として白衣を着て働いていたのである。その頃は数年後に自分が精神科領域の病気で苦労することになるなんて思ってもいなかった。
この病院で働いた1年間には、いい思いでも、悪い思いでもたくさんあり、患者さんとのふれあいや格闘(!)のなかで得た経験は大きい。
この話はまた別の機会にとりあげてみたいと思う。

ところで今日の本題だが、皆さんは心療内科やメンタルクリニック(精神科診療所)、もしくは精神科病院(総合病院内での精神科や、精神科専門病院)などに通われた経験はお持ちだろうか。

精神科専門病院の閉鎖病棟(わかりやすく言えば隔離病棟)で勤務した経験がある僕が言うのもなんだかおかしいが、誤解をおそれずにいうなら、医療関係者や患者の家族がなんと言おうとも、精神科病院の特に急性期を扱う閉鎖病棟は、社会から隔離された異質なコミュニティである。扉でしきられたあちら側の住人と、社会の中で生きているこちら側の人間との間には、様々な意味で全くちがった空気が流れている。それは、どちらが「正常」でどちらが「異常」かなどと言った問いは飛び越えて、両者は全く「別の世界」なのである。
もちろん、精神科病院には開放病棟もあり、一昔前のような「精神異常者の隔離施設」といった印象も払拭されつつあるし、医療現場の対応もかわりつつあるように思う。いたずらに精神科というものに対する偏見や誤解を与えることは避けなければならない。
入院施設のととのった精神科病院(もしくは総合病院の中の精神科)には、医者がいて、看護師がいて、OTと呼ばれる作業療法士や臨床検査技師、診療放射線技師や管理栄養士(もしくは栄養士)など国家資格をもった医療スタッフが常駐しているのでその点は他の身体科の病院となんら変わりない。そこではレントゲンや尿や便、血液などの検査、心電図による検査など、身体科で行われている検査が日常的、定期的に行われている。
もちろん一次は非難の的となった「電気痙攣療法」(ETC:患者のこめかみに電極をあて、一定の電流を流す治療法)などという、精神科独特の治療法もある。

それに対して、街の心療内科やメンタルクリニックには、そのような医療スタッフがいないばかりか、看護師すらいない。基本的には医者と受付のお姉さんだけである。

自分がメンタルクリニックに通うようになって疑問に感じるのが、精神科病院で頻繁に、あるいは定期的に行われていた血液検査などをはじめとする各種検査が、メンタルクリニックでは一切行われないのである。同じ精神科領域の治療をを行う医療機関として、なぜこうも差がでてしまうのか。言い方を変えるなら、薬物療法など、少なからず身体に影響を及ぼす治療をしておきながら、なぜ、メンタルクリニックでは検査をせずに診察・治療を続けていくことができるのかということである。

もちろん、精神科病院では、何年間というスパンで長期入院されている人も多く、精神疾患に加えて、生活習慣病やその他の身体疾患を抱えている方も少なくない。病棟自体がその方たちの日常生活の場なのであるから、それらの身体疾患に対して検査をしているのである、と言われれば納得できなくもない。

ただ、僕の記憶では、僕が精神化病棟で勤務していたときには、検査データをもとに患者さんへのケアや使用する薬物の種類や量を加減していたように思う。
事実、同じような病気で「精神科病院」に通院していた、元友人も、定期的に血液検査をして、精神面のみならず、血液中の成分の各種データや肝臓をはじめとする臓器の状態も診察されていたそうだ。

精神科領域で使用される薬物も、精神症状にのみ効くものばかりではなく、一見何の関係もないように思える、心疾患や前立腺肥大、眼科領域の疾病に重篤な影響を与える場合がある。

それでもなお、心療内科やメンタルクリニックでは、血液などを採取して行われる検査や、心電図の検査などは行われないし、そもそもそのような設備がない。

それでも僕は、今通っているクリニックに満足しているし、精神科病院に転院するつもりはないが、同じ精神科領域の病を治療している医療機関で、これだけ治療体制に差があるのは(どちらがいいとか、悪いとかではなく)精神科特有のものなのであろうか。

一方で、街の心療内科や精神科クリニックはオープンな雰囲気で、割と通いやすいという利点があるのは否めない。

ただ、どうしても不思議なのは、なぜ、心療内科や精神科クリニックなどでは、検査が行われないのであろうか。そもそもその必要がないのであれば、なぜ、精神科病院では定期的に検査が行われているのであろうか。

