3月22日
今日は、2週間に一度の通院日だった。
予約時間は17:15。
僕の通っているクリニックの場合、受診に際しては基本的に予約が必要である。
但し、18:00以降の夜間帯と第1・3・5土日の診療については予約がいらない。
金曜日と第2・4土日、祝日が休診となる。
夜間や土日にも診察してもらえるというのは、平日の昼間に働いている会社員や、土日しか休みがとれない社会人にとってはとてもありがたい。
僕が東京のクリニックから、今いる街のクリニックに移ってきた時も、診療時間の柔軟さがこのクリニックを選択した決め手になった。
その頃はまさか休職したり、挙句の果てには退職するまで追い詰められるなんて思ってはいなかったから、夜間・休日に診てもらえるという点はとても魅力的に見えたのである。
無論、今の生活では平日だろうと、土日だろうと、基本的に何もしていないので時間の都合はどうとでもなるのだが、今でも僕は診療日に次の通院日を予約してから帰ることにしている。
夜間、土日にふらっと寄れるのはとても便利なのだが、その反面、とても混雑するのである。平日でも18:00を十分程度超えてから受付をしようとすると、平気で、「3時間ほどお待ちいただくことになりますが、大丈夫ですか?」なんて言われてしまう。土日も然りである。
少し前に、クリニックの受付のお姉さんが二人から三人に増えた。
夜間に限らず土日も大変込んでいる。
どうやら、ここのクリニックは繁盛しているようである。
今、僕の住んでいる都市は、政令指定都市なのでそれなりの住民がおり、主要な駅の周辺も地方都市のわりには栄えているほうである。
中心となる駅前周辺に、僕の知っている限りでも4件以上のメンタルクリニックがある。地下街の広告などを見ると、もう何件かありそうだ。
それなのに、主要駅から地下鉄に乗り換えて二駅先のこのクリニックにも、患者はひっきりなしに訪れる。
それだけ、社会が病んでいるということなのだろうか。
予約時間が中途半端な時間帯だったので、少し早めに家を出て、学校で勉強してから病院に行こうかとも思ったのだが、なんだか目覚めも悪く、身体もだるいのでギリギリまで寝ていることにした。
携帯のアラームで起こされたが、どうも気分が良くない。
朝と昼の分の薬を合わせて飲んで様子を見るが、不安感が抑えられない。
仕方なく、ストックしている薬の中からレキソタン5mgを取り出して、ミネラルウォーターで胃に流し込む。
これで少しは落ち着いてくれるといいのだが・・。
電車と地下鉄を乗り継いで病院に向かう。
もちろん予約済なのですぐに診察室に通してくれた。
長く通っているだけあって、受付スタッフのお姉さんたちも僕の顔と名前を覚えてくれている。
「こんにちは、桐原さん。診察室にご案内しますね。」
ここの病院は、一般のクリニックのように診察室に最初からドクターが座っているわけではなく、複数ある診察室の中に患者が先に案内され、ドクターはノートパソコンを持って、患者が待つ診察室を行ったりきたりする。
壁面に沿って白いソファが据え置きされた、こじんまりとした診察室に通されて待つこと数分。すぐに主治医が現れた。
「その後、いかがですか?」
僕は前回の診察から2週間の生活状況を、できるだけ手短に、要点を外さないように、慎重に言葉を選びながら話す。
・2週間前は昼夜逆転してしまう状態が少し続いたこと。
・昼間の眠りを調整して、今はなんとか深夜に寝て、昼間起きる生活を取り戻したこと。
・体の調子がいいときに数日出歩くと、翌日一気に疲れがやってくること。
・今日はレキソタンを飲んできたこと。
など。
その間、主治医はノートパソコンの画面を凝視しながら、ひっきりなしに両手でキーボードで文字を打ち続けている。
ひとしきり僕が話し終えた後、キーボードをたたく音が数秒ほど続いて、医師の手が止まった。
ノートパソコンの画面をしばらく見つめたあと、主治医は自分の膝の上からノートパソコンをソファの上に下し、体の向きを変え、僕と斜めに向かい合う態勢をとってからゆっくり話し始めた。
「全体としてはご自身で良く調整して生活をされているようで、いい状態だと思います。」
基本的に前回と同じコメント。
今までとは変わらない、生活上の注意点などの指導。
ただ、いつもと少しだけ違っていたのは、主治医の次の質問だ。
「先ほどお話された“調子のいい状態”とは具体的にどのような感じですか。」
