goo blog サービス終了のお知らせ 

the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

何もない日。

2007-04-02 00:18:08 | 鬱病日記
4月1日




今日は一日中ベットの中ですごした。
何も考えずに漫然と時間を浪費する。

何もない日。
地球上の一部の人々から見れば、とても幸せなこと。
僕にとっては、とてつもなくたまらない一日。

また一日、生命を浪費してしまった。


今日になって母も少し調子を取り戻してきた感じ。
しかし、老けたな・・。

いつまでも母の世話になっているわけにはいかないと、ソファでうたた寝をする母の寝顔を見て痛感した。


O君からの電話

2007-04-01 01:32:44 | 鬱病日記
3月31日



今日もR君からの連絡はない。
こちらから連絡をするのもやめた。
数週間後のある日に、「事故っちゃって入院してました~。」
なんて連絡がくることを願っている自分がいる。
理由もわからずこのまま関係が切れてしまうのは、とてもやりきれない。


昼過ぎに僕が起きて居間に行ったとき、母の姿はなかった。
昨日の乱れっぷりからして、車でどこかに気晴らしにでもいったのかと思っていたが、ほどなくして、スーパーのビニール袋を両手にぶら下げて返ってきた。
だが、表情は落ち込み、雰囲気も暗い。


家中が暗い雰囲気に満ちてしまったので、僕は薬を飲んで、いつもの逃げ場所、自分のベットに潜り込む。
なんだか勉強をする気にもならない。


ベットで携帯のテレビを見ながらダラダラしていると、急に携帯の画面が変わり着信音が鳴り出した。

以前にこのブログの記事で紹介したO君からである。
O君は、僕が以前仕事をしていた会社で、首都圏で勤務していた頃、僕の同僚が担当していた他の案件で募集をしていたアルバイト君の中から、僕が直接面接をし、政治力をつかって無理やり僕専属のアシスタントにしてしまったバイト君である。
今は東京の会計事務所に勤務し、税理士を目指している。

O君は五月の大型連休を利用して、今、僕が住んでいるところまで観光に来てくれるつもりでいるそうだ。チケットの予約をするにために、僕の予定を確認するために電話してくれたのだった。

彼は社会人になった今も、子供っぽいというか純粋なところがあって、「租税法が・・・、M&Aが・・・、会計監査が・・・、都内の景気は・・・、大企業と中小企業の格差は・・・」などとやや硬い話をしていても、なんとなく気が休まると同時に、彼の純粋なテンションにこちらのモチベーションも刺激されてしまう。
また、O君は、ことあるごとに「バイト時代に桐原さんから教わったことが今、役に立っています!」と言ってくれる。そんなたいしたことを教えたつもりはないのだが、社交辞令としても嬉しいものである。
結局、O君とは会計士試験の内容や税制、税理士事務所の現場と中小企業税務の実態、首都圏と地方の会計・経理職関連の採用状況などについて、思い出話を含みながら2時間も話し込んでしまった。


ここ数日、下がり気味だったテンションと体調も、O君の声を聞いて少し楽になった気がする。

このまま母のテンションも回復してくれれば、尚いいのだが・・。

この親にして、この子あり

2007-03-31 02:09:52 | 鬱病日記
3月30日



夜、20時を過ぎた頃だったろうか。
玄関の鍵を開ける音が聞こえ、母が仕事から帰ってきた。
居間の扉をあけ、コートを脱ぐ前から愚痴を言い始めている。
これはいつものこと。

ただ、今夜は様子が少し違う。

・・来た。

母の「感情爆発」。
僕の母は数ヶ月に一度のペースで、感情を爆発させ、一人泣き叫び、錯乱する。

どうやら今回の引き金は、職場での雇用条件を巡るやり取りにあるようだ。
これまでに断片的に聞かされていた情報から鑑みるに、職場の管理職である彼女は、理事長、施設長、副施設長、その他管理職を巻き込んだ政争の只中にあるらしい。
今日は政治的な動きがなにかあったのだろう。