いつも感じるちょっとした疑問である。

どなたか知っている方があれば、是非ご教授願いたい。




シングルベットの宇宙

2007-02-06 01:02:23 | 鬱病日記
2月5日


昨晩の予想どおり、午前中は沈没。
午後になっても、倦怠感は消えず、ベットの中に潜り込む。
次に気づいた時はもう18時だった。

一日頑張ると、次の日はダウン。

このサイクルはたまにやってきて、僕のリズムを壊していく。



僕のベットは古いパイプ製のシングルベット。
今のベットカバーはお気に入りのブルー。
深い海のようなブルー。
マットのスプリングもがたがたで、枕も低すぎて身体にあっていないベット。

だけど僕はこの古いベットで、18歳の頃から生きてきた。
多感だった頃の思い出や、まだ見ぬ未来への淡い期待と憧れ、たどりついた先で知った社会の限界という壁。
信じた相手に裏切られた哀しみと、独りでいることの意味。

このベットは僕にとってのシェルターだった。

辛いときはこのベットの中に潜り込んで、毛布を頭からかぶって、膝を抱えてじっとしている。
ただひたすら何も考えずに、意識を散らす。音が聞こえてこなくなるまで。
そうこうしていると、膝を抱えて丸まったまま、宇宙の中を独り漂っているような気持ちになってくる。

誰かに拾われるか、誰かが僕を捕まえてくれるまで、僕はベットの中の宇宙を独りさまよう。

僕は歌うことも、踊ることもできない。
呼びつつける名前すら知らない。


誰かに気づいてもらえるまで、ただ、独りベットの中で、虚空の宇宙を漂っている。

鉛の塊/「ホームドラマ!」

2007-02-05 03:06:59 | 鬱病日記
2月4日


今朝気づいたのが7:30AM。
悪くはない。

でも今日はまだだ。
昨日から気分が重い。

結局ベットからでてきたのは正午すぎだった。
ヨーグルトと簡単な食事をつまんで学校に行く。

今日は講義が無い日なので、いつものロビーを実習室がわりに勉強である。
閉館まで4時間ほど勉強しただろうか。
調子が悪いわりには上出来であると自分を褒めてみる。

明日は母親が仕事なので、昼間から家で勉強をしよう。


話は変わるが、皆さんは2004年にTBS系で放映された、「ホームドラマ!」という連ドラを覚えていらっしゃるだろうか?

海外でバス事故にあい、家族や大切な人を失った年齢も性別も様々な遺族たちが、主人公である井坂将吾(堂本剛)を中心に、徐々に一軒家に集まって共同生活を続けていくというストーリーである。

視聴率はあまりよくなかったようだが、僕はこのドラマが大好きだった。
何を隠そう、堂本剛のファンになったのもこのドラマがきっかけである。笑


(参考)
公式HP
http://www.tbs.co.jp/home-drama/main.html

ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E!


そのドラマが僕の住んでいる地域で深夜に放送されていることを知って、今夜はこんな時間まで起きていてしまった。
間違いなく明日の午前中は沈没である。

でも、ドラマをみて、懐かしくちょっと気持ちが和んだからいいとしよう。

明日は鉛の塊がどこかにいっていてくれますように。
明日も勉強しよう。


<お知らせ>
2月1日の記事、「どろろ」。
一部追記いたしました。

決意空しく/小さな一歩。

2007-02-04 00:26:50 | 鬱病日記
2月3日


最初に目を開けたのが5:00AM。
まだ早い。もう少し眠れる。

朦朧とした意識の中で、携帯のアラームを手探りで止めたのが6:30で、
「起きなきゃ」と思って次に携帯を握ったときは、10:30だった。

午前のクラスは9:30から。
これから起きて、シャワーを浴びて電車と徒歩で片道45分。
軽く二時間は越える。

昨晩の決意空しく、今日も講義を受けられなかった。

重たい頭をもちあげて、ミネラルウォーターで朝と昼の分の薬を流し込む。

シャワーを浴びる。
頭を洗って、トリートメントをつけたまま身体を洗って、頭から身体まで一気にシャワーで流し落とす。
その後、お気に入りの洗顔石鹸(通販で取り寄せているほどのお気に入り。)を洗顔用ネットで十分に泡立てて、両手で更に泡立てたあと、顔全体を泡で包み込むようにして洗う。シャワーで流し終えたあとは、毛穴を引き締めるために冷水で数回すすぐように顔面を洗う。

