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the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

通院日。ある疑惑とともに。

2007-03-23 03:19:03 | 鬱病日記
3月22日




今日は、2週間に一度の通院日だった。
予約時間は17:15。

僕の通っているクリニックの場合、受診に際しては基本的に予約が必要である。
但し、18:00以降の夜間帯と第1・3・5土日の診療については予約がいらない。
金曜日と第2・4土日、祝日が休診となる。

夜間や土日にも診察してもらえるというのは、平日の昼間に働いている会社員や、土日しか休みがとれない社会人にとってはとてもありがたい。

僕が東京のクリニックから、今いる街のクリニックに移ってきた時も、診療時間の柔軟さがこのクリニックを選択した決め手になった。

その頃はまさか休職したり、挙句の果てには退職するまで追い詰められるなんて思ってはいなかったから、夜間・休日に診てもらえるという点はとても魅力的に見えたのである。

無論、今の生活では平日だろうと、土日だろうと、基本的に何もしていないので時間の都合はどうとでもなるのだが、今でも僕は診療日に次の通院日を予約してから帰ることにしている。

夜間、土日にふらっと寄れるのはとても便利なのだが、その反面、とても混雑するのである。平日でも18:00を十分程度超えてから受付をしようとすると、平気で、「3時間ほどお待ちいただくことになりますが、大丈夫ですか?」なんて言われてしまう。土日も然りである。

少し前に、クリニックの受付のお姉さんが二人から三人に増えた。
夜間に限らず土日も大変込んでいる。
どうやら、ここのクリニックは繁盛しているようである。

今、僕の住んでいる都市は、政令指定都市なのでそれなりの住民がおり、主要な駅の周辺も地方都市のわりには栄えているほうである。
中心となる駅前周辺に、僕の知っている限りでも4件以上のメンタルクリニックがある。地下街の広告などを見ると、もう何件かありそうだ。

それなのに、主要駅から地下鉄に乗り換えて二駅先のこのクリニックにも、患者はひっきりなしに訪れる。

それだけ、社会が病んでいるということなのだろうか。


予約時間が中途半端な時間帯だったので、少し早めに家を出て、学校で勉強してから病院に行こうかとも思ったのだが、なんだか目覚めも悪く、身体もだるいのでギリギリまで寝ていることにした。

携帯のアラームで起こされたが、どうも気分が良くない。
朝と昼の分の薬を合わせて飲んで様子を見るが、不安感が抑えられない。
仕方なく、ストックしている薬の中からレキソタン5mgを取り出して、ミネラルウォーターで胃に流し込む。
これで少しは落ち着いてくれるといいのだが・・。


電車と地下鉄を乗り継いで病院に向かう。
もちろん予約済なのですぐに診察室に通してくれた。
長く通っているだけあって、受付スタッフのお姉さんたちも僕の顔と名前を覚えてくれている。

「こんにちは、桐原さん。診察室にご案内しますね。」

ここの病院は、一般のクリニックのように診察室に最初からドクターが座っているわけではなく、複数ある診察室の中に患者が先に案内され、ドクターはノートパソコンを持って、患者が待つ診察室を行ったりきたりする。

壁面に沿って白いソファが据え置きされた、こじんまりとした診察室に通されて待つこと数分。すぐに主治医が現れた。

「その後、いかがですか?」

僕は前回の診察から2週間の生活状況を、できるだけ手短に、要点を外さないように、慎重に言葉を選びながら話す。

・2週間前は昼夜逆転してしまう状態が少し続いたこと。
・昼間の眠りを調整して、今はなんとか深夜に寝て、昼間起きる生活を取り戻したこと。
・体の調子がいいときに数日出歩くと、翌日一気に疲れがやってくること。
・今日はレキソタンを飲んできたこと。
など。

その間、主治医はノートパソコンの画面を凝視しながら、ひっきりなしに両手でキーボードで文字を打ち続けている。

ひとしきり僕が話し終えた後、キーボードをたたく音が数秒ほど続いて、医師の手が止まった。
ノートパソコンの画面をしばらく見つめたあと、主治医は自分の膝の上からノートパソコンをソファの上に下し、体の向きを変え、僕と斜めに向かい合う態勢をとってからゆっくり話し始めた。

「全体としてはご自身で良く調整して生活をされているようで、いい状態だと思います。」

基本的に前回と同じコメント。
今までとは変わらない、生活上の注意点などの指導。
ただ、いつもと少しだけ違っていたのは、主治医の次の質問だ。

「先ほどお話された“調子のいい状態”とは具体的にどのような感じですか。」

長い間このクリニックに通っていて、初めての質問。

どうやら主治医は、僕の“躁転”を疑ったらしい。
“躁転”とは、双極性障害(躁うつ病)の患者さんが、抑うつ状態から、いわゆる“ハイ”の状態に変わることを言う。

うつ病の場合の抑うつ状態(憂鬱な気持ち)は、徐々に深く、重くなってくるものであり、「昨日までは明るく笑っていたけれど、今日はとても悲しい。」というような日常起こりうる気持ちの変化とは明らかに違う。
その反対に、うつ状態からの“躁転”は、一晩のうちに起こることも珍しくないという。

また、うつ病と双極性障害(躁うつ病)は似ているようで、回復後の経過などを含め様々な点で違いがある。
うつ病が「心の風邪」(この例えには賛否両論あるがここではあえてその議論には触れない。)と一部で例えられるように、誰にでもかかる可能性のある身近な病なのに対して、双極性障害の発生頻度は、うつ病よりも低く、一度回復しても放っておくと数年以内に再発する可能性が高いため、障害にわたる予防療法が必要になってくるそうだ。
躁状態だけの人も、その回復の過程で、程度の差はあれ必ず抑うつ状態を経験するそうで、純粋に躁状態だけの人も、双極性障害とほぼ同じ病気と考えて差し支えないという意見もある。

僕は双極性障害について詳しくはないが、以前、このブログでも紹介した元同僚のMさんが双極性障害を患っていた。症状としては、
・気分が爽快で楽しくて仕方がない。
・夜はほとんど寝なくても平気で、疲れないので積極的に行動する。
・いろんな考えが頭に浮かぶので、すぐに気が散り集中できない。
などがあるそうである。