職場での恨みつらみを、まるで呪文のように、誰に伝えるともなく、それでいて僕の存在を確実に意識しながら、とうとうとしゃべり続けている。

ヤバイ兆候だ。多分、数分のうちに彼女の感情爆発が起きるだろう。

しかし、居間で立ったまま話を聞かされていた僕は、その場を去ることも、動くこともできずに立ちすくんでいる。

声が涙声になってきた、顔は伏せているが、鼻をすする音も聞こえる。

完全にスイッチが入った。

突然大声をあげ、泣き叫びながら、彼女は、これまでの自分の半生と、今の職場に対する、恨みつらみを語り続ける。
自分のおかれた辛い境遇を、独り言のように、しかし確実に僕に向かって、語り続けている。

こんなとき、僕は吐きそうな気持ちになりながらも、そこに立ち尽くすしかない。
こうなってしまった彼女には、もうどんな慰めの言葉は通じない。
ただ泣いて、くだを巻き、ひたすら自分の人生を憂う。

こんなときの彼女の周りには、暗黒のオーラが猛烈な勢いで放たれている。
同じ空間にいるだけで、気持ちが悪くなり、吐き気をもよおし、一刻も早くその場から逃げ出したくなる。でも、足が動かない。

彼女が泣くのは悲しいからではない。悔しいからだそうだ。

僕は「悔しくて泣く」という感覚がわからないのだが、彼女は良く泣く。悔しいと言う理由で。

そのまま50分ほどたった頃、僕はやっと解放された。

こうしてブログを書いている間にも、彼女は隣の部屋で布団に入りながら、今日一日に起こったことを反芻し、悔しさと虚しさにむせび泣いていることだろう。

彼女はの未来観測は恐ろしくマイナス思考である。
感情爆発を起こしている時の彼女は、全身から闇を漂わせている。


僕はうんざりするのと同時に、彼女への同情を禁じえない。

しかし、この親にしてこの子ありである。
血のつながりにつくづくうんざりした夜だった。


僕だって、不安なことを抱えているのに・・。
その声は、僕の心の空洞に虚しく響いただけだった。



イメージトレーニング

2007-03-29 23:51:12 | 鬱病日記
3月29日



何もする気にならない。
何も考えることができない。

心の中は不安で満たされたまま。

一日中ベットの中で過ごした。
鳴らない携帯を枕元においたまま。

起きていると考えたくないことを考えてしまうので、とにかく寝てしまおう。


僕は心の中に闇を飼っている。
皆、心の中に闇を抱えている。

僕はベットに横たわり、目を閉じる。
頭の中に意識を集中させ、「闇」がやってくるのを待つ。

やがて頭の奥のほうで、黒い点が生まれる。
その黒点は黒かびのように、ジワジワと辺りを侵食して、その範囲を広げていく。

その様は、黒い雨雲が空をドンドンと覆っていく過程にも似ている。
若しくは、流れ出したコールタールが辺りを埋め尽くす過程にも似ている。

その「闇」が必要充分に広がったとき、心の中で今は忘れてしまいたい記憶を思い描き、その「闇」に喰わせる。

ドロドロの重たい黒い塊に、その記憶を喰わせる。その黒い塊の中に取り込ませてしまう。
そしてその黒い塊とともに、忘れたい記憶が、脳の奥、心の奥の更に奥にしまいこまれるのを待つのだ。


何度も何度も、そのイメージを繰り返して、僕は僕の心を落ち着かせていく。


明日を迎えるための、正気に戻るための、それでも一人で生きていくための、儀式。


いつか僕の心の中が、「闇」に満たされてしまうまで、この儀式は繰り返される。

明日の自分を迎えるために。

切れた糸~「孤独発作」の陰で起きていたこと。

2007-03-29 03:20:06 | 鬱病日記
3月28日




今日は昼過ぎに起きた。
前日からある予定を立てていたからだ。
久しぶりに映画を見に行くのである。
以前から見たいと思っていた、「蟲師」。
その感想は下の記事にゆずるとして、実は今、あまり調子がよくない。
というか、不安感でいっぱいである。

昨日の記事では、とても前向きなことを書いて終わった自分であるが、今日起きたとたんに不安に襲われた。いつもの「孤独発作」が元の病の抑うつ傾向、不安感といった症状をひきずりだしているようにも思える。

