2006年に実用化され始めたDNA分析の手法、次世代シーケンサーはPCR検査の手法を用いたもので、サンプルに含まれるすべてのDNAを読み込んで解析することが可能となるとのこと。それまで古い人骨はミトコンドリアDNA分析しかできなかったため母系でしか先祖をたどることができなかったが、父系でも可能となった。それを象徴するのが2022年のノーベル賞受賞ペーボ博士で、古人骨に残るわずかなDNA抽出と解析技術を確立したことによるものだった。本書ではそうした古代DNA研究の最新研究結果をもとに人類の起源をたどる。
約6万年前にアフリカ大陸を出た現人類、ホモサピエンスはネアンデルタール人やデニソワ人と交雑する。欧州では45000年前のホモサピエンス進出から数回の集団交代を経て、ヨーロッパで主流となる現代人集団が形成された。ユーラシア大陸を東と北東に出た人類は中央アジア地域でステップ集団となり変遷、欧州やアジアの集団に大きな影響を与えつつ東に進んだ。インドから東南アジア、中国に進出した集団はその後、ポリネシア、東アジアに到達、ステップの集団とともに約2万年前にはベーリング海を渡ってアメリカ大陸に到達、全世界に拡散したことになる。
現在までに分かっているホモ属の系統にはホモサピエンス以外に、ネアンデルタール人とデニソワ人が知られており、45万年前にホモサピエンスとネアンデルタール人、デニソワ人が分岐したことも分かっているが、その後も共存、交互に交雑が重ねられており、現代人にも体色、体毛に関する遺伝子がネアンデルタール人から受け継がれ、寒冷地適応に関しても引き継がれているという。病原体や免疫に有利な遺伝子は集団としても重要となる。また、新型コロナウイルスへの重症化遺伝子がネアンデルタール人由来である可能性も指摘されている。言語関係の遺伝子はネアンデルタール人由来にはないことも分かっており、現人類とネアンデルタール人の生き残りに影響した可能性が指摘されている。
日本に関係する分析では、従来の縄文人と弥生人の二重構造モデルは単純化されすぎており、縄文時代の列島住民には大きく二種類が存在し、北方大陸沿岸、サハリン由来の狩猟採集民と、南方琉球諸島経由の狩猟採集民とに分類できる。核ゲノム分析によれば、現代日本人の都道府県別分析の結果では、縄文時代の列島人に近い遺伝子を持つのは東北地方岩手、青森と鹿児島に多く、次いで秋田、宮城、茨城、それと南部九州、山口であるという。逆に弥生時代の渡来人に近いのが滋賀、京都、奈良、和歌山、徳島、高知、愛媛であり、きれいに分かれている。日本列島に現生人類が到達したのは4万年前で、ミトコンドリア分析によれば、ハプログループN9bに属するのが東日本から北海道、M7aに属するのが西日本から琉球諸島である。つまり縄文時代の日本列島には複数のハプログループに属する人類が共存し、その後朝鮮半島や大陸南部から稲作と金属器を携えた渡来民たちが数百年に亘ってたびたび移り住んできたということ。またその移動は一方向ではなく、朝鮮半島南部と西日本の日本海側では人々は何度も行き来していたことが示されている。
現代人のDNAには、M7aが7.5%、N9bが2.1%含まれているという。縄文時代の人口はN9bの方が多数を占めていたが、西日本から来た渡来人が従来の縄文人たちを西から吸収する形で飲み込んでいったことが分かる。弥生人の到来は約3000年前からであり、稲作は北九州から東日本まで約800年をかけて浸透していった。弥生人と従来からの縄文人たちの混合は約1000年をかけて起こり、稲作と金属器の広がりとともに列島の人口は増えていった。
稲作伝来当時には日本人や縄文文化という概念はないはずであり、実際の交雑は複雑に何回も繰り返され、北九州と朝鮮半島南部を起点に、西日本、東日本、東北と九州を南に広がっていった。このように本州、北海道、琉球、朝鮮半島での集団の成立と広がりはそれぞれの集団としての分析が必要であり、従来からの日本列島や縄文人という概念を取り払う必要がある。また世界の人種や民族という概念も、DNA分析から見れば大きな差異ではなく、ホモサピエンスという同じ種の世界拡散という視点で分析することが重要だという。今後の研究が待たれる。本書内容は以上。