Sceneries through the lenses

その場の気分でもやっと投稿していくブログ。内容はころころ変わります…(汗。

組織うつについて考えてみた。

2014-07-05 18:03:16 | 雑多
人の話ではないです。 ^^;
色々と考えていて企業や組織にも鬱病ってのはあるんじゃないかと急に思い立って、つらつら書いてみます。あまりにもつらつら書きすぎて、綺麗にまとまっていないのが情けないのだが…。( ´△`)アァー

まず、人の鬱病の状態は次のような感じで悪化をたどる。
ただ、症状には色んな説明があったりするんで、適当なんだが…。

① 気力・やる気が無くなる。関心がなくなる。
② 憂鬱感がひどくなる。自己嫌悪に陥る。
③ 抑うつ状態が激しくなる。
④ 気分の落差が激しくなる。絶望感が強くなる。


上記と適切にあわせることは難しいのだが、組織全体としての思考や方向性が
段々と落ちていくことがあるのではないかと。
たとえば、下記のような例。
症状は色々考えられると思うが、考えるのはやめておこうかと…。

① 言われたことだけをやることに注力する。(考えることに関心が無くなる)
② 組織としての判断を行わなくなっていく。(考えるのをやめる)
③ その場限りの対処でごまかすようになっていく。結果、組織の崩壊が始まる。
(ひどい状態を受け入れるが、根本的な対応は考えない)
④ こんなもんなんです、仕方が無いんですという言葉が常識になる。(絶望しつつ、受け入れる。)

なんか、徐々に悟りを開いているとも言えるのかもしれないが、健全な方向ではない。


この、うつ状態がどうということよりも、なぜ、このような状態に陥るか?の方が重要だろう。
とりあえず、大きく2種類ほど考えてみた。
ただ、厳密に区別されるというよりも、これらの要素が複合的に絡んでいくことによって、
徐々に取り返しがつかない状態になるのは間違いないだろう。


(a) 意図的に誘導されている場合

誘導に関しては外部からという場合と内部からという場合がある。
外部からというのはなかなか難しいが、(無茶を含め)言うことをただ聞く下部組織というものを
作るというもの。下部組織側が強く望んで自らという場合もあるだろう。


内部からというのは意図を持って意見をつぶし、組織として思考停止に導いている状態。
変化(新しい手法、考え方など)というのは(追いていけない側には)面倒なため、
徹底的につぶすことで当初の状態を維持するというもの。

ビジネスシステムが確立されている変化が無い業界などであれば良いかもしれないが、
変化が激しいといわれる業界の場合、世間とのずれがどんどん大きくなっていく。
内なる常識(世間の非常識)に支配されるということである。

このような組織状況においては、内弁慶が許される立場であれば苦労は少ないが、
外部で活動しなければならないとすると相当苦しむことになるだろう。
組織においては、内と外の役割が人で分割することができる。
外の役割の能力ということにしてしまえば、内の役割は守り続けることが容易である。


(b) 組織化の失敗の場合

組織化自体の失敗と、構成員によって機能しない状態に陥る場合がある。
ここでは組織化を
「ノウハウ・ビジネス手法・ルールなどの共通認識化、および、それを元にビジネスを遂行すること」と定義している。個人的に支持しているものだが。

人が増えると組織化が行われるが、この際、組織内の部隊の役割を定義しなければならない。
この部隊の役割の定義が曖昧という状況を想定してみる。(共通認識化の失敗)

すると、当然の結果だが、部隊間で役割の認識に関する隔たりが生じてしまう。
部隊間で負の役割の擦り付け合いが発生することは容易に想像できる。
この状態の一番簡単な解決方法はどちらかの部隊内に犠牲者を用意することである…(汗。

もう1つは意図的にそれを生み出している場合。
部隊の役割を本来の役割よりも狭い範囲とすることで、ひずみを生み出し機能させないように誘導することである。


じゃぁ、どうすれば良いのか? となると、結局、マネジメントの話になっていく。
組織的となると大きな外科的手術が必要だろう。
これを現場レベル、個人レベルでは?という話になると、どう防御するか? ということになる。

負の防御策というのは、上記に組み込まれ、どう無責任で許される位置に行くということだろう。
一方、まじめな防御策となると、防御ルールを作ることになるだろう。
ITビジネスチックになると、自分専用 見積標準(構成、工数算出)、手順書等のツール群などを
隠し持っておくことなんかは1例だろう。

個人防御ではなく、組織として取り組めば、標準化とか、世間的に良い呼び名で呼ばれるんだが…。

この個人成果を使って、組織を徐々に改善すれば? という意見が出るかもしれない。
ただ、組織の構成員自体が異常と認識し、改善をしたいと思っていなければ非常に困難だろう。
そういう状態だとしても、改善・改革にそれぞれのエゴが出る可能性があるから途中でだめになるケースも十分ありえる。

組織が異常を認識していない、もしくは、異常状態で良いと判断している場合は、
異常を認識し、個人防御を行った人をピラミッドのトップにして徐々に下に広げていくという形になる。
これに頼った改革は相当時間がかかるだろう。というのも、そのような個人は組織にとっては邪魔な存在だからだ。
邪魔だからつぶしにかかられるだろうし、評価もされないだろう、となると正しくても賛同が得られない可能性も高い。正しい方向に進むこと自体が損になってしまうからだ。

そうなるとやはりマネジメントの…という話になるだろうが、ここではそれは論じない。


ちなみに、主題から外れるが、ブラック企業もある意味鬱と言えるのかもしれない。

「 働きすぎ→テンションを上げて乗り切ろうとする→身体がついていかない
→ さらにテンションを上げる→ 心身に異常をきたしてくる → 正確な判断できなくなる
→ 最悪の結果を生み出す 」
という治療にも入れない最悪のパターンが存在するらしい。

ブラック企業は組織自体が上記のようになっていると言えるのではないだろうか。


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