今回の「孤独発作」の陰には、実はもう一つの伏線があった。

改めて言うが、僕は一人が好きだし、一人でいることに慣れている。これからもできるだけ一人で生きていくようにしたいと思う。

その前提の上に立って言わせてもらえば、僕が他人とあまり関わらず、一人で生きる道を選ぶようになったきっかけがあるのである。

そのきっかけは複合的であり、いくつかの要因が絡まってその結論に至ったものであり、これと、これと、これです、と言うように今、明示するのは困難だ。

しかし、そのもつれた毛玉のようになった複数のきっかけの一つが、今回の「孤独発作」の発現に影響していたことは、確実である。


僕には友達がいない。
それは今も変わらない。
だけれども、もしかしたら友達だったかもしれない人を、今、無くそうとしているのかもしれない、或いはもう無くしてしまったのかもしれないという現実が目の前にある。


「彼」との出会いは、2年以上前、インターネットのあるサイトを通じてのことだった。僕は28歳、「彼」は多分24~25歳だったように記憶している。
「彼」(仮にR君とする)と僕は同じ病にかかっていた。発病したのは専門学校生時代に発病したというR君のほうが先だった。R君は母と兄二人の家族で、仕事はしていない。正確には病気のせいで仕事ができない。病気とはもちろん鬱のことである。
同じ病気を抱えていると言うことや、育った環境などが似ていたこともあって、いつの間にかR君と僕は個人的にメールのやり取りをするようになっていた。
メールは日に何通か届く。

R君:「おはよう。亮司さん、もう起きてる?」
僕:「今起きたところ。眠いよ。」

R君:「今何してるの?」
僕:「ベットで横になっていたよ。R君は何してたの?」
R君:「僕はねぇ、ラッキー(飼っている犬の名前)と散歩に行ってきたところ」

R君:「これから病院行ってくるね。」
僕:「うん、気をつけてね。」

R君:「何してるかな?」
僕:「ぼーっとしてた。R君は?」
R君:「なんだか調子悪くて、動悸がしてイライラするよ。」

僕:「調子悪い~。だるいよ~。」
R君:「調子悪い時って辛いよね。」

こんなたわいもない話題のやりとりが、僕たちの関係を深めていった。
お互いの住んでいる場所も本名も明かしたところで、僕らの関係は一層親密になったような気がした。ただ、住んでいる所はお互いに遠く陸続きには行けない遠さだった。
たまには深夜にR君から電話がかかってくることも多くなってきた。

R君:「亮司さん、起きてた?」
僕:「半分寝てた。どうしたの?」
R君:「なんだか寂しくて眠れない・・・。」
僕:「そうかぁ、、、じゃぁ少し話をしようか。」

メールは、R君からくることが多かった。
僕はそのメールに返信をする。
たまに、僕から体調伺いのメールをすることもあった。
電話は僕からかけることはない。
いつもではないが、時折、R君は、「寂しいから」、「眠れないから」、「なんとなく電話したくて」と言う理由で電話をかけてきた。

その年のクリスマスには、R君の写メが添付されたメールが届いた。
R君に催促されて、仕方なく僕は不慣れな手つきで僕を写した写メを送った。

それ以来、R君はことあるごとに写メを送ってくれるようになってきた。
飼っている犬の顔、自分の顔、美容室に行って髪を染めてきたばかりの髪型などなど。

彼とのメールのやりとりは、およそ2年の間、一日と欠けることなく毎日続いた。
一日に何度もメールのやり取りをすることもあれば、一言メールで終わることもあった。最近では、用がなくてもどちらともなくメールをし、お互いの体調を確認しあったり、お酒を飲んで酔っ払ったR君から無邪気な電話がかかってきたりもした。この二年間、彼からのメールや電話が途切れたことは一度もない。