躁状態の人がどれだけ平常時の人の行動と違うのかを示すわかりやすい例として、次の本を紹介したい。

「心が雨漏りする日には」中島らも:ISBN4-413-09318-6

タイトルがキュンと心に響くが、その内容は決してセンチメンタルなものではない。中島らも氏とその父の実体験に基づく双極性障害(躁うつ病)の記録である。内容はとても破天荒である。
この病気に対する偏見や恐怖を与える趣旨は全くなく、現在、双極性障害という病で療養されている方に対してなんら悪意はない、と断った上で一言、言わせて頂くとすれば、この本を読了したときに僕が感じた感想は一言、

「(自分が罹ったのが双極性障害ではなくて)うつ病でよかった・・・。」

である。
うつ病の患者も驚くのだから、一般の健全な生活を営んでいる方ならもっと驚くだろうと思うので、この手の病気を偏見なく正しく理解するためにも、躁うつ病を患う患者本人の気持ちを理解するうえでも、この本は一読の価値に値する稀有な一冊だと思う。


さて、話はずれてしまったが、医者が僕の躁転を疑ったという事実を、僕を知る人が聞いたら、きっと大笑いされるに違いない。
僕の行動や思考パターンの中に、ハイテンションという文字は存在しない。
祭りや競争、レース、格闘技、ケンカ・・・他人と競い合ったりするのは嫌いだし、楽しく明るく騒ぎましょう!という感情はいまだかつて経験したことがないし、今後もそうしたいとは思わない。

僕はうつ病を発症する以前から、たぶん、物心ついたときからずっと、ローテンション、普段からかなりの低空飛行を続けてきたのだと思う。
低空飛行どころか、時には漆黒の闇の中を彷徨っていると例えるほうが適切かもしれない。
以前勤めていた会社で、連日にわたる深夜残業を経て仕上げの徹夜作業を終えた朝、出社してきた同僚(女性)から、「わっ!あんた、大丈夫?歩く屍(しかばね)かと思った。」と言われたこともある。

性格的にもペシミストでありニヒリストである。

基本的に「根暗」なのだ。

そんな僕が、狂喜乱舞するなんてことは、まずありえない。
それこそ、病気である。


今日の診察でも、過去2週間における僕の行動に躁転は認められない、と一応診断されたようである。
でも、躁転は一晩で起きることもあるというから、もしかしたら明日の朝目覚めたら、これまで感じたことがないほどハイテンションになっているかもしれない。
そう思うとちょっと怖い。

このブログは、こんな調子でダラダラと暗闇を歩く“マイナスのナルシスト”を演じる僕の日々の生活の記録が綴られていくと思うが、ある日、とんでもなく明るい文章になっていたら、そのときはまた“落ちてくる”まで、遠くから見守っていただけるとありがたい。

次回の通院は、2週間後。
躁転しないことを祈る。


なんと言うか・・。

2007-03-22 01:24:01 | 鬱病日記
3月21日



なんと言うか・・、まずはじめに、昨日の深夜に自分で書いたブログの長さにびっくりである。

冒頭で“調子が悪い”と言っておきながら、深夜にしらふで(正確にはしらふではなく、ヤク中ですけど。)あれだけの長さの文章を書けるのだから、充分調子が良いのではないかと自分で突っ込みをいれてしまいたくなった。
暗い部屋でパソコンに向かい、妙なテンションで一心に駄文を書き綴っている自分。

・・・・寒い。

昨日の記事を最後まで読んでくれた方、どうもありがとうございます。


それにしても、我ながら雑な文章である。
誤字脱字は多いし、「てにをは」も変だ。
頭の中で思いつくまま書いているので、無駄に長い。
もう少し頭の中で整理してから書き始めればいいのに。

と、ここでブログを始めた頃の記事を読み返してみた。
最初の頃の記事は意外にも「ですます」調で、文章も柔らかい。

しかし、「国防、日米同盟、核保有論、憲法改正論議、靖国問題」なんて単語が並んでいる。この頃の僕はこのブログをどこにもっていこうとしていたのだろう。


さて、今日の出来事であるが、昨日は朝方までブログを書いていたこともあり、また、本当に体と頭の調子が悪かったので、一日中、部屋でベットにもぐりこみ、養生しておりました。

ただ一つ誤算だったのは、てっきり仕事に出ていると思っていた母が家にいたこと。

「・・・なんで、いるの?」

「なんでって、ここ、私の家だけど?!(怒)」



しまった。今日は休日だった。
居候の身分の僕が言うのもなんだが、母と一緒の空間にいるとお互いに気分が悪くなるので、最近はできるだけ接触をさけるようにしている。
母が休みなのであれば、今日は無理してでも学校に行けばよかったかも。
どちらにしても、自分の物置状態の部屋に引き込んで居間にはでないので、状況的にはあまり変わりがないのだけれど・・。

そんなわけで、今日は一日中何もせず、頭もつかわず、ひたすら身体と脳を休めることの集中した。
気のせいか、昨日よりちょっとだけ楽になった気がする。
鬱のど真ん中で泣いていた去年、一昨年の頃とは違い、“落ちる”のも早いが“回復する”のも少し早くなっているような気もする。
この調子なら、明日は学校に行けそうだ。

テキスト読んだら、また凹むかもしれないけれど・・。





今、夜の分と睡眠前の薬、毎日飲んでいるサプリメントを一気飲みしたのだが、薬が大量に余っている。
明日は二週間に一度の通院日だから、こんなに大量に薬が残っているはずはないのに・・。