ここまでやって、なんとか身体が起きてきた。

あとは身体を拭いて、顔に化粧水をつけてできあがり。
美容液とメイク落としは夜の洗顔のときにしか使わない。

メイク落としを使っているというと、ほぼ全員に不思議がられるが、別に普段からメイクをしているわけではないし、特別なことがあってメイクをするわけでもない。
ただ、昔、何かの雑誌で、皮脂や毛穴の奥に詰まった汚れは油性なので普通の洗顔フォームや洗顔石鹸(水溶性)を使う前に、油性のメイク落としを使ったほうが毛穴の奥の汚れも落としてくれる、といったような記事を読んでそれ以来、メイク落とし→洗顔石鹸(洗顔フォームじゃないところがポイント)→化粧水→美容液というサイクルを欠かさず行っている。

僕はもともとトラブル肌なのだが、この洗顔シリーズを使い始めてから、肌の質感が違ってきたように思うのは気のせいではないと思う。
ちなみに桐原愛用の洗顔シリーズは「草果木花」である。このなかで“どくだみ”シリーズを愛用としている。

参考:http://www.sokamocka.com/shop/top/top.aspx
 
今日は土曜日なので、母親が一日家にいる。
僕の今借りている部屋には、机やテーブルを置くスペースがないので、普段は居間のテーブルを借りて勉強をするのだが、週末は母親が常時居間にいるので、その場所は使えない。

シャワーを浴びたあと、少し遅いかな、と思いつつも学校に行くことにした。
学校についたのは15:00少し前だったように思う。
学校に行っても受講クラスは終わっているので、正面玄関を入った奥にある、休憩室のようなロビーにいくつか設置しているデスクの一角を陣取り、勉強をはじめる。

何問か問題をといているうちに、少しだけ昔の勘が戻ってきた。
場所がロビーなので、正面玄関が開くたびに寒風が吹き込んでくるのが難点だが、それでも3時間強、3日分のノルマはこなしたかな。

この調子にのって明日も学校に自習しに行こう。
たぶん朝からはムリだから、午後になるかな。

一日中ベットの中で過ごしていた日常から、久しぶりに外にでて、3時間勉強して帰ってきた。
小さな進歩だが、大きな一歩。

胸の中の鉛色の塊がとれないのが、ちょっと不安だけど、明日には少し楽になっていますように。


通信教育談

2007-02-03 00:13:31 | 鬱病日記
2月2日


今日は、いつものように午前中はベットの中で沈没。
ベットから起き上がれたのが14:00PM。

いつものように朝と昼の分の薬をミネラルウォーターで一気飲み。

だるいなぁ、思いつつ、昨日の決意どうり今日は勉強をしなければと思い、テキストと問題集をとりあげず広げてみる。

最初のページが開けない。
そのままダラダラ30分経過。

意を決してなんとかテキストの1頁目から読み進む。
今月に試験があるのに、今日からテキストの1頁めからはじめるという、この無計画さ。

そういえば小さい頃から、計画性のない人間だったなぁ、なんて思ったりする。
仕事に関しては、1つのジョブを受け持って、業務スケジュールを立て、関連部署と連携をとりながらクライアントへの報告納期に間に合わせるようなことは、うまくやっていたと思うのだが、自分のこととなるとなかなかそうはいかない。

僕は、「通信教育」が好きである。
学生時代の進研ゼミから成人してからの資格検定、大学通信教育まで。
結構体験したが、一度も最後までやりとおしたものはない。

おそらく「自分を律する」ということが苦手なのだと思う。

昨今の大学通信教育は、数年前とは大きく様変わりを遂げようとしており、科目試験や講義などにインターネットを利用する大学も増えてきた。通信制の大学院まである。学部、院ともに単位を取得して卒業すれば、通常の通学過程とどうようの学位を得ることができる。
そんな大学の情報をネットで検索し、時には大学案内を請求し、シラバスを見ながら自分が勉強するつもりになって、ワクワクするのである。

以前と比べて、大学通信教育も学びやすくなってきたとはいえ、仕事を持った社会人が、4年間で必要単位をを収めて卒業するのはなかなか容易ではないように思う。

一番の難点は、大学本校(もしくは地方の会場)などに一定の日数通って講義をうけなければならないという、「スクーリング制度」である。
これは卒業までの必須条件になっているので、通信過程といえどもどうしても通学しなければならないのだが、仕事をもった社会人が定期的にまとまった期間、何度となく休みを取ることは難しいことである。