この時点で、僕はもう引き戻すことができない場所にいることがわかっていた。
これまで必至に避けてきたところ。

僕は基本的に他者との間に親密な距離を保つことを好まない。
より正確に言うなら、好まないのではなく、距離を置かねばならない種類の人間なのだ。

僕は昔から、他人との距離をうまく保つことができない。
仕事上の上司部下、同僚、取引先などと役割が決まっていて、その役割に与えられた義務を忠実に演じる分には全く問題はない。
しかし、プライベートで友達や親しい人を作ることは極めて苦手である。
相手のテリトリーの中にどこまで踏み込んでよいのかわからないのだ。
一度、好意をよせてくれる相手に心を開いてしまうと、僕は自分とその相手との境目が曖昧になってしまう。その対象との人間関係に依存してしまうのである。


そんなある日、R君にメールを送った。
内容はたわいもないものだったと思う。
しかし、その日一日、彼からの返信は来なかった。

彼はこちらからメールを送ったとき、寝ていることが多く返事が返ってくるのも遅いことが何度かあったから、そのときはさほど気にも留めていなかった。
いつものように、「ごめん!寝ちゃってた。」といってメールを返してくれるものだと思っていた。

しかし、次の日もメールは来なかった。
その次も、その次の次の日も、メールも電話も、R君からの連絡は一切なかった。

ここで、僕の壊れた心のなかで、もう一つの塊が暴走を始めてしまった。
「見捨てられ不安」である。

僕は常に、近しい人から見捨てられることを、置き去りにされることを恐れている。必要以上に恐れている。多分これは幼い頃の体験に紐付けされたものであろうと思われる。

R君は時間をかけて、僕の心の奥の扉を開いてしまった。僕は、はじめは戸惑いながらもR君に、R君との関係に信頼と心地よさを感じるようになっていた。
R君もそうだ。それはR君の言動からも明らかだった。

誤解を恐れずにあえて言うなら、僕ら二人は「友達以上、恋人未満」な関係だったのだと思う。

R君からの連絡がとぎれてから、僕は何度もメールを送り、何度も電話をした。
真っ先に頭に浮かんだのが、事故にでもあって入院していたらどうしよう、ということだった。或いは鬱が悪化して入院ということになったのかもしれない。

或いは、僕とのメールや電話での関係がうっとうしくなったのかもしれない。
それとも彼女でもできて、今はそっちが忙しいだけなのかもしれない。

でも、連絡がとれなくなる前日までは、普段のたわいもない会話がメールをとおしてなされていたのである。
これまでの2年間、一日も欠かさずにメールのやりとりをしてきた二人である。彼女ができれば報告してくるだろうし、僕とのやりとりが面倒になったのであれば、それとなく、またははっきりとその理由を言ってくれるだろうと思う。

僕の頭はパニックになった。“見捨てられ症候群”発症である。

どうして僕を置いていくんだ。
どうして僕の前から姿を消すんだ。
なぜ声を聞かせてくれないんだ。
去っていく理由をなぜ教えてくれなかったのだ。

それからと言うもの、僕の頭の中はR君のことでいっぱいになってしまった。
携帯電話を常に握り締め、いつ連絡が入ってもいいように待機した。
何度もメールを送り、電話をしたがやはりつながらない。

不思議なことに、携帯のメールは送るときちんと届く。電話番号もかけると数回の呼び出し音のあと、留守電に切り替わる。
こんなに何度もメールや電話をしているのだから、僕との距離をおきたいのであれば、着信拒否をすればいいことなのになぜしない?

やはり事故なのか?入院して携帯も触れない状態にあるのではないか?
もしかして事故で死んでしまったのではないか?
いや、やはり僕が嫌われたのかもしれない。

僕の頭の中は不安と寂しさと切なさで身を引き裂かれそうになる。
何も手につかない。

気持ちを切り替えるために、無理やり映画を見にいったりもしてみたが、ストーリーの途中で、いつのまにかR君のことを考えている。


自分に好意を寄せていてくれた人が、自分の傍から去っていってしまうとき、僕はその人間関係にすがり、泣き、心を崩壊させてしまう。

だから、一人なのだ。
昨日のブログで、自分の弱さを知っていると書いた本意はここにある。

別れ際が怖いのだ。
見捨てられるのが怖いのだ。
置き去りにされる恐怖が襲ってくるのだ。

5日ほどたった今日になっても、未だにR君からの連絡はない。
僕の心は不安でいっぱいになっている。
何もてにつかない。

実際に会ったこともない相手に対してもこれだけの反応を引き起こすと言うのに、リアルでの人間関係での別離を想像しただけで胸が痛くなる。
そして、実際に何度もそんな経験をしてきている。