最近、自分で薬を飲んだのかどうかわからなくなることがある。
飲み忘れかな。。。


と、今日も中身のない文章を綴ってしまった。

昨日のブログが長すぎたので、今日はこの辺で・・・。


失望と述懐。過去の僕、今の僕。

2007-03-21 03:24:12 | 鬱病日記
3月20日
※今日はかなり長いです。時間に余裕がある方だけどうぞ。



調子が悪い。

昨日から、確実に悪化している。


それでもなんとか学校に行って、昨日の復習として練習問題を一問解いてみる。
そして、今日から始める新しいグレードのテキストを開く。

読む。読む。よむ。ヨム。・・・。

全くわからない。

文章を目で追う。
わからない。

文章の一文、一文に注力して、そこに書かれている内容を理解しようと試みる。
ダメだ。わからない。

目は確実に文章を一行ずつなぞっていくのだが、内容が全く理解できない。
読んだそばから、文字のつながりが意味を持たない紋様に変わっていく。

それでも理解しようと努力したが、気づくと1時間近く同じページを読み返していた。
・・・もう今日は、ダメだ。

うっすら予想はしていたけれど、確実に状態を悪化させた自分に失望する。


広げていたテキストや問題集をカバンに詰め込んで、学校を出る。

一歩一歩、歩く足取りが重たい。
読解力を失った僕の脳に対する失望と、それを抱える身体の重さ。

だるい。身体がだるい。
この症状をどう説明すれば一般の方にわかっていただけるか、とても長い時間をかけて考えたのだが、こういう表現はどうだろう。

「実体としての自分の身体の輪郭がぼやけて、周囲の環境との境目が曖昧になっているようなダルさ。」

若しくは、

「周囲の空間の中に、自分の身体の輪郭がぼやけてまじりあっている感じ。」

ともいえる。

いずれにせよ、身体の芯が抜かれた感じで、自身の身体の重さに耐え切れず、たっているのもやっとのような状態なのである。


帰り道、少しでも気分転換ができればと思い、駅の近くにある大型書店に寄った。
整然と並べられた本のタイトルを、流すように、ゆっくりと目で追いながら、書棚の間を歩き回る。

興味を引くタイトルのものから、全く意味がないと思われる本まで。
人気のあるタイトルから、あまり知られていない名著まで。
雑誌から文庫、新書、ハードカバーまで。
娯楽小説から純文学、専門書、実用書まで。

大量の本の中を彷徨っているうちに、少しずつ気分が落ち着いてきた。
とても落ち着く空間。
興味を引く内容の本も何冊かあったが、今日は我慢する。
多分、今の僕の脳では“読む”ことができないから。

1Fのフロアを時間をかけて歩き回ったあと、専門書が中心の2Fへ移動した。
エスカレーターを上りきって、向かって右の書棚はビジネス関連のコーナーだ。

経営、マーケティング、会計、金融、法務、経済・・・。

どの本も僕の知的好奇心を刺激する。
コトラーやドラッカー、アーカーやケラー・・。
昔は意味も理解できないまま、不自然な日本語で書かれた分厚い訳書を一生懸命読んだっけ・・・。

隣のコーナーはIT関連、その隣は医学・看護・その他医療関係。
精神科看護の専門書は、病院勤務時代を思い出させてくれる。
思わず手にとって、“急性期精神科看護のエキスパート”になることを目指していた当時の自分を思い出す。
色々あったなぁ・・。
僕のことを理解し、評価し、守ってくれた看護師長や主任、他の有資格者看護師の皆さん。看護師さんたちから構われて、看護部門の仕事を任されるようになった僕に嫉妬し、同僚の無資格看護者(看護助手や病棟で働くおばさんヘルパーの“長老”)から嫌がらせやいじめを受ける僕を、かばってくれた同じ先輩看護助手のTさん。
僕より2~3歳上で、似たような境遇で育ったTさん、どうしているかなぁ。
Tさんも少し陰のある細身で長身な男性だった。
僕のお兄さんみたいだった人。
会いたいな。今の僕を見たら、Tさんはなんていうだろう。

そんな思いを胸に徘徊は続く。

たどり着いたのは、心理学のコーナー。
僕の高校時代(2年まで)の進路希望の第一は医学部、第二は臨床心理学が学べるコースがある学部学科、第三は病態栄養学が学べるコースがある学部学科だった。
いずれにせよ、大学院の修士課程までは進むつもりだった。
社会にでてからは、はじめてまともに働いた職場が精神科専門病院だったことと、身内の看護師や福祉専門職につく者の影響を受けて、医療と心理と福祉の複合体(のように当時の自分には思われた)精神保健福祉の分野に興味が向いていくことになる。

余談だが、臨床心理学は相変わらず人気だけれど、臨床心理士としての専門性を認められた立場で働けている人は、相変わらず多くはないらしい。

その隣には宗教・哲学のコーナーがあって、理工学関連、残りは語学や法律専門書や、法務・会計系資格取得の対策本コーナー。

昔の癖で、数学や統計解析のコーナーになると、今でも良本を探してしまう。

1Fと2Fを3時間ちかくかけて歩き回った僕の手には、6冊の本が入ったその書店の紙袋がぶら下がっていた。
今日は買う予定ではなかったのに、どうしても我慢できずに買ってしまう。
今の僕には“文章を理解できない”のに、タイトルとあらすじ、或いは目次の内容に目をとおして知的好奇心を刺激された本をつい手にとってしまう。

今日買った本は文庫から専門書まで、小説から哲学書、ビジネス誌まで様々だが、その中の一冊に「Harvard Business Review」という本がある。“本”とは言ったが“本”と表現するのは正確ではなく、「経営戦略をはじめ、マーケティング、財務、会計、金融工学、IT(情報技術)、ゲーム理論、組織戦略、経営学など、時代の先端を行くテーマを取り上げ、それに沿って翻訳論文を厳選するという特集スタイルを採用。豊富な事例に基づくケース・スタディや国内産業界・学会の知識人の寄稿論文、気鋭の経営トップの方々のインタビューなども加え、最新のマネジメント論が日本の読者の方々により深い理解が得られるよう編集されて・・」いる、論文集のようなものである。
(※「」内はHPより引用。http://www.dhbr.net/dhbr.html)
国内外の著名な学識者が寄稿し、記事の半分以上は海外の学者や研究者によるものだ。
どちらかというと、株式会社の取締役や執行役員などの経営者や上級管理職、ビジネス系シンクタンクの研究員など向けの内容になっている。

月刊誌で一冊2000円と決して安くはないのだが、僕がまだ現役で社会人だった頃、毎月のように購入しては、がむしゃらに読んだ。

海外の著者による日本語訳のビジネス専門書は、ボリュームも大きく、文章も不自然な訳文が多く、完全に読みこなすには、そのテーマの論文を理解する初歩的な学問的理解と、充分な時間が必要である。
その点、この月刊誌は、毎月興味深いテーマに沿った最新の論文が、一つ一つ手ごろな長さの文章で掲載されるので、とても便利である。

