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意思による楽観のための読書日記

応仁の乱 戦国時代を生んだ大乱 呉座勇一 ***

「一夜で虚し 応仁の乱」ほとんどの日本人なら年号記憶のあるその大乱について、その時代背景、原因と結果についてどれほどの人の記憶にあるだろう。記憶力の良い方なら、その戦いが幕府の実質的な実権を得ようとしていた細川勝元と山名宗全が、足利義政の弟足利義視と日野富子の生んだ足利義尚の世継ぎ争いに介入しようとして戦ったことを思い出すかもしれない。しかし、11年もの大乱の結果はどうなったのだろうか。大河ドラマでは、平家と源氏の戦い、戦国時代、江戸時代や幕末、明治維新などは頻繁にドラマになる。しかし、中世、というと建武の中興、南北朝、そして応仁の乱と、なにか焦点が絞れないような、だれが主人公になるのかが分からない印象があるのは自分だけだろうか。

現在の日本で、「日本的」と呼ばれる文化や芸術の多くはこの応仁の乱前後にその濫觴があるこに気がつく。内藤湖南は応仁の乱以前の日本は大陸文明と中国の文化の輸入・模倣であり、それ以降が日本人の身体骨肉に直接触れた歴史である、と述べている。律令制度が平安時代の終焉とともにその役割を終えて、農機具や灌漑技術などの地方への浸透により農民と地方の生活が改善、鎌倉に幕府が設置された頃から地方での武力勢力が徐々にその力と経済力を蓄えてきた。源平の戦いや承久の乱よりも、日本歴史における転換点が応仁の乱だ、というのが内藤湖南の指摘、乱は旧体制を徹底的に破壊し、最下級とされてきた者たちが古来の秩序を覆したから、というのがその理由である。

6代将軍足利義教が暗殺された1441年の嘉吉の変で、暗殺した赤松氏が幕府軍に滅ぼされ、義勝が将軍となるがすぐに死亡。その後将軍となった義政が暗愚で義政の妻日野富子が政治に口を出し、管領、守護の勢力争いが激化したとされる。応仁の乱はそれまでの混乱の総決算で、乱の終結後は弱体化した幕府体制と支配の再建を一部の守護勢力は進めようとした。その間、大きく変わったのが地方の土地支配だった。

室町幕府における共同的体制維持を進めるため、奥羽、関東、九州以外からの守護は在京が求められ、地方の土地管理を守護代に任せた。複数の領地を管理する守護を兼任する大名家ではさらにその守護代さえも在京、小守護代や又守護代が現地で活躍した。応仁の乱の間にその守護代、子守護代たちの力が増したため、守護たちはあわてて応仁の乱の間にも領地に帰り、在京する守護勢力の力が減少した。義政の子、足利義尚やその後の将軍義稙は上洛命令を繰り返し一定の大名は在京したが、守護在京制度が大きく変化した。その後の明応の政変で細川政元が傀儡政権樹立を図ると、幕府の力はさらに弱体化、京都周辺以外の実質的支配は地方守護、守護代に移行していく。この時代、幕府は地方の大名の内政には関与できなくなり、地方大名同士の戦争を将軍が調停する力はなくなっていく。そしてその幕府を支えてきたとされた守護大名集団も、応仁の乱を契機に解体に進んだ。戦国時代とされる時代には、こうした権力移行により力をためてきた守護代や遠国守護が戦国大名として歴史の表舞台に登場してくることになる。

15世紀後半に在国するようになった守護、守護代は国元に立派な館を建築、室町幕府の花の館を模した構造が多く、現在「小京都」と呼ばれる多くの地方都市が発展した。荒廃していく京の町から逃げ出した公家たちは京の文化を地方にもたらした。しかし現実は毎年続くいくさのために農民は駆り出される。年貢の半減を約束する半済令により農民の協力を要請する地方武力勢力は、それまでの徴税勢力であった地主たる寺社や従来守護たちとも対立する。そうした中で大和の国は興福寺という寺が実質的な地主であり、徴税権をもち、さらに地方にも領地を保有していた。しかしその地方領地は、他の例にもれず守護代にかわる地方武力勢力に牛耳られ、年貢を興福寺にあげなくなる。

本書は、その興福寺の二大勢力であった一乗院と大乗院、それぞれ時代の院主となった経覚と尋尊が書いた日記を元に、奈良の地から見た応仁の乱とその後について顧みた歴史解説である。興福寺は奈良遷都のときに、不比等建立の山階寺/厩坂寺に納められていた釈迦三尊像を春日大社の地に移し、国家の福を興すという意味を込め建てられた。源平合戦で消失したが、その後再建、摂関家が九条家と近衛家に分裂し、大和国の守護として位置づけられていた興福寺の院主は、九条家勢力の大乗院、近衛家の一乗院が門跡とされた。大和の国は近畿の火薬庫と呼ばれたほど動乱が続き、大乗院、一乗院もライバルとして対立を続けた。その二つの勢力を率いた二人による日記が、この時代をどのように記述したのか。

守護や守護代の名前を読んで、その関係を思い描きながら読まないと理解できないので、結構読み直し、見直し、年表確認などが必要になり読了までに時間がかかった。おかげで、中世史のど真ん中、近畿地方の戦いの移り変わり、守護と地方の関係などを知ることができたが、大河ドラマでの足利義昭の顔が思い浮かんでは消える。やはり映像記憶にはかなわないのか。嘉吉の変から明応の政変までの50年ほどを解説した一冊。


 

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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