そんな辛い思いをするくらいなら、最初から出会わなければいいのである。
僕は一人の自分として自己完結していればいいのだ。

喜びを共感できない、悲しみを分け合うこともできない。
それはとても寂しい人生なのかもしれない。
しかし、別れ際のあの辛さをこれから何回も経験するのだとしたら、それに僕は耐えられる自信がない。


そんなR君の事件があってから、2,3日して「孤独発作」が起きた。
今回の発作の誘因は間違いなくR君の一件だろう。
そして今日になってその孤独発作が、鬱本体の憂鬱感、不安感を誘い出してきているのがわかる。

多分、今の僕に一番聞く薬はR君からのメールか電話だろう。
でもこちらからはどうすることもできない。


不覚にも、相手に近づきすぎてしまった。
心を開きすぎてしまった。
こうなることがわかっているから、一人なのに。


上記の僕のR君に対する反応を見て、「それは考えすぎじゃないのか?」と思われた方もいると思う。
ある面でそれはそのとおりである。

うつ病の症状の一つに「認知の歪み」というものがある。
認知とは、一言でいうなら、ものの考え方や捉え方のことである。

うつ病患者は、この「認知」という機能に障害を抱えていることが多い。考え方が極度に悲観的になり、大げさに言うなら、この世の不幸の全ての原因は私にあるとでもいわんばかりの考えをとるようになる。
この認知の歪みには、現在7つの分類がなされているが、そのうち、上記の僕に=今の僕に当てはまる例としては次の2つの区分が考えられる。

1.恣意的推論
証拠が少ないのにあることを信じ込み、物事を思いつきで断独的に推測し判断する状態。“しばらく友人から連絡がないだけで、その人に嫌われてしまったと考えるような場合”がこれにあたる。

2.2分割思考
曖昧な状態に耐えられず、物事を、いつも白黒はっきりさせておかないと気が済まない状態。

(参考:『「うつ」を治す』大野裕 PHP新書 ISBN4-569-61084-6)

上記の恣意的推論の例えはまさに今の僕、そのものである。
ただしこれには、鬱から出た症状であるということのほかに、昔からの性格として何事においてもまずはじめに絶望的観測をしてしまう、つまり物事の結末を最悪なものとして想像してしまうという性格も影響しているのであろう。



R君は今どうしているだろう。
興味を示してきたのは彼のほうなのに、気づけば僕が彼を追っている。
だから、二人はやりきれない。


僕の憂鬱は、まだしばらくつづきそうだ。

ただ一つ、平等なもの。

2007-03-27 23:52:39 | 鬱病日記
3月27日





今朝、はじめに目が覚めたのが10:00AMすぎで、次に携帯の時計を確認したのが正午少し前、そして、やっとベットから起きだした頃には16:00PMを過ぎていた。

身体も頭もぼーっとしている。

いつものように、朝と昼の分の薬を一度に飲む。

居間の窓から見える空は、薄暗い灰色をしていた。
僕のココロと同じ色。

昨日の夜は、辛くて辛くて仕方がなかったのだけれど、今日は幾分楽になったような気がする。孤独感や寂しさも突き抜けるところまで行ってしまうと、感覚が麻痺してしまうようだ。
これもきっと、何千年、何万年とかけて人類が進化してきたなかで築きあげられた防衛本能のようなものなのだろう。
この分だと、明日にはもう一段、楽になっているかもしれない。
また、いつもどおりの「一人の僕」に戻れるかな。

一人でいることを自覚しながら、一人で生きていく。

これが僕の基本スタイル。
普段は平気な“独りぼっち”も、数ヶ月に一度、急にスイッチがはいったように“孤独発作”がおきて、怒涛のごとく不安感と孤独感と絶望感が押し寄せる。
それにしても、今回の“発作”は久しぶりに長かった。そして深かった。