インターネット等のインフラは整っているので、スクーリングを卒業への必須科目とせず、講義のネット配信などで卒業単位が認められるような大学が登場することを心待ちにしたい。

※もちろん、学位取得後、国家試験などを得て専門職に就くような過程では、実技実習を含めて、スクーリングが必要なことは納得できることである。


それよりもなによりも。

とりあえず僕は、目の前の試験の勉強をしなければ。
実は去年の秋から別の国家資格の通信教育を受講しているが、未だ一冊目のテキストさえ読み終えていない。

明日は学校に行こう。
早起きできますように。

深夜の日記は恥ずかしい。/家計簿つけてます。

2007-02-02 00:48:07 | 鬱病日記
2月1日



今朝、最初に目が覚めたのが10:00AM頃。
次に気づいたのが12:00PM少しまえで、渋々ベットから抜け出したのが14:00PM。
いつものように朝の分と昼の分の薬をミネラルウォーターで一気に胃の中に流し込む。

いつもの日常。

学校に行っても良かったのだが、中途半端な時間だし、誰もいないから家で勉強しても同じかなぁなんて考えながら、結局、何もせずに19:00PM





調子は悪くないが、良くもない。





なんだか、このブログをはじめてから、自分の中の汚い何かがドロドロと流れ出ているような気がする。昨日、自分で書いた記事を見て、自分のことを「ちょっと嫌なやつ」だと思ってしまった。
夜中に日記や手紙を書くと、次の日読み返しえて恥ずかしい思いをするというのは本当だ。



今日の僕の成果。
1月分の家計簿の〆。

そう。僕は家計簿をつけている。
去年の暮れから。

1月の食費、8451円。
夕食は母親が作ってくれるので、これは昼間に外食をしたり、どうしてもお腹が空いたときにコンビニでサンドイッチなどを買った時の費用。
こんなもんかな。という印象。

1月の医療・美容費、5244円。
1月は美容室に行かなかったので、これは全部医療費。
2週間に1度通っている割に意外と安くあがっているのは、公的扶助を受けているからだ。この制度の正式な名称はよくわからないのだが、事前に診療を受けようとする病院・医院名及び所在地、連絡先と、同じく調剤薬局のそれを区役所に届け出ておくと、その人の収入に応じて医療費が通常の3割よりも割安になり、一月の医療費も上限を超えると超過分を行政が補填してくれる。申請時には医師の意見書だったか、診断書のようなものも提出を求められたように思う。どのような疾病がこの制度の対象になるのかわからないが、とりあえずうつ病はその対象であるらしい。ちなみに僕の場合、今のクリニックと調剤薬局を利用する場合に限り、診療費や薬代は0.5割の実費負担で済んでいる。収入がない身にとっては、とてもありがたい。(ちなみに、風邪や骨折などで医療機関を受診しても、扶助の対象とはならないので、皆さんと同じ3割の負担である。)

1月の教育・教養費、22,669円。
これはたまにコンビニで買う新聞と、あとは書籍代。
母は新聞を読まない人なので、今の家では新聞の定期購読はしていない。
でも、いくら社会からドロップアウトしているとはいえ、世間の動向を知らないのは不安なので、たまに、外出したついでに新聞を買う。
それにしても、1月は明らかに本を買いすぎたと反省。
まだ読みきれていない本があちこちに山積みになっている。
今月は本は買わないでおこうと決意する。自信は無いけど。

1月の交通費、7,440円。
これは電車と地下鉄の切符代。
今、居候している母親の家は市街地から離れた郊外の住宅街にあるので、街の中心部にある病院や学校に通おうとするとどうしても費用がかかってしまう。これは仕方ない。

その他に国民年金保険料が13,860円。健康保険料が15,360円。
結構痛い。
健康保険は以前勤めていた会社の社会保険(健康保険)を任意継続して利用しているが、一月でも納付が遅れると、その時点で被保険者の資格を失ってしまい、今の生活の唯一の収入である傷病手当金がもらえなくなってしまうので、これは何が何でも払わなければならない。
実はこの傷病手当金も、今年の12月を期限に受給資格がなくなってしまうので、それまでには何か職についておかなければならないというのが、最近のちょっとしたプレッシャーである。


