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意思による楽観のための読書日記

灰の男 小杉健治 *****

時代小説「風烈廻り与力ー青柳剣一郎」シリーズの著者が本書の筆者。どおりで下町の通りの雰囲気や街の様子が生き生きと描かれていて、大正から昭和初期にかけての上野、浅草から両国、清澄あたりの地理と歴史に詳しい。物語はミステリー仕立ての近代史小説で昭和初期から平成12年にまで展開、特に昭和20年3月10日の東京大空襲にスポットを当てた長編力作である。戦争責任を取るべき軍部の強硬派も、終戦間際に犠牲をこれ以上増やしたくないと降伏の道を探った和平派でさえも、戦争被害にあった多くの日本人や日本軍による被害にあった特に東南アジアの人たちに責任を感じる必要があると訴える。戦争史で残虐とされる行為は至るところにあったが、日本軍による重慶爆撃、南京大虐殺、そして米軍による空襲、特に東京大空襲、そして広島長崎への原爆投下がある。8月の原爆記念の式典には首相も出席するのに、同じような犠牲が出た東京大空襲の3月10日はなぜもっと大々的な慰霊が行われないのか、という疑問が筆者にはあるようだ。

登場人物が多くて関係が入り組んでいるので、人物関係図を書きながら読み進んだ。

「灰の男」とは伊吹耕二、戦争で心も灰になってしまった戦争被害者の象徴であろう。伊吹は元帝大生で、元落語家の高森信吉の妹道子と疎開中の宮城で知り合い恋仲になるが、道子は3月10日の空襲で行方知れずになる。信吉は徴用で働いていた職場で知り合った複数人でアルミ工場倉庫から物資を盗み出す計画を立て、リーダー格の大矢根らと爆撃があると噂がある陸軍記念日前日の3月9日深夜工場に忍び込む。門番に見つかるが、その時倉庫に火の手が上がり、さらに爆撃も始まったため、盗みどころではなくなり信吉たちは命からがらその場から逃げ出す。空襲では多くの人がなくなり、信吉の妹の道子、盗みに入った仲間も行方不明になった。道子と恋仲になっていた伊吹耕二も疎開先の宮城から上京、道子を探し信吉とも出会うが見つからない。

戦後、東京大空襲のことを調べていた弁護士に皆瀬幸三郎がいた。アルミ工場に放火して空襲の手引をしたという情報も寄せられるが、なぜか証人たちは殺されたり不審死を遂げる。調査をしていた皆瀬自身も交通事故で片足を轢断、瀕死の重傷を負う。なんとか真実を知りたいが追求虚しく病気になる。孫の満にあとを任せるため、遺書代わりに自分が知り得た情報を書き残す。

時代は一気に平成時代になり、下町で放火事件が相次ぎ、容疑者として深川七郎という80歳の男が逮捕される。裁判になり弁護を引き受けたのが、皆瀬弁護士のひ孫の相原康一郎だった。康一郎は、知り合いのジャーナリストから、先輩の記者であった小原史郎が戦時中アメリカのスパイとなり、早期終戦の期待から、空襲の手引をしていたことを知る。さらに曽祖父である皆瀬弁護士の遺書から、深川七郎が小原の弟、伊吹耕二であることを突き止め、道子への思い、そして兄がスパイをしていたことへの贖罪意識から、濡れ衣である放火の罪をかぶろうとしていることを明らかにした。

物語の中では、戦争責任に関し詳しく述べている。領土拡張に目がくらんだ軍参謀、敗戦が確実になっても降伏できないと主張する強硬派、それらに脅かされながら敗戦色濃くなってからも戦争遂行に大衆を煽り続けたマスコミの責任は重い。さらには、昭和20年2月に早期終戦を目指して近衛上奏文をしたためた和平派においてさえ、終戦後に罪を免れて戦後の政治の舞台に再登場したいという打算が働いていたと指摘。上奏文を受け取った昭和天皇も、一矢報いた上で終戦に持ち込みたい、という幹部の話を信じてしまう。国体護持が保証されていないとして、聖戦継続を天皇に訴えた軍幹部は、その後の大空襲や沖縄戦被害者も含めた犠牲者に対する責任は重いとしている。戦後のGHQは日本国民の支持が得られなければ戦後処理がスムーズに進まないと考え、戦争終結を決めた原爆投下については慰霊祭などをすすめるが、その前の大被害である各都市への無差別爆撃の加害者としての責任には触れないように、日本政府にもマスコミにも影響を与えたと解説する。

全720ページにも及ぶ長編小説であるが、一気に読了した。戦争に対する思いを、客観的な戦争責任に関する視座をもちながら、日本軍部と米国軍にも厳しい目を向け、中国大陸や朝鮮半島出身者の被害にも言及、一般市民と戦争被害者の立ち位置に立って描いた力作だと思う。

↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

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