普段は独りであることを強調する僕ではあるが、誰かと共に歩む生き方を否定するわけではない。そういう生き方もあるだろう。
ただ、僕がその生き方になじまないだけだ。

僕は経験的に自分がいかに弱い人間であるのかを知っている。
だからあえて、僕は一人を選ぶ。

僕は愛を知らない。

たぶん僕は、本当の愛を知らぬまま、一人歩み、一人老い、そして一人で死んでいくのだろう。

それはそれで結構な人生じゃないか。
でもできれば格好良く、自らの死期を悟って姿を消す野良猫のように、誰に迷惑をかけることなくついえたい。

それは、明日か、明後日か。

いつくるともしれない、その日を待って、僕は今日という日を精一杯生きよう。
生きることに貪欲だった、あの頃の自分を思い出して。

おさまらないココロ。

2007-03-27 00:53:30 | 鬱病日記
3月26日



今回の「発作」は、少し手ごわいようだ。
今日になってもまだ、心が治まらない。

不安で、孤独で、寂しくて。
泣きたいけど、泣けないし、助けを求めたくても、僕を抱きしめてくれる人は周りにはいない。

僕は大人なのだ。
こんな「発作」に何度もやられているわけにはいけない。
これまでだって、乗り越えてきたじゃないか。

なのに、今回は厄介だ。

こうして、一日に一度、ベットに入る前に一人、ノートパソコンの前に座ってブログを書いている。
それが、今の僕の唯一の日課。


このブログを見てくれている人が確実にいて、コメントを頂く方も、見てくださるだけの方も、毎日来てくださる方も、たまに覗いてくれる方も、たまたまやってきた方も、共感してくださる方も、あまったれるなと思われる方も、どの人もこのブログを通じて、一瞬、僕の人生とすれ違っている。

なんだか、不思議だ。



僕の心は、フラフラ、ユラユラ頼りなく揺り動いている。
今にも落ちてしまいそうだ。

僕の人生の中で一番、“生きる”ことに貪欲だった時期。
誰の力も必要とせずに、一人で生きぬいていくことに、必至だった時期。
昼に暮らす人々と、夜に生きる僕たち。
仕事明けの朝、一人暮らしの部屋に帰る道すがら、これから出勤する会社員達、昼に生きる人達とすれ違う。
夜の世界と昼の世界は、交互に規則正しく現れて、その住人達はお互いに、互いのテリトリーを犯すことなく、毎朝、定期的に無言で交代していく。

あの頃の僕は、一人でも平気だったんだ。
一人でいることがあたりまえで、世の中の人すべてが敵に見えた。
世の中の全てを斜めに捉えて、愛とか恋とか友情だとか、永遠や絶対を口にする人たちは皆、偽善者に思えた。
吐きそうになり道端でうずくまる僕の後ろを、何のためらいもなく行き交う人たち。
あんな大人には決してならないと誓って、今、この歳になって、一人でいることに耐えかねている僕がいる。

あの頃の僕が、今の僕を見たらなんと言うだろう。

必要以上に尖って、無駄に傷ついていたあの頃の僕のほうが、今の僕より断然かっこいい。



僕は今、もう一度あの頃の僕になりたい。
それが、今まで体験してきた辛い思いをもう一度繰り返すことになったとしても。

僕は今、あの頃の自分になりたい。


僕とボク

2007-03-26 00:35:51 | 鬱病日記
3月25日




昨日は明け方まで眠れなくて、今日起きたのは昼頃だった。
レキソタンを多めに飲んだせいか、睡眠のリズムが狂ったせいか、手術で麻酔を受けた後に目覚める時のような、不自然なダルさが体中に満ちている。

昨日の「発作」は、まだおさまらず、一日中沈んだ気持ちでベットの中で過ごした。
一本のロープの上を左右にバランスをとりながら歩くような、氷のブロックを重ねて作られた塔が、粉々に崩れてしまいそうな、不安定なココロ。