長い間このクリニックに通っていて、初めての質問。
どうやら主治医は、僕の“躁転”を疑ったらしい。
“躁転”とは、双極性障害(躁うつ病)の患者さんが、抑うつ状態から、いわゆる“ハイ”の状態に変わることを言う。
うつ病の場合の抑うつ状態(憂鬱な気持ち)は、徐々に深く、重くなってくるものであり、「昨日までは明るく笑っていたけれど、今日はとても悲しい。」というような日常起こりうる気持ちの変化とは明らかに違う。
その反対に、うつ状態からの“躁転”は、一晩のうちに起こることも珍しくないという。
また、うつ病と双極性障害(躁うつ病)は似ているようで、回復後の経過などを含め様々な点で違いがある。
うつ病が「心の風邪」(この例えには賛否両論あるがここではあえてその議論には触れない。)と一部で例えられるように、誰にでもかかる可能性のある身近な病なのに対して、双極性障害の発生頻度は、うつ病よりも低く、一度回復しても放っておくと数年以内に再発する可能性が高いため、障害にわたる予防療法が必要になってくるそうだ。
躁状態だけの人も、その回復の過程で、程度の差はあれ必ず抑うつ状態を経験するそうで、純粋に躁状態だけの人も、双極性障害とほぼ同じ病気と考えて差し支えないという意見もある。
僕は双極性障害について詳しくはないが、以前、このブログでも紹介した元同僚のMさんが双極性障害を患っていた。症状としては、
・気分が爽快で楽しくて仕方がない。
・夜はほとんど寝なくても平気で、疲れないので積極的に行動する。
・いろんな考えが頭に浮かぶので、すぐに気が散り集中できない。
などがあるそうである。
躁状態の人がどれだけ平常時の人の行動と違うのかを示すわかりやすい例として、次の本を紹介したい。
「心が雨漏りする日には」中島らも:ISBN4-413-09318-6
タイトルがキュンと心に響くが、その内容は決してセンチメンタルなものではない。中島らも氏とその父の実体験に基づく双極性障害(躁うつ病)の記録である。内容はとても破天荒である。
この病気に対する偏見や恐怖を与える趣旨は全くなく、現在、双極性障害という病で療養されている方に対してなんら悪意はない、と断った上で一言、言わせて頂くとすれば、この本を読了したときに僕が感じた感想は一言、
「(自分が罹ったのが双極性障害ではなくて)うつ病でよかった・・・。」
である。
うつ病の患者も驚くのだから、一般の健全な生活を営んでいる方ならもっと驚くだろうと思うので、この手の病気を偏見なく正しく理解するためにも、躁うつ病を患う患者本人の気持ちを理解するうえでも、この本は一読の価値に値する稀有な一冊だと思う。
さて、話はずれてしまったが、医者が僕の躁転を疑ったという事実を、僕を知る人が聞いたら、きっと大笑いされるに違いない。
僕の行動や思考パターンの中に、ハイテンションという文字は存在しない。
祭りや競争、レース、格闘技、ケンカ・・・他人と競い合ったりするのは嫌いだし、楽しく明るく騒ぎましょう!という感情はいまだかつて経験したことがないし、今後もそうしたいとは思わない。
僕はうつ病を発症する以前から、たぶん、物心ついたときからずっと、ローテンション、普段からかなりの低空飛行を続けてきたのだと思う。
低空飛行どころか、時には漆黒の闇の中を彷徨っていると例えるほうが適切かもしれない。
以前勤めていた会社で、連日にわたる深夜残業を経て仕上げの徹夜作業を終えた朝、出社してきた同僚(女性)から、「わっ!あんた、大丈夫?歩く屍(しかばね)かと思った。」と言われたこともある。
性格的にもペシミストでありニヒリストである。
基本的に「根暗」なのだ。
そんな僕が、狂喜乱舞するなんてことは、まずありえない。
それこそ、病気である。
今日の診察でも、過去2週間における僕の行動に躁転は認められない、と一応診断されたようである。
でも、躁転は一晩で起きることもあるというから、もしかしたら明日の朝目覚めたら、これまで感じたことがないほどハイテンションになっているかもしれない。
そう思うとちょっと怖い。
このブログは、こんな調子でダラダラと暗闇を歩く“マイナスのナルシスト”を演じる僕の日々の生活の記録が綴られていくと思うが、ある日、とんでもなく明るい文章になっていたら、そのときはまた“落ちてくる”まで、遠くから見守っていただけるとありがたい。
次回の通院は、2週間後。
躁転しないことを祈る。