明日はどんな一日になるだろう。
いつもより早く起きられるかな。


試験は今月。明日こそ勉強しなきゃ。

「主観的心理的抑制」と軽症うつ病の回復過程について

2007-01-29 23:48:21 | 鬱病日記
1月29日


今日も一日中ベットの中に埋もれて過ごす。

「調子が悪い」ことには変わりはないのだが、休職直後に経験したような「不安感」とか「憂鬱感」とは少し違う感覚である。

微妙にニュアンスは違うのだが、何をするにしても「おっくう」なのである。

(以下、『軽症うつ病 「ゆううつの精神病理」』笠原嘉:講談社現代新書より一部抜粋、参考。)




上記の著者である笠原氏によると、この「おっくう感=主観的心理的抑制」なるものは、「不安・イライラ感」、「憂鬱気分」に続く、うつ病にとっての第三の重要な精神状態の一つであると述べられている。

この「主観的心理的抑制」なる症状は、上記の「不安・イライラ」、「憂鬱感」と比べると、その苦痛は小さい上、その気分を説明しようとしても、ごく普通の<倦怠感>をあらわす以上の表現がうまく見つからないため、他人に伝達されにくいと、著者は指摘している。
また、著者は「主観的心理的抑制」の例として、以下のような症状をあげている。

・何かをしようという気が起こってこない
・何かをしなければならないと思うが、手が出ない。
・手を出してみるものの、根気が続かない。
・疲れやすい。すぐ厭きる。
・人にあうことが、今までになくおっくうで、ついつい失礼する。
・小さなことでも自分で決断できない。
・責任のないことなら、例えば趣味のことならできるが、仕事には自信が無い。

この「主観的心理的抑制」という症状は、「イライラ・不安」、「憂鬱感」といった比較的<派手で苦しい※桐原による感覚>症状からすると、苦痛はずっと小さいのであるが、うつ病の上記3大症状の中では、最後まで症状がしつこく残る厄介ものである。

この「主観的心理的抑制=おっくう感」が長引いた場合、『専門家ですらそのどこまでが症状で、どこからが怠け心なのか、区別しにくいことがあります。』(引用:同書P103)とのことであるから、病人本人が、自分が怠けているのじゃないか、気持ちの持ちようなのではないかと自分を責めてしまうのも仕方が無い気がする。

著者は軽症うつ病の主観的症状が消えていく順序として、以下の3つのステージを示している。

①「不安・イライラ感」の改善
②「憂鬱感」の改善
③「おっくう感」の改善
(参考:同書P106)

そういわれてみれば確かに、僕が東京勤務中に心の異変に気づき最初のメンタルクリニックを受診した動機は、「極度のイライラ感」であった。それが、徐々に深い不安感に変わり、憂鬱でふさぎこみ、なにかあったわけでもないのに、一日中ベットの中で涙をながして泣いていた日々につながっていくのである。
その逆に、今の都市に移転してから知り合ったドクターとの治療を通じて、途中で大変辛い時期も長くあったが、上記の順に症状は改善されていったように感じられる。


ここ数日の、桐原沈没状態も冷静に考えると「主観的心理的抑制」の表れではないかと思われる。
「不安感」はあまりなくなったが、時折「憂鬱感」が現れる。
でも、一番の症状は「おっくう感」である。

この「おっくう感」が病的なものなのか、単なる怠け心なのかについて、患者本人も頭を悩ませるところであるが、そうこうして「何もしていない自分」を少しでも責めてしまう心というか、自分はダメな人間だ、というような自責の念を少しでも感じているうちは、間違いなく、うつ病の症状がでていると考えていいのではないか、と桐原は考えている。

うつ病で休職、あるいは退職にまで追い込まれ、収入もなく、社会から孤立している患者は、常に、生活や将来の不安にさいなまれ、自責の念でつぶされそうになる。「こうなってしまったのは自分の心が弱いからだ」「気持ちの持ちようでなんとかなったのではないか」などの思考から抜け着れず、それらの感情を「病気の症状」として認知し、前向きに治療に専念するような気持ちになるまで、場合によっては数週間から数ヶ月かかる。(桐原の場合はこの考えにとらわれて、復職を焦り、社会復帰を4度失敗している。

まさに、僕は今、「主観的心理的抑制」の真っ只中にあり、その出口はもうしばらく先になりそうである。

「おっくう」な日々の連続は、言葉で表す以上に、意外としんどいものである。