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the other half 2

31歳になりました。鬱で負け組。後悔だらけの人生だけど・・。

傷つけたくない or 傷つきたくない

2007-04-27 00:22:14 | 鬱病日記
4月26日



人間って、なんで生きていくんでしょうね。
身内に迷惑をかけて、親を泣かせて、他人からは無視されて。
戻ることは許されなくて、嫌でも前に進まなきゃならなくて、許されるのはたまに立ち止まって答えのない問題について考えることくらい。
死ぬに死ねなくて、前にも進めない。
自分が歩こうとするたびに周りの誰かが傷を負う。
何の為に生きてんの?
どうすりゃいいんだよ!





たまたま行き当たったネットの掲示板に、何気なく上のようなことを書き残したら、鬼のような数のバッシングにあってしまった。
どれもこれも辛らつだったが、一つだけ頭に残っているコメント。





「・・・なんだかんだ言って、結局自分が傷つきたくないだけだろ。」







そうなのかな。

そうかもしれない。でも、そうじゃないかもしれない。

今の自分には答えが出ない。





完徹(かんてつ)

2007-04-26 00:18:35 | 鬱病日記
4月25日



昨日までの母との大喧嘩で妙にテンションがあがったせいか、昨日は全く寝付けなかった。
ベットに入っていつものCDをかけながら寝ることに集中する。
でも眠れない。
隣の居間で鳩時計が定期的に鳴いている。

2時・・3時・・4時・・・・・カァー・・・「カァー」??

鳩ではなくてカラスが鳴いた。
遮光カーテンを少し開いて外を見る。
既に空がしらみかけていた。


もう、朝じゃん・・・。(うんざり)


飲めるだけの睡眠薬を飲んで(医師の処方の範囲内でということです。)、深夜からずっと痛かった左こめかみの偏頭痛が我慢できなくなったので、愛用の頭痛薬を服用する。

その後なかなか頭痛は治まらなかったが、6時を過ぎて母親が起きて活動を開始した気配を感じつつ、それでも眠ることに専念する。

っていうか、6時ってもう、朝だよね・・。


現役の社会人だったころは、調査報告書をまとめたり、新しい拠点(施設・センター)を立ち上げるために完徹したことは何度もあったが、この病気になって会社を離れてから、普通に完徹したのは初めてだ。

最近、不眠傾向がますます顕著になってきている。
夜眠れないと、日中がきつくなるので困る。

そうこういう間に、今日も医師との就寝約束時間、0時を過ぎてしまった。
もう寝なければ・・。

今日はうまく眠ることができるだろうか。

つくづく、うんざり。

2007-04-24 21:30:59 | 鬱病日記
4月24日



ここ数日、体調が悪く毎日寝て過ごしていた。
心も身体もいっぱいいっぱいなところにきて、昨日、些細なことから母との大喧嘩が勃発。
一応、昨日の夜中に謝りのメールを入れておいたのだが、全く効果はなかったらしい。

帰宅した母は、昨日より攻撃的だった。

もう、うんざりだよ・・・。
今は本気で、この家を出て行こうかと悩んでいる。

お金さえあればなんでもできるのに・・。


反抗する力

2007-04-20 01:46:36 | 鬱病日記
4月19日

※なんとなく“やっつけ”の記事で、わかりにくく、未整理な文章になってしまいました。推敲する意欲も力も今はないので、下書きどおり掲載します。読みにくいかと思いますが、僕が伝えたかった“熱意”だけでも感じ取っていただければ幸いです。 桐原亮司




今朝起きたのは正午を過ぎていた。
新しく増えた薬のせいか、だるさや眠気が増したような気がする。

そのまま2~3時間ほどベットの中で寝たり起きたりして、自分の部屋から出たのは夕方になっていた。

この時間になっては学校に行く気にもならず、起き抜けに牛乳をカップ一杯飲んだあと、新聞を買いに近所のコンビニに行った。

なにげなく、新聞のページを一枚ずつめくっていくと、意外な見出しが目についた。


『遠ざかる尾崎の叫び 没後15年 若者はかわったか』
(朝日新聞,2007,4,19)


“尾崎”とは言うまでもなく、尾崎豊である。
なぜ全国紙にこのタイミングで尾崎豊の特集が組まれたのかを考えながら記事を読んでいくと、程なくその答えが見つかった。
今月25日は尾崎豊の没後15年にあたるそうだ。