今日は、2週間に一度の通院日だった。
予約時間は17:15。
僕の通っているクリニックの場合、受診に際しては基本的に予約が必要である。
但し、18:00以降の夜間帯と第1・3・5土日の診療については予約がいらない。
金曜日と第2・4土日、祝日が休診となる。
夜間や土日にも診察してもらえるというのは、平日の昼間に働いている会社員や、土日しか休みがとれない社会人にとってはとてもありがたい。
僕が東京のクリニックから、今いる街のクリニックに移ってきた時も、診療時間の柔軟さがこのクリニックを選択した決め手になった。
その頃はまさか休職したり、挙句の果てには退職するまで追い詰められるなんて思ってはいなかったから、夜間・休日に診てもらえるという点はとても魅力的に見えたのである。
無論、今の生活では平日だろうと、土日だろうと、基本的に何もしていないので時間の都合はどうとでもなるのだが、今でも僕は診療日に次の通院日を予約してから帰ることにしている。
夜間、土日にふらっと寄れるのはとても便利なのだが、その反面、とても混雑するのである。平日でも18:00を十分程度超えてから受付をしようとすると、平気で、「3時間ほどお待ちいただくことになりますが、大丈夫ですか?」なんて言われてしまう。土日も然りである。
少し前に、クリニックの受付のお姉さんが二人から三人に増えた。
夜間に限らず土日も大変込んでいる。
どうやら、ここのクリニックは繁盛しているようである。
今、僕の住んでいる都市は、政令指定都市なのでそれなりの住民がおり、主要な駅の周辺も地方都市のわりには栄えているほうである。
中心となる駅前周辺に、僕の知っている限りでも4件以上のメンタルクリニックがある。地下街の広告などを見ると、もう何件かありそうだ。
それなのに、主要駅から地下鉄に乗り換えて二駅先のこのクリニックにも、患者はひっきりなしに訪れる。
それだけ、社会が病んでいるということなのだろうか。
予約時間が中途半端な時間帯だったので、少し早めに家を出て、学校で勉強してから病院に行こうかとも思ったのだが、なんだか目覚めも悪く、身体もだるいのでギリギリまで寝ていることにした。
携帯のアラームで起こされたが、どうも気分が良くない。
朝と昼の分の薬を合わせて飲んで様子を見るが、不安感が抑えられない。
仕方なく、ストックしている薬の中からレキソタン5mgを取り出して、ミネラルウォーターで胃に流し込む。
これで少しは落ち着いてくれるといいのだが・・。
電車と地下鉄を乗り継いで病院に向かう。
もちろん予約済なのですぐに診察室に通してくれた。
長く通っているだけあって、受付スタッフのお姉さんたちも僕の顔と名前を覚えてくれている。
「こんにちは、桐原さん。診察室にご案内しますね。」
ここの病院は、一般のクリニックのように診察室に最初からドクターが座っているわけではなく、複数ある診察室の中に患者が先に案内され、ドクターはノートパソコンを持って、患者が待つ診察室を行ったりきたりする。
壁面に沿って白いソファが据え置きされた、こじんまりとした診察室に通されて待つこと数分。すぐに主治医が現れた。
「その後、いかがですか?」
僕は前回の診察から2週間の生活状況を、できるだけ手短に、要点を外さないように、慎重に言葉を選びながら話す。
・2週間前は昼夜逆転してしまう状態が少し続いたこと。
・昼間の眠りを調整して、今はなんとか深夜に寝て、昼間起きる生活を取り戻したこと。
・体の調子がいいときに数日出歩くと、翌日一気に疲れがやってくること。
・今日はレキソタンを飲んできたこと。
など。
その間、主治医はノートパソコンの画面を凝視しながら、ひっきりなしに両手でキーボードで文字を打ち続けている。
ひとしきり僕が話し終えた後、キーボードをたたく音が数秒ほど続いて、医師の手が止まった。
ノートパソコンの画面をしばらく見つめたあと、主治医は自分の膝の上からノートパソコンをソファの上に下し、体の向きを変え、僕と斜めに向かい合う態勢をとってからゆっくり話し始めた。
「全体としてはご自身で良く調整して生活をされているようで、いい状態だと思います。」
基本的に前回と同じコメント。
今までとは変わらない、生活上の注意点などの指導。
ただ、いつもと少しだけ違っていたのは、主治医の次の質問だ。
「先ほどお話された“調子のいい状態”とは具体的にどのような感じですか。」