簡単に手に取れるわりには、内容はビジネス界の流行を先取りしたテーマや、最前線の研究、ビジネス理論、あるいはノウハウの紹介が凝縮されているので、読み通したあとも書棚に納めて必要に応じて提案書の作成やクライアントとの商談時の“武器”として、また、ある特定分野を専門的に学ぶための入門としてよく利用したものだ。

特に若手の営業君に同行して見込み顧客のところに同行する際は、僕は立場上「分析の専門家」(そんな勉強したことないのに。だいたいなんの分析だ?)として紹介されていた。
紹介されたからには、“専門家らしい事”を語らねばならないので、そんなときにこの論文集から得た知識を“小出し”にする。いわば“知識のチラ見せ”である。

しかし、ここで深く語ってはいけない。あくまでも商談のテーマとなっている分野に対して、あたかも深い知識を有し、専門的に研究しているがごとく装うのである。結局その案件が受注にいたった場合は、それなりの調査をして報告書をまとめなければいけないので、あまり事前期待をあおるのも良くない。絶妙な加減で“チラ見せ”するのがポイントである。笑

今思えばサギのようなものだが、若手の営業君からの相談は、僕の個人的力量とは関係なしにやってくる。自分の守備範囲でないのであれば、断ればいいのであるし、そうすることが会社としてのリスクを回避するまっとうな対応なのであろう。
しかし、複数の社員が所属している部署から、わざわざ僕を指名して、「ちょっと相談があるんですけど、お時間ありますか?」なんてやってこられた日には、なんとかその営業君の役にたってあげたいと思うのが人情である。

当時、僕の所属していた部署は、「クライアントからの各種データをお預かりして、時には必要な調査企画を立ててデータを収集した上で、そのデータからクライアントの抱える課題を解決するために有益な情報を抽出し、データの分析結果とその後の取り組みに対するご提案を行う」ことを使命とした部署だった。

その中でも僕は、ほとんど調査専門でやっていたのだが、一般消費財のマーケティングリサーチのみならず、会社・部門のCS調査(顧客満足度調査)やES調査(従業員満足度調査)など“調査”と名のつくものは基本的に断らないスタンスでやっていた。

某大手精密機器メーカーの担当者相手に顧客対応窓口のCS調査の必要性について語った翌日に、クライアント曰く“画期的な家庭用洗剤”のニーズ調査について意見交換をし、また別の日には某銀行のES調査の分析結果の報告を行うと同時に、対象部門の問題点を指摘し改善策を提案する。
更にまたある時には、某テーマパークの集客力拡大の施策を立てるための調査についてクライアントと協議し、その日の午後には新規開業予定のクリニックの診療圏調査(一般的なマーケティングで行う商圏調査のようなもの)について打ち合わせをする。

こんな調子でなんでも相談に応じていたら、だんだん相談の内容が自分の所属している部署の業務内容から外れていき、「某大手航空会社の関連会社の売り上げ拡大に関する施策を提案しなければならないがどうしたらよいか。」とか、「成長真っ只中のITベンチャー企業のブランドマネージャーから、企業・商品のブランド戦略の再構築・新規ブランドの立ち上げ戦略に関して相談されている案件があるんですけど、近いうちに同行してくれませんか?」なんていうものまでやってくるようになってきてしまった。

そんなことを聞かれたって、食物栄養学科中退の僕にわかるはずもないのだが、むげに断るのも申し訳なくて、数日の猶予をもらってその業界の構造やトレンド、主要な課題について情報収集をしたあと、専門家っぽい顔をしてクライアントとの商談にむかうのである。

そんな時にも「Harvard Business Review」は役にたった。
しかし、いくら著名な学者が寄稿する論文集といっても、タイミングよく欲しいテーマが取り上げられているわけではないので、その場合は当然、他の専門書をあたることになる。

今、僕の部屋にある書棚には、ビジネス分野では経営管理や各種のマーケティングに関するの本が多いが、マーケティングといっても、一般的な消費財に関するマーケティング理論をそのまま適用することが難しい特殊な案件もある。

例えば「金融マーケティング」であったり、「医薬品マーケティング」だったりがその一部である。そんな場合は営業君たちがもってくる案件のテーマに合った書籍を購入して研究することになる。本当はじっくりと読み込めれば良いのだが、クライアントをあまり待たせるわけにもいかないので、要点と思われる部分にざっと目を通し、その業界や分野に対して“土地勘を得る”ような感じである。

しかし、僕のような「素人」が一読して理解できるようなものは少ないのでとても苦労する。例えば、「金融マーケティング」に関する専門書を読んでいても、根本的なところで「金融」というものに対する理解が浅いことに気づく。そうすると今度は「金融論」の入門書のようなものを買ってくるのであるが、僕の経験上、ハードカバーで、ある程度の厚さがあり、タイトルに「入門」と書かれているものは、その名に反して、学問的土台(予備知識)なしには理解不能なものが多い。
「入門」でもわからないとなると、今度は、文庫など比較的読みやすい文体で要点がまとめられている、本当に初心者向けの「金融論」を買ってきて理解しようとする。

そこまで準備をしても、受注前の営業君との同行で、その分野についてコメントする言葉はわずかである。なんといっても相手は業界人であり、こっちは素人なのだから、付け焼刃的なことを調子に乗って話すとしっぺ返しを食らう。
なので、あくまでも知識の“チラ見せ”を演じ、あたかも「その分野の専門家」だという雰囲気をかもし出すのである。

受注前にこんなに苦労しているのに、実際の案件として受注されるものはそう多くない。しかし受注前に取得した、にわか仕込みの知識は、「調査報告書(あるいは分析報告書)」の作成の段階で非常に役に立つ。
僕のいた会社はいわゆる「市場調査会社」ではないので、調査だけをして、結果はこうでした。ということで終わるわけにはいかない。調査分析結果の報告書を納品し、調査結果について報告したあと、いくつかのクライアントは、