記事によると、学校や親や教師といった大人社会に対する反抗や、自己の内面の不安感を書いた尾崎の歌詞が、今では高校の「倫理」の教科書に掲載されているそうである。
このことだけでも驚きを禁じえないが、それを薦めたのも「自己の生き方を模索する代表例」(同紙より引用)として、現場の教師から掲載を薦められたとのことである。
“校舎の窓ガラスを壊してまわる”という歌詞を歌うシンガーを教科書に掲載することをすすめるなんて、なんと理解ある教師だろう。
それも尾崎の言葉を教科書に取り上げられた出版社も一社ではないらしい。
現代の教師も捨てたものではないと歓心。

記事では、死後15年たった今でもベスト版のセールスは年10万枚にのぼる、という事実を掲載する一方、現代の若者達の“尾崎離れ”の様子を描いている。

記事の中で著名な精神科医である香山リカさんが、「学生の反応は年を追うごとに悪くなっている」と証言している。
記事によると、香山さんは‘00年ごろから大学の授業で「卒業」などを聞かせているという。

当初から(尾崎の歌詞について)「この怒りがどこから来ているかわからない」といった意見があったそうだが、最近は「きっぱりとした否定的な感想」が目立つそうだ。

・周りに迷惑をかけるのは間違い
・大人だって子供のことを思っているのに反発するのはおかしい


僕はこの記事に少なからざる衝撃を受けた。
実は僕は尾崎豊というアーティストの存在を彼の葬儀の中継をとおして初めて知ることになるのであるが、中学3年から高校2年くらいまでにかけて、僕は尾崎豊の歌とともに生きてきた一人である。

高圧的な大人と、不条理な社会、自分のことを理解してもらえない親や教師への反抗と、自分という存在に対する不安。

僕らはそんな経験を経て大人になってきたものだと思っていた。
本音と建前を使い分け、不条理な世界に対する反抗を受け入れながら、社会のくだらない常識を徐々に受け入れていくことは、それが大人になるための通過儀礼なのだと思うようになっていた。

若者は、特に思春期の若者は、その不安定な身体と心を抱えたまま、周囲の大人や理不尽な規則、社会の不条理に全身をつかって反抗しながら、その悩み苦しんだ過程を通じて、少しずつ“大人社会”の仲間いりをしていくものだと思う。

この記事を読むまでは、そう信じていたし、それは時代を隔てた世代でも、この世代共通の通過儀礼だと思っていた。

それなのに、最近の若者は、尾崎の歌に、尾崎の訴えに、尾崎の心の叫びに、共感するどころか、“反発”するというのである。

僕にとっては、衝撃的な事実である。

近頃の若い者は・・という決まり文句は使いたくないが、人はその成長のどこかで(それも10代の早い時期に)、“反抗する何か”を対象としてもち、出口の見えない憤りを抱えながら“健全な反抗”を経験することがその人格や社会性を構築する上で不可欠なものではないのかと思っている。

不法行為を推奨するものでもないし、社会規範を逸脱する行為、他人に迷惑をかける行為は自重しなければならない。それは「人間として社会で生きるうえでの約束ごと」だからである。

権威を振りかざす大人や、既存の不条理な制度、理不尽な社会などに反抗し、それでも押さえつけられ、納得させられる理由もないまま、“悪者・問題児・異端児”扱いされる。
その僕らとは違う“常識”の中で生きている教師や親達とぶつかり合うことで、社会という得体の知れない大きな壁にぶつかり、大人達の「常識」を少しずつ受け入れることで、その大人たちの言い分をひとつずつ、しかたなく受けていく過程で(それは自分自身の敗北につながるのだが)、僕たちは一つずつ「大人」の仲間入りをしていった。それを裏から見ると、僕たちがあれだけ反抗した“社会の一員”になっていくということは、大人たちと戦って敗れた、僕らの「言い分」を一つずつ捨てていく過程でもあったのだ。

これは、世代の壁を越えて普遍な原理だと思っていた。

そんな“健全な反抗心”が、今の若者には感じられないというのだから、これほどショックなことはない。


僕は、30歳になった今も例えば尾崎のこんな歌詞に胸をうたれ、その言葉の真意を考えてしまう。

<人は誰も縛れたかよわき子羊ならば 先生あなたはかよわき大人の代弁者なのか>(『卒業』より:原文は朝日新聞掲載記事より引用)


