意思による楽観のための読書日記

一外交官のみた明治維新(上) アーネスト・サトウ ***

1862-1882年の20年間日本に滞在、日本語も堪能になり英国公使たちの通訳となってサトウ、後に日本人の妻を娶って子ももうけた。1862年からは横浜に滞在、外国人居留地に住んだ。その頃の政情は尊皇攘夷の嵐の中、外国人だというだけで切ってしまう、という輩が横行する状況だった。リチャードソンは島津の大名行列に乗馬のままで通りがかり切られて大問題になった、これが生麦事件。薩摩藩には賠償金請求をしている。その後鹿児島、下関で薩長両藩と砲撃による戦争をしているが、その後イギリスは薩長と組み、フランスは幕府とくんだのは有名な話。大阪訪問はミットフォードの日記と時期は重複、しかし、サトウの日記の方が詳細な記述が多く細かいことがよくわかる。陸路大阪から江戸まで旅行した様子もかかれていて、この時になると、東海道沿いの旅籠の人たちが外国人の扱いにもなれてきている様子がわかる。また、サトウが当初は日本人の考え方にとまどいながら、徐々に日本人を理解し好意を抱いてきていることも分かる。ここまでが上巻である。
一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)
一外交官の見た明治維新 下  岩波文庫 青 425-2
旅立ち 遠い崖1 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 (は29-1))
薩英戦争 遠い崖2 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-2)
英国策論 遠い崖3 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-3)
慶喜登場 遠い崖4 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-4)
外国交際 遠い崖5 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-5)
大政奉還 遠い崖6 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-6)
帰国 遠い崖8 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-8)
江戸開城 遠い崖7 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-7)
岩倉使節団 遠い崖9 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-9)
大分裂 遠い崖10 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-10)
北京交渉 遠い崖11 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫)
賜暇 遠い崖12 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫)
西南戦争 遠い崖13 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-13)
離日 遠い崖14 アーネスト・サトウ日記抄 (朝日文庫 は 29-14)

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