薬は飲んだ。
でも、この「発作」にはどうも効かないらしい。

いつまでも悲劇のヒロインを演じる自分に浸っているわけにもいかないので、何か食べようと思ったが、体が受け付けなかった。

オレンジを1つと、カップ1杯のミルク、それとチョコレートを2カケラ。

それ以上身体に入れるのは胸が苦しくてあきらめた。


寒い。
ココロが寒い。

寂しい。
独りが怖い。

いつもは平気なのに。
いつもは独りでいるほうが楽なのに。

身体の中の奥の奥、薄暗いステージの上で、一筋のライトを浴びながら、ひざまづき、両手を広げ、天を仰ぎ見る者がいる。

誰も抱いてはくれないから、
僕はボクの身体を抱きしめる。

身体に巻きつけた両腕の中に、自分の顔をうずめてみる。
少しだけ、落ち着いた。

そうだ、それでいい。

もっと強く抱いた。
もう少しだけ、楽になる。

独りぼっちの僕は、独りぼっちのボクを抱いている。

懐かしい、昔の記憶。
そうだ、このやり方があったのだ。


家が壊れ始めた頃、“奴”が暴れ、“オンナ”が泣き叫び、老人達はなすすべもなく、幼い“きょうだい”はパジャマ姿で泣いている。


2Fの自室のベットの中で、1Fの惨状に目をつぶり、枕で耳を塞ぎ、どうしようもなくなったとき、僕は“俺”になり、階段をくだり“奴”と“オンナ”の間に割って入り、幼い“きょうだい”達をなだめつかせ、老人達が落ち着き部屋に戻るのを待ってから、“俺”は“僕”になり、身体を抱いて震えるのだ。

僕の中のボクが泣き止むのを待って、僕はボクの身体を抱く。

その方法があったじゃないか。


今夜の僕は、ボクと一緒に眠るんだ。
独りと独り。

1+1=2ではなく、
1+1は、1と1。


今夜もまた“ボク”の振るえがおさまるまで、僕はボクを抱きしめる。

もう大丈夫。
明日には立てるようになるさ。

薬の力を少しだけ借りて。

寄りかかる為の、何か。

2007-03-25 03:21:19 | 鬱病日記
3月24日




生活の、特に睡眠のペースが乱れると、身体の調子も悪くなり、それは心にも影響するようだ。

昨日からの不穏な状態は、まだ続いている。
そしてここにきて、「孤独発作」が現れてきた。

いつも一人でいることを自覚しているし、これまでも、これからもそうだと知っているはずの自分が、ある時、急に崩れ落ちてしまう。

信じられないほどに、孤独に怯え、逃げ場を探し、すがるものを探して、泣き出しそうになる。

そんな状態の時の自分を、便宜上「孤独発作」と呼ぶことにする。

僕は今、「孤独発作」の真っ只中で、パソコンに向かい、このブログを通して、顔の見えない「誰か」とつながっている感覚を必至で探っている。

周りを見渡しても、差し伸べられている手は見つからず、この穴から抜け出すための蔦もまたない。
上を仰ぎ見て、足元に向かい、水平方向に左右どの角度を見渡しても、僕は今、この世の中で、たった一人だ。


僕は今、絶対的な孤独の中にいる。



これはたぶん、鬱とは違う何かだろう。

僕の心の中に仕組まれた何かが、不定期に、発作的に、スイッチを入れるのだ。

それは恐らく、あの忌むべき男と女の間に、桐原の血を継ぐ者として生まれながら、その嫡子としての義務を放棄し、一族に矢を引いたときに仕組まれた、血の呪いなのだろう。

隣人を愛せない者が、世界人類を愛することができないように、血脈で通じた最も近しい者から疎まれ、また憎み、互いを認め合うことができなかった者に、世の人を信じることなど、できるはずもない。

愛したいが、愛せない。
信じたいが、信じられない。

いつも捨てられることに恐れを感じ、必至でしがみついてきた。
でも、その生き方は恐らく、間違っていたのだ。

そして一人で立とうと決めたとき、ただ一人の力で歩むことを決めたとき、その“見捨てられることへの不安”は、心の奥の一番奥にしまいこまれたはずなのだが、それは、ふとした拍子に、最もグロテスクな形で僕の心を支配する。