ヒトが成長する過程では、不条理で理不尽で不平等な社会や、その構成員である大人たちに対する、「純粋なで健全な反抗心」が必要なのではないかと僕は思う。
特に思春期の若者達は、学校という閉鎖社会のなかで、自分という存在に対する不安感と、周囲の何者ともしれない“何か”に対して、あまりあるエネルギーをぶつけて発散しなければならない。

「怒る」ことは、必ずしも悪いことではないし、むしろヒトの成長のある時期においては、「健全な反抗心や、得たいのしれない怒り」を感じ、時には行動に移すことは、その人格の形成過程において、とても重要なことではなかろうか。

若者の“尾崎離れ”について、同記事のなかで作家吉岡忍さんは次のように分析をしている。
「彼の歌は、内面に深く食い込んできて、今の若い人にとっては触って欲しくないところに及ぶ。現状に適応してトラブルなく日々を過ごすことに価値を置くとそこに気づきたくないのだろう。」


一方で記事の最後の部分では、「ミスター・チルドレンなどが参加したトリビュート盤の影響で10代のファンも増えてはいる」(同紙より)とのことだ。


尾崎豊が残した楽曲と、彼の生き様は今でも多くの人々に影響を与えているし、これからも、彼の作品は新しい世代に引き継がれていくことを祈ってやまない。




通院日

2007-04-19 01:48:28 | 鬱病日記
4月18日




今日は通院日だった。
予約時間は14:50PMだったのだけれど、どうしても起き上がることができなくて、病院に予約取り消しの電話をいれ、18:00PM~の「予約不要の時間帯」に改めて受診することにした。

病院に向かう道すがら、電車のなかで、テンションの高い女子高生二人組みを見つける。
否、見つけるというか、嫌でもその甲高い笑い声と叫び声が耳に響いてくる。


やかましい。


周りの乗客は一様に辟易した様子だったが、彼女達は二人の世界にずっしりと浸っていて、周りの状況は目に見えていないようだ。

こういう女は腹が立つ。
調子が悪いときは尚更のこと。


「うっそ~!?マジうけるんだけど~!!」
「超キモイ~!!」


常識を遥かに逸脱しているのは自分達だ、ということの自覚は皆無である。
こういう女は社会にでて充分に苦労すればよいのだと思うのだが、ところがどっこい、こういうタイプに限って、世間をうまく渡っていくものである。

皮肉な現実。


病院に到着して受付を済ます。

「これからですと、1時間程度お待ちいただくことになりますがよろしいですか?」

いつもの受付のお姉さんたち。
1時間の待ち時間というのは、この病院にしてみれば短いほうなので、「はい、大丈夫です。」と答えて、診察室である個室の1つに案内される。

壁越しに隣の診察の会話がうっすら聞こえてくる。
どうやら、医者と患者の双方が談笑し、お互いに声をあげて笑っているようだ。

信じられない。

精神科と言っても鬱病ばかりを扱っているわけではないので、患者の中には笑う人もいるだろうが、診察室で談笑できるほど回復しているなら病院に通う必要はないのではないかと思ってしまう。余計なお世話だが・・。


結局1時間半くらい待っただろうか。
主治医がノートパソコンを抱えて診察室に入っていた。

「お待たせしました~。その後どうでしょう?」

僕は、前回の診察の時に指示を受けたとおり、できるだけ0時にはベットに入るようにしていること、しかし、実際に眠りに落ちるのは午前2時~3時くらいであること、起床は10:00AM~11:00AMになること、時折、午後に“落ちる”ことがあり、ベットに潜り込んで眠ってしまうこと、などを報告した。

