最初の話はこうだ。旧佐竹藩の藩士は生涯81人も人を切ったという御仁、その御仁は維新後、湯屋に行っても銭を払わない。号を煮やした湯屋のオカミが督促すると、意趣返しをしたいと考えたその御仁、死体置き場から腕を一本拝借して銭湯の中に放り込んで出てきた。後から入った客は驚いて逃げ出し、その後その銭湯には客足が遠のいたという。その元お侍、その後松坂屋の土蔵の裏にいた按摩を斬った時、斬り損なって、「目の見えぬものを斬ったな、恨んでやる」という按摩の声に一生苦しめられ、ついに病みつきになって死んだという。とんでもない御仁がいたものである。
脱疽で苦しんだ美貌の女形、澤村田之助は脱疽で手足をなくした。その手術を手がけたのが横浜にいたヘボン、麻酔薬を嗅がせてのこぎりでゴリゴリと足を切断したという。切った足には義足をつけていたのに、元来好きな飲む打つ買うを慎まない田之助、養生も悪く、その後手の先も腐れはじめた。手足の先がなくて転ぶと起き上がれない、という様になってしまった。享年34才で若死にした、という話。
お茶壺道中は江戸時代、大名並みの供応を受けたという話。出発は朝の七つ、御城からお壺を受け取り第一日目は品川へ、そこからは、戸塚、藤沢、平塚などを経て小田原に入る。小田原城にお茶壺を迎え入れ、出迎える。箱根八里を越えて三島でも酒肴が出る。原ではお刺身、蒲原では酒肴水菓子、府中では出迎えがあって、岡部ではまたまた酒肴。掛川では麦そうめん、葛団扇、荒井では鉄砲改めがあり、酒肴と鰻焼飯がでる。桑名ではお茶壺に家老町奉行から挨拶があり、領主御料理代がでる。草津の宿につくと、京都から御職人が出迎える。大津では京都奉行に宇治へ遣わす書状鋏み箱を出す。お茶屋の上林手代などがお迎えに来る。宇治に到着すると、出迎えが夥しく、士分は京都へ、茶壷運送の係は宇治へと別れる。大層なお茶壺道中の思い出の話。
その他、安政の大地震、廃刀とちょんまげ改めざんぎり頭にした話などなど、幕末維新の実話ばかりを集めた、興味がなければ単なる変わった昔の話であるが、幕末維新が好きな御仁にはたまらない。
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