ただ、一人で歩もうというだけなのに、なぜ、ここまで苦しまねばならないのだろう。



もう故人なのだが、茨木のり子さんという有名な詩人がいらっしゃって、その作品の中に「寄りかからず」という一編の詩がある。

その詩の内容を僕の浅い理解で紹介させて頂くと

“既成の概念や制度、団体などに頼ることなく、自分の存在は自分で受け止めて、自力で立っていく。もはや頼るものは、椅子の背もたれだけ・・。”

といった、毅然として、力強く、クールな詩である。
(ご存じない方は、是非、原文を一度読んでみて頂きたい。)


僕も、そんな風にありたいと思う。

でも、今の僕には、椅子の背もたれ以外の、心が寄りかかる為の何かが欠けているようだ。


ただ、一人歩もうとするだけなのに。


「孤独発作」の真っ只中で、こんな深夜に、僕に手を差し伸べてくれるもの。
今夜の相手は、薬袋の中のレキソタン。


明日までには、もう少しまともになっていますように。

腕時計と手紙の使い方。

2007-03-24 00:38:08 | 鬱病日記
3月23日



昨夜遅くまで起きていたせいもあり、今日は昼過ぎまでベットで眠り込んでいた。
僕の眠りはいつも浅い。
必ず毎日、毎回、夢を見る。
今日の夢も、起きた瞬間に詳しい内容はほぼ忘れてしまうのだが、後味の悪い、不気味な夢だったことだけは覚えている。

生活リズムが狂ったせいか、今、この時間になっても心が不穏である。
学校にも行かなかった。

こういう時に、電話やメールで連絡がとれる友達や知人がいればいいのだが、残念ながら僕にはそういった知り合いがいない。

僕の周りから“友達”がいなくなったのは、いつからだろう。
僕は昔から一人だった。
別にいじめられていたわけではないのだけれど、教室の中でも一人、家の中でも一人。
学生時代、一番嫌だったのが、体育やなにかの行事で、「好きな人とペアを組んでください。」という場面。好きな人というより、会話を交わしたことがない人ばかりのなかでペアを見つけるのがとても困難で、焦ってしまい、そして最後に一人取り残されるのがとても恥ずかしかった。時には、一人で残っていることにすら気づいてもらえないときもあり、そんな時には、そのまま帰ってしまおうかと思うこともあった。

何もかもどうでもよかった時代。いても意味がない学校なら、通う必要もないじゃないか。
僕は高校時代、卒業までに必要な単位を科目ごとに綿密に計算し、卒業単位が足りるように、ギリギリのところで学校を定期的に休むようになっていた。
担任の女性教師は、そのことについて何も言わなかったし、僕もそれは望んでいなかった。
クラスメイトも、僕の存在は意識していなかっただろう。


まぁ、昔のことだし、考えても仕方ないか・・・。


今では一人でいることに慣れてしまっているから、多分、これから先も大勢の友達に囲まれている自分は想像できない。

でも、たまに、一人ぼっちでいることに寂しさを感じることがある。
そんなときは自分で自分を慰めるしかない。

昔、「たま」という異色のバンドがあって、独特の雰囲気を持った歌を歌っていたのだが、その曲の一つに、次のような一節がある。

「寂しい夜には、腕時計二つ買って、右手と左手で、待ち合わせて遊ぶ。」

曲のタイトルは忘れてしまったが、当時小学生?あるいは中学生だった頃の僕の脳の奥に、心の底にドーンという深いショックを与えたフレーズだ。

中島ゆみきさんの曲の中にも、次のような一節がある。

「・・僕は、僕は手紙を書く。僕に宛てて、手紙を書く。・・・」

多分この部屋に積まれた無数のダンボール箱のどこかに、その曲が収録されたCDがあるはずなのだが、タイトルが思い出せない。


今はなんとなく心が寂しく、不安な感じがある。
僕は腕時計を1つも持っていないので、「たま」のような遊びはできない。
明日になっても寂しさが収まらなかったら、自分宛てに手紙を書こうかな。