ノートパソコンのキーボードをテンポ良くたたきながら、主治医が何か思案している。

結局のところ、回復傾向にはあるが、やや停滞気味であるため、テコ入れのために新しいお薬を試してみようということになった。

また1種類、薬の量が増えた。

トリプタノール25mg錠。いわゆる三環系と呼ばれる一世代前の抗鬱薬である。


「副作用が今までより、少し増えるかも知れませんが・・(我慢してください)」
ということだった。

三環系の主な副作用は、口の渇き(口乾感)、手指の振るえ、便秘などなど。
地味だけれど、ボディブローのように効いてくる。

これからまた2週間。
症状はどこまで改善するのだろう。


ちなみに今回の処方箋の変更で、僕が一日に摂取する薬の量は、
・毎食後:8種類、7錠+1包
・就寝前:5種類、8錠

一日あたり32錠(8種類×3+8錠)の服薬。


この量になると、さすがに飲むときに喉が使えて困る。
こんなに飲んで、鬱が治る前に肝臓がいかれてしまいそうである。



空っぽ。

2007-04-18 00:03:51 | 鬱病日記
4月17日




昨日の不調をひきずりながら、今日は一日中ベットに沈み込んでいた。
ひたすら頭の中を空っぽにして。

夕方から少し心が不穏になってきて、なんだか落ち着かない感じでこのブログを書いている。

意識的に頭の中を空っぽにするのは、(うまくやれば)とても気持ちのいいことだと知った。

心も空っぽ。
頭も空っぽ。

存在という器だけが、この世の中で歩いている感じ。

無色・透明でニュートラル。



不穏な気持ちがなければもっと楽なのに。

明日は通院日。
先生になんて言おうかな。


一回休み

2007-04-16 23:22:49 | 鬱病日記
4月16日




折角このブログに来てくださった方、ごめんなさい。
体調が悪く、今日は文章を書くことができそうにありません。
「一回休み」にしてください。

明日、復活したらまた書きます。
気が向いたときに身に来てください。


微妙な緊張感と未来への不安

2007-04-16 00:33:12 | 鬱病日記
4月15日



枕元でアラームが鳴る。
手探りで携帯をさぐりあて、時間を確認する。

8:00AM

まだ、早いじゃん・・・。
僕は右手で携帯を握り締めたまま、再び枕に横顔を埋める。


あ・・そうだった・・。


昨夜、今日は朝から学校に行こうと思い、携帯のアラームを自分で早めにセットしていた事を思い出した。

起きなきゃ・・と思いながら意識は遠のいていく・・。

次に気づいたのは10:00AMを少し過ぎた頃。
これから学校に行っても充分に勉強できるのだが、気分が重い。
身体もあいかわらずのダルさである。

もう何もかもを無視してしまって、永遠に目覚めることがなければ良いのにと思うときがたまにある。
今日もそんな朝だった。


今日は日曜日だ。
母は家にいる。
昨日のこともあり、できるなら今日はなるべく接触しないで過ごしたい。

ベットの横に置いてある、ペットボトルのミネラルウォーターで朝、昼の分の薬を一気に飲み干す。
薬の力で眠ってしまおう、という魂胆だった。

途中で何度も目が覚めたり、外出しようかと思ったりしながら、気づけば18:00PM。

僕はこの日はじめて部屋を出る。

居間のソファに母がいた。
ソファに横たわり、うたた寝をしている。
「疲れている時の母」のいつもの定位置であり、いつものうたた寝。

僕はなるべく母の顔を見ないようにして、外出しようと玄関に通じるドアを開けた。


「どこ行くの?」


母の声にドキっとする。

「・・・コンビニまで。・・・新聞、買いに行ってくる。」

「そう。気をつけて。」


目を開けずにそう言った母は、再び眠りについていく。

どうやら昨日の性格は一晩で消えてくれたようだ。

母の様子が豹変した次の日は、いつも微妙な緊張感に襲われる。
“どんな母になっているのか”わからないからだ。
今日はいつもの母。
しかし、最近、どれが“本物の母”なのかわからなくなってきた。
母が壊れてきているのか?それとも僕がおかしいのか。


玄関の扉を開けて、外に出る。
コンビニまでは5分とかからない距離だ。

つい最近まで残っていると思っていた歩道際の雪もすっかり溶けてしまっている。
僕の知らないところで、また季節が回る。

僕は、あと何回、こんな季節を経験するだろう。
来年の今頃、僕は、どこで何をしているのだろう。
僕はその頃まで、“ヒト”であり続ける事ができるだろうか。
社会という世界の歯車の一部にまた戻ることができるのだろうか。

そんなこととはおかまいなしに、コンビニのレジに立つ少女はテキパキと仕事をこなしていく。

あの子が大人になったとき、僕は・・・。



こうしてまた、僕は一日を浪費する。



忍従。

2007-04-14 23:42:24 | 鬱病日記
4月14日



昨夜眠りについたのが、午前4:00。
その後、8:00に目が覚めたけれど、身体がとてもだるかったので、朝と昼の分の量の薬を飲んで、ベットの中に潜り込んだ。

学校に行かなきゃ、とも思ったが、身体が重たくて思うように動けない。
せめてテキストだけでも読もうとも思ったが思うようにいかず断念。
今日は(も)、一日自分の部屋にこもっていることにした。


部屋をでて居間に入ったのが20:00。

母親がいた。

少し距離をおいて、ダイニングテーブルの椅子に座る。

次の瞬間、母親は僕に背を向けたままこう言った。
「あんた、いつからバイトする気なのさ?」

え?