「調査結果はよく理解できました。それで、私達は次にどのようなアクションを起こせばよいのですか?」

的なことを言ってくる場合がある。純粋な調査では調査結果の報告書に、問題解決に対する分析者の主観的提案など書くことはないだろうが、その当時所属していた会社は“そこの部分=調査結果やデータ分析によって明らかになったクライアントの課題=問題点に対する改善施策の提案”を入れることに力を注いでいたので(実際、その部署の全員がそんなことやっていたわけではないけれど)、特にそういうことを言ってきそうなクライアントに対しては、調査結果の事実報告とはっきり区別した上で、マーケティング、或いはクライアント業務の運用管理上の改善点と改善方法、及びその方向性などについてそれらしく(或いは相当気合をいれて)まとめる必要がある。そんな時に、営業同行前に勉強した苦労が報われるのである。

今も僕の本棚には、診療所設立に関する調査を行ったときに利用した「医院開業マニュアル」や「医療経営白書」、「病院経営」に関する専門書、診療科目別に診療圏を示した資料などが並び、ここだけ見せると「病院経営に関するコンサルタント」と名乗っても皆が信じてくれそうである。

今、思い出したが、僕がその会社で手がけた調査依頼の中で究極的にマニアックだったのが、某外資系製薬会社から依頼された「変形性膝関節症」に関する医師を対象とした調査だった。
その時、クライアントから提示された業務要件書は海外本社から送られてきた英文をプリントしたものだった。同行していた営業君が「なるほど~・・」とわかったような顔をしていたので、てっきり内容を理解しているものだと思い、日本語訳の資料の提示はあえて求めなかった。営業君にあとで翻訳してもらおうと思ったからである。
英語が苦手な僕は、「なるほど、よくわかりました。」的な雰囲気をかもし出して、自社に戻ったのだが、実は営業君もその資料の内容を全く理解していなかった。今更、クライアントに「和訳した資料をください。」とはいいずらかったので、ネットの翻訳サイトを利用しながら、要点を頭にいれた。
調査の実査(実際に調査票などを対象者に配り、回答データを回収する工程)は、別の部門が担当することになっていたので、僕は、調査全体の企画と調査票(アンケートの設問)作成に取り組むことにした。

しかし、当時の僕は医師を調査対象とする調査は初めての経験だったし、そもそも「変形性膝関節症」に関しての知識は皆無である。自分で調査票を作成するのに、その“対象=調査テーマの中心となるもの”がわからないのでは話にならない。

ネットで情報を探すこと数時間。僕のデスクの上には「変形性膝関節症」に関するあらゆる資料(罹患しやすい年代や症状、主なな治療法などといった解説から、実際のレントゲン写真まで。)が並ぶことになる。
かつての病院勤務時代に、レントゲン写真その他様々な検査結果を目にしてきたが、普通の会社に入社して、再びレントゲン写真を資料として扱うとは思いも寄らなかった。

こんなに苦労して事前の準備を整えたのだが、実際問題として当時の会社で医師を対象にこのようなアプローチ(調査依頼)をしたことはなかったので、リスクが大きすぎるとして医薬関連部門の役員から案件自体を中止するよう、命令がくだり、この案件は幻となってしまった。でもあれはあれでよい経験になった。
お世辞抜きにクライアント本社のマーケティング部門が作成したという英文の業務要件書が調査の要点を的確かつ端的に記載してあり、「マーケティングやマーケティングリサーチをしっかり理解した人が作成した資料」という印象を受けた。
僕の少ない業務経験のなかでも、国内のクライアントからあれほどしっかりとした業務要件書を頂戴したことはない。



昔のことを思い出しながら書いていたらこんなに長文になってしまった。
そして、毎度のことだが、記事のタイトルと書き始めの文章、そして後半の文章のテーマが一貫していない。(笑)

折角このブログに来ていただいた皆さんには、とても読みにくいと思うので、今度からはもう少し整理して書くよう努力しなければならない、と反省している。


最後に、今日買った「Harvard Business Review」の特集テーマは、

「弁証法思考 超・ロジカルシンキング」

である。
これは僕的にかなり、“萌え”なテーマなのだが、皆さんにおわかりいただけるだろうか。

ここまでテンションをあげて書いてきたが、今の僕の「脳」では文章を理解できないことを思い出した。
普通の日本語でかかれた文章が読めないのに、海外の論文の訳文なんて絶対に理解できないだろう。

また、テンションが下がってきた。。。。

気づけばもうこんな時間。(4:35AM)
明日の学校はどうしよう。



明日の起きた時の気分で決めよう。
調子が悪いので一日休むのも悪くないかもしれない。

今日は久しぶりに、一人で昔の自分とその職場を思い出せて懐かしくなった。
それと同時に、もうあの頃の僕にはもどれないことも思い知った。


今後、僕の書棚にはいったいどんな本が増えていくのだろう。

ちょっと下降気味。

2007-03-20 00:15:17 | 鬱病日記
3月19日




今日は午後から学校に行って、3時間半のお勉強。
今日中に終わらせる予定だった範囲を少し残してしまったが、8割はいけた感じ。
でも、計算ミスやケアレスミスが多くて、そもそもこの分野の資格は自分には向いていないのではないか、とうっすら思い始めていたりもする。

明日からは、同じ試験の1つ上のグレードの勉強を始めるつもりでいる。
今日残した範囲は小分けにして今週中に終わらせよう。


それはそれとして。


身体がだるい。

気分が重い。


身体のだるさは疲労感からきていて、去年、会社を辞めたときの最後の状況に近い感じ。まだ限界には達していないけど、確実に不調への階段を登っている気がする。

先週、体調の良さに気を良くして、連日外出したことが原因だろう。
体調は回復途上にあって、全快という状態ではなかったので、もうしばらく何もせずに部屋で休んでいればよかったのかもしれない。

