50歳代で亡くなった親友、米原さんを偲ぶ逸話にはちょっと心を引かれる。「米原:通訳には客と同じメニューを出すべきだ。通訳に食べさせない仕事はすぐ断る」団体旅行のツアーコンダクターをしていたことがあるのだが、客のしもべとなり、楽しく旅行していただけるよう細やかな心配りが必要とさっるこの仕事を彼女がどうこなしていたのか私は、常々いぶかっていた。米原:ロビーで昔のツアー客に「覚えてらっしゃいますか」と聞かれ、にべもなく「いいえ」と応える。田丸さんが母親のように「その節はいろいろお世話になりまして」「そういえば、万里さん、店でヘレンドの食器フルセットを買われて、私たちずいぶん待たされたあげく、一人で持てない量だったのでみんなで分けて運んでさしあげたんですよね」 万里さんの方は「ああ、そうでしたね」と、悪びれもせずににこにこ笑っている。文字通りの主客転倒。「万里さんによく怒られましたわ。感動するときに使う形容詞の種類が余りに貧弱だって。」と楽しそうに思い出にふけっているのだ。単なる身の程知らずか、いや大物ならではの人徳か、女帝エッ勝手リーナの面目躍如。
米原:同国人でないから後腐れがない。異国の人だけど、言葉は100%通じる。身近にいて、一緒に食事をしたり買い物をしたり、とにかく日常生活の面倒を見てくれて、通訳するためなんだけど、自分のことを懸命に理解しようとしている。これほど、身の下話を打ち明けるのに理想的な相手はいないものね。でもね、私はいろんなロシア人の通訳をしてきて小咄(こばなし)という形で男女の話はタップリ聞かされたけど、自分の体験をこんなに話してくれた人は一人もいない。ところが、田丸は吸取紙みたいに次々にイタリア男たちのエロス体験を聞き出してるんだよね。
読んでおもしろくためになる本、滅多にありませんよ。
シモネッタのデカメロン―イタリア的恋愛のススメ (文春文庫)