突然だったので何の話をしているのかわからなかった。
母は続ける。

「あんた、働く気がないのかい?それとも医者がダメだって言っているのかい?」(嫌味っぽく。)

突然の詰問に戸惑いながらも、医師からまだ就労の許可がでていないという事と、自分でも体調が万全ではないので働く自信がない、また、これまでのように中途半端な状態で就労しても、また、病状が悪化してしまうのでは元も子もないので医師の許可がおりるまではこのまま静養したい、旨を簡単にまとめて話す。
それを聞いていた母は、

「そう。じゃぁこれからはもっと生活を切り詰めていかないとやっていけないわ!金ばかりかかって仕方ない!」

と僕を意識した大きさの声で、吐き捨てるように言った。


このセリフは、今の僕にもっとも堪える言葉である。
実際、居候の身分だし、お金を入れているわけではないので、言い返すことができない。
仕事に対してもまさに答えどおりで、今の状態でバイトを始めても体調を崩すのが目に見えているので、もう少し体調が安定して医師の許可がでるまで療養したい。
というのが今の本心であり、僕と主治医との間の了解事項だった。
母も、このことについて了解してくれているからこそ、居候させてくれているのだと思っていたが、どうやら違っていたらしい。

母の言葉にかなりボディーブローをくらった感じだが、もう一つ疲れたのが、母の変貌ぶりである。
過去にも何度か“僕の母親は普通と少し違う”と書いてきたが、今日の僕に接する態度が、前日までのそれとは全く違うのである。

普段は聞いているこちらがうんざりするくらい、
「お金はあるのかい?」
「病院代は間に合っているのかい?」
「お金ないなら(お札を出して)これで髪を切っておいで」
「お金たりなくなったら遠慮なく言うんだよ。」
と心配(?)してくれる。

それが今日は180度変貌した態度である。
母の性格の変貌には、ほとほと参っている。

やっぱり今日も学校に行っていればよかった。
母と一緒に過ごす時間を少なくするために。

できることなら今すぐにでも働きたいし、一人暮らしで自立した生活を送りたいという気持ちは誰よりも僕が一番強く持っている。
それができず、今の環境で、母に生活の援助をしてもらって療養しないと暮らしていけない自分に何も感じていないわけではないのだ。

それでも今の自分には、母に一つも反論することができない。
ひたすら、忍従である。

母の性格の豹変振りにつきあうのもつくづくうんざりだ。
でも、今はその母に世話をしてもらわないと生きていけない自分が情けない。



下がり続ける体調とモチベーション

2007-04-14 01:00:07 | 鬱病日記
4月13日




こうして毎日毎日同じ事を書き続けるのは、自分でも飽き飽きだし、読まれている方もほとほと退屈されているかもしれない。
それでも今日も同じようなことを書かなければならない。


昨夜は3:00過ぎ頃に就寝。
今朝は9:00に起床。
その後薬を飲んで18:00までベットのなかで過ごす。

昨日のブログで今日からの勉強のノルマが溜まっていることを書いたが、そんな貴重な一日も、またダルダルの症状の前に無駄に過ごしてしまった。

学校に行く意欲がわかない中、昨日送られてきた違う講座のテキストに目を通してみる。

・・・・難解。

この年になって(しかもこんな病状のときに)こんなに勉強しなければならないのであれば、中途半端な夢を見ず、地元の大学や専門学校に通って手堅い資格の1つや2つでもとって置けばよかった。

今後の勉強のスケジュールを考えて、うんざりである。

明日から週末。母の仕事が休みなので、家にいることになる。
顔をあわせると、またお互いイライラするだけなので、明日こそは昼間から学校に行こうと思う。


朝、起きることができれば、の話だが・・。


次回の診察の時までに、生活リズムを整えるように言われているので、今の夜型の生活を改めて、なんとか0時就寝というラインにまでもっていかなければならない。

明日が生活リズム改善のチャンスかも。

なんとかテンションあげて頑張りたい。・・・頑張っちゃいけないんだけど。



なんとなく、最近、見えないなにかに追い込まれているような気がする桐原です。