今週と来週を使って、上に書いた資格の勉強を終わらせてしまう予定でいるが、ちょっとムリかな・・。

ここで体調の回復が滞ったり、逆に悪化したりすると、今までの苦労が水泡に帰してしまう。

自分の身体は自分以外、誰も守ってくれないから、慎重に体調の変化をみながら進んでいこうと思う。

現在、生活資金として頼っている健保組合からの「傷病手当金」も、今年末に支払いが止まってしまう。
なので、僕の社会復帰へのタイムリミットは、あと9ヵ月あまり。

これまでの休職からの復帰や、退職後、間もない就職活動は、病気の全快を待たずに気持ちが焦ってしまった結果、結局病状を悪化させてしまうことになった。

この病気は回復には時間がかかるが、体調が悪化するのはあっという間である。

もう後戻りできないところまで来ているので、慎重に、慎重に行こう。




だって、量が多いんだもん。

2007-03-18 01:45:37 | 鬱病日記
3月17日


昨夜は、いつもより早めに、おそらく1:00AMには眠りについていた。
悪夢を見ることもなく、今朝は10:00AMに起床。

すばらしい。

段々理想の生活リズムに近づいてきた。

昨日たてた予定どおり、今日もテキストを担いで学校へ。
途中で休憩を挟んで、11時~20時まで、正味8時間の勉強。

すばらしい。

しかし気分は昨日より軽い憂鬱傾向が続いたまま。
身体的にはかなり、疲労がでてきた感じ。

そろそろ本気で一日休まないとまた病状が元にもどってしまうかも。

「休職や退職などで、せっかく休養をとる体制が確保できたのに、うつ病の人は真面目だから、せっかく時間があいたのだから、資格の勉強をしようとか、趣味の練習を集中的にすすめよう、とかしちゃうんですよね~。それじゃ、まったく意味がないし、逆効果なんですけど、本人は頑張っちゃうんですよね。それじゃ、ダメなんですけどね。」

主治医の言葉である。

まさに僕。

なんとなく調子がよく、ココロの調子も穏やかになっていたことで、ここ数日は少し調子にのって活動してしまっているかな。と自分でも感じる。
身体の疲労がアラームがわりになっている。
抑うつ感もでてるし。
本当に少し休もうかな。

皆さんから見れば「お前、今も休んでるじゃん!」という突っ込みが聞こえてきそうだが、僕の場合は、休む=寝込むです。

明日は本当は一日寝ていたいのだが、今日予定していた学習量が終わらなかった。
どうしても解けない難問があって、1問解くのに2時間考えて、さすがにあきらめた。回答の解説をみても途中までは解きかたも正しいのに、重要な部分の解説が抜けている。数値計算を含む問題で、どうしても計算があわない項目がある。何十回と計算して、それでも回答にあわないので、使っている計算機が壊れているのではないのかと思ってしまった。

学校の帰り道、世の中で愛だの恋だの、友情だの色々、信奉の対象になるものがあったりするが、電卓は世の中で無条件の絶対的な信頼を得ている道具だなぁと思ったりした。
飛行機に乗るとき、万が一、この便が落ちたらどうしよう、と一瞬考えることがあるが、電卓を使用するときに、表示された計算結果に誤りがあるかもしれない、と不安に思う人はいないだろう。

今日の難問ほど電卓のはじき出す数字に不信感をもったことはない。
あやうく新しい計算機を買いに行くところだった。


・・・なんていうブログを書きながら、夕食後と睡眠前の薬を飲もうとしたのだが、1種類だけ、あきらかに残量が少ない薬があることに気づいた。
薬局のミスだろうか?
というか、そもそも何の薬だ?
と思って、薬の裏を見るとそこには「ユーロジン」(※睡眠薬です。)の文字が・・。

ユーロジンなんていつから処方されていたのだろう。
全く気が付かなかった。
薬局でもらったお薬の解説書を読むと、他の薬と一緒に就寝前に2mgを一錠服薬することになっている。

処方された薬に気が付かなかったどころか、飲み方も間違っていた。
この薬の減りようから見て、就寝前ではなく、毎食後に飲んでいたことは間違いない。

そりゃ、日中に眠くなるはずだよね・・。

間違えた僕も悪いけど、薬が変わったことくらい説明してくれよ、ドクター。
だいたいこんな大量の薬を飲んでいるので、どの薬を何錠いつ飲むのか、飲み方を覚えること自体苦労する。

だって量が多いんだもん。

少し薬減らないかな・・。

ちょっと疲れ気味。

2007-03-17 00:48:07 | 鬱病日記
3月16日




今日は特に変わったこともなく、いつもの日常をすごした感じ。

昨夜眠ったのは3:00AMすぎくらいで、ここ数日と同じ時間帯。
今朝最初に目が覚めたのは、7:00AMすぎくらい。
でも、僕の生活の中では早すぎる時間だったので、二度寝してしまった。

次に起きたのが14:30PMくらい。
いつもと同じように、勢いで学校に行き、16時~21時まで5時間も勉強した。

えらい。

テキストによる自習はもう今日で終わって、明日以降は問題集を繰り返し解いて特訓。
週明けの月曜日くらいからは、次のグレードの勉強を始める予定である。

・・・・あ、言っちゃった。

“このブログで翌日の行動予定を公表すると、その予定は全うできない。”

というジンクス。
まぁ、いいや。あまり気にしないでおこう。

ここ数日、外出して数時間を家の外で過ごすことが多かったせいか、今日は少し身体が疲れてきた感じがする。
身体の疲れといっても、健康な人が普通の生活の中で経験する疲労ではなくて、うつ病患者、独特の“疲労感”である。

そろそろ、休みを入れないとまずいかなぁ・・。

なんとなく抑うつ感も軽く出てきた気がする。
明日の予定は、目覚めた時の体調をみて考えよう。


今日も、この街は寒かった。
明日は暖かい風が吹いて欲しい。

鬱病と夢の関係

2007-03-16 01:28:48 | 鬱病日記
3月15日




どうやらあのジンクスは、本物になりそうだ。

「このブログで、翌日の行動予定を発表すると、その予定は達成できない。」

世界中で、唯一、僕一人に適用されるジンクスである。


昨日は3:00AMすぎに眠りにつくことができた。
いい感じだ。
このまま少しずつ早くなってきてくれればいい。
目標は0:00AM~1:00AMだろうか。

しかし、寝付いた時間は良かったのだが、起きた時間が悪かった。
15:00PMである。

これじゃ、ダメじゃん。、
学校に行こうかどうしようか迷ったが、結局行くことにした。
予定していた範囲の勉強を終わらせることはできなかったが、“毎日勉強をする”という習慣を身に着けるのには良かったのかもしれない。