長い間このクリニックに通っていて、初めての質問。
どうやら主治医は、僕の“躁転”を疑ったらしい。
“躁転”とは、双極性障害(躁うつ病)の患者さんが、抑うつ状態から、いわゆる“ハイ”の状態に変わることを言う。
うつ病の場合の抑うつ状態(憂鬱な気持ち)は、徐々に深く、重くなってくるものであり、「昨日までは明るく笑っていたけれど、今日はとても悲しい。」というような日常起こりうる気持ちの変化とは明らかに違う。
その反対に、うつ状態からの“躁転”は、一晩のうちに起こることも珍しくないという。
また、うつ病と双極性障害(躁うつ病)は似ているようで、回復後の経過などを含め様々な点で違いがある。
うつ病が「心の風邪」(この例えには賛否両論あるがここではあえてその議論には触れない。)と一部で例えられるように、誰にでもかかる可能性のある身近な病なのに対して、双極性障害の発生頻度は、うつ病よりも低く、一度回復しても放っておくと数年以内に再発する可能性が高いため、障害にわたる予防療法が必要になってくるそうだ。
躁状態だけの人も、その回復の過程で、程度の差はあれ必ず抑うつ状態を経験するそうで、純粋に躁状態だけの人も、双極性障害とほぼ同じ病気と考えて差し支えないという意見もある。
僕は双極性障害について詳しくはないが、以前、このブログでも紹介した元同僚のMさんが双極性障害を患っていた。症状としては、
・気分が爽快で楽しくて仕方がない。
・夜はほとんど寝なくても平気で、疲れないので積極的に行動する。
・いろんな考えが頭に浮かぶので、すぐに気が散り集中できない。
などがあるそうである。
躁状態の人がどれだけ平常時の人の行動と違うのかを示すわかりやすい例として、次の本を紹介したい。
「心が雨漏りする日には」中島らも:ISBN4-413-09318-6
タイトルがキュンと心に響くが、その内容は決してセンチメンタルなものではない。中島らも氏とその父の実体験に基づく双極性障害(躁うつ病)の記録である。内容はとても破天荒である。
この病気に対する偏見や恐怖を与える趣旨は全くなく、現在、双極性障害という病で療養されている方に対してなんら悪意はない、と断った上で一言、言わせて頂くとすれば、この本を読了したときに僕が感じた感想は一言、
「(自分が罹ったのが双極性障害ではなくて)うつ病でよかった・・・。」
である。
うつ病の患者も驚くのだから、一般の健全な生活を営んでいる方ならもっと驚くだろうと思うので、この手の病気を偏見なく正しく理解するためにも、躁うつ病を患う患者本人の気持ちを理解するうえでも、この本は一読の価値に値する稀有な一冊だと思う。
さて、話はずれてしまったが、医者が僕の躁転を疑ったという事実を、僕を知る人が聞いたら、きっと大笑いされるに違いない。
僕の行動や思考パターンの中に、ハイテンションという文字は存在しない。
祭りや競争、レース、格闘技、ケンカ・・・他人と競い合ったりするのは嫌いだし、楽しく明るく騒ぎましょう!という感情はいまだかつて経験したことがないし、今後もそうしたいとは思わない。
僕はうつ病を発症する以前から、たぶん、物心ついたときからずっと、ローテンション、普段からかなりの低空飛行を続けてきたのだと思う。
低空飛行どころか、時には漆黒の闇の中を彷徨っていると例えるほうが適切かもしれない。
以前勤めていた会社で、連日にわたる深夜残業を経て仕上げの徹夜作業を終えた朝、出社してきた同僚(女性)から、「わっ!あんた、大丈夫?歩く屍(しかばね)かと思った。」と言われたこともある。
性格的にもペシミストでありニヒリストである。
基本的に「根暗」なのだ。
そんな僕が、狂喜乱舞するなんてことは、まずありえない。
それこそ、病気である。
今日の診察でも、過去2週間における僕の行動に躁転は認められない、と一応診断されたようである。
でも、躁転は一晩で起きることもあるというから、もしかしたら明日の朝目覚めたら、これまで感じたことがないほどハイテンションになっているかもしれない。
そう思うとちょっと怖い。
このブログは、こんな調子でダラダラと暗闇を歩く“マイナスのナルシスト”を演じる僕の日々の生活の記録が綴られていくと思うが、ある日、とんでもなく明るい文章になっていたら、そのときはまた“落ちてくる”まで、遠くから見守っていただけるとありがたい。
次回の通院は、2週間後。
躁転しないことを祈る。