意思による楽観のための読書日記

幕末百話 篠田鉱造 **

明治33年になって20世紀を迎える頃、幕末維新の頃の実話を古老から聞きとってまとめた聞きとりメモのようなもの、今から読むと「本当か」と感じるような話もあるが、全ては聞きとって書いたもの、まるっきりの嘘ではないはずだ。

最初の話はこうだ。旧佐竹藩の藩士は生涯81人も人を切ったという御仁、その御仁は維新後、湯屋に行っても銭を払わない。号を煮やした湯屋のオカミが督促すると、意趣返しをしたいと考えたその御仁、死体置き場から腕を一本拝借して銭湯の中に放り込んで出てきた。後から入った客は驚いて逃げ出し、その後その銭湯には客足が遠のいたという。その元お侍、その後松坂屋の土蔵の裏にいた按摩を斬った時、斬り損なって、「目の見えぬものを斬ったな、恨んでやる」という按摩の声に一生苦しめられ、ついに病みつきになって死んだという。とんでもない御仁がいたものである。

脱疽で苦しんだ美貌の女形、澤村田之助は脱疽で手足をなくした。その手術を手がけたのが横浜にいたヘボン、麻酔薬を嗅がせてのこぎりでゴリゴリと足を切断したという。切った足には義足をつけていたのに、元来好きな飲む打つ買うを慎まない田之助、養生も悪く、その後手の先も腐れはじめた。手足の先がなくて転ぶと起き上がれない、という様になってしまった。享年34才で若死にした、という話。

お茶壺道中は江戸時代、大名並みの供応を受けたという話。出発は朝の七つ、御城からお壺を受け取り第一日目は品川へ、そこからは、戸塚、藤沢、平塚などを経て小田原に入る。小田原城にお茶壺を迎え入れ、出迎える。箱根八里を越えて三島でも酒肴が出る。原ではお刺身、蒲原では酒肴水菓子、府中では出迎えがあって、岡部ではまたまた酒肴。掛川では麦そうめん、葛団扇、荒井では鉄砲改めがあり、酒肴と鰻焼飯がでる。桑名ではお茶壺に家老町奉行から挨拶があり、領主御料理代がでる。草津の宿につくと、京都から御職人が出迎える。大津では京都奉行に宇治へ遣わす書状鋏み箱を出す。お茶屋の上林手代などがお迎えに来る。宇治に到着すると、出迎えが夥しく、士分は京都へ、茶壷運送の係は宇治へと別れる。大層なお茶壺道中の思い出の話。

その他、安政の大地震、廃刀とちょんまげ改めざんぎり頭にした話などなど、幕末維新の実話ばかりを集めた、興味がなければ単なる変わった昔の話であるが、幕末維新が好きな御仁にはたまらない。

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