僕は昨日のブログの冒頭で、悪夢の話を書いた。
今日、帰りの電車の中で読んでいた新書に興味深い記述があったので紹介したい。

その本では、不眠、早朝覚醒、日内変動、といった症状をうつ病の主な症状の一部と紹介した上で、鬱病の睡眠障害に関する脳の生理的状態の違いを記している。
ご存知のようにヒトの睡眠にはノンレム睡眠とレム睡眠という2種類の状態があって、健康な人は、一晩のうちにこのノンレム睡眠とレム睡眠という状態を何度も繰り返している。そのうちヒトが夢を見るのはノンレム睡眠の時である。
しかし、鬱病の睡眠障害では、レム睡眠の出現するタイミングに異常が認められるそうである。
(参考:『擬態うつ病』林公一 宝島新書P48)

僕はこの病気になってから、毎日必ず夢を見るようになった。そしてたまに昨日紹介したような悪夢を見る。
これはつい最近まで抗うつ薬による副作用かなにか、かと思っていたのだが、少なくとも「夢を良く見る」という症状(あるいは状態)は、脳の生理的要因によるもののようである。

それがなぜ悪夢になるのかはよくわからないが、もしかすると脳の一部(例えば睡眠を司る脳幹など)に起きたなんらかの異常、変調が夢の内容に影響を与えているのかもしれない。
これは僕の“おもいつき”なので学問的根拠は何もないが、すくなくとも睡眠時に夢を見る頻度の高さが、薬による副作用でないことが判明して、すこしすっきりした。



う~ん。今日は久しぶりに「うつ病に関するブログ」っぽくなった。
うつ病やその他の精神病に関する書籍、精神医学関連の論文集や医学教養書など、興味深いものは他にもたくさんあるのだが、如何せん、今、僕が居候している物置状態の部屋はとにかく狭く、大きな本棚も二重に重ねてあったり、本棚に入りきらない書籍が高くつまれたダンボールの陰に山積みにされていたりする。
そんな状態なので、お目当ての本のあの部分を紹介しよう、と思ってもその本にたどり着くまでが至難の業なのである。
それでも少しずつ、書評なんかも加えながら、心理学、精神医学以外の分野、例えば小説やドキュメントなども紹介していきたいと思っている。


さて、明日の予定は・・・・・いけない、いけない。
またあのジンクスにはまるところであった。

今日、僕の住む街では冷たい風が吹いていた。
積もっている雪の量はかなり減ったが、まだまだ寒い冬である。

明日は暖かい風が吹けばいいなと思う。

断れないんです。

2007-03-15 01:22:33 | 鬱病日記
3月14日




とても嫌な悪夢を見た。

夢の中で僕は、ヒトの死体から内臓を素手でとりだし、腸のような長いつながりを、洗面器の中で水洗いさせられている。
とても気分が悪い。

場面が変わった。

僕は左手に蛇を握っている。
僕は右手に握ったナイフでその蛇の頭を切り落とし、身体の皮を剥がなければならない。
ナイフの刃でも落としきれない蛇の頭から、血が流れ出て僕の左腕を伝わった生暖かいその液体は、肘からポタリ、ポタリと落ちている。

その血は赤い。赤い。赤い。赤い・・・。




目が覚めた。
部屋はいつものように薄暗い。
僕はこの病気になって、薬を飲むようになってから、たまに“自分の脳の中のどこにそんな醜悪な想像力があったのだ”と驚かされるような夢を見る。
昨夜は久しぶりにその日にあたってしまったようだ。


ところで、今は何時だろう。
携帯の時計は9:00AM過ぎだ。


なんだ。眠れたじゃん。
昨日の夜の記憶では、居間の鳩時計が3回鳴くのを聞いている。

3:00AM~9:00まで。

いつもより早く眠りにつくことができて、いつもより早く、しかも午前中に目を覚ますことができた。

やっとここまできた。少しほっとする。

でも、まだ6時間しか眠っていない。
僕はしっかり睡眠をとらないとまともに動けない体質なので、もう少しだけ、ほんの2~3時間眠ることにした。

それが今日の失敗。

気づいたら15:00PMを過ぎていた。
あ~・・やっちゃった。
これじゃ、いつもと同じじゃん。

ベットの中でその日の行動をシミュレーションしてみる。
いつもなら学校にいくのも断念する時間。
でも今日は、一度早く起きられたし、昨夜はいつもより少し早く眠れた。
やっぱり今日は学校に行こう。

シャワーを浴びて、髪を乾かし、コンタクトをつけて、テキストがつまったカバンを背負って家をでる。

久しぶりの学校。
久しぶりの勉強。

なんだかうまく感覚がつかめない。

1時間ほど勉強したあと、小休憩をとっていると、正面玄関の近くの「告知ボード」が目に付いた。
今日は、この学校で開催している各種資格講座の説明会があるらしい。

3月、4月は講座の開講や開講準備時期にあたるようで、2ヶ月間にわたって、会計系、法律系、情報処理系、公務員受験対策講座などなど、連日にわたり無料説明会が開かれているようだ。

勉強のペースもあがらず、少し飽き気味だった僕は、その中の1つ、これからでも参加できる説明会にひやかし半分で参加してみることにした。


時間にして1時間。
担当講師は熱く、この資格講座がどれほどすばらしく、実績があり、効率的かということを、一言一句魂を込めて語り続けた。

相手の熱意に負けるというのはこういうことを言うのだろうか。
説明会終了後には、あやうく僕はこの資格講座に申し込みをしてしまうところであった。

幸い、僕はこの資格の受験資格を満たしていなかったため、即、申し込みというわけにはならず、そこでなんとか一歩留まったという感じである。

僕は昔からショップのスタッフや、美容室の美容師さん、メンズエステや紳士服のセールストークを聞くと断りきれず、ついつい購入してしまうという習性がある。
ある時は、スーツを1着買いに行こうとして入ったお店のベテラン店員(女性)に薦められるまま、スーツ(2着目半額というやつ)、ネクタイ、Yシャツ、革靴、ソックス数足、挙句の果てにはウォームビズ用のニットのベスト、占めて10万円相当を1回の来店で購入してしまったことがある。さすがに10万円もの金額はサイフに入れていなかったので、そのときはカードで支払った。

過去には訪問販売の「最高級羽毛布団セット」80万円相当を契約させられたこともある。その時は、翌日その話をした当時の上司(当時は病院勤務だったから、婦長さん。)に怒られて、その上司がクーリングオフの手続きをとってくれた。

だから、今回フラリとはいった説明会も、もし受験資格を満たしていたら間違いなく講座の申し込みをしていたであろうと思われる。

本屋に行って、興味や関心を惹かれる本に出会ったとき、サイフの中にお金が入っていれば、なんの躊躇もなく衝動買いしてしまうという性質も根の深いところで上記のくだりに通じているのかもしれない。
「紳士服10万円購入事件」以来、僕はできるだけクレジットカードを持ち歩かないことにした。
たぶん、僕はカードをもっては駄目なタイプの人間に属するのだろう。


その説明会を聞いた後、なんとなくテンションがあがってしまって、まるで今年の資格試験に受験するような気持ちになってしまい、本来やるべき勉強に全く気持ちが回らなくなってしまった。
そういう単純なところ~熱しやすく冷めやすい~のも、僕という生きもの性質の一つである。

そんなわけで、今日はその後の勉強はとりやめ、おとなしく帰宅した。

家に帰り、晩御飯を食べながら(気づけば今日はじめての食事だった。)、TVドラマ「ハケンの品格」の最終回を見て、来年の今頃は僕も派遣かな・・なんて思ったりした。


昨日は午前3時くらいに眠りにつくことができた。
今日も多分それくらいの時間に眠りにつくことができるだろう。
明日は早起きして、午前中から学校に行こう。

あ、言っちゃった。。。。ジンクスが・・・・。


せっかくきた夜なのに。

2007-03-14 00:59:00 | 鬱病日記
3月13日



このブログをご覧頂いている皆さんも、もういい加減読み飽きたのではないかと思いますが、今日も書くことになってしまいました。


僕は、昨夜も眠れませんでした。


もう、このブログも鬱病の日記なのか、ただのニヒリストくずれの独り言なのか、睡眠障害者の日々の愚痴なのかなんだかわけがわからなくなってしまってきた。

それでも、いつものように書いてみる。


昨夜はいつもより早めにベットに入った。
もちろん睡眠薬の類は処方量どおりたくさん飲んで。
ふらっと、ロヒプノールという薬だけ普段の2倍を飲んでみようかと思ったのだが、普段から2mgを2錠のんでいるので、倍にすると4mgで4錠。
ちょっとびびってやめにした。

それからの時間が長かった。

隣の居間にある鳩時計が、30分おきに鳴いている。
ここ数日の習慣になってしまった、眠れない夜の深夜の携帯サイトめぐりも飽きてしまった。

また、鳩が鳴いた。
機械仕掛けの鳩は、時間を重ねるたびに、泣き声をあげる回数を1声ずつ増やしていく。



泣きたいのはこっちだよ。


この日も結局、5:00AMまで眠れず、起きたのはその日の15:30を過ぎていた。
あぁ・・今日の予定もリセットだ。

身体もだるかったし、頭もぼーっとしていたので、そのまま眠っていたい気分だったのだが、ここで寝てしまうと今夜も眠れなくなってしまう。

心を鬼にして起きていることに集中する。

本を読めば眠くなるし、テレビはくだらないワイドショーばかり。
しかたなく歩いて3分のコンビニまで新聞を買いに行くことにした。
着替えるのが面倒くさかったので、パジャマの上にコートをはおり・・。

しかし、玄関を開けてみて後悔。
外は雪降りしきる、一面の銀世界でした。。。。

一瞬、着替えにもどろうかと思ったけれど、それも面倒くさくて、そのままコンビニに行っちゃった。

近所とはいえ、パジャマの上にコートを着て、平日の昼間に新聞を買いに来る30歳の茶髪ロンゲの若者(?:と思いたい。)を、店員さんはどう思っているのだろう。
この病気になって、なんだかそんなこと~人からどう見られるか~もどうでもよくなってきた。

家に帰って居間でテレビをつけながら新聞を読んで、なんとなく19:00PM。

もう少し我慢すれば夜が来る。
もう少し起きていればきっと今夜は眠れるはず。。。

以前に映画で見ていたので特に興味はなかったのだけれど、TVドラマ「私の頭の中の消しゴム」をなんとなく途中から見て、及川さんの演技に思わず涙。
なんでも病気のせいにするのもどうかと思うが、この病気になってからよく泣くようになった。いろんな意味で。
(※この作品に関しては、他の“記憶”に関するいくつかの物語とともに後日UP予定。あくまでも予定だけど。)


そして、そう夜である。
やっと眠れる夜である。
今日一日待ち望んだ夜である。


しかし、今(1:00AM少し前)、目はギンギンに冴えている。


せっかくきた夜なのに。



今夜も眠れないで朝を迎えるのであろうか。
考えただけで憂鬱だ。



誰か僕を眠らせてください。



期待は裏切られ。

2007-03-12 20:55:05 | 鬱病日記
3月12日




このブログで翌日の行動予定を書いてしまうと、大概の場合において、それは実行不能になるようである。
変なジンクス。

昨日のブログの宣言どおり、昨夜はいつもの薬に加えてレキソタンを最初から飲んでベットに入った。

そのままスムーズに眠りに入ることができるはずだった。


しかし、この日も結局朝の5:30AMを過ぎるまで眠ることができなかった。


ここ数日で完全に昼夜逆転の生活になってしまった。
これは困った。
なんとかしなければ。

5:30AM過ぎくらいに眠りについた僕は、16:00PMまで目を覚ますことがなかった。
もう学校に行くどころの話ではない時間である。

身体が重く、頭もボーッとしていたので、そのままもう少し眠っていたかったのだが、そうしてしまうと今夜もきっと不眠の海に流されることになるだろう。


眠りたい。眠れない。眠りたい。眠れない。


この時間を利用してテキストや散々買いだめした本を読めばいいのだだが、頭が働かず文章が頭に入ってこない。


昨夜とは一転して、僕は眠らないことに集中する。


あ~しんどい。

この眠さを引きずって、少々時間は早いが今日はもう眠ってしまおう。


さぁ、明日の予定は・・。

書くとまた実行不能になるかもしれないので、心のなかに留めておく。


でも1つだけ。

そろそろいい加減、不眠以外のネタがかけますように。